仲達曰わく適当に作ったというスープは体が温まり、とても美味かった。
何よりも、仲達が朝食を作ってくれた事が嬉しい。
ソファーの隣。
私の肩に寄りかかり甘えるようにして仲達は座り、ぼんやりとした眼でスープを飲んでいる。
揃いの食器でも買おうか、と考えながら仲達を見た。
まだ眠いのだろう。湯上がりなのもあり、体がとても温かい。
ずっとこんな関係になりたいと思っていた。
また、仲達の傍に居てやりたいと強く思う。
子供の頃、出逢った時から私が仲達を護るのだと固く決めていた。
私の命が尽きるまで、私の生を仲達に捧げたい。
仲達は、苦痛に堪え続けて壊れて死んだ。
私が独りにしたから…私が仲達を護れなかった。
私は司馬仲達の最期を知っている。
願わくば、共に生き、共に死にたい。
お前を先に見送るなんて、私はきっと出来ないだろう。
お前の居ない世界に何の価値があろうか。
そんな世界に、私は仲達を独りにした。
だからこれは“償い”と“やり直し”だ。
「…どうしたのですか」
「何が?」
「眉間に、皺」
「これが普通なのだが」
「何を考えていたのですか?」
「秘密」
今は止めよう。私は今確かにこの時代に生きている。
そして仲達が隣にいる。余計な心配はさせたくない。
仲達の肌にすっかり染み込んだ私の沈香の香り。
仲達から私の香りがするというだけで、優越感に浸ることが出来た。
私の自己満足、と思っていたのだが先程私の枕に擦り寄る仲達を見てしまった。
私が考えているよりも、仲達は私を愛してくれているようだ。
再会して一日しか経っていないというのに、
まるでもう何十年も一緒に居たかのように私達は共にいる。
心地好い優しい時間。
スープを飲み終わった器を置いて、仲達の膝に寝転んだ。
「こら、食後にお行儀の悪い」
「…仲達」
「揉まないでくださ、っや」
腰や太腿を揉んでいたら、抵抗されたので其れならばとソファーに押し倒す。
仲達の髪を包んでいたタオルが落ちて、黒髪が流れる。
別に朝から襲うつもりはない。
ワイシャツの隙間から見えるこの赤い痕をどうにかせねば。
「…駄目です、朝ですよ」
「昨晩の、痕」
「…っ」
「ワイシャツでは見えてしまうな…見せたくはなかろう?」
「う…、私…ワイシャツしか」
「ん。水色なら貸してやる」
仲達の額に口付け、服を取りに行った。
仲達の体につけた痕をひけらかすつもりはなく。他人に仲達の肌を見せるつもりもない。
私以外に誰が触れさせるものか。
ワイシャツを脱がして、水色のグラデーションがかかったタートルネックを着せた。
これならば首まで隠れるだろう。
白いズボンを履かせてやれば、なかなか似合っている。
袖から仲達の手が出ないのは、私の服なので仕方ない。
というか、この方が燃える。色々と。
いや、仲達が男なのは勿論解っているのだが。
「食器を片付けますね」
「仲達」
「はい」
食器を重ねて運ぶ仲達の後をついて行った。
隣に立って、手を握る。
「この時代では、私とお前は主従になく平等だ。私とてこの国の皇帝と言う訳でもあるまい」
「…はい」
「故に、お前の隣に居たいと思う。お前はいつも私の後ろに居たからな」
「私が隣に居て、宜しいのですか?」
「お前に、私の隣に居てほしいのだ…ずっと」
「その様な御言葉…」
仲達がふわりと笑った。
その顔がとても愛しくて、頬に口付けた。
「だから、お前にやらせてばかりと言うのは嫌でな」
「おや、手伝って下さるのですか?」
「ああ。何をしたらいい?」
「ふ、私が洗った皿を拭いて下さいませ」
「解った」
仲達が洗った食器を手渡し、私が拭いてしまう。
仲達は何故かずっと上機嫌で、嬉しそうに笑っている。
「ふふ」
「機嫌が良いな」
「陛下が、皿を拭いて下さるなんて」
「私はもう皇帝ではないと言っただろう」
それにお前も死後皇帝となった男だろうに、とは言わず。
今更この時代で前世の身分など、どうでも良い。
皿をしまい終えた。
手を拭く仲達に向き直り、その冷たい指に口付けた。
ありがとう、と一言感謝の思いを込めて。
どう致しまして、と仲達は笑った。
ソファーに座り携帯を見た。
テレビを何となくつけて、仲達も隣に落ち着く。
また三成から他愛のないメールが来ている。仲達もメールの返事を打っているようだ。
今朝、師から電話で釘を刺された。
彼奴はどうやら全ての記憶があるようだ。
開口一番、“父上に手を出していない、訳ない…ですよね”
と怒気を込めたような諦めたような口調で怒られた。
