別にふくよかな胸がある訳でもないが、仲達の胸に収まっているだけで幸福を感じ心が安らいだ。
仲達と供に、執務室にて戦の準備に余念のない父の補佐を請け負う。
近頃、父が大戦をすると意気込んでいる。
また天下に近付く。
父の覇道は未だ続いている。
騒々しく今朝も人が出入りしているのが物音で感じられた。
そう言えば、あれから諸葛亮は仲達の前を訪れていない。
つまりはそういう事だろう。
相手は片田舎の孫家と弱小の劉備だ。
私は参戦を許されていない。
故に、後方支援として許都に残る。
軍議でふと父が私の傍に居た仲達を指名した。
お前さえ良ければ戦に来ないか、と父は仲達に進言した。
私に父の発言を止める権利などない。
行って欲しくない、とは言えなかった。
仲達は『御命令であれば』と頭を下げた。
神妙な顔に父は笑いながら、また何れな、と応えた。
表情を変えず内心、安堵し目を閉じた。
正直この大戦は楽に勝てるだろうと踏んでいた。
その事を作業がてら、それとなく仲達に話した。
「…相手が少数とはいえ油断こそが大敵。己の力を過信した方が負けます」
「二十余万を率いる父が負ける、と?」
「公子のようなお考えであれば」
「ふ、肝に銘じるよう父に進言するか」
「お好きになさいませ」
今の仲達の表情は軍師の顔をしている。
凛として美しい。
故に父も声をかけたのだろう。
あれから幾夜も仲達を抱いている。
人として抱き、悪魔として抱き。
時には私の部屋で。
時にはあの鳥籠で。
夜夜に抱く仲達は無自覚に妖艶で困っている。
何処までしていいのかと聞けば、仲達は私の下で声を押し殺し頬を染めた。
徐々に私に抱かれる事に慣らされる仲達だったが、幾度肌を重ねても仲達は初々しく愛しかった。
別に毎夜欲望のまま、仲達の体を暴いている訳ではない。
ただ同衾をするだけの夜もあった。
会えない夜夜は仲達を想い文をしたためた。
その際の仲達は素っ気なく、明日会えますから、とつれない返事が届くのだがわざわざ返事を書いてくれるだけで嬉しかった。
私はただ、仲達の傍に居たかった。
数ヶ月前。
初夜を迎えた朝。
師が癒やしたとはいえ酷い疲労を抱えた体にさせたにも関わらず、仲達は私の傍に付き執務を普段通りに執り行った。
仲達の矜持がそうさせていたが、私としては昏倒しないか気が気ではなかった。
私とて其れなりに後悔しているが、仲達と関係を持った事に後悔はしていない。
思えば仲達の傍にはいつも誰かが控えていた。
無論、私が居ればその者達は控えるがそう言えばあの鳥籠も屋敷の外は警備が堅い。
護られている、と言えば聞こえはいいが。
監視されている、が恐らく正しいだろう。
仲達は、魏に飼われている身。
所有権が私に譲られただけの話だ。
故に私は、鳥籠の鍵を仲達に託した。
好きにせよ、と言うと仲達は神妙な面持ちで頭を下げたのを覚えている。
切れ長の瞳を卓に肘をついて見つめた。
鳶色の瞳も、黒髪の長髪も、よく似合う。
見た目だけに惚れた訳ではないが、我が師は同じ男から見ても美しいと思った。
「…何です?」
「いや」
私の視線に気付き、仲達が筆を止めた。
ふ、と笑うと尚も首を傾げる。
「私の顔に何か?」
「見とれていた」
「…っ、お戯れを」
仲達の頬がほんのりと薄く桃色に染まる。
仲達の自然な仕草が私は好きで、己の機嫌が良くなるのを自覚している。
仲達も私を慕っている。
仕草がそう思わせてくれる。
なればこそ。
やはり、普通に人として接してやりたい。
私は悪魔でも構わないのだが、あの鳥籠に居る限り仲達は負い目を感じているのだろう。
極力、人であろうとする。
本人は悪魔である姿は嫌っているようだ。
己自身が人でない事を周囲に隠しているが、やはり限界がある。
とは言え、仲達を人にしようとも思えなかった。
ただでさえ、私の元に堕ちてきた天使を更に人に堕とす資格は私にはない。
何より仲達に刃を向け、あの翼や角を断ち斬る事など私には出来なかった。
いつからか、仲達は本来の姿を私の前でも見せなくなった。
仲達に会える夜夜も次第に減った。
今宵は月が良く出ている。
