夜夜よよ 01

初めて其れを見た時は、何て美しいのだろうと目を奪われた。
まさか其れが、幼少の頃より私に仕えていた側近だとは夢にも思わなかった。





司馬仲達と言う一人の側近が居る。
父上に見入られ、半ば脅迫まがいの方法で出仕させられた其の者は私の教育係として日々仕えていた。

元服よりはまだ早く。
父より、子桓と言う字を承った間もなくの少し昔の話。








夕刻になると決まって仲達は姿を消す。
執務を全て終わらせ、何処かへ消える。

其れほどまでに早く家に帰りたいのか、
と思いもしたがどうやらそうではないらしいと今日知る事になった。


夕刻を過ぎた時間。
後宮に程近い離れの屋敷に仲達が歩いているのが見えた。

声をかけようと思ったが、その後ろに夏侯惇が居た。
機を逃し、二人の後を尾ける。


屋敷の中。
月を捉えた大きな格子を正面に見据え、その前には金属で出来た大きな鳥籠が其処にはあった。
鳥籠は広く、内部には卓と寝台が置いてある。

仲達は其処に入れられ、夏侯惇が鍵を掛ける。

「……。」
「では、また明日開けに来る」
「…はい」

幽閉されている、と思った時から既に言葉にしていた。

「仲達が何をした」
「…公子?」
「曹丕か?…やれやれお前には一番知られたくなかったのだが」

その頃の私はまだまだ大人には成りきれていなかった。
何より自分の師父の理不尽な不遇が不快に思う。



鳥籠に向かい、仲達の腕を掴んだがその姿は人ではなかった。
背に白く翼が生えている。

困ったように眉を寄せるその美しい人に、一瞬時を忘れて魅入った。
是れが本当に仲達なのかと。

「解ったか?此奴は人じゃない」
「…何時から、こうして閉じ込めている」
「まだ慣れず…夕刻以降は人としての姿を保つのは難しいのです」
「幽閉している訳ではない。此奴は人も魔物も惹き付ける。
 故に余計な輩から護る為に、術を仕掛けた鳥籠に夜間だけ此処に留めているだけだ」

随分と勝手な言い草だ。
其れは表向きの理由だろう。
逃がしたくない、と言う考えが透けて見えた。


まるで籠の鳥だ。


「鳥籠の鍵はあるのか」
「此処に」
「いつも貴方が管理しているのか」
「まぁ、孟徳の命令で今のところはな。此奴の正体は一部の者しか知らん」
「…天使、だったのか」
「白澤に近い」

白澤。
優れた為政者の元に現れると言う。
だが話に聞く白澤とは比べ物にならない程に、仲達は眩かった。

籠の外から仲達の腕を引く。
黒髪を肩に流したその姿に完全に魅入られてしまった。

是れを私のものにしたい。
己の欲を自覚した。

「父に私から話す。鍵を寄越せ」
「俺が怒られるんだが」
「逃がしはしない」
「…お前は人の話を聞かないからな」

夏侯惇から鍵を受け取った。
やたら歪な鍵だ。

「確かに渡したからな。お前が責任を持て」
「解った」

夏侯惇は部屋を出て去って行った。
掴んでいた手はそのままに、鳥籠の檻越しに仲達に話しかける。

「…出たい、か?」
「私を籠から出せば、貴方様が罰を受けます」
「お前を護るなどと、あれは表向きの」
「…解っています」
「全て己で把握していながら、何故に此処に留まっている」

仲達が困ったように俯く。
不意に、ざわっとしたに殺気が辺りに立ち込めた。
仲達から発せられているものではない。
顔色を変えた仲達が私の腕を引く。

「貴方様に危害は加えません。中に入り鍵をお掛け下さい」
「?」
「お早く」

仲達に招かれ、鳥籠に入り鍵を掛けると即座に寝台に寝かせられ布団を掛けられた。
白き翼を広げ、私を覆い隠すように仲達が抱き締め傍に控えた。

暫くして立ちこめていた殺気は消え、静かに風が吹く。



下から仲達を見上げた。
幾度見ても魅入る。

消えた殺気にほっとして溜息を吐いた仲達の頬に触れる。
直ぐに畏まり、私から離れて寝台の下に膝をついて頭を下げた。

「仲達」
「はい、公子」
「子桓と」
「…恐れ多い」
「良い。子桓と」
「なれば二人きりの時だけですよ」

秘密にして下さい、と困り顔の仲達に頷いた。

眩い。
寝台から下り、膝をついて仲達と目線を合わせる

「毎夜、ああなのか」
「ええ…まぁ…。以前はただの部屋だったのですが…。
 殿に危害が届かぬよう、私を殺さぬようにと」
「…籠の鳥だな。眠れているか?」
「毎夜なれば一人なので執務をしております」
「真面目な事だ。だがしっかりと休め」
「…眠れないのです」
「なれば」