すまぬ手遅れだ、と一言伝えると深く溜息を吐いた後、改めて私に語った。
『…貴方の想いは重々承知しています。
父上も記憶が曖昧であるのに貴方を何処か想っている節があった。
貴方と再会した父上は、もう全てを思い出したのでしょう。
なればこそ、どうかまた、父上を大切にして差し上げて下さい。
寧ろ、大切にしないのなら私が許さない。
あの方はいつも無理をするのです』
電話口で、師は思い詰めたように私に語った。
何だこのファザコン怖い。
仲達の最期を目の当たりにした一人だ。
ファザコンになるのも無理はない。
此奴はずっと、仲達の背中を見ていたのだ。そしてどうやら記憶の全てを知っている。
だからあの着信回数か。相当心配させたようだ。
仲達の携帯画面を垣間見た師からのメールは、仲達を心配するものばかりだった。
『父上、遅くなるようでしたらどうかそのまま曹丕様のお部屋にお泊まり下さい。
あの方の傍でしたら、認めたくはありませんが信用出来ます』
『昭は寝ました。父上はもう夕食は食べられましたか?』
『父上は今夜はもう帰らないのですね。
一言、貴方の声が聞きたかったのですが私ももう寝ます。
くれぐれも御無理をなさいませぬよう…おやすみなさい』
ファザコンだ。
間違いなくファザコンだ。
仲達はまずその師にメールを返しているようだ。
『心配をさせてすまなかった。昼には帰る』
あの着信履歴とメール内容に対し、随分と簡潔としたメールだなと思いつつも、
律儀な性格である事はよく解った。
仲達も別に師を嫌っている訳でもあるまい。
寧ろとても可愛がっている。親馬鹿だなと思う程に。
師は、小さい頃から仲達の後ろを付いて歩くような子だったし、
昭は、パンダのつなぎとかを着せられて危なっかしく歩いていた。
仲達がよく笑って抱き上げていたのを覚えている。
師と昭に会うのも久しい。
仲達を家に帰す前に少し出歩きたい。
昼まであと三時間くらいある。
邪魔にならないのなら、仲達の家に置きたいものもある。
「仲達」
「はい」
「少し外を歩かぬか。子供らに土産を買ってやりたい」
「そんな、お気になさらず」
「はっきり言うと、お前と外で少しデートがしたい」
「っ…、私、男ですよ…」
「知ってる。だからこそ、頼んでいる」
ソファーに二人で座り、仲達の肩を引き寄せ見つめる。
駄目か?、と寂しそうに仲達に念押しで聞いた。
「…買い物に、付き合って下さるのなら」
「喜んで」
「子供達にメールしますね」
仲達は暫く目を逸らしていたが、漸く私を見つめて承諾してくれた。
近代的な言葉には慣れた筈なのだが、正直まだ何処か違和感がある。
『昼食は私が作るので、二人とも待っていてくれ。』
師にメールを打っているのを横目で見てから、茶を飲み上着を羽織った。
仲達の肩には白い薄手のマフラーをかけた。
「寒くないか」
「大丈夫です」
財布と携帯を持って靴を履いた。
仲達は手提げに自分の着替えを畳んでしまっているようだ。
「別に、置いていけば良かろうに」
「そうはいきません」
汚れていますから、と言いながらも唯一白檀の香りの残るそれらをしまった。
仲達が出て来たのを確認し、鍵を閉めた。
手を繋ぎたい。
外に出て開口一番、子桓様はそう言った。
「仲達」
「駄目です。人の目があります」
「構わぬ」
「私が構うのです」
「…外出は嫌だったか?」
「そうではなくて」
ああもう、難しい人だ。
よく見間違えられるが、女扱いされるのは心外だ。
繋げるものなら、繋ぎたいけれど。
「…ごめんなさい」
「そうか」
ああ、寂しそうな顔をさせてしまった。
申し訳ない、と思いながらも私にはまだそこまでの思い切りがない。
ごめんなさい。ごめんなさい。
「もう少し、待っていて下さい…」
「構わぬ。いくらでも待つ」
子桓様はそう言うけれど、やはり淋しそうだった。
この時代の恋人、って、どうしたらいいのだろう。
「…家の中でしたら」
「ん?」
「家の中でしたら、良いですよ」
「そうか、なら早く帰ろう」
「…もう、今出てきたばかりでしょう」
この人を悲しませたくはない。
手は繋げないけれど、子桓様の上着の裾を小さく握って隣を歩いた。
昼食の買い物。
師が喜ぶものがいいだろうか。とても心配をさせてしまった。
携帯が鳴っている。
子供達二人からそれぞれメールが来ていた。
『父上が作ってくださるのなら、いくらでも待ちます。
少し肌寒いので、温かくして下さい。
曹丕様によろしくお伝え下さいませ。』
『え!父上が作ってくれるんですか?
