やってしまった。
私の腕の中で眠る悪魔を見ながら、激しく自己嫌悪に苛まれる。
初めての相手に何をしているのだ私は。
月を背に私の上でなまめかしく揺れる仲達を見て、抑えようとも欲望が抑えられなかった。
あんなに妖艶でいて、本人は無自覚ときているから質が悪い。
女形であったなら孕ませていたように思う。
結果的に己の欲望のままに仲達を抱き、人の姿を保てないほど体力を消耗させてしまった。
既に体は清めているが、おそらく全身を痛めている。
傷つけたくない、と己で言っておきながらこの様とは情け無い。
本当に辛いのならば、私から力を奪えばいいものを仲達は其れすら止めた。
仲達が止めた理由は解らぬが、このままでは辛かろう。
かと言って医師に易々診せる事も出来ぬ。
仲達の矜持は極めて高い。
そんな凛とした美しさに惚れた私の負けだ。
故、配下であろうとも人でなかろうとも仲達に惚れ、純潔を奪ったからには、心より尽くす所存に変わりはない。
何より是れは私のもので、誰にも触れさせたくはなかった。
喉が乾き、窓辺にある水差しを取る為に寝台を立つ。
未だ眠る仲達に掛布を掛け直して窓辺に向かった。
殺気に近い気配を窓辺に感じ、咄嗟に寝台の帷を下ろした。
剣を片手に持ち、窓辺の格子を開ける。
月の光を浴びた天使が眩く夜空に佇んでいた。
「仲達と同じ…天の使い、か?」
「お初にお目にかかる。司馬師と申します。司馬仲達の息子です」
月を背に受けて、夜空を舞う天使は仲達の面影があり美しかった。
見た目は私より少し若く見える。
随分と大きな息子がいるものだと思ったが、此奴等が不老である事を思い出した。
師から敵意は感じられないが、隠せていない悋気がひしひしと感じられる。
「父上は何処か」
「お前の目的は何だ」
「…父上が堕天されたと聞いた。あの鳥籠から出されたのであれば貴方様の元にいらっしゃるのだろう?」
「…ふ、仲達に似て見識はあるようだな」
「どうか父上に逢わせて下さい。お逢いしたいのです」
窓辺の私に向かい、師は深く頭を下げた。
此奴の気持ちも解らんでもない。
多感な時期に父親を魏に奪われたのだ。
私とて同じような経験をしている。
仲達を連れ去らない、という条件で逢わせてやる事にした。
師は其れを了承し、窓辺から室に入った。
「其処だ。襲撃を受け負傷していたが今はだいぶ落ち着いている」
「…襲撃?また諸葛亮ですか?」
「そうだ」
寝台の帷を上げた。
薄絹を身に纏い眠る仲達が月の元に晒される。
師の目つきが変わる。
仲達が堕天する経緯を其れとなく師に話した。
私が仲達を想い、肉体関係にまで至った事は伏せた。
「あの鳥籠の中、貴方様が居ながら何故父上を護って下さらなんだ」
「…お前の言う通りだ。私の思慮が及ばず、仲達を傷付けた」
師の言葉は正論だった。
全ては私の浅はかな思惑から仲達を傷付けた。
言い返すつもりもない。
「…嘘だと思っていたのです。まさか本当に堕天されるとは」
「大部分は私のせいだ」
「……父上が御無事であられるなら、私は其れで…」
師が寝台の前に跪き、仲達の手に唇を寄せた。
どうにも違和感を感じる。
此奴の仲達に向ける視線や仕草が、どう考えても父親に向ける情の比ではない。
もしや、と直感的に思案はしたが父親に逢えて嬉しいのだろうと余り深く考えないようにした。
「師…?」
「父上、漸くお逢い出来ました」
「…殿下は」
「此処に居る」
仲達が目を覚ました。
気だるそうに身を擡げる姿は何処か色香りがあり、私の上衣を肩にかけた。
まだ人の姿にはなれそうにない。
「父上が堕天されたと言うお話は本当だったのですね」
「…すまぬ。私はもう天には」
「それでも、貴方様が私の父上であることに変わりは御座いません」
「そう、だな」
師が仲達に畏まる。
親子と言うよりは、臣下のように見える。
やはり師の仲達へ捧ぐ視線には違和感がある。
自分が堕天した事で親子関係に罅が入るかもしれないと仲達は危惧していたようだが、
師はそれ程気にしていない様子だった。
仲達の声が掠れている事に気付き、水差しを取る為に寝台の帷から抜け出した。
寝台の帷の中からくぐもるような仲達の声と、怒気を含んだ師の声が聞こえる。
止めろと言う仲達の声が耳に入り、帷を開けた。
私の直感はどうやら当たるらしい。
師が仲達の両腕を抑え付けて、深く口付けていた。
仲達は抵抗しようともがくも、師の力には及ばぬのか視線だけを私に合わせた。
水差しを落としそうになり、我に帰ると途轍もない悋気と怒気が沸き起こる。
尚も口付ける師の背中から首筋に剣の刃を押し付ける。
「…何です」
「離れろ」
「嫌だと、言ったら?」
「首を跳ねれば、死ぬのだったな」
「子桓様…っ」
「仲達から離れろ」
怒気を抑えず剣を首筋に当てると師は漸く仲達から離れた。
不安げに見上げる仲達を見れば人の姿になっている。
