こんな終わり方なんて、自分でも思っていなかった。
元々体は強い方ではないと自覚はしていた。
風邪など年に何回もひいてしまうし、酷い時は拗らせてしまう。
入院はした事はなかったが、幾度か死を覚悟した事もあった。
その都度、私は大丈夫、だと子桓様や師や昭に伝えた。
周囲に心配を掛けまいと気をつけてはいたものの、やはり駄目だったらしい。
齢四十を過ぎた頃、余りにも疲れやすくなった。
呼吸が追い付かなくなる。
子桓様との性生活のせいだろうか。
そう思わなくもなかったが…現実的には歳のせいであろうと考えていた。
子桓様や子供達には心配を掛けまいと今までずっと黙っていたのだが、
半分私の主治医と化した諸葛亮曰わく、私の体は相当ガタがきていたらしい。
特に肺や呼吸器官が弱い。
原因は先天的、生まれつきということもあり、特に対処方法がないと言う。
私に容赦なく諸葛亮は現実を伝えた。
別に同情してもらいたい訳ではないのでその方が良い。
寧ろ諸葛亮に気遣われる方が気味が悪い。
先天的であるなら子供達は、と諸葛亮に問うと、
子供達も以前検診した事があるが遺伝性はないとの事だった。
感染するものなのか、と問えば答えは否であった。
「貴方の体は、あと数年内には本当にガタが来ます。呼吸器が必要になるかもしれません」
「そうか…。師も昭も…子桓様も、誰も同じ思いはしないのだな」
だが天は私には味方をしてくれないらしい。
診察室で点滴を受けながらぼんやりと天井を見つめていた。
私だけの病ならその方が良い。
「肺の移植手術などが出来ればまた話は別なのですが、なかなか難しい話です。
死者で型が一致する方などなかなか見つかりません」
「…否、別に良い」
「風邪やインフルエンザ、流行病や肺炎などにかかってしまったら貴方の今の体では命に関わります。
悪性腫瘍など出来てしまったら…解っていますね?」
「そうだな」
事は思ったよりも重大らしい。
そんなに弱くなってしまったのかと自分の体が恨めしい。
遅かれ早かれ、私の体は長くは保たない。
「何かあったら遠慮などせず、私を呼びなさい。
連絡先は知っているでしょう。良いですね?」
「諸葛亮ともあろう者が、司馬懿の命を救うと言うのか」
「古の軍師であった話など今は関係ないでしょう」
「…ふ、そうであった」
「変な意地などお捨てなさい」
点滴が終わり処方箋を貰った。
定期的に様子を診せるようにと通院の手配をした。
まだ通院出来るだけマシなのだろうか。
話を聞いてからぼんやりと、私は長くは生きられないのだと漸く考えられるようになった。
「曹丕殿に話しなさい。大切な人なんでしょう」
その名前を言われた瞬間、一気に死ぬのが怖くなった。
ドアノブを持つ手が震えて、歩き出せない。
「そう、だな」
「司馬懿?」
「何でもない。また来る」
諸葛亮に礼を言い、病院を後にした。
まだ生きていたい。
生きてあの人の傍に。
そう思うと尚の事、子桓様には話せなかった。
先日の夜の情事の際、私の不調を察して子桓様は気にかけて下さっている。
私は結局何も話せなかった。
話してしまうのが怖かった。
告知から結局数年が経っている。
いつか、それも近い内に私の体は駄目になる。
諸葛亮に早めに入院なさいと言われているが、子桓様の傍を離れたくなかった。
体中管まみれにされて、呼吸器を付けられて、歩く事も出来なくなる前に少しでも。
少しでも未だ幸せで居たかった。
雨の日の夜。
その日は子桓様の帰りが遅く、私は一人夕食の支度をしながら本を読んでいた。