じゃあ兄上と待ってますー!辛いものがいいです。
あと洗濯物畳んでおいたんで、何か御褒美に買って来て下さいね!』
ふ、と笑って携帯電話を閉じた。
スーパーで野菜を物色していた子桓様が振り向く。
「師と昭か?」
「はい。昼食は辛いものが良いと」
「ふむ。何が良い?」
「…麻婆豆腐、とか如何ですか?肉まんにも合いますし」
「ああ、師にな。買っていこう。美味そうだな」
「肉まんを買うのなら最後にしましょう。冷めてしまいますし」
買い物かごに長葱と挽肉を入れ、豆腐を買った。
昭の褒美って何が良いんだ。何かって何だ。
とりあえずアイスでも買っておくか、と師の分もかごに入れた。
他にもいくつか適当に品物を見定めていたのだが、
気付いたら子桓様がかごを持って、少し先を歩いていた。
「あの」
「仲達の部屋と、私の部屋に、置いておきたい物があるのだが」
「何です?」
「歯ブラシと箸」
「…ふ、お好きになさい」
子桓様は青色の歯ブラシと、白い箸を選んでかごに入れた。
私のものは紫色の歯ブラシと、子桓様と揃いの白い箸を選んだ。
子桓様のもの、私のもの。
其処に居る証のような、そういうものが欲しかったのだと思う。
客として招くのではなく、お互いの居場所のような。
少し、恥ずかしい。
会計を済ませて代金を支払おうとしたところ、
かごを持って振り返ったら子桓様が支払いをしている。
慌てて止めようとするも、良い、と結局子桓様が支払ってしまった。
「うちの家のものもあったのですから、支払います」
「構わぬ。馳走になる訳だしな」
「…ですが」
「良い。私に払わせろ。別に父の金を使っている訳ではないのだ」
「…?大学は?」
「仕事半分、大学半分。仕事の方が多いか」
「本日は良かったのですが?昨日も」
「大学の春休みと、有給だ」
「貴方、いつ寝ているのです」
「ん?仲達と寝れるなら良い」
「…もう、私は心配をしているのですよ」
本当にいつ寝ているのだろう。
昨日だって、あんなに遅くまで。思い出したら恥ずかしいけれど。
「仕事と言っても、パソコンがあれば出来る仕事だ。何処でも構わん管理職だ」
「何のお仕事です?」
「管理職。お前みたいなものだ。
呼ばれたら現地に行く。講師や理事長と言うものはそういうものだろう」
「…何か」
「ん?」
「貴方と居ると、自分が学園の経営者だとか、忘れられるのです」
恋人って、そういう事なのだろうか。
この人といると時間が過ぎるのが早い。もう昼になってしまう。
「それは良かった。私も仲達と居ると楽しい」
「それは嬉しいお言葉」
買った品物を袋に詰めて、アイスは別にして、屋台に向かった。
荷物は子桓様が持ってくれた。度々申し訳ない。
空いた片手、手を繋いであげたいけれど。
外では、子桓様の裾を掴むのが精一杯だった。
屋台で肉まんをひとつ買って、今度は私が持つ。
マンションのある花園の敷地内に入った。
エレベーターで私の家の階を押して、隣に並んで立つ。
私から手を、繋いだ。
「…ん?良いのか?」
「もうすぐ、ですから」
「ありがとう。嬉しい」
子供のように嬉しそうに笑って、子桓様が手を握り返した。
こんな簡単な事なのに、外でしてあげられない事に凄く胸が痛い。
私の家の前、鍵を開けて扉を開けた。
「ただいま」
「おかえりなさい父上!曹丕様も」
「おかえりなさいませ、父上。お久しぶりです曹丕様」
「すまぬが馳走になる。師、昭。二人とも随分と大きくなったな」
「曹丕様は相変わらずイケメンですね。此方へどーぞ」
「何も出ないぞ、昭」
昭が子桓様の持つ荷物を持って、スリッパを出した。
子桓様が昭に案内されてリビングへ向かう。
まだ玄関にいた私に擦り寄るように、師が私の腕を掴んだ。
「心配をかけたな、師」
「…お体は平気なのですか?」
師の一言に、動きを止めた。
「知って、いるのか」
「父上から違う香の香りがします。私もそこまで子供ではありませんよ」
「…師と昭には、いつか話そうとは思っていたのだが」
どうやら、バレているらしい。
師は察しが良い子なので、あのメール文面を見てもしやとも思ったのだが。
何とも、話し辛い話だ。
「…良いですよ。認めます」
「何をだ?」
「曹丕様の事、お好きなんでしょう」
「…ん、お前は欺けそうにないな」
「他でもないあの曹子桓様の事、
司馬仲達のお気持ちを察するに余りあるとそう思っただけです」
「師?」
「ただ、曹丕様が羨ましい、それだけです」
「…何を言って」
「父上、お腹が空きました」
今何か、結構な問題発言をしなかったか、と思うもそうとは言い切れず。
師の一言に、そう言えば、と思い出して肉まんを渡した。
「心配をさせた詫びだ」
「ありがとうございます」
嬉しそうな笑顔に、やはり子供だなと笑いリビングへ向かった。