仲達の手を引いた。
寝台に寝かせるように押し倒すと、翼がびくっと震えた。

「公子?」
「今宵は私が傍に居てやる。眠るがいい」
「そんな、公子ともあろう方がそのような事…」
「良い。お前に倒れられては困る」

瞼をなぞった。
本当に眠れていないようで、うっすらと腫れている。

倒れられては困ると言うのは本当だが、どちらかと言えばただ単に仲達が心配だった。
昼は執務に終われ、夜は捕らわれの身。
自由など何処にもありはしない。

魏と言う国に飼われている。
そもそも無理矢理に出仕された身、仲達の心は晴れぬだろう。

「鍵は私が持っている。良いか、これは命令だ」
「…はい…」
「私はお前が…いや、何でもない」
「公子?」

言いかけて止めた。
まだ言えない。
同時に仲達に対する自分の気持ちにも気付いたが、言える訳がない。
仲達だけには嫌われたくはない。

「眠れ」
「はい…おやすみなさい」

一回りほど仲達が私より身の丈があったので、仲達が私を抱き竦めるようにして目を閉じる。
暫くすると寝息が聞こえてきた。
翼は閉じているがふわふわと夜風に揺れていた。




寒かろうと思い仲達に掛布をかけて引き寄せた。

今度は私が眠れない。
こうして仲達の傍に居るのは初めての事だった。

睫毛が長いのだな…とか、
髪が綺麗だ…、
良い匂いがする…、とか私が仲達に思う事は完全に男が抱く女への其れで。
胸がざわついて落ち着かない。

筆下ろしはとっくに済ませているが、
よりにもよって相手が堅物な教育係の仲達など私もどうかしている。
どんなに綺麗であろうとも仲達は男だ。
其れに人ではないと言うのに。

「是れは策なのか、仲達」

何処から見ても叶わぬ恋だ。
人を惑わすだけ惑わせ、何も叶わぬ。

生殺しだ。



私はこの天使に惚れた。

それから数日。
私の教育係であるうちは私の好きにさせろ、と父を説き伏せ正式に鍵を賜った。

父は笑いながら、余り見入るなよと言った。
十分過ぎる程にもう遅い。

仲達の不遇を変えたいが、未だ私には其れだけの決定権がない。

父は仲達を他国、または何者かに奪われるか、殺される事を嫌っている。
己が身に降りかかるかもしれない厄災の元凶を何故手元に置くのか、と聞けば、
あれは戦を指揮し策を献策する才があり傍に置くだけの価値がある、と父は答えた。

それに見目美しい。
私の傍に控える、人の姿をした仲達を見ながらそう思った。

天の使いに性別はない、と言う。
確かに仲達はどちらにも見える。
後々にそれを知り、女に成れるのかと聞けば、
成れますが嫌です、と一喝された。
仲達曰く、女でいるのは何かと面倒くさいらしい。

心の中で舌打ちをしたが、私が知る仲達は男ゆえそれ以上性別の話はしなかった。
仲達はきっと私の気持ちには気付いていないのだろう。



仲達の思いを考えれば、一晩籠の中で過ごす事で十分に理解する事が出来た。
毎夜独り籠の中、何者かの気配や殺気に晒されて、
安堵出来ぬ場所に閉じ込められて気を病まない訳がない。

