家族で囲む卓の中に、小さな子桓様も加わって夕食は賑やかなものとなった。
小さな子桓様用に師が椅子を用意し、昭が座布団を幾重にも重ねて特製の椅子を用意した。
「どうぞ」
「うむ」
「やっぱり、父上の隣が良いんですよね?」
「うむ」
「はいはい」
座った子桓様を椅子ごと持ち上げて、私の隣に師と昭が運ぶ。
さも当然、と言う顔をしている子桓様を諭すように目線の高さを合わせてしゃがみ込んだ。
「子桓様」
「?」
「あなたの為にしてくれた事です。ちゃんと二人に御礼を言って下さいね」
「…む。礼を言う…ありがとう」
「いえいえ♪」
「お構いなく」
「よく出来ました」
「ん」
記憶が子供のままだと言うのなら、躾も必要だろう。
自分にしてくれた事には御礼を言う事を教えて、座り直した。
私が笑うと子桓様も何処か嬉しそうに見えた。
「何か父上も嬉しそうですね」
「そう見えるか?」
「そう見えます」
「…そうだな。何処か、懐かしいとは思う」
運ばれてきた夕食に合わせて、子桓様に匙を渡した。
左右それぞれに分かれて座る師と昭を見ながら夕食をとる。
思えば、子供達も本当に大きくなった。
つい最近までこの子桓様のように小さかった気がすると言うのに、時が経つのは早いものだ。
「…私も歳をとったな」
「どうしました」
「いや…」
「仲達は、綺麗だ」
「うん?」
「仲達は綺麗だぞ」
「…ふ、光栄至極に存じます」
無垢な顔をして。
子桓様は真っ直ぐな瞳で私を見上げた。
裏も表もない真っ直ぐな思いが伝わる。
大人になるにつれて、私達は随分と互いに本心を隠していたように思う。
心の底では二人とも同じ思いで居るのに、些細な事ですれ違う。
いつの間にか、そういう大人になってしまった。
私は軍師という役職柄、滅多な事では本心を晒さない。
本心を晒したが最後、墜ちる。
子桓様の前では自分に正直で居ようと、
そう決めていた筈だったのだがやはり何処か年上という矜持が勝つ。
いつの間にか、正直に真っ直ぐで居る事が怖くなってしまった。
食事を終え、子桓様を椅子から下ろすと漸くぽかぽかと子供らしい体温になっている。
安堵しながらも一応膝掛けを小さな肩に掛けた。
「師、昭」
「はい」
「何です?父上」
「このまま、子桓様を湯殿へ連れて行ってくれぬか」
「仲達は?」
「私は後程」
「いいですけど、父上も一緒に入ればいいのに」
「少し、執務を残しているのでな」
「…む」
あからさまにしゅんと小さくなる子桓様の頭を撫でて、湯殿まで案内し三人と別れた。
伝令が来ている。
殿からの書簡だった。
子桓様の様子を伺う旨と、何かあれば早急に連絡を寄越せとの旨が直筆で書かれていた。
殿もあれでいて、子の親なのだから心配しない訳がない。
殿の便りに丁寧に返事を書き、使者に送らせた。
その後、部屋に戻り持ち帰った書簡に筆を走らせていたのだが。
「ちゅーたつ」
「!?」
風呂上がり、濡れたままの姿で子桓様は私の直ぐ後ろに立っていた。
「ああ、もう…きちんと拭いてからいらして下さいな」
「……」
「子桓様?」
大きい布巾に子桓様を包み込み、拭いてやるも子桓様は憮然とした表情で頑なに首を横に振る。
「仲達も」
私の裾を握り締めて子桓様は離れない。
私を呼びに、わざわざ湯船から抜け出して来たのだろうか。
「仲達はまだ…」
「私より大切なのか」
「…っ、断じてそのような事は御座いません」
執務が残ってはいたが、子桓様と比べる事など出来なかった。
何を馬鹿な事を言っているのだ私は。
「貴方様に風邪をひかせる訳には参りません」
布巾ごと子桓様を抱き上げる。
子桓様は私に甘えるように擦り寄り、笑う。
湯殿へ向かうと師と昭が子桓様を探している様子だった。
「あ!父上!」
「やはり父上のところでしたか」
「ええい、お前達も風呂に戻れ。揃いも揃って風邪をひく気か」
「はーい」
「父上も入られるのですか?」
「子桓様がこれでは致し方あるまい」
「父上と一緒に風呂なんて、何年ぶりですかね」
「…そうだな。とりあえず子桓様を頼む」
「畏まりました」
湯冷めしてしまわないように子桓様を師に渡し、
私も後を追うように早々に服を脱ぎ浴室に入った。
大の大人が三人入っても浴室の広さに余裕はあるが、
正直のところ今更感が勝り何だか気恥ずかしい。
改めて見ていると、師も昭も大きくなったものだ。
師の手から逃げてきた子桓様を捕まえて、髪を流してやり体を洗った。
私がする事に関しては子桓様は大人しく従うようだ。
「きちんと湯船で温まって下さいませ」
「仲達がいい」
「別に仲達は何処にも行きませぬ」
「それは…そうなのだが」
「寂しかったのですか?」
「…ん」
以前のあなたであったのなら、一言悪態でも吐いて嘲笑うものを。
髪を流してやりながら頭を撫でてやると、子桓様は素直に頷いた。
「ずっと素直でいたら宜しいのに」
「?」
「一人言です。お気になさらず」
「父上、背中をお流し致しましょう」
「曹丕様は俺と湯に入ってましょー?」
「…む」
