あれから何日経ったのだろうか。
意識が混濁したまま、酷い頭痛と熱と躰の痛みに、
殆ど起き上がる事が出来ず、部屋からも出れないでいた。
師と昭が私の傍を離れず看てくれてはいるが、食事すらままならないほど病状が酷い。
子桓様からうつされた病を発症し、私に猛威を奮っていた。
確かに、こんなもの、国中に蔓延させる訳にはいかない。
あの夜の事は薬のせいでうろ覚えだったが、
激しい躰の痛みと股や肩に残る痕を見れば…。
この子達に自分が何をしたのかくらいは直ぐに解ってしまった。
この子達は、親と子の関係を自ずから誤った。
親である私を慕うその気持ちが、親愛などではなく恋愛なのだと今更思い知るに至る。
今は怒りの感情よりも、子桓様を裏切ってしまったという悲しみのが勝っていた。
子供達を叱る気力もなかった。
食事をしてもどうせ吐いてしまうので、食事を拒んだ。
体調が悪い、というのもあるが精神的にかなり参っていた。
水だけで良い。
水と薬だけで。
薬を飲めば熱はだいぶ楽になるが、副作用で暫くは強制的に眠らされる。
夢のない真っ暗な空間を暫く見るだけだ。
ずっとずっと眠っていたい。
早く忘れてしまいたい。
もしくは、慣れてしまえばいい。
何も、したくなかった。
薄目を開けて、変わらない天井を見つめた。
もう子桓様は回復なされただろうか。
私はどんな顔で、あの方に会えばいいのだろうか。
もう会わせる顔もないと言うのに。
感情を表に出さぬよう、師と昭には接していた。
呼び掛けに応えるだけだ。
改めて、私から何か話をしようとは思わなかった。
今、この子達と深く話してしまったらきっと感情を抑える事など出来ないだろう。
あの夜の深夜、私は涙を流していた。
自分でも、泣いていると解るほど頬に涙が伝っていた。
すぐ近くに居た昭が私を見ず、手を握り締める。
それは今も変わらず。
師と昭が代わるがわる私の枕元に来ていた。
決まって、どちらかが寝台に頬をついて私の手を握り締め、ずっと傍についている。
酷い高熱で起き上がる事が出来ない私に、二人は甲斐甲斐しく口移しで水や薬を飲ませていた。
私も別に死ぬつもりはない。水くらいは飲みたかった。
ただこの方法では、既に子供達にうつってしまっているのだろう。
この方法でなくとも、きっとあの夜から。
幾度も重ねられる子桓様とは違う唇。
口移しの度に、私は無意識に敷布を握り締めていたように思う。
言葉で蔑む事はいくらでも出来たが、敢えてこの子達を傷付けようとは思わなかった。
私を慕っていると解っている子供達に私が、
赦さない、死ね、と言えばこの子達は自ら命を絶ち兼ねない。
あの夜の行為は、両刃の剣だった。
もう大丈夫だ、と。
きっと直ぐに慣れる、と言い聞かせ自分を無理矢理納得させた。
漸く父上の熱が下がり始めた。
体も少しは起こせるようになり、食事も少量だが食べてくれるようになった。
粥を食べてくれた時、心の底から安堵した。
もしかしたら、この人はこのまま死ぬつもりなのではないか…と危惧していたからだ。
私達が父上にした行為が赦されるとは思っていない。
父上の病が治まったら、罪に対し罰を受けよう…と昭と二人で話していた。
もう口移す必要はないだろう。
そう思うと何処か寂しかったが、そもそも私はこの人に口付けをする資格がない。
口移さなければ父上が何も口にしない、と言い訳をつけて父上の唇を奪っていたように思う。
枕を重ねて、布団に脚を入れたまま父上は寝台に腰かけていた。
今日は私が傍にいる日だ。
感染症ゆえ、開けることの出来ない格子を父上は何処か淋しそうに見つめていた。
その視界には入らぬよう、父上の首筋に触れ熱を計る。
漸く、微熱と言えるまで熱が下がったようだ。
父上の首の後ろに冷やした布巾をそっと置いた。
「………師」
「!…っは、い」
幾日ぶりか、父上に名を呼ばれ心臓が痛い。
父上と視線を合わせる。
特に感情のこもっていない瞳だった。
「昭も此処へ呼んでこい」
「…畏まりました」
父上から放たれる静かな殺気が恐ろしい。
その父上の横顔は氷のように冷たく、美しかった。
別室に居た昭を呼びに行く。
「…父上がお呼びだ」
「えっ…?」