きっと車だろうが、それでも寒かろうと私の好物で子桓様の好物にもなってしまった粥を作っていた。
遅くまで残業にでも追われているのなら労ってやりたい。
葡萄でも買ってきてやろうと、鍋の火を止めて傘を差して近くのスーパーまで走った。
季節は夏に入る前の梅雨であったし、薄着でも大丈夫だろうと足早に葡萄を買って帰宅した。
そしてそのまま玄関で倒れたようだ。
季節の変わり目の気温差に体が付いていかなかったのだろう。
風邪をひいてしまったらしい。
気付けば私は温かいの腕の中に居た。
ぽろぽろと私の頬に涙が零れている。
子桓様が泣いていた。
その涙を拭うように頬を撫でると、子桓様は一頻りに私を抱き締めた。
「っ、仲達…遅くなってすまなかった…」
「子桓様…おかえりなさい」
「…ただいま。早く湯へ。体が冷え切っている。病院か、諸葛亮を呼ぶぞ。良いな」
子桓様の強い口調に否と言える筈もなく、されるがままに湯に浸かり体を温められると少し落ち着いた。
これでもかと厚着をされて、夏前だと言うのにふかふかの布団に包まれる。
余程肝を冷やしたのだろう。
子桓様はあれから一切話をしてくれなかったが、私から片時も離れようとしなかった。
子桓様の首筋に埋まり擦り寄って顔を見上げると、またも痛いくらいに抱き締められる。
「…子桓様…」
「何故、私には何も話してくれない…!」
「他ならぬ…子桓様だからこそ…話すのが怖かったのです…」
「馬鹿者…話さなければ何も解らぬではないか」
「……私、もう…余り時間がないらしいです…」
今でなくては話せないと、子桓様に擦り寄るようにしながら全てを話した。
子桓様は私の話を聞いてはいたが、現実的に受け止めきれなかったのか目を瞑り私を強く抱き締めるだけだった。
「…子桓様、痛い…」
「風邪を、ひいているな」
「…はい…」
「今のお前の体では…。行くぞ」
「待って下さい」
「何だ。事は急を」
病院に連れて行くつもりなのだろう。
先程帰宅したばかりであるのに、私のせいで子桓様は全く休まれていない。
この部屋に居れるのが今日で最期かもしれない。
そう思うと名残惜しく、子桓様の袖を引っ張り引き留めた。
「何だ仲達」
「粥…作って待っていたのです。あなたの好きな葡萄も買ってきました…だから」
「っ…!お前と…言う奴は…」
「…私は貴方の喜ぶ顔が見たくて…それで。…ごめんなさい…」
「もう良い…私が悪かった。すまぬ…仲達」
「子桓様は何も…」
子桓様が泣きそうなお顔で笑う。
私を強く抱き締めて、触れるだけの口付けを何度もしてくれた。
子桓様の頬にはぽろぽろと涙が零れ落ちていた。
その涙に口付けるように、子桓様に口付ける。
「私はまだ、此処に居ますよ…」
「ああ…、そうだな」
「もっと、口付けして下さい…。口を塞がれて呼吸を整えれば、少しは楽なのです…」
「なれば、もっとたくさんキスしなければ…な?」
「ええ、たくさん…ちゅーして下さい…ね」
猫のように擦り寄ると子桓様は私を甘えさせてくれる。
ソファーに横になりながら、子桓様が粥を食べて葡萄を食べるところを見ていた。
私は既に食欲すらなかったので、子桓様の様子を見ているだけで満足だった。
「…病院へ。師や昭にも連絡するぞ」
「はい…」
「寒いか?」
「少しだけ…」
「解った」
子桓様が険しい顔で慌ただしく色々なところへ連絡しているのを傍目に見ながら、目を閉じた。
朝日なのか。眩しくて目を開いた。
何故か、両手が上がらない。
「…?」
見慣れない白い天井。
口元には呼吸器が付けられていて漸く楽に息が出来るような気がした。
