恋思こいし 06

曹丕様は父上を胸に抱いて、横目だけで俺を見た。
犯した罪に対し、罰は受けるつもりだった。
曹丕様の立場からすれば当然である発言に、深く頭を下げた。
むしろいつも以上に穏やかな父上の方が異常だ。

「俺は、赦されるなんて思っていません」
「良い覚悟だ。目を伏せると仲達に似ているな」
「…え。俺は兄上と違って似てないってよく言われますけど」
「否、内面的には仲達によく似ている」

曹丕様に父上に似ていると言われた事は嬉しい。
内面的に、と言う事は父上も俺と同じなのだろうか。
曹丕様が父上の髪を撫でて父上に微笑むと、俺にまた向き直った。

「仲達から、お前達の名は聞いていない。仲達は事実を私に伝えただけだ」

曹丕様の言葉に顔を上げた。
何をされたのかだけを伝えて、相手は証していないと言う。

曹丕様は勿論、父上が言わずとも誰なのか解っているんだろう。
俺と兄上を見る目が違ってた。
それでも父上は、曹丕様に俺達の名を告げなかったと言う。

「私は全ての事実を掌握しているつもりだ。…お前達なのだろう」
「…はい。命を断つ覚悟も出来てます」
「…認めるのだな」
「はい…」

曹丕様は怒鳴るような事もなく、至極冷静だった。
ただ、静かな殺気がピリピリと感じられた。
曹丕様は目を伏せて一つ大きく溜息を吐くと、漸く俺を見た。

「…私が処断出来よう筈がない。自分の子を殺すようなものだ」
「え…」
「仲達の子であるのならば、我が子同然。
 何よりも仲達が望んでいないのであれば私が手を下す事はない」
「それって…」
「赦す事は出来ぬ。だが二度はない」
「それで、宜しいのですか…?」
「…全く、貴様ら親子は同じ事を言う」

話しは終いだ、と曹丕様は俺の額を小突いて父上を抱いて湯から上がって去って行った。
曹丕様がそんなにあっさりと赦すとは思えず、俺も後を追って湯から上がった。

父上が薄ぼんやりと瞳を開けて椅子に座り、曹丕様に布巾で体を拭かれていた。
椅子に座る父上の前に曹丕様が膝をつき、白い脚を布巾で包むように拭いている。
曹丕様が膝をつく所なんて初めて見た。

「少しは眠れたか?疲れているだろう」
「はい。…お話しは終わりましたか?昭に…非道い事はしていませんか?」
「小突いただけだ」
「…それで宜しいのですか?」
「…ふ、全く。服を着せてやる。此方へ」
「自分でやれます」
「触れていたいのだ、仲達」
「…もう。解りました」

二人きりになると父上も曹丕様も甘い。
お互いに甘えているみたいだ。
自然と二人とも笑い合っている。

父上に曹丕様が口付けながら、体を拭いて白い肌着を着せていた。
父上が甘える曹丕様には適わないのだと、改めて心から思った。

でも、それでも、やっぱり。

自分の気持ちを自覚した。
父上には伝えられた。
順序も立場も間違えた俺の恋は叶わなかった。

「…伝えられただけで、いっか」

今度は父上が曹丕様の体を拭いている。
曹丕様は父上の額に唇を寄せ、俺達には見せないくらい優しい瞳で父上を見下ろしていた。
一時も離れたくない、と言う曹丕様の気持ちが伝わる。
次は邪魔をしないように、幸せそうな二人を見ながらそっと浴室に戻った。


もしかしたら俺は、曹丕様と一緒に居る父上が好きなのかもしれない。






今頃、父上はきっと曹丕様と一緒だろう。
曹丕様から戴いた薬は確かによく利いた。もう平熱になっている。

先程、部屋を出たところで昭とすれ違った。
何故だか昭は晴れやかに笑い、私におやすみなさいと言って部屋に帰って行った。
何かあったのだろうか。

父上はもうお休みになられただろうか。
もうお体は大丈夫なのだろうか…。
父上の事ばかりが気になった。

水を飲み、廊下の窓際に立つ。窓辺に水差しを置いた。
月が綺麗な夜だった。



普段通りに接しようとしている父上が、
身体的にも精神的にも無理をしているであろう事は、察していたが敢えて口にはしなかった。
父上の矜持は極めて高い。

私は父上の体を陵辱し、更に言葉で傷付けた。
赦される事ではない。
父上にはきっと嫌われてしまっただろう。

「…部屋に居らぬ故、何処に行ったのかと思った」
「父上…?」

背後から大好きな人の声が聞こえた。
振り向けば直ぐ横に父上が居た。父上の少し後ろには曹丕様の姿も見える。
曹丕様に会釈をし、父上に向き直った。

「もう、熱は良いのか」
「…はい」
「それは良かった」
「父上こそ、お体は…」
「大事ない」

水を飲みにきたのだろうか。
水差しから杯に水を汲もうと手を伸ばす前に、後ろから曹丕様が水差しを取り杯に注いで父上に渡す。
父上が曹丕様に会釈し杯を受け取るが、
父上の腕には殆ど力が入っていないのか曹丕様が父上を支えるようにして水を飲ませていた。

