いまむかし二千年にせんねん物語ものがたり 07

『おやすみ。無理はするなよ』

携帯を開くと子桓様から一通メールが届いていた。
そのメールを見て、外出したのだと気付き携帯を閉じる。
別にあの人が何処へ行こうとあの人の勝手だ。

カーテンが締められていたが、うっすらと部屋に西日が差し込んでいた。
眠ったというのに何だか更に疲れている。





遠い昔の夢を見た。

まだ魏に仕え、戦場に立ち始めて間もない頃。
武力に乏しい私は軍師として戦場に立っていた。

子桓様は既に初陣も終えており、お美しい伴侶も既にいらっしゃった。
貴方の気持ちに気付いた頃にはもう、私は貴方の事が好きになっていた。

口付けをして、手を合わせて、初夜を迎えて。
体の中に子桓様のを受けて愛される度に、どうして私は女でないのだろうと馬鹿な考えが過ぎった。
体内に子種を受けようと、何が出来る訳でもない。

都合の良い性欲の捌け口。
一時期はそんな風に自分を思う事もあった。
それを伝えるとあの人は怒ったように私を攻めて、愛していると言葉をくれた。



『残念だわ。司馬懿殿が女であったのなら、あの方の寵愛を一番に受けるのでしょうに』
『あの方はお美しいのであればどちらでも構わないのかしら?』


私達の関係を知る女中のつまらない噂話。
後宮を歩いていた時にその会話が耳に入った。
普段の私ならばそのような話を気にも止めないのだが、その日は子桓様に初めて抱かれた次の日の事だった。

私が女であったのなら。
女でないのなら、私はきっと…一番ではない。
唯一の人、と言う訳でもない。
一夫多妻のこの時代に、誠の愛などあるのだろうか。

一番、だなどと。男の私が烏滸がましい。
そんな筈はない。

そうこれは、恋人ごっこなんだと。
そう考えでもしないと、私はもうこの人なしでは生きていけない。

愛してしまった。もう引き返せない程に。
貴方が愛しいあまりに、私は切ない程に胸が痛い。

そして貴方を失った日だけが唯一、どうしても思い出せない。
私の心が壊れてしまった日。



気付けば泣いていたらしい。
涙を拭ってベッドに伏し、布団にくるまる。

この時代では、私はあの人の何なのだろう。

一夫一妻のこの時代。
私は既婚しているし、あの人には既に婚約者もいると聞いた。

また、恋人ごっこか。

あの人をそんな風には思いたくないのに。
何故にこんなに自分が切ない気持ちにかられているのか、全く解らなかった。
初夜の後は、こんなものだったのだろうか。

私達の関係は、こんなものだっただろうか。
思い出せない。


『頭痛薬を買ってきてほしい。晩御飯は粥が食べたい。あと何か甘いもの。』

そう師にメールを送信し、携帯を閉じる。
きっと疲れているのだと思い、再び目を閉じて眠る事にした。








「お前は馬鹿か?」
「馬鹿とは何だ。せっかく会いに来てやったのに」

公園近くの飲み屋で不躾に三成は私にそう言った。

三成と左近が近くまで来ているとメールがあった。
見覚えのある背中に声をかけ、せっかくだからと顔を出してやったら、何で来た、と言う。
訳が解らん。

「殿のメールなんか無視して、恋人なんだから司馬懿さんの傍に居てあげれば良かったのに」
「…ああ、いや、少し相談があってな」
「司馬懿さんの事で?」
「ああ」
「お前が話すばかりで、俺は未だ実際司馬懿に会った事がないのだが」
「美人…だが男だ」
「俺よりもか?」
「お前とはジャンルが違う」
「…あー、司馬懿さんってあのへらへら坊ちゃんのとこの?」
「昭の事か?」
「そうそう、司馬昭さん」

どうやら左近は昭の知り合いらしい。仲達の事も知っているようだ。
随分と世間は狭いものだと苦笑しつつ、酒を一杯頼んだ。

「左近、知ってるのか?」
「まぁ、ちょっとした知り合いです。司馬師さんが大層ファザコンで。
 見た事がありますが、確かに司馬懿さん美人ですね。」
「まぁな」

傍目にも仲達はやはり美人らしい。
少し鼻が高い。口角を上げて笑った。

「遠目から見たらどっちか解らなかったんで危うくナンパしかけ…あ、いや何でもないです」
「ほぅ」
「ふぅん」

冷ややかな視線を向けると、左近は後込みをして笑った。
三成も左近を一瞥して酒を呷り肘を付く。

「曹丕、お前あれからメールを寄越さんが二千年待たせた想い人はどうだった?」
「ああ…仲達と居たからな」
「だろうな」
「…変わらず、綺麗で美しかった。あと、可愛いと思う」
「ベタ惚れですね曹丕さん。で、その美人に何処まで手を出したんです?」
「最後まで」
「おや…、さすがですね」
「…それで?どう見ても惚気に来たとしか思えんお前が相談とは何だ?」

