「…仲達…」
我が身に何か起きた時。
国よりも何よりも先に仲達を思い描いた事に、皇帝としてどうなのかと苦笑する。
縮む己の体。
袖が余り、手が出ない。
原因は何となくわかっているが、小休憩と言って暫く執務室を仲達ひとりにしている事を思い出す。
「…あるきにくいな」
丈が足りない裾を引きずりながら、何とか仲達の居る執務室へ向かった。
小休憩と行って陛下が執務室を留守にして小一時間。
どうせ葡萄でも食べているのだろうが、直ぐに戻ってくるだろうと思いそのまま執務を続けた。
小さく扉を叩く音がする。
気のせいか、と思っていたが確かに聞こえる。
「……?」
扉を開けたが、誰もいない。
「ちゅーたつ」
子供の声がした。
幼い頃のあの方によく似た声。
いや、そんな馬鹿な。
疲れているのだろうと思い扉を閉めようとしたら扉が閉まらない。
何かと思い、足元を見た。
「ちゅーたつ」
目の前の光景に暫し頭を抱えて、一度否定し、もう一度よく見た。
確かに見覚えのある幼子。
着ている服にも見覚えがある。
まさかとは思ったが、残念ながら夢ではないらしい。
「!!!?…子桓様?」
「どうした、ちゅーたつ」
「どうしたも何も何故そのようなお姿に?」
「こどもになってしまったらしい」
「解りたくありませんが、見れば解ります。と言いますか…ああ、やはり子桓様なのですね」
膝をついて目の前の幼子に向かい合った。
記憶にある面影、若君で在らせられた時を思い出す。
着ている服は確かに陛下の御召し物で、袖が余っているあたり本人なのだろうと溜息をついた。
「しかし子桓様、何故そのようなお姿に…随分とお可愛いらし…いえ、何でもありません」
思わず口に出た言葉を慌てて撤回した。
どうにも幼子には弱い。
「しらぬ。
しょうしょう きゅうけいをして
ふしぎないろをした のみものが あったから のんだのだ。
そのせいかもしれぬ」
あからさまにそれのせいでしょう、と内心ツッコみつつうなだれた。
舌ったらずで話す幼い我が君が何とも可愛らしい。
「ああもう、何故得体の知れないものを…。
とりあえず服の丈が合いませぬ。着替えましょう」
裾を引きずり歩いて来たであろうことを考慮し、そのまま子桓様を抱き上げた。
本当に子供の姿になってしまったようで、子桓様は私の胸にすっぽりと収まった。
「そうだ…なっ…ちゅ、ちゅーたつ、なぜ だっこするのだ。
ふくはよごれるが ひとりで あるける」
「いけません。転んだりしたら大変でしょう。
確か…昔の子桓様の服が何処かにあったような…」
以前使用していた服がまだ何処かにあったはずだ。
「む…しかたないか。
そうこにいけば むかしのふくも みつかるだろう」
何にせよ、元の姿に戻られるまでは私が何とかしなくてはならない。
幼い我が君を胸に抱いた。
倉庫に到着し、椅子の上に下ろされる。
暫しお待ち下さい、と仲達は駆け足で倉庫を散策し、何着か子供用の服を見つけたようだった。
何れも幼い頃に私が着ていた服だと記憶している。
よく覚えているものだ、と半ば感心した。
再び仲達に担ぎあげられ、胸に埋まった。
細い体、何だかいい匂いがする。
「私の部屋で着替えましょう」
「まさか ちゅーたつに だっこされるひが こようとはな」
「ええ全く。
まさかまたこのように貴方を抱き上げることになるとは思いませんでした」
仲達に抱き上げられて移動する様子はさながら親子のようで、以前の主従であった姿はなりを潜めた。
仲達の部屋に着き、着替えさせてもらう。
緩めの袖が長く、白と藍が際立つ。
着替えが終わり、どこかおかしいところはないかと聞けば、貴方が小さくなられたことくらいです、と淡々と仲達は答えた。
「少し、懐かしいですね」
手を繋いで回廊を歩く。
仲達の手は温かく、優しかった。
かつての、仲達が教育係であった時の頃を思い出す。
昔も今も、この温もりは変わらない。
「しかし しつむは どうするべきか。
このからだでは じ も おもうようには かけんだろう」
「まず卓の高さが足りぬかと。
私の膝の上で良ければどうぞ。執務は私が補佐致しましょう」
執務室に戻った。
床に座れば高さが足りない。
「ちゅーたつのひざか。あたたかそうだな。
おまえがほさしてくれるなら こころづよいというものだ」
仲達に膝の上に座る事を許された。
男のくせに随分と雰囲気が柔らかい。私の前なのだから当然だろうと鼻を鳴らしたら仲達が小さく笑った。
「小さくなられても、子桓様は子桓様の御様子で」
「とうぜんだ。
そしてちゅーたつもいるから あんしんなのだ」
下から仲達を見上げれば嬉しそうに笑った。
普段このように笑わぬくせに。
頭を撫でられて心地良い。
「私がお護り致しましょう。何とかして戻る方法を探らねば」
「そんなにいそがなくてもよい。
すこし このすがたを たのしみたいとおもうのでな」
「悠長な事を」
「いまのところ いたれりつくせり なのでな」