父上の事を話すと、昭も覚悟を決めたかのように内心怯えながら父上の元に戻った。
父上の御前、片膝をついて頭を下げる。
今、父上と何を話せばよいのか解らないのだ。
「もっと、近くへ来い」
少し気だるさを含めた言い方で、父上は我等を手招いた。
遠慮がちに寝台に膝を付き近付く。
それでもまだ遠いのか、父上は我等の首元を掴む。
「…っ!?」
「?!」
私と昭それぞれを片腕に抱き留め、後頭部に触れられる。
父上の右肩に埋まり、左肩に埋まる昭と視線を合わせた。
「…馬鹿者どもめ、何だこの熱は」
「あ…」
「薬は飲んでいるのだろうな?私の事はもう良い。お前達二人とも、寝台で休め」
「父上…」
私達の額にそれぞれ触れて、父上は溜息を吐いた。
私達は動けない事をいい事に父上を凌辱し、病を貰った。
無論、自業自得だ。
何よりも父上の容態を最優先にしていたので、自らの発症に気が付いていなかった。
思えば確かに酷い頭痛と動悸がしていたが、是れ
は罪悪感や背徳感から来るものなのだと思っていた。
父上からの思いがけない言葉に視界が潤む。
私は赦されるとは思ってはいない。
またこのように触れられるとも思ってはいなかった。
昭は堪えられなかったのか、既にぽろぽろと涙を零していた。
頬に触れる父上の優しい手に擦り寄るように昭は泣いていた。
「…泣き虫だな、昭は」
「だっ…て、俺…父上に」
「ふん…。過ぎた事などどうでも」
「…嘘です。だってまだ…こんなに震えていらっしゃるのに」
頬に触れる父上の手は優しく温かいが、確かに震えていた。
父上は私から目を反らす。
「…罰を受けます。曹丕様に、話します」
「親より先に死ぬ気か」
「…親不孝、ではありますが…。
我等は其れ以上にあなたに酷い仕打ちをしました。赦される訳がありません」
「罰は受けます…。でもひとつだけ言わせて下さい…父上の事は本気です」
「…もう良いわ、馬鹿息子どもめ」
いつの間にか頬を涙が伝っていたのか、其れを父上が拭った。
「随分と、警備が手薄ではないか」
背後から聞こえたその声が誰なのか、瞬時に理解し息を止めた。
かつかつと近付いて来る足音に、生きた心地がしない。
無論抵抗するつもりはないが、今はとにかく怖かった。
「退け」
背中で聞いたその声には、多少なりとも怒気が混じっている。
涙を拭って父上に一礼をし、寝台から離れた。
振り返り、直ぐ背後にいた曹丕様に深く頭を下げて部屋の扉の前まで兄上と下がる。
「…幾分久しい」
「…なりませぬ。子桓様、どうかまだ…私には触れられませぬよう。私も子供達も未だ」
「これを飲め。命令だ」
父上は曹丕様のお姿を見て少しだけ嬉しそうな顔をしたが、直ぐに下を向いた。
曹丕様が父上に紅がかかった半透明の液体が入った瓶を投げる。
父上は其れを受け取り、首を傾げた。
「先に与えた粉薬よりも速効性がある。眠くはならん」
「是れは…どうしたのですか」
「医師に新たに作らせた。兵にも民にも配っている新薬だ。液体の方が良いらしい」
「それでは…子桓様は」
父上が眉を寄せ、瓶を握り締めながら曹丕様を見上げた。
兄上が目を閉じる。
「もう、大事ない。それにあの病は、一度かかってしまえば二度目は多少耐性がつく」
「…左様でしたか」
父上が安堵し、胸を撫で下ろした。
寝台に片膝をついて、父上の額に曹丕様が触れる。
「…まだ、熱いな」
「はい」
「師、昭」
曹丕様が俺達に振り向くが、視線は合わせなかった。
胸元から父上に渡した瓶よりは少し小さい瓶をそれぞれ投げて渡す。
「其れを飲んでとっとと寝ろ。私は仲達に用がある」
「…御意」
曹丕様は我等を一度も見なかった。
兄上に伴い、部屋を出て各々の部屋に戻る。
父上より何より曹丕様が恐ろしかった。
額は未だ熱い。頬も、唇も。
寝台を出ようとする仲達を制し、顎を掴み上を向かせた。
仲達は小さく首を横に振る。
「なりませぬ…私は未だ」
「二度目はない」
「ですが…」
「感染症の話だけではない」
「…っ」
「早く、私にお前を抱かせろ」
仲達に漸く触れられた。
唇を合わせ、深く深く舌を絡ませると唾液が仲達の唇の端を伝った。
それでも足りぬと背中にまで腕を回し、仲達を強く抱き締めた。
「…子桓様、痛い…」
「……。」
「子桓様、…子桓、さ…」