想いは叶い、仲達は再び私と供に居てくれると言ってくれた。
抱き締める事も、口付ける事も、初めての情事も許してくれた。

だが先の外出で、どことなく境界線を感じてしまった。
仲達は人前では、私との事は隠していたいらしい。

「…仲達と、手を繋いで外出したい。あわよくば腕を組みたい」
「お前にしては随分と可愛らしい悩みだな」
「お前…私が仲達に口付けるまでどれほどかかったと思う」
「よし解った。聞かないでおこう」

恋愛沙汰に対して余りにも奥手な仲達を慣らすのに、
私がどれほど時間をかけたのか此奴等に話してはいないが、二人とも私が言わずとも察したようだ。

「曹家の御曹司がまた随分と可愛らしいお悩みで」
「曹家がどうとかは関係ない。
 手ぐらい…繋ごうと思えば繋げる。現に初見は手を握ってくれた」
「再会し感極まって、だろうな。俺がお前から聞く限り、司馬懿は世間体を気にする奴だ」
「…仲達が嫌なら、仕方ないが」
「どうしたんです曹丕さん?何かいつもより元気ないですね」

左近に言われて、改めて溜息を吐いた。
仲達の事だからだ。適当には扱いたくない。
あれは私の一番で、大切な宝物だ。

少なくとも仲達はこの時代の暮らしが染み着いている。
故に、世間体が気になるのは普通だ。

だが、それならば。
“供に居る”と言うこの時代の私達の関係は何なのだろう。
私は後ろめたい関係だとは思っていない。

仲達とまた恋人になりたい。
ただそれだけだ。

だがもし、それが私の片思いだったら。
繋がった筈の心に陰りが見えた。

「…私はどうしたら良いのだろうな」
「お前はどうしたいのだ?」
「もっと手を繋いだり、腕を組んだり、抱き締めたり、もっと口付けもしたい。
 膝枕もしてほしい。デートもしたい…仲達に甘えたい」
「途中から願望が欲望に変わってるぞ曹丕」

テーブルに突っ伏した。
今、仲達は何をしているのだろうか。
メールをしたとはいえ、仲達を一人置いて来てしまった。

別に、あの部屋は仲達の住まいで私は近所なだけだ。
置いてきたも何も、私が出て行っただけだ。

私が近くへ引越したことで、まるで追い詰めるように関係を迫ってしまった。
仲達は逃げられない。これでは脅迫ではないだろうか。
私達の間には何も残らない。
以前にも、こんな悩みを抱えていたような気がする。


何となく携帯を見た。
メールが一通、ランプが点滅している。

『仲達』

その字を見てテーブルから顔を上げてメールを見た。


『頭痛薬を買ってきてほしい。晩御飯は粥が食べたい。あと何か甘いもの。』


私に向ける言葉にしては敬語のない違和感のある文章だ。
しかしメールの内容から見て、具合が悪いのだろう。

「どうした、司馬懿か?」
「仲達らしからぬメールが来た。普段は私に敬語なのだが…」

三成に画面を覗き込まれて、二人にメールを見せた。

「文面的に曹丕さん宛ではなさそうな感じですね」
「宛先を間違えているように見えるが」
「司馬師さんか、司馬昭さん宛じゃないですかね?」
「司馬懿がアドレス帳にお前の名を字で登録しているのなら、間違えるのも無理はない」
「間違えられたメールを逆手に取って、こっそり会いに行ったらどうです?」

三成と左近が私の背中を押した。
メールに返信はせず、携帯を鞄にしまった。

「…仲達とデートがしたい。男女の恋人のように」
「したら良いじゃないですか。司馬懿さん、女装とか余裕で似合いそうですけど」
「…女装?仲達は貧乳のくせに下着すらつけていないのだぞ。私が心配で仕方がない」
「落ち着け曹丕。司馬懿は男だ。その法則でいくと俺の左近なんぞ巨乳だぞ」
「あんたも落ち着いて殿!」
「巨乳…だったのか」
「胸筋ですってば!」

