「仲達、ちゅーたつ」
「どうされましたか、若君」
「…仲達」
「失礼しました。子桓様」
幼い我が君の呼ぶ声がした。
背中から腰の辺りに抱き着かれて振り返る。
手を差し出されて、その手を握れば子桓様は嬉しそうに私の手を引っ張り歩いた。
貴方が幼い頃から、貴方の父上よりも母上よりも私が傍に居たのだと思う。
最初は面倒だと、思っていた。
乱世に関わる事も、出仕をする事も。
不器用な子だと、子桓様を初めて見た時にそう思った。
剣も弓も乗馬も熟し、論語を解し、詩作に更ける貴方は人を頼ろうとしなかった。
何でも自分で出来てしまうからだろう。
生まれながらの身分のせいか人を使うのは上手い。
ただ人を頼るのは下手だ。
徐々に話していく度に、子桓様は柔らかくなったと思う。
相変わらず眼差しは鋭いが、纏う雰囲気は優しくなった。
教育係として日々を過ごす内に、徐々に子桓様からの視線が気になった。
この方は何を見ているのだろうと、見つめ返せば頬を染めて目線を逸らされた。
「私が大きくなったら、仲達と結婚する」
子供ながらに私に向けられた精一杯の愛情が可愛らしく、子桓様がこの時ばかりは格好良く見えた。
「ふふ…」
「だ、駄目なのか?」
「いえ、お待ち申し上げております」
「仲達、本気にしてないな?」
「いえそんな、ふふっ」
むくれる子桓様が可愛らしくて…本気で結婚しようとしているのか否か知らぬが、笑って答えていた。
背中が大きくなったなと、思う。
「何処へ行かれます」
「我が国がよく見える場所だ」
子桓様に手を引っ張られ、高台へ赴く。
この方が私に想いを寄せている事に気付いたのはもう少し後の話。
気付かないふり、知らないふりをしていた。
この方が大人になるまで。
「仲達」
高台に着いた貴方は、随分と背が高くなって私を見下ろす程に成長していた。
握る手も私より大きく、何より逞しくなった。
私から見ても、成長した子桓様はとても麗しい方だった。
それでも貴方は変わらず、私の字を呼び私の手を取った。
「…笑わないで聞いてほしい」
「?」
「私は…本当に仲達が好きだ。共にありたいと思う」
我が国を見下ろしながら子桓様は私の手を握った。
見つめる瞳が鋭く光り、私の心を捉えて離さない。
そのまま、初めて唇を奪われた。
急な出来事に放心していると、再び子桓様に唇を合わせられて舌を絡められた。
あまりの口付けの上手さに一体何処で覚えたのだと訝しく思いながら唇を離し、立っていられなくなり子桓様の胸に埋まった。
「本気だ」
真っ直ぐな言葉が心に刺さる。
「私も」と言えればどんなに楽だっただろうか。
まだこの時は何処かで、「いけない」と思っていた。
この瞳に捉えられ、私の心まで堕ちたらきっともう取り返しがつかない。
きっとこの方に溺れる。
「私はお前を」
子桓様が何か言いかけた。
「無理をするからだ」
はっ、として目を覚ますと子桓様の腕の中にいた。
今のは…私達の過去。
一瞬の、夢だったのだ。
「倒れたのを覚えているか?」
子桓様に言われて首を横に振ると、溜息をつかれた。
頬に触れられる。
「私が居なければ、お前の顔に痣が出来るところだった」
全く、と子桓様は溜息をつく。
記憶にないが、どうやら私が床に倒れそうな所を子桓様に救われたらしい。
「何故子桓様が此処に…」
「顔色が悪い。それにその…昨晩無理をさせすぎたのでお前が心配でついて来たら案の定だ」
昨晩の事を思い出して、頬を染めた。
今朝方に、休めと言う子桓様の言葉を聞かずにそのまま出仕したことを覚えている。
此処は回廊だ。
手には書簡が何本か握られている。
「…夢を見ました」
「夢?」
「貴方がまだ幼い頃のお話し」
「ほぅ」
書簡を取り上げられて、子桓様に横に抱えられた。
回廊を出て、中庭の庭園の椅子に私を下ろした。
隣に子桓様が座られる。
少し休め、と私の頭を膝に乗せられた。
髪を撫でられる手が心地好い。
「どんな夢だった?」
「聞きたいのですか?」
「ああ、興味がある」
幼少期の事など、貴方はきっと忘れていらっしゃるでしょうけど。
想い想われる関係になってから、私は自分の気持ちに気付いてしまった。
「子桓様が大人になったら…って昔、よく私に言われていた時の事を夢に見ました」
「……昔?」
「ふ…、もう忘れてしまったでしょう?お気になさらず」
「いや」
膝の上に乗せていた頭を起こされて、座らせられる。
正面で直視する子桓様に首を傾げて、目を伏せた。
「あの…」
「私が大きくなったら、仲達と結婚する」
子桓様が私を真っ直ぐに見つめて言った。
忘れていると思っていたのに…。
「…覚えていらしたのですか?」
「忘れたことはない」
さも当然のように言う子桓様の胸に額をつけた。
「ふ、夢は現実にはなりませんね」
「何故決め付ける」
「…私は男ですよ。残念ながら」
「お前がいいのだ、仲達」
「結婚は出来ませぬ」
永遠に。
私は女ではないし、子桓様も私も既に既婚者だ。
子桓様と私の関係を意味させるものは何もない。
主従。
これが二人の関係で、絶対的に揺るがない一線だったはず。
貴方がその線を消してしまったら、私は。
私の事を恋人だと言って下さった貴方。
結婚は出来ない。現実的に。
形にしなくとも、絆されていると思いながら不安ではないとは言いきれない。
私は貴方の何なのか。
「仲達?」
私の胸の中で、おとなしくなる仲達。
泣いているのだろうか。
「仲達、手を」
「…?」
仲達の左手の薬指には、指輪が嵌められている。
その手に口付けて、小指に小さな指輪を嵌めた。
朱雀が彫られた小さな銀の指輪。
約束の指、そして恋人の指。
仲達はきっと意味を知らないだろう。
「指輪…?」
「互いに薬指はあいておらぬゆえ」
用意した指輪は、仲達の小指にすんなりと嵌まった。
前々から準備はしていたのだ。ただ渡す機会を逃していた。
「両想いで、合っているな?」
「はい…」
頬を赤らめて仲達は答えた。
その頬に唇を寄せた。
「両想いとは何をしたら良いか、仲達は言っていたな」
「はい…」
「本当はお前を娶りたいが…現実的には叶わぬ。なれば私はお前に約束をしよう」
仲達の手を取り、小指に口付けた。
「約束?」
「この指輪に誓って、お前を護ると…仲達と共に生きたい」
ぽろ、と仲達の瞳から雫が零れた。
ふ…と笑い、仲達の涙を指で拭った。
「私にも、嵌めてくれぬか」
「は…い…」
番いの指輪を、仲達が私の左手の小指に嵌める。
その手を仲達の手に合わせた。
これは二人だけの約束。
「…お前を不安にさせているのは私なのだろう。すまなかった」
「いいえ、いいえ…」
「泣くな、ほら」
「だっ…て…」
とても嬉しいのです、と仲達は私の胸に埋まった。