仲達が私の裾を握っている。
その手は小さく震えていた。
泣きたいのなら、泣けばいい。私はその為に来たのだ。
この私の前で何を我慢しているのだ、お前は。
少し力を緩めて顔が見れるよう、寝台に座り向かい合うように座る。
近くに置いてあった杯を取り、瓶から薬を移して仲達に渡した。
「飲め。話は其れからだ」
「はい…」
余り美味いものではない、と一言付け加えると仲達は目を瞑り一気に飲み干した。
空になった杯に直ぐに水を入れ、仲達の口元に当て飲ませる。
「…ありがとうございます」
「少しは楽になる」
最大限、仲達を気遣い接した。
数日ぶりに見た仲達は、ただでさえ細身であるのに更にやつれたように思う。
私の姿を見た時、仲達の瞳には僅かではあるが怖れが混じっていた。
私をそのような瞳で見る仲達は初めて見た。
何かあった。
そんな事は解っている。
何か、もだいたい予想がついた。
仲達だけが貰っていったはずの病が、子供達にもうつっているという事はそういう事なのだろう。
この怯え方を見れば、恐らく仲達は…。
言葉にして仲達に伝えたら、きっと思い出してしまうだろう。
言葉にはしなかった。
努めて平静に、仲達の傍に座る。
「…葡萄をな、持ってきた」
「葡萄?」
「食事は、しているか?」
「…多少なりとも」
「その返答では、殆ど食べていないな」
布に包み、一房ではあるが葡萄を持ってきた。
私が病床の間、臣下からやたらと貰った物だ。
「これなら少しは」
「…ふ、貴方の好物なのだから貴方がお食べなさい」
「良い。お前に食べてほしい」
確かに葡萄は私の好物だが、私の好きなものの最上位は目の前にいる私の恋人だ。
葡萄の皮を剥き、唇に当てると仲達は戸惑いながらも目を閉じて口に含む。
やはり睫毛は長く、肌は白く、仲達は女と見紛う程に美しかった。
少し安堵し、次は口付けるように私の唇から仲達へ葡萄を口移す。
幾度か繰り返すと、仲達は息を少しだけ乱して自分から求めるように私に口付ける。
既に葡萄はない。
仲達の口から葡萄を奪って食べると、仲達はふ…と笑った。
「美味であった」
「はい」
「…火照っているな?」
「あなたのせいです」
私にしがみつくように胸に埋まっていた仲達の腰を撫で、徐々に下へと触れ下穿きを脱がさず触れた。
仲達は平静を装いつつも、何処か怯えているように見える。
私に気を使わせまいと平静を装っているのだろうが、
先程からずっと私の裾を握り締めるその手を見れば、
如何に仲達が無理をしているかなど掌握できた。
押し倒す事はせず、先ずは精一杯抱き締めてやろうと仲達の腰を掴み私の膝の上に乗せた。
私より少し高い目線にいる仲達に下から口付けながら、火照る体を撫で中心に触れた。
竦む体に、やはり、と確信を得る。
私と幾度も交わっている筈の仲達が私を見ない。
仲達は故意に視線を反らす。
両頬を掌で包み込み、私と視線を合わせるよう見つめた。
「っ…」
「言わずとも良い」
「…私」
「何があっても、私がお前を嫌う事はない」
「……」
「傍に居てやれず、お前を独りにした事を後悔している。私が悪い。恨むなら私を」
「…仰る意味が、解りかねます」
私の言葉を聞く度に、仲達から涙が零れた。
私の前でずっと堪えていたのか、その涙は止まる気配がなかった。
「お前は何も悪くない」
「…子桓様に」
「うん?」
仲達の涙は頬を伝う。その頬に口付けるように涙を舐めとった。
ぽろぽろ零れる涙を自分の指でも拭いながら仲達は言葉を続けた。
「私が、貴方に嫌われたら…と」
「有り得ぬ。考えられぬ事だ」
「…それだけが、不安で」
「余計な心配だな。もっと他にあるだろうに」
「…ありません。私には貴方が全てです」
仲達は己に起きた出来事を悲観していた訳ではなかった。
慰めようとしていた私が馬鹿だった。
此奴は、私に嫌われまいかと、それだけが一番怖かったのだ。
全て、と仲達は真っ直ぐな瞳で私を見つめてそう言い切った。
愛しくて、愛しくて、言葉が詰まった。
どうしてこれを嫌いになれると言うのだ。
「…仲達」
「はい」
「お前を、抱きたい」
「…はい、抱いて下さい…子桓様」
「ん」
仲達の頬を撫で、頬と唇に口付けゆっくりと寝台に押し倒した。