病院の個室なのだろう。
深く息を吐くと、まだ生きていると感じられた。
子桓様が私の枕元にうずくまり、椅子に座ったまま眠っている。
私の右腕には点滴の類が見えた。
指先に何か付いているがこれはよく解らない。
左手側には子桓様と同じく、師が膝を付いて眠っている。
その後ろに昭が椅子に座って腕を組んで眠っていた。
右手を上げて子桓様の髪を撫でた。
カレンダーを見ると幾日か日にちが経っているように思う。
「…仲達?」
「はい…」
「良かった…。もう苦しくないか?」
「はい…。子桓様…何か掛けて下さい。風邪をひいてしまいます…。子供達も」
「解った」
子桓様はずっと枕元に居たのだろう。
私の額に口付けて、子桓様は布団を師と昭にかけて自分の肩にも掛けた。
子桓様の話を聞く限り、あれから昏倒して直ぐに病院に連れて行かれたらしい。
たかだか風邪と思った私の体は肺炎を併発していたらしく、ここ数日で一時危篤の状態まで陥ったらしい。
五月。肺炎。
思い浮かぶ二千年前の出来事。
しとしとと雨が降る景色を見ながら、子桓様の頬を撫でた。
「子桓様…」
「ん?」
「…漸く、私が貴方の代わりになれるのかもしれませんね…」
「っ、馬鹿な事を言うな」
「申し訳ありません…少し、弱気になっているみたいです…」
日付も年齢も、二千年前の子桓様の命日に近い。
目の前に当人がいるのに、何処かあの日を思い出して胸が苦しい。
涙ぐんだ師と昭が起きて、起き上がっても良いと言われるまでの小一時間。
子桓様の手を握って話を聞いていた。
肺が弱って駄目らしく、呼吸器が殆ど外せない。
故に子桓様は唇に口付け出来ない事を謝り、額や瞼、指先に唇を寄せた。
「仲達…、私が代わってあげられたら」
「嫌です…。漸く私が…代わってあげられたのですもの…」
「二千年前の過去など、今は関係ないだろう。私は」
「大丈夫です。まだ…少しなら、大丈夫ですから」
子桓様は私の手に甘えるように擦り寄り、目を閉じた。
「…代わって、あげられないのなら…」
「子桓様…?」
「…何でもない」
今はお前の傍に居よう。
子桓様はそれ以上語らず、私の手を握り締めたまま疲れて眠ってしまった。
幾日か。
子桓様が傍に居ない日が多くなる毎に、私の容態も悪くなった。
傍にいる師に聞いても、子桓様が何処に居るのか解らなかった。
もう子桓様に嫌われてしまったのかもしれない。
飽きられてしまったのかもしれない。
師や昭に否定されても現に子桓様の姿は見えず、心細い日々が続いた。
気付けば起き上がれない程、容態も悪くなっている。
精神的な支えだった子桓様が居ない事が体にも応えているらしい。
「…師」
「はい」
「…携帯を」
師に携帯を取ってもらい、暫く見ていなかった携帯を確認する。
相変わらず郭嘉殿や張コウから私を案じるメールが着ていた。
彼等や子供達が私を独りにすまいと、いつも誰かが傍に居てくれていた。
過去、学園を卒業した生徒からもメールが着ているのは嬉しい。
かちかちとスクロールをしている内に、メール着信の青いライトが点滅した。
『子桓様』
登録済みで表示された名前を見て、即座にメールを開いた。
『精密検査で型が一致した。医師には話してある。
今から行く。寂しくさせてすまなかった』
メールの冒頭部分の意味はよく解らなかったが、メールを見て間もなく子桓様が病室に入ってきた。
師が気付いて怒ろうものの、至って真剣な眼差しの子桓様と私の安堵した顔を見て、師は病室を出て行った。
子桓様が膝を付き、私の傍で首を垂れた。
