桜桃おうとう 02

瞳が仲達によく似てるが纏う雰囲気は柔らかい。初見はそう思った。


「姫君が、曹丕殿とお話しをされたいそうですよ」
「そうなのか?」

張コウが姫君の耳打ちで何か囁いている。
それを聞いて姫君は焦ったように張コウを見つめたが、張コウは姫君の手に跪き口づけを落として離れた。

「何分、話せないお方。私はお邪魔なので去りますが、何卒…曹丕殿が私の姫君を護って下さいませ」
「ああ」

離れる際、姫君が張コウの裾を摘み首を横に振ったが、張コウはにこりと笑って手を振り去って行った。

「後程、迎えにあがりますゆえ。お痛はしないで下さいね?」
「私がそれほど軽く見えるのか」
「ふふ、ではでは」

張コウは一礼をしてその場を去って行った。
姫君は張コウが離れるや否や不安な顔をしている。

「ふ、何も取って食うつもりはない」

姫君が振り返り頷く。
隣を空けて掌で差し示せば、姫君は隣に座った。

「私に話とは、何か」
『魏の公子様にとって恋愛とは何でしょう』

少し頬を染めて、姫君が書簡に書いた。
姫君が書簡に書く言葉に私が口で答える。

「恋?また随分と可愛らしい事を聞く」
『ちゃんと奥様を愛しておられますか?』
「勿論」

速答すると、姫君は少しだけ筆を止めた。
また何かを書いている。

『初めての恋は奥方でしたか』
「いいや、違う」

ふ、と笑って答えると姫君は困ったように首を傾げてまた筆を進めた。
残念ながら私の初恋の相手は違う。

『初恋の方は、どんな方だったのですか』
「そうだな。見目好く頭も切れるが、少々自制心が強く余り人を頼ろうとしない。割と無茶をするので危なっかしい」

姫君の顔を見つめた。
視線が合うと姫君は頬を染めた。
仲達に本当によく似ている。

「見た目は貴女によく似ている」
『その女性にですか』
「いや」

筆を持つ姫君の手の上から手を重ねて、書簡に『司馬仲達』と書いた。
触れる姫君の手が凄く熱い。顔を見れば頬がとても赤い。

「熱があるようだが、大丈夫か?」

姫君の顔の赤みが引かず、頬に手を添えれば尚更に体温が上がったような気がした。
長い睫毛が揺れて、また筆を進めた。

『初恋は叶わぬと申します』
『今でも恋をしている』

姫君が書いた隣に答えるように、書いていく。

『私にも大切な方がいます』
「ほぅ、それは張コウか?」
『張コウ将軍にはいつもお世話に…ですが違います』
「姫君の初恋は如何なるものか」
『恋とはするものではないのですよ』
「ほぅ」
『恋とは堕ちるもの』

姫君が私を見つめた。
優しい眼差し。白檀の香り。仲達の面影を垣間見る。

『私は、恋に堕ちてしまったその先が怖い。その方の事しか考えられなくなってしまったらきっともう私一人では生きてはいけないでしょう。あの方を失うのが怖い。離れるのが怖い。何より要らぬと、そう思われる事が一番怖い』

姫君は眉を寄せて筆を置いた。睫毛に滴が溜まっている。
その瞼に触れて、滴を指で拭うと姫君は私を見つめた。

「貴女を泣かせる相手が小憎らしい」
『お見苦しいところをお見せ致しました。そう思ったことはありませんか?』
「ある」

むしろ仲達の事を考えていると時間を忘れる。
子供の頃からそうだった。
その感情が恋だと気付いたのはいつの日だったか。
気付いて、伝えて、叶って、手に入れた。
日に日に思いは強くなる。

「生きている限り、ずっと傍に居てやりたい…私はとっくに仲達に堕ちている。仲達が堕ちるというのなら…私も共に堕ちよう」

姫君の瞳が揺れた。
頬に涙が伝い、袖で拭う。

仲達に似ている。
気付いたら抱きしめていた。

はっ、として手を離そうとするも姫君は私の袖を握っていた。

「…貴女は本当に、仲達によく似ている。また会いたいものだ」

もしかしたら、とも思いはしたが姫君から何も伝えられることはなかった。
似ている、それだけで少しだけ心が揺れた。
しかし私が本当に大切な者の事を考えるとそれ以上、心は動かなかった。

ただ静かに涙を流す姫君を胸に埋める。
仲達と同じ、白檀の香りのする姫君。












「ちょっと、何を泣かせていらっしゃるんですか」

張コウの声がして、慌てて子桓様から離れた。
心なしか、子桓様の表情が優しい。

子桓様の思いがけない本当の思いが聞けて、胸が満たされる。
気付けば子桓様の胸の中で泣いていた。

私が司馬懿だと、気付いているのかいないのか。
子桓様の表情からは伺えない。

離れる際、子桓様が私の手を握り指に口付けた。先程から仕草ひとつひとつがとても優しい。
女性だと言うだけでこうも違うものなのか、と少し胸につかえながら離れた。

「お時間です。お話しは済みましたか?」

張コウが私の手を取った。
小さく頷き、子桓様に頭を下げ、張コウに頭を下げた。

「またいつか」

子桓様が言う言葉に心の中で答えながら、張コウに連れられてその場を去った。

「曹丕殿とお話しは出来ましたか?」
「…ああ、ようやく口が利けた」

廊下を歩いていく。
辺りはすっかり暗くなっていた。
どれ程話していたのだろうか。

「もう一日は終わります。一日限りの姫君は今宵如何されますか?」
「……」
「曹丕殿に本当の事を話したいのでしょう?」

張コウの部屋に戻り、扉を閉めた。
思いがけず胸につかえていた気持ちを張コウに言葉にされて自分の気持ちをようやく自覚した。

このままではあの方を騙しているような気がして。

「それは…」
「さぁ、こちらにお座り下さい。涙で流れたお化粧を美しく整えて差し上げましょう」
「何故そうまでして」
「騎士はお姫様の幸せを願います。騎士は王子様には敵いませんから」

張コウがどこと無く切ない表情で笑った。
椅子に座り、張コウがまた顔に化粧をする。
今度は先程よりも薄いようだ。

「貴方の本当の気持ちを伝えて差し上げて下さい。私はあなた方が本当に好きなのです」
「張コウ?」

何でお前が泣くんだ。
張コウが鏡越しに瞳を拭っているのが見えて振り返った。
張コウは笑って私の髪を櫛でとかす。

「…もう少しだけ、この姿で居たい」

最初は嫌がっていたはずなのに、どうして此処まで心変わりしたのか自分でもよく解らない。
別にこの姿が気に入ったわけじゃない。

ただ、この姿で真実を伝えたい。
それだけだった。

「私が魔法をかけて差し上げましょう」

張コウが笑って私の手の甲に口付けた。


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