くだらないやり取りに笑った。
だが左近の案は良い。きっととても綺麗だろう。

「…考えておこう」
「よし、曹丕。俺に任せろ」
「何をだ」
「お前の望みを叶えてやる。左近がな」
「えっ!俺ですか?!」

三成が何故か自信満々で私の肩を叩いた。
余り期待はしないが、メールが来てからかなり時間が経っているのを見て今夜はこれで帰る事にした。

「…女装させるなら黒のストッキングが良いな」
「お前の好みはよく解った」
「あわよくば破りたい」
「破る前提か貴様」
「まぁ…期待はしないがな」
「ほぅ、言ったな。お前を驚かせてやる」
「楽しみにしておいてやる」

三成と左近と別れ、スーパーと薬局に向かった。
粥の材料と、杏仁豆腐と、頭痛薬を買った。
足早に花園に戻り、仲達の部屋のインターホンを押す。

仲達は、驚くだろうか。





インターホンが鳴った。
私はまだ起き上がれず、ベッドで横になっていた。
メールを送ってから随分と時間が立つが、師は買い物に行ってくれただろうか。

玄関の扉が開く音がして師か昭が帰ってきたのだろう。
一言二言話し声が聞こえたが、よく聞こえない。
キッチンを使っているようだ。


暫くしてから扉をノックする音が聞こえた。

「入るぞ」
「…っ?!」

聞こえた声は師でも昭でもなかった。
慌てて振り返ると部屋には既に子桓様が居た。

「何故、貴方が」
「これが私に来た」

子桓様が見せたメールは私が師に送ったもので、送信相手を間違えたと今更ながらに気付いた。
やってしまったと顔を覆い、深く頭を下げた。
携帯を見れば間違いなく、“子桓様”に送っていた。

「…粥、師が作ってくれたぞ」
「も、申し訳ありません…」
「師に送るつもりだったのだろう。彼奴に話したら機嫌を損ねた」
「師に謝らなくては…」
「とりあえず昭に、肉まんを大量に買ってくるようにと先程使いに出した」
「昭にも謝らなくては…」

どうやら師は機嫌を損ね、昭は巻き添えにあっているようだ。
ベッドに座ると子桓様が隣に座る。

師の作った粥を食べて、少し頭痛が落ち着いた。
美味い粥だった。師にも後で礼を言おう。
食べ終わった膳を下げて貰うと子桓様が私にスプーンを渡した。

「?」
「甘いもの、と言っていただろう」

そう言って、子桓様は杏仁豆腐を渡してきた。
確かに甘いものとは言ったが、子桓様が選んできた杏仁豆腐がどうにも子供っぽく、ふ…と笑った。

「貴方が言う甘いものなら、葡萄でしょうに」
「否」
「では梨とか」
「…違う」
「桃?」
「お前だ」

私が一口二口、杏仁豆腐を口にしたのを見計らったかのように子桓様が唇を合わせた。
口内の杏仁豆腐を奪われるように舌を絡められ、杏仁豆腐がなくなっても舌を絡めてくる。
余りにも激しい口付けに胸を叩いて静止を求めた。

いつの間にか子桓様に流されるまま押し倒されていて、胸元が空いていた。
胸で息をすると、子桓様が其処に口付ける。

「…仲達」
「駄目です…子供達が、いるのに…私の部屋でなんて…」
「…そうか」

子桓様は寂しそうにそう言うと私から離れた。
咄嗟に胸元を正し、子桓様に背を向け座った。

昨日の今日で、そのような事。
私はまだそんな、そういう事に慣れている訳じゃない。



時計は既に二十三時に程近い。
数十分前に玄関が開いた音と、師と昭の話す言葉が聞こえた。
どうやら肉まんを買って帰ってきたようだ。

「やれ、この時代は夜這いをかけるのも大変だな」
「っ…何を馬鹿な事」
「仲達、私はな…。恋人ごっこがしたい訳ではない」

思い悩んでいた言葉を言い当てるように子桓様が私を見て言った。
寂しそうに笑う貴方が切なくて、私は思わず子桓様に手を伸ばす。
その手を子桓様は掴み、私を引き寄せて胸に埋めた。

