いまむかし二千年にせんねん物語ものがたり 06

遠い昔の私達の物語。
今の時代にも語り継がれる三国志。

仲達の部屋に、其れが在った。
正史と演義。
書庫のような仲達の部屋の一角は三国志の資料で埋まっていた。



仲達は、師と昭と昼食を作っている。
買った本を置いてきてくれ、と仲達に頼まれて部屋に入った。

白檀の香り。
仲達の香りに満たされているその部屋は、本とパソコン以外は簡素なもので綺麗に片付けられていた。
その中に三国志を見つけた。
何度も読んでいるのか、カバーが破れている。

本棚の最上段に、木箱がひとつ置いてある。
年期が入っているその箱が気になり、勝手に開けるのは忍びないので仲達を呼んだ。

「仲達」
「何です?ああ、此処に居たのですね」
「…あれは、何だ?」
「ああ…是れを手に入れた時はまだ記憶が曖昧だったのですけれど」
「お前の記憶は、何処までだ?」
「…貴方が崩御された日の事だけ、思い出せません。
 是れは考古学の教授の方に特別に譲っていただいた物です」
「何だ?」
「レプリカですが、私の宝物です」
「見たい」

仲達が静かに笑い、箱を開けた。今では珍しくなった竹簡がひとつ。
蒼い紐でくるまれて丁重にしまわれている。
仲達が私に竹簡を渡し、紐の結び目を解いた。

「…貴方にお返ししましょうか」
「返す?」
「これは、貴方のものです」

見覚えのある文字の羅列。
論語のように思えて新しい文章。

「…典論…」
「貴方の痕跡、これくらいしか見つけられなくて」

仲達が大切に箱にしまっていた竹簡は、私が遥か過去に書いた論語“典論” だった。

「…文章は傾国の大業」
「不朽の盛事。その通りになりましたね」
「仲達」
「はい」

“痕跡”と仲達は言う。 そして“宝物”だとも。
世に広まった私の言葉を、仲達は覚えていた。

ああ、もう…此奴は…。
記憶が曖昧だった癖に。

竹簡を箱に戻し、仲達を一頻り抱き締めた。
記憶が曖昧だったくせに、無意識でもお前は私を宝物だと言ってくれるのか。

「…仲達」
「ん…、何です?」

顎に手を添え、唇を合わせた。
愛している、大好きだ、と子供の頃のように仲達に伝えた。
唇を少し離して仲達は微笑み、額をつけてまた唇を合わせた。

仲達の脚が小さく震えているのに気が付いた。
唇を離し、腰を引き寄せて横に抱いた。
何も言わないと言う事は、仲達は既に無理をしているのだろう。
立っているのも辛い筈だ。

「…?」
「お前に無理をさせるつもりはない。私も手伝う。座っていろ」
「…ありがとうございます」
「辛ければ言え。私がいつも気付ける訳でもない。余り、心配をさせるな」
「ごめんなさい…貴方に迷惑をかけたくなくて」
「迷惑だと思っていない。お前の体の不調は私のせいだ」

擦り寄るように仲達の額に口付ける。
部屋から仲達を横に抱いて運び、キッチンのダイニングテーブルまで運んだ。



ダイニングテーブルでは遠かろうと、子供達のいるキッチンのカウンターの椅子に座らせた。
その隣に座る。

「曹丕様、父上はどうしたんです?」
「長く、出歩かせてしまったのでな」
「御無理をされているのですか?」
「ん、大丈夫だ」

仲達が私に目配せをして手を握り、キッチンへ行った。
“大丈夫です”と、仲達はそっと耳打ちで私に言った。

四人掛けのダイニングテーブルの上に取り皿を配り、師に渡された茶を仲達が入れる。
先程買ってきた私の箸を仲達がそっとテーブルに置いた。
昭が気付いて椅子に座る。

「父上、これどうしたんです?」
「曹丕様のを、買ってきた」
「…すまぬ。私は料理が不得手でな。暫く世話になると思う」
「へぇ、何か家族が増えたみたいですね」

昭が何気なく言った一言が嬉しかった。
顔に出たのだろう、師が私を小突いた。

「父上が不調だとお分かりなら、貴方も手伝って下さいね」
「そうだな」
「師、曹丕様に向かってそのような事」
「家族が増えた、と言うのなら“働かざるもの食うべからず”ですよ」
「確かに」