今まで不在にしていた事の謝罪をして、子桓様は私の手を握り締める。
「…ばか…」
「すまなかった…」
「きらわれた、かと…思い、ました…」
「そんな訳ないだろう。私が仲達以外を愛せるものか…」
「さみし、かった…」
「すまぬ。これからはもっと…傍に居てやれる。その為に傍を離れた。すまなかった」
ぽろぽろと涙を零す私に子桓様はひたすら謝罪し、額や手に口付けをたくさんしてくれた。
子桓様が私の傍に帰ってきてくれた事に安堵して、その一日、私は子桓様の手を離さなかった。
その夜。
今宵は子桓様が居るというので大分体調が良い。
呼吸器さえ外さなければ多少の無理も許されていた為、
子桓様と一緒に寝たいと我が儘を言って二人だけにして貰った。
「今なら…」
「ん?」
「お医者さんごっこが出来ますよ?」
「馬鹿を言うな」
「…ふ、冗談です…」
元よりそのような性欲もなかったし、そもそも息が持つ筈がない。
思い詰めたような瞳。
歩くだけでも息苦しいくらいに弱った体の私に、子桓様は寄り添う。
「…仲達」
「はい」
「人の体は、足りなければ…あるものだけで補おうとするらしい。
順応能力が高いと聞く。軍の統率と同じだな」
「…?」
「二つある内、片肺でも健全であれば生きられる」
「子桓様…?」
「お前にはもう、時間がない…。以前、私は代わってやりたいと言ったな」
「はい…」
私の両頬を包み込み、子桓様は至極真剣で優しい瞳で私を見つめた。
呼吸器越しで唇に触れられない事に眉を寄せる。
「確率は低い手術になるが…」
「何のお話です…?」
「私の体を、お前に分ける」
「なっ…?!」
「本気だ」
動揺する私に子桓様は諭すように説明した。
適合者を待っていたのでは私の体が保たない事。
私と子桓様の臓器の型が一致した事。
双方に命の危機がある確率の低い手術である事。
成功しても弊害はあるかもしれないという事。
子供達には既に了承を得ている事。
その為の全ての準備は整っているとの事。
子桓様自らが望んだという事。
「…勝手に、決めないで下さい…」
「何もせぬよりは良い」
「もし、あなたに何かあったら…」
「…何もしなければ、お前が…居なくなってしまう」
「仕方ない、でしょう」
「ふざけるな…っ、今更、私ひとりで生きろと言うのか!」
「…ですが…、子桓様に何かあったら…」
「仲達」
子桓様の御身第一に考える私に取って、これ以上苦しい選択があろうか。
声を荒げる子桓様の胸に埋まる。
どうしても決断する事が出来ず、首を横に振った。
目を閉じ深く息を吐いていると、呼吸器を外された。
不審に思い、子桓様を見上げると唇を深く合わせられる。
直に唇に触れられるのは幾日ぶりだろう。
唐突ではあったものの、とても優しい口付けは甘く愛しく。
私も子桓様に応えるように絡める。
私の息が苦しくなったのを察し、子桓様が名残惜しく唇を離した。
濡れた私の唇を指でなぞり、子桓様は私に呼吸器を付ける。
「っ…」
「死ぬ時は、共に」
と、私の頬に伝う涙を拭う。
苦しくて泣いていた訳ではないと首を横に振った。
真っ直ぐな子桓様の思いが伝わり、嬉しくて切なくて苦しいのだ。
自ら呼吸器を外し、子桓様に口付ける。
子桓様は少し驚いた素振りを見せたが、直ぐに私の口付けに応えてくれた。
私はこの人が愛しくて堪らない。
離れたくなんかなかった。
「もっと…子桓様の傍に居とうございます…」
「…認めて、くれるのか」
「あなたの命を…私に分けて下さるのですか?」
「師や昭も名乗り出たのだが…私が許さなかった」
「…そうでしたか」
「仲達」
