私達わたしたち大切たいせつひと 03(春懿END)

私や子供達に見せる笑顔とは違う。
旦那様は眠っている曹丕様を見つめながら、幸せそうに笑っていた。

師や昭の出て行った寝室に、旦那様は曹丕様に寄り添うように寝台に足を崩して座っている。
扉に背を向けているのできっと私には気付いていない。


飲茶が出来たので呼びにきたのだけれど、少し脅かしてみたい。
そっと旦那様の背後に回り顔を覗き込む。
驚くかと思えば、旦那様は神妙な面持ちで曹丕様の胸に手を置き俯いていた。
泣いているようにも見える。

見れば、旦那様が触れている曹丕様の胸元の包帯にはじんわりと血が滲んでいた。


驚かすのは止めて、旦那様を背中から強く抱き締めるようにして胸に埋めた。
私に気付いた旦那様が振り向いて、胸に埋まる。

「どうしたの?旦那様」
「…、何でもない」
「嘘。そんな泣きそうなお顔をしていらして」
「…ったの、だ…」
「なぁに?聞こえないわ」

私の胸に埋まる旦那様を慰めるように優しく背中を撫でると、旦那様はぽつりぽつりと小さな声で語り始めた。

このような曹丕様の血を見るのも触れるのも、長年連れ添っていると言うのに初めてだと言う。
動揺し、不安になり、心配で心配で堪らなかったと旦那様は仰った。
少しでも目を離した内に
曹丕様の容態が悪化しやしないかと、本当にこのところ眠れていなかったと旦那様は話す。


漸く眠れたが、今も心配で堪らない。
溜息混じりにそう語る旦那様のお顔はまるで…。

「旦那様が曹丕様の恋人みたいね?」
「なっ、ばっ、馬鹿めが!そんな訳なかろう!私は男だ!」
「でも、本当の事、でしょう?」
「っ、違う。曹丕様は私の主と言うだけで」
「素直になりなさい旦那様。私、全部知ってるの。曹丕様と沢山お話ししたわ」
「?!」

思い切って話してみると、やはり旦那様だけが解っていなかった。
曹丕様と関係を私が全て知っている事を話すと、
旦那様は打ちのめされたような顔をして暫く上を向いてくれなかった。

私に怒られると思っているのかもしれない。
旦那様の両頬を包み、上を向かせた。

「旦那様。私、怒っていないわ。悲しくもないの。ただね…」
「ただ…?」
「旦那様が可愛らしくて…、私も曹丕様みたいにあなたを抱いてみたいわ」
「なっ!?」

顔を真っ赤にして眉を下げ困惑している旦那様の額に口付けた。
旦那様は少し溜息を吐いて、私の胸に再び埋まる。





随分と安堵しているようなその様子に、今度は私が首を傾げる。

「ふふ。私に怒られると思って?」
「いや…」
「あら」
「お前に…、嫌われるかと思い…、怖かった」
「!」

予想外の返答に今度は私が赤面した。
旦那様も口ごもり下を向いている。
なかなか思いを言葉にして伝えてくれない旦那様にしては、よく言って下さったと。
感動すらして強く胸に抱き締めて笑う。

「旦那様?」
「な、何だ」
「私の事が好きなの?」
「…こ、答えるまでもなかろう」
「嫌よ。答えて?」
「っ…、あ、愛しているに、決まっているではないか…」

旦那様は私の肩口に埋まるも、腰に腕を回して私を強く抱き締めて下さった。
お返しに旦那様に抱き締められたまま寝台に押し倒す。
旦那様の伏し目がちな瞳が私に向けられて、睫毛が長いのがよく解る。

眉を下げて少し困り顔の旦那様を撫でて笑う。

「…可愛らしい人ね」
「か、可愛いとか言うな…」
「曹丕様の気持ちがよく解るわ。旦那様は可愛らしいもの」
「や、やめんか」
「お前達、私が居るのを忘れているだろう」
「!!」
「忘れていましたわ」

気付けば曹丕様が頬に肘を付いて、私達を呆れ顔で見ていた。




少し欠伸をして曹丕様は体を起こし、私から離れて狼狽する旦那様の肩口に凭れ再び目を閉じた。

「御加減が…」
「ああ、少し傷が開いた」
「子桓様…っ」
「大事ない。仲達」

皆まで言わずとも旦那様と曹丕様は通じているようで、旦那様が曹丕様の身を案じて眉を寄せる。

「医師を…」
「いや、客人の私が司馬家にこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかないだろう」
「迷惑、など」
「それにお前達を見ていたら、甄に会いたくなった」
「甄姫様に?」
「あれも淋しがりやだからな」

ふ、と曹丕様は笑って寝台に腰を掛けた。
旦那様と私は寝台を下りて、曹丕様のお召し替えを手伝う。

「なれば、お迎えを呼びましょう」
「甄を、か」
「はい。それまで飲茶を召し上がって。師と昭が待っています」
「そうか。なれば馳走になろう」
「はい…」
「…仲達、来い」
「?」