「恋人に、なりたい」
「こいびと…」
「この時代で、だ。解るか?」
「私は…男です」
「何を今更、そのようなこと」
「供に居て、何になりましょう。何も残らぬ都合の良い、体だと」
「仲達」
「捌け口として、しか」
「黙れ。それ以上話すと私でも怒るぞ」

顎を掴まれ、顔を挙げられる。
氷のような冷たい灰色の瞳。

私を見て、その瞳が揺らめく。
眉を寄せて子桓様は私に口付け、そのままずるずると私の膝に埋まった。
膝枕でもするかのように、子桓様は私の腰を掴み埋まる。

「お前と、デートがしてみたい」
「…貴方の部屋でなら、構いませんよ」
「やはり、嫌か?」
「周りの目が、ありますもの」

本当は手だって繋ぎたい。
腕を組んで差し上げたい。抱き締めて欲しい。
そうは思えど、この時代はあの時代よりもそれを許さないだろう。

「…子桓様」
「ん…」
「私は、貴方の、恋人ですか?」
「無論。お前が唯一で、お前が一番だ」
「ありがとう、ございます」

私の余計な不安など、子桓様が言葉にしてさえくれれば心は晴れていく。
子桓様が私の膝の上で、猫のように甘えている。
このような姿、きっと誰にも見せないのだろう。

そっと置かれている頭痛薬を飲み、子桓様の頭を撫でた。
いつの間にか、子桓様は静かに私の膝の上で眠ってしまわれたようだ。
少し酒が入っているからか、子桓様の体温がとても温かい。




「…デートなんて」
「してあげたらいいのに」
「?!」

子桓様の頭を撫でながら、溜息を吐いていたら背後から話しかけられた。
直ぐ後ろには昭がいた。

「っ…昭?」
「夜分お邪魔してすいませんね。兄上に肉まん買ってきましたよー。
 とりあえず五十個程。諸葛誕と鍾会にも手伝ってもらって。んで、はいこれ曹丕様におつり」
「ごじゅっ…あ、ああ…すまなかったな昭」
「いえいえ。とりあえず兄上は今幸せそうに肉まんを頬張っています」
「そ、そうか」
「デートくらい、してあげたらいいじゃないですか」
「お前には、関係ない」
「関係大アリですね。俺は曹丕様を応援し隊、なんで」

昭が私の隣に胡座をかいて座った。片手には肉まんを持っている。

「左近から電話があったんですよ」
「さこん?」
「島左近です」
「ああ、お前達…知り合いだったのだな」
「父上とガラシャみたいなもんです。意外な繋がり、みたいな」
「…それで、何か用か?」
「はい」

昭が私に改めて向き直り、正座をして座った。
子桓様は私の膝の上で相変わらず静かに眠っている。

「父上、今度の日曜日、ちょっと俺に攫われて下さい」
「は?」
「大丈夫です!元姫がいるんで!あ、兄上には内緒で!」
「…話が全く見えないのだが」
「内容を言ったら父上はぜーったい断りますから内緒です」
「なれば、行くものか」
「それが曹丕様の為でも?」
「…っ、それは…」

子桓様の名前を出されると私が弱いと、昭は解っているのだろうか。
動揺した私ににんまりと笑顔を見せて、私の唇に昭は指を当てた。

「日曜日の、朝6時。俺に攫われて下さい。いいですね?」
「せめて、内容だけでも話せ」
「それは当日まで秘密。でも曹丕様が喜ぶことです…多分」
「今、多分と」
「じゃあ、絶対」
「…随分、曖昧な話だ…」

全てを話そうとしない昭の企みが良からぬ事なのは明白だった。
だが、子桓様の為、と言われるとどうにも気になってしまう。
二つ返事で取り敢えず、連れて行けと昭に承諾した。

昭は嬉しそうに笑い、何故だか張り切ったように立ち上がる。

「じゃあ、約束ですからね。ところで、曹丕様はお泊りですか?」
「…今から部屋に追い返すのは、さすがに可哀想だ」
「あーあ。あの曹丕様も父上の膝の上では無防備ですね」

試しに頬を触ってみたが、子桓様は無防備に眠っている。
私の腰に埋まるように子桓様は顔を埋めて、寝顔を晒していた。

「…ふ」
「それそれ」
「?」
「父上の笑っているとこが見ていたいんですよ。父上ったら可愛いんだから」
「っ…昭!」
「じゃ、おやすみなさい」

頬に口付けをして、昭は私から逃げるように部屋を出て行った。


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