「はい…。もう枕を独りで濡らす夜は嫌です…」
死ぬ時は共に。
その言葉は、独り死に逝く事ばかり考えていた私を支えてくれた。
子桓様の体に刃を立ててしまう事を恨めしく思うも、最早断る理由などなかった。
手術の前日。
子桓様や子供達に加え。
日本から三成や左近も押し寄せて、郭嘉殿や張コウも来ており私の個室は随分と賑やかだった。
「おい、したり顔」
「何だ、佐和山の狐」
「起き上がって居て良いのか」
「今日は調子が良い」
「ふん。良いか司馬懿、死ぬ事は俺が許さん」
「何だそれは」
「殿は司馬懿さんの病を曹丕さんからずっと聞いてたんですよ」
「おい、左近」
「まぁ、いいじゃないですか。
曹丕さん、思い詰めてうちの殿に色々相談してましたよ。
まぁ、それが俺にまで筒抜けだったんですけど」
手術の話はどうやら三成らの案だったらしい。
此奴らは此奴らで、色々と我らの身を遠方から案じてくれていたらしい。
「ここ最近、相当病んでましたよね曹丕さん」
「…そうだったか?」
「そうですよ。やっぱ司馬懿さんがいないと駄目みたいですね。うちの殿にそっくりです」
「そうか」
「子桓」
「はい」
子桓様が曹操殿に呼ばれ、席を退室した。
入れ代わるように郭嘉殿が座る。
師や昭は張コウと話をしているようだ。
「ね、司馬懿殿」
「はい」
「学園は暫く私が預かるから、気にしなくていいよ。これは先輩としての報告」
「はい…。御迷惑をお掛けしています」
「気にしないで。君には曹丕殿以外にも支えてくれる人が沢山いるんだ。
勿論、私もね。だから、皆君たちを待ってるからね?」
「はい…」
「郭奉孝として、個人的に君の事は好きだし…。
まだ若いんだからさ、私より先に居なくなっちゃ嫌だよ」
「…どうしたのです、郭嘉殿」
「私も…こんな風だったなぁって、思い出してね」
郭嘉殿が子桓様のように私の頬を撫でた。
眉を寄せて、思い詰めたように真面目な顔で語る。
いつもこのように真面目にしてくれたら良いものを。
「辛かったら言うんだよ?あと、曹丕殿と喧嘩したら私のところにおいで」
「…残念ながら、それはないと思います」
「そうだよねぇ、ほんとバカップルだもんね」
「ばかっぷる…?」
「司馬懿殿は曹丕殿に溺愛されておりますから、それはないかと」
「張コウ」
郭嘉殿と入れ替わるように師と昭と話していた張コウが隣に座った。
昔馴染みの張コウとは茶飲み友達のような関係ではあれど、
同じ教員仲間でもあるので色々相談にのってくれたりもしていた。
張コウは仕事の話よりも、私と子桓様との恋話の方が好きらしいが。
私の容態を知った時に郭嘉殿と共に仕事の根回しをしてくれたのも張コウだった。
同性ではあれど、何処か女性的な包容力のある張コウの言葉は優しい。
「曹丕殿が仰っていました」
「何を」
「もし、私が死んだら仲達を支えてくれぬか…と」
「子桓様が…」
「まぁ、ひっぱたきましたけど」
「?!」
「私では曹丕殿の代わりになんて、とてもなれませんよ。郭嘉殿に頼まない辺りは流石ですけど」
「…ふ」
子桓様に平手打ちが出来る人間など僅かだろう。
一言二言、郭嘉殿と張コウに改めて激励を受けて二人は一足先に部屋を出て行った。
三成と左近は廊下にいるのか、部屋には居ない。
部屋には子供達だけが残っている。
師も昭も、口数が少ない。
幼い頃に戻ったように私の傍に寄り添うだけで、二人とも大人しかった。
心配で、不安で、寂しくてたまらないのだろう。
まるで幼い子供のようだった。
傍目から見ても私から見ても、子供達の動揺は解り易かった。
