夜夜よよ 11

『魏公子 曹子桓殿』

仲達から渡された矢文は私を指名していた。
左様ならば、何故仲達に向かって矢を射るのか怒りがこみ上げた。

横に寝転ぶ仲達を胸に引き寄せ、腕に抱いた。
あからさまに私が不愉快な顔をしたのを察してか、仲達が苦笑する。
開いた片手で文を開いた。

『先見の明のある私、諸葛孔明より申し上げます。
貴方の腕の中にいる司馬仲達は、何れ全てを滅ぼすでしょう。
我が蜀、呉、そして魏すらも。

私は先の未来を変える為、如いては蜀の為。
彼を元居た天の玉京へ帰すつもりでしたが、貴方が彼を変えてしまいました。
不死を解いた彼の命を奪えば、未来は変えられるでしょう。
彼を処分しないと言うのなら、その先には破滅在るのみかと。
最早脅威となった魏国に、私個人が出向く事は出来ません。
何れ、司馬懿も戦場に立ち軍略を奮います。
私は貴方の国ごと、彼を滅す為に戦う事になるでしょう。

貴方は、彼を何処まで護れるでしょうか。
司馬懿が生きている事で、全てを失う御覚悟を。
次は戦場でお会いしましょう。諸葛孔明』

達筆で書かれていたやけに長い諸葛亮からの文を読み終わり、畳んで卓へ置いた。
仲達には読ませていない。

正直、だから何だと奴に直接問いたい。
所謂、宣戦布告と見て良かろう。
奴は私に、仲達を生かしたままなれば破滅すると言いたいらしい。

「何と、書いてありましたか」
「戯れ言だ」

文を掴もうとする仲達の手を取り、口付ける。
仲達には読ませない方が良いと判断した。
余計な悩みを増やすだけだ。

「私には言えぬ事でしたか?」
「お前に見せるまでもない」

仲達が目にする前に処分してしまおうと文を握り、寝台から起き上がった。
仲達だけが寝台に残る。
燭台に火を灯し、文を燃やした。
手の内で文は燃え尽き、灰となる。
格子を上げ、その灰を風に任せた。

「…私には言えぬ事だったのですね」
「下らぬ事だ」
「…執務に参ります。後程お会いしましょう」

言葉が足りなかったのだろうか。
機嫌を損ねたらしい。
仲達は眉間に皺を寄せ、身なりを整え早々と退室してしまった。
私から離れていく仲達が、恋しい。

仲達は納得しないだろうが、余計な問答をするつもりはない。
先の未来など知らぬ。
私が死したその先の遠い未来の責任までは持てぬ。
裏を返せば、仲達が天を統べるという事だ。随分と目出度い話ではないか。

仲達には後程、閨で話そうと決めて私も執務室に向かった。


仲達の居ない日々に多少慣れてしまっただろうのか。
邪険に扱いたい訳ではないのだが、彼奴とはどう話していただろうか。

仲達の居ない執務室は静かだった。
恐らく諸将の元へ書簡を届けに行っているのだろう。
空席の卓に残されている渇いていない細筆と、白檀の香りが仲達の気配を感じさせた。




思えば幾日経っていたのだろうか。
あの夜から仲達は目覚めず、幾夜も仲達の枕元で朝を迎えた。

意識は戻らないが、呼吸はしている。
これは生きていると言うよりは、息をしているだけと言える。

沈黙したまま何も言わぬ師に、約束通り私を殺しても良いと、進言したのだが師は黙って私を睨み付けるだけで行動には移さなかった。
昭が悲観的に泣く頃には私の希望も消え果てていたが、其れでも傍に居る事を止めなかった。

甄に言われた口付けのまじないが本当に効いた、とは思っていない。
長い長い夜夜が過ぎ、仲達は漸く目を覚ました。
本人は長い日付が経っている事など知る由もなく、何事もなく目を覚ました。
ならば知らぬままで良いだろう。

