いまむかし二千年にせんねん物語ものがたり 08

「最近綺麗になったんじゃない?」
「は?」

会議が終わり皆が立ち去った後、郭嘉殿が私に声をかけた。
郭嘉殿は、曹操殿の部下で私の先輩にあたる方だ。
以前から交流があり、何かと私の職場に足を運ぶ。
私を気に入っているのか何なのかよく解らぬが、やたらと構ってくる。
曹操殿から何かしら要件を携えて来るのはこの男であることが多い。
または夏侯惇殿が携えて来るのだが、夏侯惇殿であったのならどんなに楽だったか。

「曹丕殿は元気?」
「何故、私に聞かれます」
「だって、曹丕殿は君を追って家を出たのだから、君の近くに居るんでしょ?」
「…まぁ、はい」
「そうか。じゃあこれは殿からの書類。読んでおいてね」
「はい」

この男、仕事の話になる前に雑談が多い。
私としては昔から根掘り葉掘り聞かれ、
からかわれていると解っているのでさっさと話を終わらせたい。

この人はあの時代でもそうだった。
軽口を叩いて優雅に策を奮い、確実に勝つ。
出仕したばかりで強張った私の肩を叩いて、“次は君の番”そう言って亡くなってしまった。

尊敬する方ではある。
だが調子に乗るので絶対に言ってやらない。

口より手が早いので大層女性にモテるらしいが、それを私にも同様に触れてくるので困っている。
問い正せば、綺麗なものは愛でるべきだよ、と言い全く訳が解らない。
故に苦手だ。

「曹操殿によろしくお伝え下さいませ」
「ん、解った。で、さっきの話に戻ってもいいかな?」
「はぁ」
「暫く見ない間に綺麗になって、どうしたの?」
「何を仰っているのかよく」
「恋でもした?子供いるのに不倫?」
「ち、違います!そんなんじゃ…」
「なら、女性じゃないって事かな?」
「…っ」
「解りやすいね、司馬懿殿って」

肘をついてにこやかに笑う郭嘉殿から目を反らした。
春休みが明ける前の職員会議は終わり、後は帰るだけだ。

私の枕元で眠る子桓様を起こさぬよう、ベッドを抜け出してきたので早く帰りたい。

「もしかして、曹丕殿かな」
「…っそんなんじゃ」
「何が?私はまだ何も言っていないけれど」
「っ、仕事の話が終わったのならば失礼します」
「待って待って。怒らせたのならごめんね?」

私をまるで子供扱いするように、郭嘉殿は私の頭を撫でた。
だから、苦手なのだ。





今朝起きたら、傍に仲達はいなかった。
出掛けたらしい。

「おはようございます」
「…すまぬ。昨晩は世話になったようだ」
「父上は留守ですよ。職員会議だとか」
「…そうか」

師が私に気付き、頭を下げた。

白檀の香りだけが残っている。
仲達にもっと甘えて居たかったが、仕事ならば仕方ない。
ダイニングに向かうと師が茶を入れてくれた。

「朝食は食べますか?」
「ああ。だが何だこの…肉まんの山は」
「あげませんよ」
「別にいらん」

此奴の肉まん好きは話に聞いている。
手を出したら怖い。私が頼んだにしても買いすぎだろう。
師が用意してくれた粥を貰う。

「結局泊まる事になってしまった。すまなかった」
「いいえ。父上はもうすぐ帰って来ると思います。あの人に捕まっていなければ」
「あの人とは?」
「郭嘉殿です」
「…何で彼奴が」

父に何を言われているのか知らないが、だいたいロクな事ではない。
叔父の夏侯惇ならともかく、郭嘉が来ているのだとしたら厄介だ。
彼奴は手が早い。美人には目がない。
幼い頃、仲達によく構っていたのを思い出した。
あの時代でも、郭嘉は仲達をよく目にかけていた。

「夏侯惇殿か郭嘉殿に会ってくる、と父上は仰っていましたが」
「前者なら良いのだが」
「何故です」
「彼奴、仲達に触れたら殺す…」
「…何です?」
「いや、何でもない」