師が運んだのは炒飯みたいだ。
会話しながらも実はきっかり作っていたらしい。仲達が運んだ大皿は麻婆豆腐。
テーブルに置いた鍋はどうやらスープらしい。昭が作ったようだ。
れんげをまとめて渡され、それを配った。

正方形のダイニングテーブルの奥の席に仲達が座る。
師が仲達の左手、昭が仲達の正面に座った。
仲達に促され、私は仲達の席の右手に座った。

「いただきます!」
「待たせたな」
「…美味そうだな、お前が作ったのか?」
「師と昭が手伝ってくれたので助かりました」

茶で簡単な乾杯をして、料理を食べた。
とても美味い。
感想をそのまま伝えると仲達は照れくさそうに笑い、茶を飲んだ。
師だけ特別なのか、蒸籠にひとつ肉まんが入っていて笑った。

「美味いな、お前達が羨ましい」
「まー、外食よりも俺は父上の料理の方が好きですね」
「私もそう思います」
「ほぅ」
「嬉しい事を言ってくれるではないか」

子供達の言葉に仲達は微笑む。
この時ばかりは、私の恋人は父親の顔をしていた。

「子供の頃、父上はいつもお仕事で家に居なくて。
 兄上は子供の頃からずーっと父上にべったりでしたよね。だから早く帰ってくるのが嬉しくて」
「…今もだろう」
「そうですね」
「…すまなかったな」
「いえ、昔の話ですし」

少し、胸が痛んだ。
子供の頃から、私は仲達を独占するように甘えていた。
我が儘な子供で、仲達の家庭の事まで考えてはいなかった。
この兄弟から、私は仲達を奪ってしまったのだろう。
恨まれるのも無理はないが、どうやら恨まれている訳ではないらしい。

食事を平らげると、仲達が茶を入れ直してくれた。
礼を言い、茶を飲む。

「御馳走様でした」
「美味かった…礼を言う。仲達は座っていろ」
「え?ですが」
「師と昭と話したい事がある」
「ん?何です?」
「後片付けを手伝って下さるのなら」
「構わぬ」

ダイニングテーブルの椅子では固いだろうと、仲達をリビングのソファーに座らせた。
師が茶を煎れて仲達に渡す。

「…脚を伸ばせ。腰が痛むだろう。お前の家なのだから、私に畏まる事はない」
「そうですね。そうします」
「後は任せよ」

仲達の肩を叩いて、キッチンに戻った。




慣れぬ皿洗いをしながら、片付けをする師と昭に話しかけた。

「…二人とも、記憶はあるのか」
「はい」
「覚えてますよー。誰が裏切ったとか逐一。とりあえず再会したらぶん殴って終わり」

諸葛誕とか鐘会とか。
私には余り聞き覚えのない名前を羅列して、昭は溜め息混じりに皿をしまう。

「潔いな、昭。師はどうだ」
「…現代に伝えられている出来事が、事実と異なり、
 好き勝手に推測や憶測で書かれている事に腹が立ちます」
「仕方あるまい。殆ど文献が遺っていないと聞いた」
「…父上は、魏を乗っ取るつもりなどなかった」
「ああ、何かやたら父上を悪者扱いするんですよね」

私も三国志は既に読了している。
懐かしい名前が羅列されたその本は、現実味にかけるがある程度の脚色された内容で画れていた。

師と昭の末路も知っている。
師は混乱期の魏を抑え、昭は魏を持ってして蜀を平定した。

私の一族と司馬家は信頼と主従関係で繋がり、
少なからず怨恨と因縁もあり、一言では言い表せない。
手を取り合い、刃を向けたとされる両家。

少なくとも私と仲達は違った。
愛している。ただ純粋に私は仲達を愛していた。

「もう一度、があるのなら、もう一度逢いたかった。
 もう一度、否、何度でも仲達に逢えるのならば幾度繰り返しても構わない」
「曹丕様って本当に父上の事が好きですよね」
「…ふ、後生に何を書かれようが私の知る司馬仲達は一人しかいない。
 直に触れて、見て、話したあの仲達が真実だ」
「貴方は、思い出に生きている訳ではなさそうですね」
「…どういう意味だ」

粗方片付けが終わり、再び茶を入れてカウンターに立ったまま話を続けた。
昭はカウンターに座り、携帯をいじっているようだ。
仲達は隣の部屋のリビングに居る為、話の内容までは聞こえていないだろう。

「遠い過去の話です。貴方がお亡くなりになってから、更に父上は無理をするようになりました」
「…ただでさえ、素直でないのに」
「父上は、ずっと貴方のものでした。私達では代わりにすらなれない。
 貴方が居なくなった魏の為に奔走して、魏のせいで亡くなったように思います」