陶器で出来た人形のような白い肌に漸く、色が戻った。
長い時間をかけて、仲達は人になった。
私が人に堕とした。
仲達が生きている。其れだけで私は幸福だった。

もう少し欲張るなら、もっと傍に居たい。



かつかつと回廊を歩く足音が聞こえる。
この歩き方は仲達だろう。
執務室の扉を開けると、丁度扉を開けるところだった仲達にぶつかった。

「っ、申し訳ありません」
「大事ないか?」
「…はい」
「ならば良い」

扉を閉めて、仲達を招き入れた。
数点貰ってきた書簡を卓に置き、椅子に座り前髪を耳にかける仕草を見入る。

「…何です?」
「いや。…執務をしながらで良い。お前と話したい。先程は邪険に扱ってしまいすまなかった」
「…いえ…私も大人気なかったように思います。申し訳ありません」
「…ふ、続けよう。本当はもっと休ませたかったのだが生憎私だけでは手に追えん」
「承知しております。寧ろ…今日まで申し訳ありませんでした」

謝るのは私の方だ。
巷では私が仲達を殺したのではないか、と囁かれていたがその噂も今日で無くなるだろう。

筆を止めぬまま、時折目を合わせてたわいのない話をした。
やはり死んだのではないか、故郷に戻ったのではないのか、と詮索を受けたらしいが『病で伏せっていた』と仲達が一言で噂を止めたらしい。
張コウなどがえらく心配をしていたらしく、仲達を見るなり感激して泣いたそうだ。
大袈裟な奴だ、と話を聞いて笑った。

日が暮れるのは早かったが、執務が終わるのも早かった。
仲達が居るだけで、執務が片付く早さが違った。
補佐役として、書記官として仲達の働きは相変わらず申し分ない。


何れ軍師として戦場に立つ事になる、など知る由もなかった。
ずっとこうした日々が続くと思っていた。
戦は仲達を傷付けるだろう。

夕方。
夕餉を済ませ、窓辺で涼む仲達の背中を抱き締めた。
少し驚いた素振りを見せた私よりも華奢な体を強く抱き締める。

私の腕の中で仲達は振り返り、どうしたのかと聞いた。
どうしたも、何も。
仲達の問いに触れるだけの口付けで応え、ああ愛していると更に唇を重ねた。

「っ…、どうしたのですか?」
「…私を独りにした時間の分、毎日よりそれ以上、お前の傍に居たい」
「…今まで申し訳ありません…私には一晩のように感じられたのですが」
「…桁が違う、とだけ言っておく」

仲達には一晩だとて、私には百夜のように感じられた。
瀕死の状態で仲達は眠りについたまま、少なくともひとつの季節が終わっていた。

「…余り強く抱き締めないで下さい」
「痛むか?」
「…貴方に私の胸の鼓動が聞かれてしまう」

仲達の顔が赤い。
私の胸に埋まり顔を上げない。
仲達の鼓動が聞こえる。私の鼓動も仲達に聞こえていることだろう。

「…生きている証であろう」
「はい」
「構わぬ。私もお前を抱くと心臓が煩い」
「その様ですね」

どちらからとも言わず唇を合わせた。
格子に仲達の背を任せ、指を絡めて抑えつけ深く深く唇を合わせる。
舌を絡め、深く深く。
生理的な涙が仲達の頬を伝っていた。
このままだと止められそうにない。

「…子桓、さま。此処は執務室です」
「そうだな」
「誰が来るか解らな…」
「嫌か?」

仲達が言い終わるよりも早く、再び口付けて頬に触れ涙を拭った。
この一刻程でどれほど口付けただろうか。

仲達は十二分に熱にとろけて、色気すら感じられた。
しっとりと濡れた肌が私を誘っている。

仲達の背中が格子に押し付けられている事に気付き、そっと腰を引き寄せて格子から離した。
仲達は首を傾げている。恐らく何ともないのだろうが、私が気になった。
あの日から仲達の背中を直に見ていない。

直ぐにでも確認したいが、執務室という事を配慮し仲達を引き寄せ手を繋ぎ先を歩いた。

「…最近」
「?」
「貴方様の、幼い頃を思い出します」
「…こうして、よくお前の手を引っ張っていたな」
「ふ…今年で、おいくつになられましたか?」
「二十七になる」

仲達の歩幅に合わせるように、先に歩くのを止め横に並んだ。
私の年齢を聞いて、懐かしむように仲達は私を見つめた。

「御立派になられましたね」
「お前は?」
「随分昔に数えるのを止めました」
「大凡で良い」
「桁は違いますが、下の位は二十四になります。歳を重ねるなど虚しいだけで…」
「なれば、今夜から数えよう」
「ふ…私が子桓様よりも年下ですか?」