小声で呟いたひとり言はどうやら師には聞かれなかったようだ。
夏侯惇であるならそれで良いのだが、郭嘉だとしたらまずい。
仲達は自分の学園に居るのだろう。

「馳走になった」
「いいえ。これ、貴方のでしょう」
「?」

師に投げて渡されたのは先日買ってきた歯ブラシだった。
不躾に投げられるが、師は一応私の事は認めているらしい。
置いておいても良いそうだ。

「お前は物言いが仲達によく似ているな」
「何です。父上は徒歩で向かわれましたのでお迎えに上がったら如何ですか」
「そうするとしよう」

彼奴、仲達に手を出していたらただじゃおかない。
身支度を整えた後、一度部屋に帰り服を着替え車に乗った。





結局、郭嘉殿に捕まってしまった。
仕事の話しは終わったのだから早く帰りたい。

「じゃあ、曹丕殿の告白を受けたんだね」
「…何で貴方がそんな事」
「何となくね。曹丕殿は子供の頃から君の事が大好きだったからね。
 最も君は気付いていなかったみたいだけれど」
「あの頃は、子供としか思っていなかったので」
「あの曹丕と知って、君はどう思ったの?」

郭嘉殿は全てを知った上で私に聞いているようだ。
どこまで知っているのか知らないが、正直私も悩んでいる事がある。
この人を信用しきっている訳ではないが、
記憶があるのなら色恋沙汰においては頼りになる。

「…懐かしい、と素直にそう思いました」
「そっか。愛してる?あの頃と同じ?」
「…はい」
「司馬懿殿、曹丕殿の話になるとそんな風に笑うんだね。可愛いよ」
「か、からかわないでいただきたい」

誘導尋問のように、愛していると認めてしまった。
いつの間にか表情が緩んでいたのか、郭嘉殿に頬に触れられ手を退けた。
まるで身内か兄かのように振舞う郭嘉殿に話のペースを掴まれ、何だか歯がゆい。
正直、あの時代の人達に会うのは嬉しい。
昔の私を知っている人達に会うのは、懐かしくて落ち着くのは確かだった。

「私の記憶には穴がある。それが唯一の難点です」
「別に無理に思い出さなくてもいいんじゃない?それが辛い事なら尚更だよ」
「…辛い事、ではあるのですが」
「もうあの時代じゃないんだよ司馬懿殿。気ままに今を生きてごらん」

郭嘉殿の言葉は軽いが私の背中を叩いてくれる。
だから何処か憎めない。私がきつく当たれないのもその為だ。
テーブルに肘を付いて笑いながら、私の悩みには真剣な眼差しで答えてくれた。

「あの頃の君はもう居ないんだ。今の時代の自分を蔑ろにしてはいけないよ」
「貴方は随分と前向きですね」
「そりゃあ未練たらたらで死んだからね。今はやりたい事を好きにやってるからかな」
「郭嘉殿は相変わらず自由気ままで羨ましい限りです」
「司馬懿殿は相変わらず頑なで真面目だね。まぁ、其処が曹丕殿にはいいんだろうけど」
「…そうでしょうか」
「ふふ、随分と曹丕殿の事が好きなんだね」

はっ、として顔を背けた。
今のはさすがにわかり易すぎた。
郭嘉殿が仄仄とした笑顔で、私の肩に手を置いて耳元で話した。

「ねぇ、曹丕殿とどこまでしたの?」
「?!」
「首にうっすらついてるよ、キスマーク」
「!!!?」

あれから日にちが経っているのにそんな筈はない。
それに万が一と思いマフラーをしてきたのに、見られる訳が。
そう思って首筋をおさえていると、郭嘉殿がにっこりと笑った。
此奴、見てもいないものを見ている。カマをかけたのだ。

「そっか。もう最後までしたんだね?曹丕殿はちゅーとかよくするの?」
「…ああもう、嫌ですこんな話」
「司馬懿殿は、されるのが嫌なの?」
「この話は終わりです!」
「駄目だよ。だって司馬懿殿が可愛いんだもの」