それを知ってから、夜夜鳥籠に通った。
毎夜では仲達に迷惑だろうと考えたが、
仲達は私が居ると安堵出来るのか静かに寝息を立てている。

仲達が安堵出来るのならば其れに越した事はないが、此方は生殺しで正直眠れない。
故に毎夜通う事はしなかった。
好きなものは好きなのだから仕方ない。





私が鍵を持っている為、出入りは自由が利く。

敢えて、鍵を掛けたふりをして開けたままにした夜もあった。
仲達を試したのだ。

次の日、何食わぬ顔で仲達は私の元に出仕した。

「逃げなかった、のか」
「何のお話でしょう」
「…ふん」

逃げて欲しいと言う思いと、私の傍に居て欲しいと言う思いが交差した。

もう一度試そう、とその夜も鍵を開けた。
今夜は部屋に帰る、と寝不足気味の目を擦り仲達と別れた。
疑問符を浮かべて首を傾げている仲達におやすみと告げる。




明け方、部屋の扉を開けた途端、鍵を開けて行った事を深く後悔する事になった。





無数の矢が放たれた跡。
籠の中の鳥は、籠の中で小さくうずくまっていた。
白い羽根には矢が刺さり、赤々とした血が鳥籠の床に滲みていた。

鍵は開いているにも関わらず、仲達は出ようとしなかったのだ。
仲達が知らない筈はない。

「仲達…!」
「…おはよう、ございます公子」
「何故、鍵は開けて…」
「…私は、貴方様を裏切れませんでした」

駆け寄り膝をつき、矢を抜いたと同時に仲達は人の姿を取った。
羽根も傷も傍目には見えないが、かなり負傷をしている。

「…此処に来るのは二人。私を殺そうとする者、私を取り返さんとする者」
「何者だ」
「蜀の軍師と、私の息子です」

息子だったら良かったのですが、と仲達は苦笑し私の胸に沈んだ。

「手当てをせねば」
「…ふ、私の正体が知れますよ」
「それでも良い。私にはお前が必要だ」
「それでは私が籠に留まった意味がない」
「?」
「助けを呼ばなかったのも、籠から出なかったのも全ては貴方様の為」

次代の公子に御迷惑はかけられません、と仲達は頭を下げた。
私が公子でなかったら、と思いはしたが言うのは止めた。

「…もう飛べないでしょう」
「手当てすれば治るだろう」
「いいえ。羽根を…抜かれましたから…」

鳥籠の中には白い羽が無数に散らばっていた。
床の血に滲みて赤く濁っている。
その無数の羽の中に風切り羽を目にし、仲達を見返した。

「…天にお仕えする事は無理でしょう。還ったところで代わりはいくらでも居ます」
「…お前の代わりは居ない」
「居ますよ。私のような者ならば幾らでも…」
「私には、お前しかいない」
「…公子?」

気付けば仲達を深く強く抱き締めていた。
背中を撫でれば、やはり血に濡れていた。

この想いは止められそうにない。

「愛している」
「…え?まさか、そんな御冗談を」
「冗談だと、思うのか」

改めて仲達を見つめた。
仲達は少し怯えたように私を見上げた。

「…もう、自分の気持ちを隠し通せそうにない。
 自らを偽り、本当の気持ちをずっとお前に言えなかった」
「貴方様の、本当のお気持ちは」
「お前を愛している」
「……」
「…すまない」

仲達が困惑し顔を伏せた。当然の反応だ。
そのまま私の胸に頬を寄せる。

「…仲達?」
「すごい、心音ですね」

高鳴る心音に耳を寄せるように擦り寄り、仲達が私を見上げた。
私の手を取り、自分の胸に当てる。

「…ずっと、知っていたような気がします」
「左様か」
「私の答えを、言いましょう」

仲達が羽根を広げた。
痛々しく傷ついた羽根はやはりとても飛べそうにない。

「私を地に墜として下さい」
「地?」
「貴方様に」

それはつまり、と聞こうとしたら仲達の翼がうっすらと黒くなった。

「…飛べない天使でも構いませぬか?」
「お前が天使で在ろうとも、悪魔となろうとも私はお前が良い」
「悪魔となっても…愛してくれますか?」
「誓おう。私は司馬仲達が良い」


その一言で、仲達の背中の羽が飛び散った。
反動に揺れる仲達を受け止める。


「…お聞きになられたか、私はもう貴方様のものではない」
「仲達、何を」
「天が私を見放した、それだけの事」

傷だらけの背中に黒い羽根が生えた。
同時に、歪な角も生え爪が鋭く伸びた。

「…堕天、したのか」
「悪魔でも、愛して下さいますか?」
「誓って」

微笑み、私にすり寄るその唇に初めて口付けた。


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