張コウが宥めていたのだろうが、師は元より昭も心労しているように見えた。
どんなに成長しても、この子たちは私の子供なのだろう。
「師、昭」
「…はい」
「はい」
「お前たちはもうお帰り。眠れていないのだろう」
「…嫌です…。今日は父上の傍に居たいのです…」
「平気です。元姫にも言ってあるんで」
「これ、いくつになったと」
「歳なんて関係ありません…。父上の傍に居たいのです」
「だって、明日は手術なんでしょう?心配にならない訳ないじゃないですか」
「私を信じられぬのか?」
「そうじゃないですけど…不安で仕方ないです…」
「父上の傍に居たいです…」
「全く…、仕方あるまいな」
気付けばぽろぽろと幼子のように泣いている師と昭の頭を撫で溜息を吐いた。
いつまでも私に甘えてあげさせる訳にもいかないだろうに。
親離れしなければとは思えども、私も子供には甘い。
師も昭も、生まれた時から今まで見てきた私の子供だ。
可愛くない訳がない。
渋々ではあったが、同室で泊まれるよう許可を貰った。
師と昭は先に食事に行かせるべく、退室させた。
ドアの前に子桓様が見えたからだ。
どうやら曹操殿と暫く話し合っていたらしい。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「今日は、早く休むと良い」
「子桓様も」
「仲達」
「はい」
「仲達」
「何です」
「沢山、呼んでおこうかと思った」
指を絡めて私の手を握り締め、子桓様は傍に居ることを望んだ。
まるで物語の最期であるかのような物言いに私は首を横に振る。
私が弱気になってはいけない。
「…これからももっと、沢山呼んで下さるのでしょう?」
「勿論。ずっとお前の傍に居たい」
「…ずっと?」
「ずっと…だ」
そう言い優しく私を抱き留める子桓様とて、怖くない筈がない。
恐らくは曹操殿と色々な話をしたのだろう。
子の親であるなら、気持ちは痛いほど解る。
「お前が元気になったら、皆を連れて何処か出掛けようか」
「何処に行きましょうか」
「仲達が隣に居るのなら、何処へでも」
私の額に口付けながら子桓様はこれからの事を話した。
楽しそうに話す子桓様の腕の中でも、少しずつ苦しくなる呼吸に時間がないのだと焦る。
私の体調の変化を察してか、子桓様は私をベッドに寝かせ胸を撫でた。
侍る子桓様の胸に触れる。
「…本当に…宜しいのですか?」
「悔いはない。私の体の一部がお前の助けになれるというのなら…嬉しく思う」
「子桓様…」
「何だ」
「愛しています…」
眉を寄せて涙を流しながら、心から愛しい…ただひとりのこの方を信じて私は身を委ねた。
どちらとも無事で在れるよう願い、目を閉じた。
「今更ながら、聞きたい」
少々仮眠した後、三成の声が聞こえた。
師と昭はまだ帰ってきていないが、三成と左近が部屋に来ていた。
横になる私に寄り添うように子桓様が腰を下ろし、私の髪を撫でている。
聞き耳を立てるつもりではなかったが、そのまま目を開けず話を聞く事にした。
「これで、良かったのか」
「ああ、悔いはない」
「誰より長命であった司馬懿が先に病に倒れるなど、過去では有り得ぬ話だ」
「当然だろう。我らは現代に生きているのだから。過去を繰り返している訳ではあるまい」
「…ふ、そうだな」
親しげに話す三成と子桓様の会話は、過去と現代が入り混じった親友の会話だった。
左近も会話に混ざる。
私には普段見せない話し方だった。
三成らと話して、少しは肩の荷が下りたのだろうか。
子桓様は笑っていた。