もうとっとと帰ろう、そう思って立ち上がったのだが。
郭嘉殿に手首を掴まれ、壁に押し付けられた。
股の間に脚を入れられ、逃げられない。

「初めては痛かったでしょ?いいものあげようか。君に会えるならと思って」
「離して、下さい…」
「ああ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ。痛かった?」

手首を離され、頭を撫でられた。
だが股の間にある脚は退けてくれない。
何だかよく解らない紙袋を押し付けられ、それを渋々受け取ると郭嘉殿は漸く離れてくれた。

「…何ですこれ」
「夜の性生活のお供、みたいな。曹丕殿なら使い方を知っているんじゃないかな」
「い、いりません!」
「でも、ちゃんとしないと体壊すよ?特に司馬懿殿が」
「余計なお世話です!」
「…漸く、見つけた」

郭嘉殿の背後に立つ子桓様が見え、壁に手をつくと子桓様が私を引っ張った。
まるで郭嘉殿から引き剥がすかのように私を胸に埋め、抱き締める。
この人、一体いつの間に来たのだろう。
胸に埋まると鼓動が煩く、相当走ってきたのだと言う事が分かった。

「やぁ、曹丕殿。久しぶり。元気だったかい?」
「郭嘉、仲達に手を出したら殺す」
「まだ出してないよ。いくら司馬懿殿が美人とはいえ、私は女性が好きだからね」
「もう仕事の話は済んだのだろう。帰るぞ仲達」
「は、はい」
「じゃあまたね司馬懿殿。ちゃんと使うんだよ?」
「帰るぞ!」

子桓様に手を引かれ部屋を後にした。
痛いくらいに強く握られ、連れて行かれる。
車の助手席に乗せられ、子桓様がドアを閉めた。

「…貴方、いつの間に来たのです」
「師に徒歩で行ったと聞いて、迎えに来た」
「左様でしたか。申し訳ありません…ありがとうございます」
「…仲達、此方を向け」
「はい」

助手席の私の肩を引き寄せ、子桓様は触れるだけの口付けをした。
どうしたのです?と聞くと、何でもない、と答えて車を出した。




ああ、くそ。腹が立つ。
仲達に当たりたくはないが、口付けひとつで私の怒りが収まるわけもない。

郭嘉は仲達に何を言った。
口付けてから仲達はずっと黙っている。
ハンドルを切り、部屋に戻る前に喫茶店に向かった。

「…どうされ、ました」
「たまには、外に」
「そうですか」

昼も過ぎ、一服と称して喫茶店は人で賑わっていた。
仲達を連れ、店内に入り茶と軽食を頼んだ。

「郭嘉に何か言われたか」
「いえ、別に何も。何か物を貰っただけで」
「…そうか」
「はい」

茶を啜りながら仲達を見た。
何か話をしているのだろうが、話す気はないらしい。
郭嘉に何か貰ったらしいが、それは車に置いてきたらしい。
今日の仲達は白いマフラーをしている。

「…生憎、私は今日から暫く仕事だ。暫く会えないだろう」
「そう、ですか」
「部屋には居るが少々忙しくなる故、私の事は気にするな」
「…はい。どうか、ご無理はなさらぬよう」

少し寂しそうに私を見て、仲達は茶を啜った。
郭嘉が此方に来ているのなら正直付きっきりで居たいのだがそうもいかない。

「あ、曹丕様だ。父上も」
「?」
「昭」
「どうも!」
「夏侯覇、か」
「ひーちゃん久しぶり」
「ひーちゃん?」
「ひーちゃん?」
「その呼び名で呼ぶな!」
「ははっ、じゃあまた。お邪魔しました!」