お二人から同じ石鹸の香り。
父上の腰を支えるように曹丕様が腕を回しているのが見えた。

ああ、そうか…。
父上はずっと昔からこの人のものだった。

私が幼い頃からずっと。
ずっと、ずっと。


父上の眼がうっすらと赤く腫れている。
きっと曹丕様の腕の中で泣いたのだろう。
父上は小さく曹丕様の服の裾を握っていた。

父上が何処となく疲れているように見えるのも、
曹丕様が片時も離れようとしないのも理由は一つだろう。
父上の喉も渇く筈だ。

「…落ち着いたか?」
「はい」

曹丕様が父上を案じ、背中を撫でる。
立っているのも辛いのだろうに、私の前だからなのか父上は無理をして立っているように見える。
曹丕様が私を横目で見た後、父上を引き寄せるように胸に埋めた。

「父上、どうかもうお休み下さいませ。お体がお辛いでしょう」
「…曹丕様がお前に話がある、と」
「…なればせめて、お座りになって下さい」

私に話があるのは父上ではない。
父上は話を見届ける為に来てくれたのだろうか。私を案じてくれたのだろうか。

「手短に話す。仲達、此処に座れ」
「…はい」

私が用意した椅子に、曹丕様が父上を座らせた。
曹丕様が父上の背後に立ち、私は父上の前に膝をつき頭を下げた。

「…赦されるとは、思っておりません。
 親と子の関係を断とうとも…私の命を差し出しても赦されるとは思っておりません」
「……。」
「認めるのだな、師」
「はい…。ですが、父上を想う気持ちに偽りはございません。
 どうか…仕出かした事実に対し、私に罰をお与え下さい」
「良い覚悟だ。弟と同じ事を言う」
「…左様、でしたか」
「仲達は罰を望んでいない」

曹丕様の言葉に顔を上げた。
父上が変わらず穏やかな瞳で私を見下ろしていた。

どうしてそのような瞳で見つめられるのか。
私は貴方にあんなに酷い事をしたのに。

父上が、おいで、と私に手を伸ばす。
一度、曹丕様を見た後、父上のすぐ傍に膝をついた。
椅子に座る父上の太腿に埋まるように、父上は私を引き寄せた。
そのまま髪を撫でられる。
視界がぼやけた。

「…父上っ」
「お前は賢い子だが、思い悩むと一人で抱え込むだろう」
「はい…」
「私に良く似ている」

父上がふ…、と笑い私の頭を撫でる。
どうして、こんなに。
私の視界はぼやけるばかりで、全く訳が分からない。

もうひとつ椅子を持ってきたのか、曹丕様が父上の隣に脚を組んで座る。
いつの間にか涙を流していたのか、私の頬を父上が拭い撫でた。

「ちちうえ…」
「うん?」
「好きです…好きになって、ごめんなさい。貴方に、無礼を働きました」
「…もう良いわ。済んだ事だ」
「…何故、私は貴方の息子なのでしょうか…」
「嫌か?」
「違う。そうではないのです。曹丕様のように、私も貴方を」
「ふ、そればかりはどうしようもなかろう」

零れ落ちる涙は止めようがなかった。
どうして私はこの人の子なのだろう。
だが、この人の子である事を嫌だと思った事は一度もなかった。
むしろ、この人の子である事を誇りに思う。
ただただ、悔しかったのだ。

曹丕様に出会うまで、父上は私のものだったのに。

「師よ」
「はい」

曹丕様が私を見下ろしていた。
眼を擦り、改めて曹丕様に向き直り膝をついた。

「…師も、昭も。仲達の子なれば、私の子のように思う」
「左様、ですか」
「故、子を殺す事など出来ぬ。だが二度はない。昭にもそのように伝えた。
 お前が私を嫌おうとも、憎もうとも。私はお前を殺さない」
「…憎んでおいででしょう。私は貴方に背いたも同然でしょうに」
「仲達が良いと言うのならばそれで良い。何より、仲達を悲しませたくはない」

曹丕様の答えは、罰さないという事だった。
何もされないという事は何よりも辛い事なのだと、この方は解っているのだろう。
私は何もかもこの人には適わない。
父上への思いも、立場も、心も、何もかも。きっとずっと。

生きている間は元より、おそらくはこの世を去ろうとも。
父上の心はずっと曹丕様のものだ。


「父上を、仲達と…ずっと呼んで差し上げて下さい」
「どういう意味だ」
「貴方様の前でだけ、“父上”は“仲達”で居られるのです」

父上の手に唇を寄せ、頭を下げた。
父上の手が冷たい。湯上りであったのに、湯冷めしてしまったのだろう。
お二人から離れて立ち上がり、改めて頭を下げた。

「曹丕様」
「何だ」
「父上をどうか、大切にして差し上げて下さい」
「言われずとも」

父上が、ふ…と笑った。
その笑みに私も応えるように頭を下げた。
立ち去ろうとした手前、今一度曹丕様に向き直る。

「…私も」
「ん?」
「何とか貴方を好きになれるよう、善処致します」
「何だそれは」
「父上が好きになった方、ですから」
「…ふ、随分と嫌われているではないか」
「ええ、それはもう」
「ふ、良い度胸だ」