お召し替えを終えて、曹丕様は立ち上がり旦那様を引き寄せて胸に埋めた。
曹丕様は私に一度目線を合わせ、旦那様の唇を指でなぞる。

「別に、構いませんわ」
「?」
「礼を言う」

曹丕様は旦那様に口付けたいらしい。
別に貴方様のものでしょう?と笑うと、曹丕様は苦笑して旦那様に目線を合わせて少し屈んだ。
曹丕様はきっと、旦那様を目に入れても痛くないくらい可愛がっていて、とても愛していらっしゃる。

流石の旦那様も口付けられる雰囲気は解るみたいで、少しびくっと震えて私に振り返った。

「…もう、良いって言ったでしょう?」
「!?」

旦那様の背中を押して曹丕様に口付けさせると、曹丕様が旦那様を捕まえて離さなかった。
今頃頬を染めて可愛らしい顔をしているに違いない。
曹丕様の背後に回って屈み、旦那様の顔を覗くと案の定だった。



「いちゃいちゃしてるところ非常に申し上げ難いんですけど、
 肉まんのお預け食らってる兄上が泣きそうなんで早く来て下さいね~」
「あら子上。飲茶ね。そうね。子元の大好物だものね」
「今行く」

旦那様と曹丕様を呼びに行った私が遅いものだから、子上が呼びに来たらしい。
曹丕様が旦那様の手を引いて、旦那様は静かに後ろを歩く。



微笑ましいこと、と笑っていたら旦那様が私の手を取った。
旦那様から手を繋いでくれた。

「…ふふ」
「な、なんだ」
「愛しているわ」
「なっ、何を突然…」

旦那様に指を絡めるようにして手を繋ぎ、子上に続いて居間に向かった。
肉まんの蒸籠を前にしてうなだれる子元を旦那様が宥めて謝り、
曹丕様と旦那様と子供達と一緒に飲茶を食べた。

私の愛しい人達。
お茶を飲みながら皆の顔を見て笑う。




子元と子上が後片付けをしてくれると言ってくれたので、二人の気遣いに甘えて大人三人でお茶をしていた。
今が乱世である事を忘れてしまうかのようなひと時にずっと微睡んでいたいと思いながら、旦那様の顔を見つめる。

私の視線に気付いた旦那様が少し伏し目がちに私を見つめて、目を逸らした。
旦那様はやはり直視されるのが苦手のよう。

「…飼い慣らされていない猫みたいね」
「猫?」
「…ああ。それが良いのではないか」
「ふふ。惚れた者の負けよ曹丕様」
「そなたはどうなのだ」
「勿論、私の負け」
「先程から何の話を?」
「ふふ。旦那様が可愛らしいって曹丕様と話しているの」
「っ、止めて下さい」

旦那様が頬を染めて顔を逸らした。



暫くすると甄姫様が曹丕様を迎えにいらした。
少しだけ四人でお茶をして、旦那様と共に深く頭を下げてお二人を見送った。

「我が君を看て下さって感謝します。お二人に何か御礼がしたいわ」
「いえ…、そんな、私は何も」

甄姫様が頭を下げるも至極旦那様は申し訳なさそうにしていた。
去りゆく曹丕様も、お見送りの旦那様も何処か寂しそうに笑う。

「お前も暫く休め。執務は気にするな。倒れられては適わん」
「はい…。曹丕様もお大事に…」
「ああ。また、な」
「はい…。また」

甄姫様に手を引かれて、曹丕様は馬車に乗り去っていった。




旦那様の淋しそうな横顔に口付けて、腕を組む。

「何、だ」
「旦那様、淋しいの?」
「べ、別に淋しくなどないわ」
「ふふ。旦那様、私といちゃいちゃしましょ?」
「は?」
「私だって旦那様に甘えたいの。旦那様が淋しくないように…ね?」

旦那様の頬に口付けて腕を組んで歩く。
手を繋ぐと、旦那様から指を絡めてくれた。
嬉しくて力を込めて握る。

「私が好きなら、一緒に居て下さる?」
「…私は、お前を蔑ろにしたつもりはないのだが」
「旦那様。ちゃんと、好きって言葉で言って?」
「春華、す…好きに、決まっているではないか」
「ふふ。今は私だけ見て?」
「う、うむ」

旦那様が私の手を引いて、屋敷の中に戻った。



扉を開けると玄関で子元と子上が出迎える。
私達の腕を組んだ姿を見て子元も子上も珍しそうな顔をした。

「父上?」
「…春華と二人きりにしてくれぬか」
「旦那様といちゃいちゃしたいの」
「し、春華っ」
「だから、二人ともいい子にしててね?旦那様はまだ本調子ではないの」
「はぁ…解りました」
「はは、ごゆっくりどうぞ」