師は眉を寄せ、隣の部屋のリビングで寛ぐ仲達の背中を見つめた。

「…仲達の最期を、見届けたのだな」
「はい。昭と二人、枕元で最期の言葉を聞きました」
「覚えているのか」
「父上の最期の言葉ですから」

聞けば師は応えてくれるだろう。
だが何となく、その先を聞くのが怖かった。
恨み言の一つでも言われているのではないかと、そう思えて聞くのは止めた。

「父上に恨まれているとでも、お思いか」

師が私の心を読んだかのように、私を一瞥して話した。
昭がカウンターに肘を付きながら話を聞いている。

「そう、思っていた。ずっと傍にいる、という約束を違えた故」
「人は死にます。ただ、貴方の天命が早かっただけの事」

私とて…、師は何かを言いかけて止めた。
ずっと私達の話を聞いていた昭が携帯を片手に立ち上がった。

「…曹丕様、昨日の父上のメール見せてあげましょうか?」
「メール?」
「俺、メール返信早いんですよね。
 だから父上がメールで話してくれたんです。兄上には内緒にしてたんですけど」
「何?」
「父上には内緒ですよー?兄上も見たい?」
「見る」
「お二人とも、父上には秘密でお願いします。
 昨晩、帰って来ないんだろうなって思って父上にメールした時の返信」

昭が何だかにやにや笑いながら、私に携帯を渡した。
私の隣で覗き込むように、師も携帯の画面を覗き込む。


『from:父上
 上の階にいるが、おそらく帰れないと思う。
 許されるなら、一晩泊まりたい。
 ずっと逢いたかった人だから、一晩では話し足りないだろう。
 お前達には心配をかけてしまうかもしれないが、
 また、もう一度、許されるなら曹丕様の傍に私は居たい。』


恨まれてなんかいなかった。
そう思わせてくれた仲達の言葉は、メールとなって残っていた。
これがあの夜の本心なのだろう。

「…このメール、欲しい」
「ダメです。で、父上とちゅーはしたんです?」
「!」
「っ、昭、お前はデリカシーとかないのか」
「…した」
「さっすが!」
「曹丕様…!」

昭は応援してくれているのだろうか。
師はそうは見えないが、少なくとも恨まれているようには思えなかった。

「したんですよね、それ以上の事も」
「…した」
「あーやっぱり。つか曹丕様、流石です」
「…父上を泣かせたら、許しませんから。殴りますから」
「手遅れだな。もう何度も…」
「今すぐ、歯を食いしばって下さい」
「まぁまぁ!落ち着いて兄上!」

昭は携帯をしまい、師を抑えて笑った。
師が不貞腐れたように私の肩を小突いて溜息を吐いた。
どうやら、この子供達は変わっていないようだ。

「兄上を怒らせたら超怖いんで、父上をよろしくお願いしますね」
「応援してくれるのか?お前達からまた仲達を奪ってしまうのに」
「応援しますよ、俺はね。それに奪われたなんて思ってませんし」
「応援はしませんが、認めて差し上げます」
「ふ、礼を言う。さてそろそろ仲達の元に戻るか」

師と昭の頭を撫でて、隣のリビングへ向かった。





やたらリビングが静かで、仲達が身じろぎもしない。
ソファーに向かうと仲達は静かに寝息を立てていた。

無理もない。余り眠れていないのだろう。
それにしたって、疲れている筈だ。

「こんな所で寝ては」
「…疲れているからな。ベッドへ運ぼう」
「曹丕様はこれからどうしますか?」
「外出の予定がある。すまぬが、仲達は任せた」
「…父上の傍に、居てはくれないのですか」
「お前は私を追い出したいのか、留まらせたいのかどちらなのだ」
「父上の悲しむ顔を見たくないだけですよ」

仲達を横に抱き、部屋のベッドへ運んで布団を掛けた。
私の貸した服のままだが、着替えさせるのは起こしてしまいそうで止めた。
師が仲達の傍に座り、結った髪紐をといた。

「名残惜しいが、また夜に会いに行く」
「上の階ですしね」
「何かあれば携帯に。ではな」

窓から西日が差している。
仲達の顔に当たる西日に気付き、師がカーテンを閉めた。

「暫く、おやすみ」


仲達の額に口付けを落とし、師と昭に見送られて部屋を後にした。


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