執務を終えた仲達を伴い、私邸の中庭に長椅子に座り二人になった。
月を肴に仲達と酒を酌み交わす。
今宵は供に過ごしたい、と私から仲達を月見酒に誘った。
「少し、話しても良いか」
「はい」
ほろ酔いの仲達は気分が良いのか、私が引き寄せると肩に頬を寄せた。
聞かない方がいいのかもしれないが、夜に会う事自体を仲達に避けられている気がしていた。
「…私を避けているか?」
「…?何故です?」
「別に毎夜抱こうと思っている訳では…」
「っ、ふふ…」
「何だ」
私が求めすぎているのが原因かと考え、負い目を感じつつ聞けば仲達は苦笑した。
どうやら違うようだ。
「一人の夜は、大事ないか」
「毎夜、貴方様に御世話になる訳にもいかないでしょう」
「良い」
「駄目です。私は人ではないのですから」
仲達は寂しそうに笑った。
何故に夜は会えぬのか、と少々いじけた風に聞けば戸惑いながらも仲達は答えてくれた。
「貴方様の前でも、人で在りたいのです。ですから姿を保てぬ夜はあの鳥籠に籠もっていました」
「私は悪魔でも構わぬと言った筈だ」
「…いつか、無意識に貴方様を殺してしまうかもしれないこの体が怖いのです」
「…その様な事」
有り得ない、と言いかけたが仲達は下を向いた。
仲達が私に会いたがらないのは姿を保てないから、との事だった。
「悪魔でも良いと、言ったではないか」
仲達を長椅子の背もたれに追い込み、逃げられぬよう唇を重ねた。
首筋を吸い、所有の痕をつけると仲達は首を横に振った。
「…私は、人になりたいのです」
仲達は私を見つめ、胸に手を置いた。
その手を握り、唇を寄せた。
「…私の翼を斬り落とし、私を人にして下さいませんか」
「ならぬと、以前にも」
「貴方様になら何をされてもいい、初めて人にそう思えたのです」
目を閉じ、珍しく仲達から私に口付けた。
冗談で言っている顔ではない。
仲達の唇は柔らかく、私から更に引き寄せ深く口付けた。
「…其れでもしお前が死せば、私はお前に置いて行かれる。そんな世界に耐えられる気がせん」
「私が人にならねば、不老な私が貴方様に置いて行かれます」
「其れは、そうだが」
「私はもう、閉じ込められているのです。なれば一生、そのままが良い」
「…鍵は渡した筈だが」
首を傾げ、仲達を抱き起こすと私の胸に収まった。
その背中を抱き締め、肩に頬を寄せる。
「私は、子桓様と言う鳥籠の中にずっと居たい」
私に擦り寄るようにそう言った。
仲達の言葉に堪えていた理性が飛びそうになるが堪えた。
「…今宵は随分と、饒舌ではないか」
「少し、酔っているのかもしれません」
「私を悦ばせる言葉をお前はよく知っているようだ」
ほんのりと頬が赤い仲達に口付ける。
やはり今宵は同衾だけでは済みそうにない。
「すっかり絆されたものだと思っていたのですが…いつの間にか、私も貴方様に恋をしていたのかもしれません」
仲達が柔らかく笑い、私を見上げた。
胸の鼓動の音はきっと仲達に聞こえてしまっているだろう。
「知っているか仲達、恋はするものではない」
「何です?」
「恋は、落ちるものだ」
「子桓様は、恋に落ちたのですか?」
「ずっと昔から、お前に」
仲達の頬に唇を寄せながらそう言った。
思い返すのも馬鹿馬鹿しいくらい幼い子供の頃から、私は恋に落ちていた。
「…ふふ」
「どうした?」
「王子様がお姫様でなく、従者に恋をするお話しなんて聞いた事がありません」
「私が好きなのだから、仕方あるまい」
仲達の言葉ひとつひとつに感情を煽られる。
このままでは外である事を忘れ手を出してしまいかねないので仲達を横に抱き上げ、寝室に向かった。
ふわりと寝台に寝かせ、押し倒すように仲達の上に乗った。
髪紐が取れ、艶やかな黒髪が敷布に流れる。
「…その物語の結末は、幸福な最後を迎えるでしょうか?」
「幸福にして見せる」
「子桓様が?」
「…私も覚悟を決めねばならぬか」
共に生き、共に死す。
仲達は悪魔である不老を捨て、人でありたいと願った。
肌を合わせ、吐息を聞くほど。
失いたくないと思うのに、仲達はそれでも仕方がないと言う。
私がどれだけ淋しい思いをしたか、思い知れと言わんばかりに仲達を抱いた。