「…何をした?」
「父上が貴方からは奪えないと言うので、私が父上に分け与えたまでです」
「……」
「人の姿にならねば何かと不便でしょう」
師を一瞥し、剣を下げた。
水差しから水を組み、仲達に渡す。
理由はそれだけではないと本能的に解る。
此奴が仲達に向ける視線は、どう見ても私と同じだ。
「馬鹿めが…礼は言うが、やり方は他にもあっただろう」
「口付けが一番手っ取り早いでしょう?」
「…もういい」
仲達は呆れたように溜め息を付き唇を拭ってから一言、師に礼を言った。
師が嬉しそうに笑い、窓辺に向かう。
「父上、負傷していたのですからくれぐれも無茶をなさいませぬよう」
「…うむ」
「していた?」
「先程、傷を塞ぎました。体調も幾分か良くなっている筈です」
仲達を起こし、寝間着をはだけさせ包帯を取り背を見れば、
矢傷どころか傷痕すらなくつるりとした綺麗な白い背になっていた。
どうやら師には癒やす力があるらしい。
仲達は私から力を奪う事をしない。
故意に仲達が止めているからだ。
其れを見かねた師が、力を強制的に仲達へ分けたのだろう。
師は眉間に皺を寄せ、私に向き直る。
「殿下」
「何だ」
「父上を堕天せしめたのは貴方様の所為ですね」
「…否とは言わぬ」
師が私に詰め寄る。
その口調には強い怒気が込められていた。
親を取られた子供が叫ぶ。
「人である貴方様に父上が護れるものか」
「試しているのか?」
「師、丕殿下に対し無礼であるぞ」
「…この国に来なければ、父上は私だけのものだったのに」
「師」
貴方様になんか、師はそう続けるも仲達の一言で大人しくなった。
冷たく私を一瞥した後、仲達に微笑む。
「…お顔を見れて良かった。次は人の姿でお目通りを願います」
「…ああ」
「では」
師は窓辺の格子に足をかけて、胸に手を置き頭を下げて去って行った。
仲達が溜め息を吐く。
剣を鞘に戻し、仲達の隣に座った。
寝間着の合わせ目を握り締め下を向いている仲達を引き寄せ、唇を合わせる。
一度離し、仲達を寝台に押し倒し再び口付けた。
深い口付けが苦しいのか、仲達が私の胸を叩く。
敢えて其れを無視し、舌を絡め深く口付けを続けた。
漸く唇を解放してやり、胸で息をする仲達の顎を指で掴んだ。
「随分と父親思いの息子だな?」
「…子桓、さ…ま…?」
「些か目に余る。不愉快だ」
「あれは師が、無理矢理…」
「解っている。お前を攻めている訳ではない」
「…怒って、いらっしゃいますか」
「ああ」
包み隠さず話すと、仲達は困ったように眉を寄せる。
黒髪の長髪、紗に透けた白い肌を抱き締める。
背傷は綺麗に無くなっていた。
天使である師の能力は有り難い話ではあるが、同時に不愉快だった。
「例え息子であろうとも、お前に触れる事まかりならん」
「…師は以前から私に甘えたがる子で」
「神話にあるような、親と子の一線を越えるなよ」
「そのような事、有り得ません」
「…どうだろうな」
仲達に肌着を着せて、再び寝台の帷を下ろした。
傷や体力が治ったとて、初めて仲達を抱いた事に変わりはない。
引き寄せ、腕に抱き体温を感じる近さで目を閉じた。
「…仲達」
「はい…」
「お前は私のものだ」
「はい。なれば」
「ん?」
目を開けると、仲達が私を見つめていた。
私の首筋に擦り寄り、八重歯を立てる。
「子桓様は私のものだと、悪魔である私に…所有をお許し下さいますか」
「無論。死ぬまで私はお前のものだ」
仲達が首筋を吸う。
私がしたように仲達も所有の痕を残した。
「私の王子様」
ふ、と仲達は笑い私の胸に収まった。
長い夜は更けていく。
鳥籠の前に立つ夢を見た。
もうこの鳥籠は必要ない。
この悪魔を閉じ込める必要はもうないのではないか。
もうあの悪魔は、鳥籠で捕まえなくとも私の元から逃げたりはしない。
私が仲達の鳥籠になればいい。
「ずっと私が、お前を」
鳥籠の中の仲達に手を伸ばす。
仲達は振り向かない。
幾度字を呼んでも振り返らない。
「…?」
「…貴方様のお傍に居たい…」
「おいで、仲達」
「私はどうあっても悪魔」
「仲達…?」
仲達の右手には私の剣が握られている。
黒き翼を広げて、漸く仲達が振り返った。
「仲達」
「私は人になりたい」
「…何の真似だ」
「死なないと、良いのですけれど」
「仲達」
「もし貴方より先に死んだら、ごめんなさい」
「仲達!!」
仲達の微笑みを最後に、視界が紅く染まった。
「子桓様?」
「っ…」
「酷い汗、怖い夢でも見られましたか?」
「…仲達?」
「はい、此処に居ます」
酷い夢を見た。
魘されていたらしく、仲達に顔を覗き込まれていた。
ずっと仲達の字を呼んでいたようだ。仲達が私の手を握っている。
「…仲達」
「はい」
「何処にも、行くな」
「はい。貴方様が望むならば」
仲達の胸に埋まった。
私を抱き留める仲達が温かい。
黒き羽根が斬り落ちる夢を見た。