父上が苦笑し、お前という奴は…と小さく溜息を漏らしているのを横目で見た。
曹丕様が声を堪えて笑う。
おやすみなさい、とお二人に伝えてその場を去った。






「あれで、良かったのか」

二人になって暫くしてから、子桓様が私を引き寄せるように抱き締めてそう言った。
昭の気持ちも、師の気持ちも解らない訳でもない。
ただ、親として赦す訳にはいかないだろう。道理から外れている。
私と子桓様の関係も、道理から外れていると言えばそうなのかもしれないが。

「もう、良いのです」
「お前がそう言うのなら、私も赦そう」
「…子供達が、無礼を」
「良い。無礼とも思っておらん」
「子桓様がそう仰るのならば」

別段、もう何とも思っていない。
被害者面をするつもりもなければ、済んだ事を掘り返して根に持つのも馬鹿馬鹿しい。
子供達とて、あれはあれで後悔しているのだろう。十分に思い知った筈だ。
私が女でなかったのも、ある意味では幸いだったのかもしれない。

「…仲達、すっかり冷えてしまったな」
「子桓様」
「ん?」
「私を、温めて下さいますか?」
「外からで、良いのなら」

私の額に唇を寄せ、子桓様は私を横に抱いた。
別に誘ったつもりではなかったのだが、子桓様にはそう聞こえたのだろうか。
体の中から、だなんて言ってないのだが。

寝室に戻り、私を寝かせた後、直ぐに子桓様が私を抱き締めて胸に埋めた。
子桓様から体温を分けられている。温かい。

やはり、眠い。疲れているようだ。

「子桓様」
「何だ。もう寝ても良いのだぞ」
「…国は、魏はもう、大丈夫でしょうか」
「流行病なれば、もう収まった。だから私がお前の元に来たのだ」
「…左様なれば、安心致しました」
「何だ、私が国をほおって来たと思ったのか?」
「ええ、貴方なればやりかねないと」
「お前に怒られるのは御免だ」

子桓様が私の腰を引き寄せる。
冷たくなった私の脚に合わせるように、子桓様が掛布の中で脚を絡めた。

「師と、昭の事」
「…ああ」
「貴方も、あの子達を子のように思って下さるのですか?」
「お前の子だからだ」
「…可愛さ余って、憎さ百倍といった所でしょうか」
「別に、可愛いとは思っておらぬわ。ませたガキだとは思うがな」
「左様ですか」

子桓様が私の額や頬に口付けを落とす。
それに甘んじて目を閉じると、今度は唇に口付けを受けた。

「…貴方は、それで良かったのですか」
「良くは、ない。だが何もしない方が己自身で考えるだろう」
「…まるで貴方が父親のよう」
「なら、お前は母親か?」
「いいえ、私は男ですから」

その事実は揺らぎようもない事実だ。
変える事が出来ない真実。
どんなにこの人に愛されようと、添い遂げる事など出来ない。
それは師と昭が相手とて同じ事だ。

「仲達」
「…はい」
「また、何か、悩んでいるのか」
「…いいえ」
「嘘だな」

口付けをしながらする会話は、何処となく熱がこもってしまって。
私の嘘も貴方には直ぐ解ってしまうようだ。

「…どうして、貴方には解ってしまうのでしょう」
「お前の事なら、だいたい解る。それで、どうした」
「…何でもないです」
「また、無理をしているのか」
「いいえ。私は大丈夫ですから」

私の言葉に、子桓様が小さく溜息を吐いた。
少し体を起こし、私を押し倒すように子桓様が伸し掛る。

「…?」
「師と約束した。大切にする、と」
「其れは、もう十分…」
「大切なんだ、お前が。だから赦せない事も赦した」
「…はい」
「私の前で無理はするな…頼む。お前が辛いのは嫌だ」
「もう、貴方ときたら本当に…」
「お前の事となるとな」

子桓様が私を強く抱き締める。
少し、痛い。
きっと一番赦せないのはこの人である筈なのに、私の子だから赦してくれた。
私の堪えていた気持ちも、涙も、この人は全て受け止めてくれた。

「…子桓様」
「何だ」
「…ごめんなさい」
「もう良いと、言っただろう?」
「…もう一度、言っておきたくて」
「もう良い。おやすみ」
「…おやすみなさい」

眼を閉じると、額に唇が触れた。
子桓様がしきりに口付けてくるのは、きっと不安だからだろう。



「子桓様」
「何だ、仲達」
「…私は、ずっと貴方のものです」

ずっと。
私から子桓様に口付けると、子桓様が小さく笑い私を強く抱き締めた。


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