子元は少し淋しそうに、子上は少し笑いを堪えながら私達を見送った。

子供達と別れるなり、旦那様の手を引っ張って寝室に走り旦那様を寝台に押し倒す。
流石に慌てふためいた旦那様が私の肩を叩いた。

「ま、待て待て待て待て!待ってくれ!」
「なぁに?」
「昼間っから何して」
「あら、そんな事しないわ」
「っ、春華」
「ふふ。旦那様もまだ寝ていなくちゃ駄目よ」

まだ寝不足だろうし、脚が張っているのも解っていたし、先程触れた手も何処か荒れていらした。
旦那様は私が見ていないところでいつも無理をして、そしていつも曹丕様に心配をされているのだろう。
私は余り口で言わないけれど、やっぱり心配でたまらない。

せっかく頂いた長いお休み。
旦那様をきちんとゆっくり休ませてあげようと、寝台に寝かせてきちんとしていた身形を緩めて服を脱がす。
子供達は旦那様が大好きだし、旦那様も子供達には甘いから少し私が意地悪をして遠ざけた。

楽な格好にして髪紐も解いた旦那様を寝かせるも、旦那様の手が私の髪に伸びた。

「何かしら?」
「簪を取れ」
「何故?」
「い、いいから」

旦那様は私の簪を取り、肩にかけていた上着も取られてしまった。
首を傾げていると旦那様が腕を引っ張り、私を旦那様の腕の中に埋めた。
どうやら私を抱き締めたかったみたい。

旦那様の匂いがする胸に埋まって笑う。

「旦那様もいちゃいちゃしたいの?」
「っ…、少し眠るだけだ…」
「瞼、腫れてるわ」

旦那様の瞼を撫でていると、旦那様がとても気持ちよさそうに目を閉じた。
寝息のように吐息を吐いて、旦那様は目を閉じた。

「…離してくれないの?」
「離さぬ」
「ふふ。甘えているの?」
「たまには…許してくれ」
「いいわ。許してあげる」

唇に口付けると旦那様が私を胸に埋めて目を閉じた。
旦那様の手がとても温かい。


口では強気、悪態を吐いて口が悪い人だけれど…本当は人一倍優しい人なのを私は知っている。
故に、軍師になど…本当になれるのだか。








どろどろした人間関係が嫌だ。
子供達を戦場に立たせたくない。
出世などどうでもいい。
そもそも乱世に関わりたくない。
家族で平和に暮らしたい。

旦那様は出仕前、この乱世において甘い事ばかり言っていた。


曹丕様に仕えるようになってから、少しは変わったのだろうか。
きっと旦那様は曹丕様にも甘いのだろう。
甘えられているに違いない。





眠そうな声で、旦那様が私の背中に腕を回した。

「春華…」
「なぁに?旦那様」
「明日は二人で…何処かに行こう」
「あら?何処かって?」
「洛陽…などどうか」
「…何かあって?」
「戦に行く前に…故郷の古都をお前と見ておきたい」
「いいわ。行きましょう。二人きりかしら?」
「二人きりだ…。私にお前を護らせてくれ」

旦那様は私の手を握り、頬に口付けをした。
唐突な旦那様からの口付けに驚いて、頬が熱い。

本当にたまにだけれど、旦那様は私の胸を打つ言葉を言ってくれる。
だから私は何があっても、旦那様に救われる。
旦那様の何気ない一言に私は今までどれだけ救われてきた事だろう。
きっと旦那様はそんなつもりはないのだろうけれど。

だから、旦那様が曹丕様を好いていようと愛していようと。
私は絶対に旦那様を嫌いになったりはしない。

「…他の女だったら、殺してしまうかも」
「何だ急に、物騒な…」
「何でもないわ」

考えていた事がいつの間にか声に出ていて旦那様が目を開けていた。
旦那様の髪を撫でて、頬に口付ける。


「旦那様…、私より先に死んじゃ駄目よ?」
「何だ、突然」
「ふふ。私は意地悪だから、きっと旦那様を置いて逝っちゃうわ」
「…淋しい事を言うな、春華」
「なら、生きて。戦場から絶対に帰ってきて。
 私が家を護るわ。旦那様は何も気にしなくていいの」
「解った。善処しよう」
「善処?嫌よ、約束して」
「…なれば、約束だ」
「約束よ。旦那様の武力が足りないのなら私も行くわ」
「な、何だと…」
「ちょっと本気よ。いずれね」

旦那様の頬を撫でて、私の胸に埋めた。
瞼の腫れている旦那様の髪を撫でて、抱き締める。





「大好きよ、仲達様」
「…っ、私もだ。春華」

滅多に呼ばない字を呼んで旦那様に甘えるようにして目を閉じた。


TOP