昭が夏侯覇と伴って喫茶店に来たようだ。
夏侯覇とは又従兄弟同士で子供の頃から気心知れた仲だが、その呼び方は嫌だ。
仲達が口元をおさえて小さく笑った。

「随分と可愛らしい呼び名ですね」
「子供の頃の話だ」
「ひーちゃん?」
「やめろ」

仲達がわざとそう呼びはにかむように笑った。
可愛い。だがその呼び名は嫌だ。
だが、漸く笑ってくれたように思う。

「子桓様、お手洗いに行ってきますね」
「ああ」
「兄上、こっちこっち」
「?」

昭と夏侯覇が座った席に手招かれて、師も来たようだ。
私に気付いたのか、師は軽く会釈をして席に付いた。

「お前のところの母さんって綺麗だよな」
「は?」
「ん?」
「え?」
「っ!」

飲んでいた茶を吹きそうになった。
夏侯覇は何を勘違いしているのか、多分仲達の事を言っているのだろう。
師がしたり顔で笑い、昭が腹を抱えて笑っている。

「ひーちゃん、デートじゃないの?」
「お前の勘違いは凄いな…」
「戻りました」
「え、今、男の方から出て来た…?あれ?」
「何か用か、夏侯覇」
「え?司馬懿殿…?!」
「お前さっき挨拶しただろうが」

仲達は不思議そうに首を傾げている。
いよいよもって堪えられなくなって笑った。
仲達が憮然とした顔で私の方を向く。

「何です」
「いや、お前が余りにも美人ゆえ」
「はい?」

夏侯覇が師と昭に向き直り、頭を抱えている。
師がこれでもかという程、嬉しそうな顔をして話しているようだ。
始まった、と昭は溜息を吐きながら肘を付いて笑いながら話を聞いている。

「私の父上は美しかろう」
「司馬懿殿だって解んなかった…てっきり母さんの方かと」
「母上も勿論お綺麗ですけどね、兄上」
「…聞こえているのだが」

仲達が立ち上がろうとしているところを止めた。
まぁ、悪い気はしない。
今日の仲達は帽子も被っていないし、髪も下ろしている。
初見であれば、どちらかは微妙なところであろう。
美人なのに変わりはないが。

「帰るか」
「はい」

師が改めて仲達に会釈し、会計をして車に乗った。
仲達は憮然として、助手席に座っている。



「気にするな」
「私は女ではありません」
「知っている」
「…だから、嫌なのです外に出るの」

ああ、そういう事か。
仲達がやたら外でのデートを嫌がるのはそういう意味かと漸く理解した。
私としては勘違いされたままでも良いのだが。
仲達とて、男としてのプライドがあるのだろう。

だが、仲達に男らしい格好は似合わないような気がする。
余り想像がつかない。

「郭嘉に何を貰った?」
「え、あ、はい…??!」
「ん?」

胸元に置いてある紙袋を開けて中身を見た途端、仲達が即鞄にしまった。
余りの動揺ぶりに首を傾げる。顔が真っ赤だ。

「どうした?」
「なっ、何でもないです!」
「何だ、見せてみろ」
「ぜ、絶対に嫌です!!」

仲達が鞄を胸に埋めて離さない。
一体何を貰ったのか解らないが、どうせロクでもないものだろう。
花園の敷地内に着き、仲達を下ろした。

「仕事に行く。私は此処までだ」
「いえ、そんなありがとうございます」
「じゃあ、司馬懿殿をお借りしてもいいかな?」

仲達を車から下ろした途端、通りすがりの男に仲達の肩を掴まれた。
誰かと思ったら先程別れた筈の郭嘉だ。

「先程、別れた筈じゃ」
「帰ってくるの待ってたんだ。殿からマンションの場所は聞いてたし」
「轢き殺すぞ郭嘉」
「ほらほら、曹丕殿は仕事に行っておいで。司馬懿殿は借りるね」
「轢き殺す」
「お、お待ち下さい」

仲達が助手席を開け、私の頬に口付けた。
余りにも急な出来事に私が対応出来ないでいると、郭嘉がにこやかに笑った。
耳元で仲達が、お気をつけて、と囁いた。

「おや、見せつけるね。いってらっしゃいのちゅーって事?」
「そ、そんなんじゃ…」
「…行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「貴様には言ってない。仲達に手を出したら殺す」
「…お気をつけて」

本当は仲達の傍に居てやりたいが、余りにも時間がない。
肩を抱く郭嘉を殴ってやりたいが、先程の仲達の口付けに免じて先を急いだ。

直ぐに帰る、とそう約束して仲達と別れた。


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