私から離れると子桓様は憮然とした表情をするが、私が促すと渋々昭の元に向かってくれた。
入れ替わりに師が上がり、私の背に湯をかける。
「…少し、窶れましたか?」
「うん?」
「父上の背など、久しくお流し出来る機会がなかったもので…」
「それもそうだな」
「…どうか余り、御無理をされませぬよう」
師が私の背に額を付けて溜め息を吐いた。
どうやらここのところ多忙の為、相当心配をさせているらしい。
振り返り師の頭を撫でてやり、そのまま髪を撫でた。
「師の髪は、私に良く似ているな」
そのまま座っているように促し、髪を流してやると師は嬉しそうに目を閉じた。
「あっ、兄上狡い!俺もやって、父上!」
「…いくつになったのだ、昭」
「曹丕様と兄上ばっかり、ずーるーいーでーすーっ!」
昭にもごねられ、結局師に背中を流されながら昭の髪も流してやる事になった。
昭の髪は妻に似て、ふわふわとした茶色の癖っ毛だ。
私や師よりも短いので、髪を流すといっても直ぐに終わってしまった。
「終わりだ」
「ありがとうございます父上っ!ああ、何か懐かしいですね」
ずっと湯から離れていたせいか背中が寒い。
湯に浸かるべく脚を伸ばすと、師の元で大人しくしていた子桓様が私の膝に登る。
「あなた様は本当に…甘えん坊ですね。昔からずっと、そう」
「…父上?」
「なくしてしまった時間に、帰ってきたような気がする」
だが、そんな気がするだけだ。
現に私は若返ってはいない。
子桓様だけが過去に戻り、小さく幼くなってしまった。
膝に埋まる子桓様を胸に抱き、師と昭に向かい合い座った。
手摺に頬を付け、子桓様の頬を撫でる。
「…幼く素直で小さなあなたも結構ですが、いつになったら戻るのでしょうね」
「原因は何でしょうか?」
「やっぱ父上と喧嘩したから?」
「…そうやもしれぬな」
咄嗟に子桓様の頬を叩いてしまった。
頬をさするように撫でると、小さな子桓様は私の甲に口付けた。
紳士的に手を取る口付けの素振りに幼い見た目が合わず、小さく笑ってしまった。
「おませさんですね。何処で覚えたのです?」
「ずっと昔から知っている」
「え?」
「ずっとひみつだ」
子桓様は私の肩に埋まり顔を伏せた。
もう子供には眠い時間だろう。
師と昭を先に上がらせて、暫く子桓様と二人きりで湯に浸かった。
「…叩いてしまってごめんなさい。痛かったでしょう」
「?」
「口より先に手が出てしまうなんて、私もまだまだですね…申し訳ありません」
「さっきから何だ?」
「…いいえ、何でもありませんよ」
小さな子桓様には記憶がない。
ただ私を『仲達』だと認識してくれているだけだ。
何だか置いて行かれてしまったような気がして、急にとても寂しくなった。
もし、元に戻らずずっとこのままだとしたら。
まだ私にはそれでもいいと思える程、頭が事態に追いついてはいなかった。
「子桓様は…」
「なんだ?」
「仲達の事が好きなのですか?」
「…ん」
少し視線を外して、頬を赤らめて頷く子桓様は素直でとても可愛らしかった。
もう出ましょう、と脱衣所で子桓様の大きな布巾で包み込んで体を拭いた。
子桓様に服を着せ、私も体を拭く。
袖に腕を通していると子桓様が後ろから布巾を被せてきた。
「??」
「仲達の事は…」
「?、はい」
「初めて会った時から、ずっと好きだ」
「…っ」
「だから、私がお前を護るのだ」
「…ふ、それでは従者が務まりませぬ」
「よい。仲達は大切だから私が護ると決めた」
思いがけない告白に胸を打たれてしまった。
この年代の子桓様にはお会いしていない筈なのに、
やはり記憶が過去も現代も混ざっているのだろうか。
どちらにせよ。
子桓様の言葉に込められている想いは真実だろう。
こんな小さな子供に心が揺れるとは思わなかった。
私の寝室に子桓様も伴い、布団に寝かせる。
隣に座り、掛け布団をかけ額に手を当てると子供らしい体温で温かい。
「…また明日、色々お話ししましょう。今宵はもう、おやすみなさい」
「明日また、一緒に居てくれるのか?」
「子桓様となれば」
「そうか」
嬉しそうに笑うあなたは子供そのもので、無邪気だった。
ああ、もうこんなに小さくなってしまって。
「仲達」
「はい」
「仲達は私を、どう思っている」
「お慕いしておりますよ」
「それは、主として、だろう。個としてはどうなのだ」
見た目の幼さに不釣合いの饒舌な言葉を話す。
布団で口元まで覆い不安気な眼差しで私を見上げる。
「…無論、お慕いしております」
「先と、言葉が同じではないか」
「では言葉を変えたらよろしいのですか?」
「うむ」
「ちゃんと私はあなたの事が大好きですよ、子桓様」
「っ…!」
子桓様の前では素直に。
先の自分の言葉を胸に埋め、子供にも解りやすい言葉で素直にそう伝えた。
「これで宜しいですか?」
「ね、るっ…!」
「はい、おやすみなさいませ」
ふといつものように額に口付けを落とすと、子桓様の顔が真っ赤になってしまった。
いつもしていなかったか?と思いつつも、灯りを消した。