こんなに仲達を独り占め出来る事は早々ない。
書き辛そうだと、子桓様の筆を取り上げ私が後ろから書簡に文字を書いていく。
押印をお任せして、執務を片していく。
「さすがにこのようにちいさくなると ふだんかるがるともてるものも おもくなるな」
「不自由とあらば私が補佐致しましょう…その、我が君」
「なんだ よそよそしいな ちゅーたつ」
「昔を思い出しました」
あの頃を。
まだ魏は国として幼く、数々の名将が存命だったあの時代。
貴方が未だ小さな王子様だった頃のお話。
書記官から、前触れもなく教育係に推され、貴方と過ごす慌ただしい日々。
今や魏国の皇帝で在られる貴方との遠い日々。
「…ちちやおじうえが ぞんめいのときだな。
おまえはよく きをつかってくれていた」
下から子桓様に見つめられる。
あの日の王子様が帰って来たような錯覚を覚える。
「今も、そしてこれからもお傍におります」
子桓様に誓って、頭を下げた。
すとん、と私の膝から下りられる。
少し名残惜しい。
「せわをかけるな ちゅーたつ。
しょうしょう きゅうけいする」
「はい。行ってらっしゃいませ」
ぱたぱたと執務室を出ていく小さな子桓様を見送り、執務を続けた。
あのような体で余り遠くに行かれないといいのだが。
中庭についた。
日和がよく、眠くなる。
少し執務を手伝っただけで、こんなにも疲れるとは不便で仕方ない。
眠い。
木陰に腰を下ろした。
そよそよと風が心地好い。
どれくらいそうしていたのか。
いつの間にか眠ってしまったらしく日が傾いている事に気付く。
「陛下、曹丕様…子桓様っ」
遠くから、私を呼ぶ仲達の声がした。
声色からして、長く小休憩から帰らなかったので、どうやら心配をさせてしまったらしい。
「ちゅーたつ ちゅーたつ こちらだ」
仲達が行ってしまう。
慌てて走り、駆け寄り仲達の背中から腰の当たりに埋まった。
一度びくっ、と驚きはしたものの仲達は安堵したように振り返り、膝をついて私を胸に埋めた。
「ああ、ようやくお会い出来ました…お帰りなさいませ」
抱きしめられて頭を撫でられる。
遠い記憶にも、仲達にこうして抱きしめられていた思い出がある。
かなり心配をかけてしまったらしく、仲達に手を握られる。
それをいいことに仲達を自分の部屋に連れ込んだ。
「そいね しろ」
寝台に座り、命じれば仲達は困ったように頭を抱えた。
「子桓様の部屋で…ですか」
「なんだ」
「いえ、その、一晩共に過ごすと言うことで…」
いつも子桓様に許容される『添い寝』の意味が過ぎった。
いや、このような姿でそんなことは出来ないと自問自答し頭を振った。
「わたしのへやだと なにかもんだいがあるのか」
「いえ、その」
「なにをそんなに うろたえているのだ?
たかが そいねするだけであろう」
「ですから、いつも、その」
「なんだ どうしたというのだ ちゅーたつ」
「いつも添い寝される時は…その…い、言わせないで下さい」
その遠回しな言い方でようやく通じたのか、子桓様がにやりと笑った。
私は直接的な言葉は口に出来ない。
「なんだ はずかしいのか。 だが きょうは はずかしくなかろう?
このような すがたをしているからな」
何もせぬ、と子桓様が言うと手を差し出されたので寝間着に着替えられるのを手伝った。
「そのお姿なら私に触れられぬでしょうし」
「なんだ やましいことを かんがえていたのか」
あなたにだけは言われたくない、と思いながら寝間着に袖を通した。
小さくなられた子桓様に寝台に引っ張られて、まるで定位置だとでも言うように私の胸の中に収まった。
その小さな我が君の髪を撫でる。
「おやすみなさいませ」
「おやすみ」
やはりどこと無く疲れていたのか、子桓様は直ぐにとろとろと眠りについた。
まだ早い時刻なので、暫く私は眠る気にはなれず。
片腕は子桓様の枕にされているので動かす事も出来ず、寝顔をぼんやりと眺めていた。
たまに髪を撫でたり、ぽんぽんと背中を叩いたりすると嬉しそうに子桓様は私に擦り寄った。
半ば起きているのではないのかと思ったが、そうではないらしい。
小さくなられても子桓様は子桓様のままで、幼少期の幸せな時を思い出した。
「う…ん ちゅーたつ…」
私の夢でも見ているのか、不意に字を呼ばれた。
頬を撫でてやるとくすぐったそうに笑った。
「此処におりますよ」
寝言と会話をするのは良くないと聞くが、あまりにも何かを探すように動かれるのでぎゅっと優しく抱きしめた。
落ち着いたのか、小さな子桓様は私の服の裾を握りしめた。
「ちゅーたつ……ん……いっしょう…そばに」
子桓様からの変わらぬ想いに、ふ…と笑い頬に口づけた。
「心得ております、我が君」
子桓様の想いに応えると、また大人しくすやすやと眠られたようだった。
子供の体温に当てられて何だか私も眠くなってきた。
正直、いつ戻られるのだろうと不安ではある。
だが小さな子桓様も可愛らしい、などと少し考えながら眠りについた。