そのお顔をぼんやりとした視界で見つめながら、ふ…と安堵して笑いまた目を閉じた。
「…仲達?」
「すまん。起こしてしまったか?」
「否…、眠っているようだ」
「殿、そろそろ」
「ああ。またな曹丕」
「ああ、また」
三成と左近は退室したらしい。
もし私が居なくなっても、子桓様には友がいる。
それだけで私も少し肩の荷が下りた。
入れ違いに師と昭の声が聞こえた。
明くる日。
全身麻酔で徐々に眠くなる私の枕元に子桓様が見えた。
力の入らない手で少しだけ呼吸器を外し、唇に口付けて子桓様と額を合わせた。
「子桓様…」
「…最悪、どうか…お前だけでも無事で在るように…」
「や…、です…」
「何?」
「私の隣には…子桓様がいないと…嫌です…」
「私も、仲達が居ないと…生きていけない」
「だから…」
「もう喋るな、仲達」
「…嫌、です…もう少しだけ…」
意識を失う前に少しでも話がしたくて子桓様を呼び止めた。
と言っても、子桓様も手術着で間もなく麻酔を打たれる事だろう。
「…もし、私が死んだら…」
「そんな話は聞きたくない」
「そう…です、か。…ごめんなさ、い…」
「呂律が回らなくなってきたな…」
「しかんさま…」
「ん?」
「…ちゅう、して…?」
「ふ…、いくらでもしてやる」
浅い呼吸を止める事がないように、子桓様と唇を合わせ舌を絡めた。
ガラス戸越しに皆に見られている可能性があったが、何故か羞恥心はなかった。
「治ったら、もっと…したい」
「はい…」
「愛している…」
「はい…。私も…です…子桓様…」
遠くなる意識の端で子桓様の言葉が響いていた。
沢山の花束とプレゼントを貰い、慌ただしかった一日がとても短く感じる。
今日は私の誕生日で、皆に呼ばれサプライズパーティーに招かれたのだった。
昭が連れて来た炎がまた少し大きくなっていて、
子桓様がしきりに私に似ていると言って構っていた。
子桓様と腕を組みながら帰り道を歩く。
私はもう呼吸器なしでも歩けるようになっていた。
提供してくれた子桓様にも後遺症などがなく、至って無事に手術は終わった。
私と子桓様の退院祝いも兼ねてのお祝いだったので、パーティはとても豪華なものだった。
部屋に帰ると沢山の白い胡蝶蘭の花が置かれていた。
外出した際には何も置かれていなかったので、恐らくは子桓様が用意したのだろう。
子桓様を見上げると、仲達に、と笑って私の額を撫でた。
純愛を示すその花をよく見たくて、床に座る。
上着を片付けていた子桓様が少し動揺したように私の傍に駆け寄った。
「…苦しいのか?」
「いいえ…。これはあなたのものですもの…大丈夫です」
「そうか。それなら良かった…」
安堵して隣に座る子桓様の手を握り、肩に凭れた。
子桓様の肺がこの胸に分けられている。
私の鼓動を確認するかのように、子桓様が私を抱き締めた。
白い胡蝶蘭の花に触れながら子桓様に甘えるように見上げる。
「胡蝶蘭…綺麗ですね」
「薔薇と百合と迷ったのだが…蘭の方が長く見られるだろうと」
「ありがとうございます、子桓様」
「生まれて来てくれてありがとう…仲達」
「子桓様こそ…。あの日、私を見つけてくれてありがとうございました」
“変わらぬ愛”
白い胡蝶蘭の花言葉を子桓様が教えてくれた。
鉢植えなので大切に育てて欲しい、と子桓様は私の額に口付けそう言った。
「次は、子桓様と星を見に行きたいです」
「星か。何処に行きたい?」
「では…五丈原など」
「ふ、何もないぞ」
「あなたが居ます」
「そうだな」
また二人寄り添うように肩を寄せ、子桓様が私に口付けた。