仲達の見た目は、私が幼い頃に見た姿から殆ど変わっていない。
苦笑する仲達を私の私室に招き入れる。

姿見の壁の前に立つ。
鏡を背に、仲達を立たせ肩に手を置いた。

「お前が生まれてきてくれた事を、幸福に思う」
「…急に、どうしたのです」
「私の傍にお前のいない夜夜は、月のない星空と同義」
「…その様な御言葉」

頬を赤らめ仲達は顔を逸らした。
頬を両手で包み込む。

「生きていてくれた…これからも私と共に生きてほしい」
「…口説いていらっしゃるのですか」
「ああ、愛している」
「…馬鹿な人」

仲達は笑いながらも、涙を流していた。
私の言葉に幾度も幾度も、愛しています、愛しています、と仲達は返してくれた。
仲達とて、ずっと怖かったのだろうか。

眉を寄せ、涙する頬に唇を寄せながら姿見に映る仲達の背中を撫でる。
襟の隙間に指を入れ、邪魔な装飾品を外していく。
冠を後ろ手に寝台に投げた。
仲達は瞳を閉じ、私の胸元の襟を握っている。

姿見に映る仲達のはだけた官服から見える背中には何もなく、ただただ白く美しかった。
私が斬り裂いた翼自体は跡形もない。
至極うっすらと、背中に二つ傷痕のように見える痕は其処に翼があったのだと思い出させた。

あの兄弟が本気で父親の為に力を尽くしたのだろう。
実際、あの夜の明朝の師は歩けぬほど疲労していた。
痛みはない、と言った仲達の言葉を漸く信用する事が出来た。

「…背中は見れましたか」
「お前には見辛いか」
「傷痕は…醜いですか?」
「何もない」
「貴方に…斬られたのですよ」
「息子達に礼を言うがいい。見ろ」

仲達にも見えるように官服をはだけさせ、股の間に脚を入れ腰を支えた。
仲達は、姿見に映る自分の背中を暫し見つめた後、安堵したように溜息を吐いた。

「本当…ですね」
「お前はもう、人だ。天使でも、悪魔でもない」
「…はい…」
「司馬仲達は、曹子桓のものだ。相違はないな?」
「はい…私の全て、子桓様に」

そう告げると、仲達から唇を合わせた。

仲達の股の間に脚を入れた時から、己の脚に当たるものに気付いている。
生殺しなのだろうと察して、仲達の背を姿見に押し付けた。

「っ…め、たい」
「そうか。ならば」

腰を引き寄せ、体を反転させた。
直に目にした背中はやはり白く綺麗で、項から白檀の香りがする。
首筋に口付けて痕をつけると、恍惚に震えて瞳をとろけさせる仲達が姿見に映り、目が合った。

ふ、と微笑み、膝で股を押し上げると其処はもう熱を持っていた。

「欲しいのか、仲達」

背後から顎を掴み、官服の上から触れると仲達は顔を赤くして目を閉じた。
言葉にするのは屈辱なのか、仲達は答えようとはしない。
このまま放置するのは非道すぎるか、と手を出そうとしたところ仲達に手を取られた。
私の右手を己の股に触れさせ、姿見に置いた左手に懇願するように唇を寄せた。

「はやく…、下さりませ」

姿見に映る私に対し、仲達は色を含めた声で私を誘う。
私の字を呼ぶその貌は、ほんのりと赤く染まり美しい。

仲達からの誘いに乗らぬ訳もなく。
そのまま後ろから仲達の唇を奪い深く口付け、官服の隙間から仲達の股に直に触れた。
既に先走り濡れている其処は、少しでも扱けば仲達から声が漏れ姿見が吐息で曇った。

「っ…、ふ…ぅ」
「私とて、堪え難い」

仲達に己のを触れさせた。
口を掌で抑えて、仲達は私の手を握る。

「…ずっと」
「ん?」
「長い夢を見ていました…」
「夢…?」
「…っ、貴方を…探す夢」

仲達のを扱くのを止めず、後ろに手を回し触れた。
耳を甘く噛み、仲達の首筋を吸う。
所有の痕をつけながら、仲達の中に指を入れると其処は処女のようにきつく締め付けた。

「…私は此処にいるが」
「っ、ぁ…なたが」
「ん…?」
「傍に、いな…いと…」
「何だ」

いつもよりも十二分に解し、指を二本まで受け入れるようになった後、猛った己のを仲達に押し当てた。


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