私達わたしたち大切たいせつひと 03(師懿・昭懿END)

懐かしい小さな頃の思い出。
俺も兄上もちっちゃくて。


夜中に帰ってくる父上が俺と兄上を抱き締めて頬に擦り寄り、寝かしつけてくれたのを今でも覚えている。
母上に、ちゃんと着替なさい、って小さな俺達を抱き締めた父上が怒られていたっけ。

子供の頃から、父上は家にいない事が多かった。
沢山ある父上の帽子を兄上と二人で被り、父上の真似をしたりして遊んでいた。

幼い子供の俺から見てもその当時、文官の父親ってのは周りから見て珍しかった。


「何で父上は帽子を被るの?」

いつものように父上が居ない、父上の部屋で。
兄上と父上の帽子の手入れをしながら、母上に聞いた事がある。

母上は父上の帽子を片付けながら笑って言った。

「旦那様の武器は剣じゃないの」
「?」
「旦那様の武器は知略。旦那様は嘘つきがお上手なの」
「父上は嘘つきなのですか?」
「まだ子元でも難しいかしら。でも必要のある嘘だわ」
「??」
「旦那様の嘘は言うなれば、護る為の嘘。
 旦那様はね…たくさん色々な事を考えているの。だから頭を守らなきゃいけないのよ」

母上が兄上と俺の頭を撫でながら、そう言っていた。
その当時の俺は、護る為の嘘なんてよく解らなかった。

父上の主、曹丕様は前線には立たないが剣を振るう将のひとりに他ならない。
父上は剣を持たず、前線にも立たない。

曹丕様の父君、曹操様は曹丕様以上の軍を率いて剣を振るう。
曹丕様が曹操様をどう思っているかは知らないけれど、
夏侯覇の親父さんみたいな武将の父親を憧れたりした頃もあった。


勇ましい訳でもないし、俺よりも小さい父親だけど背中は大きかった。
今では、父上は俺の父上で良かったと心から思える。
兄上は小さい頃からずっと父上にべったりだったから、ずぅっと父上の事が好きなんだろう。
父上に素直に伝えた事は少ないけれど、俺だって父上が子供の頃からずっと大好きだった。


その父上が軍師になると言う。
母上から聞いた。

異例の大抜擢とでも言うべきか、昇進とでも言えばいいのか。
筆より重い物を持った事がなさそうな細腕に軍師が務まるのか、心配になる。

戦場に立つと言う事は、殺されるかもしれないって事だ。



飲茶を食べた後、曹丕様を見送った父上が帰ってきた。
母上と兄上は買い物に出掛けていて、俺は留守番。
父上を出迎える為に玄関に走った。

「おかえりなさい」
「ただいま。春華と師は?」
「買い物です。俺は留守番」
「そうか」

少し欠伸をして、父上は台所に向かった。
飲茶を食べた後の片付けをするつもりらしく、袖を捲って髪を紐で結っている。

「茶でも飲むか、昭」
「いいですね。つかやりますよ」
「めんどくせ、ではないのか昭」
「いやいや。つかたまの休みなんですからゆっくりしたらいいのに」
「もう沢山ゆっくりさせてもらった。殿にも春華にも。師にも昭にも感謝している」

官服を脱いで、冠も脱いで楽な格好で父上は皆が食べた後の飲茶の食器を洗っていた。
そんなの侍女にやらせて下さいと、兄上ならそう言うだろう。
俺はそう言わずに、父上の横で皿を拭いていた。

たまには、父上と何気ない会話がしたい。
外では文官、遂には軍師。
曹丕様の側近で、母上の夫。父上には沢山の肩書きがある。
そして、俺のたったひとりの父上だ。
たまには親子がしたい。

「父上、手を出して」
「うん?」
「父上の手より大きくなったでしょう?」
「…本当だ」

俺よりも小さな白い細い手。
洗い物を終えて湯を沸かしている間、父上の手を握っていた。
父上の肩に埋まり額を付けていると、父上が頭を撫でてくれた。

「大きくなったな、昭」
「父上」
「うん?」
「俺、もうちょっと強くなりますね」
「ちょっと、か?」

父上が苦笑し、俺の頬を撫でた。
これでも兄上と一緒に剣を修練している身だ。
剣の腕なら父上に劣らず、兄上にも負けない。

「せめて父上と兄上を支えられるくらいには強くなりたいです」
「急にどうした?」
「何か、淋しくなったんです」

湯が沸いて、父上が茶を煎れる。
俺に振り向いた時、父上がまた頭を撫でてくれた。

「淋しい?」
「久しぶりに父上がいるから今は淋しくないです」
「なれば今日は…お前達とゆっくりする事にしよう」
「はいはい。ゆっくりまったり。たまには息抜きして下さい」
「ああ、久しぶりの休みだ」

玄関が開く音がした。
父上と顔を見合わせて、茶器を置く。

「昭、見てきてくれ」
「はーい」

玄関に行くと其処に居たのは、買い物の品を抱えて兄上が立っていた。

「おかえりなさい。あれ?母上は?」
「ただいま。母上は通りがかりの甄姫様に捕まってしまってな。
 お帰りは夜遅くなると仰っていたので、夕食は先に食べて下さいと」
「だって、父上」
「おかえり。師も茶をおあがり」
「ただいま戻りました。父上が煎れてくれたのですか?」
「ああ、たまにはな」
「嬉しいです。いただきます」

兄上が嬉しそうに父上の元に走る。
相変わらず父上が大好きなんだなぁって笑いながら、買い物の品を持って台所に戻った。

父上は椅子に座り、ふわりと笑って兄上を出迎えていた。
兄上の隣に座り、父上の茶を飲む。
今日は久しぶりにまったりと父上と過ごすつもりだ。




昭はどうやら父上のお手伝いをしていたらしい。
帰宅したら片付けようと思っていた飲茶の食器が、既に綺麗に洗われて片付けられていた。
侍女に任せれば良いものを、と私が言うと昭は、言うと思ったと言い笑う。

父上に勧められ茶をいただいた。
昭から話を聞くと、どうやら少し前に父上は曹丕様のお見送りから戻ってきたらしい。
それからずっと昭と話していたらしく、羨ましいと唇を尖らせて机に肘をついた。

「春華が帰らぬのであれば仕方あるまい。夕食は何にしようか」
「!」
「!」
「二人揃って何だその顔は」

昭と顔を見合わせて、父上を見た。
普段家に居ない為なかなか作ってくれないが、父上の料理は美味いという事を私と昭は解っていた。
父上が眉を寄せて溜息を吐く。

「父上が作ってくれるのですか?」
「春華がおらぬのであれば仕方なかろう」
「父上の料理美味いから好きです。上手いですよね」
「…八人兄弟の二男だからな。そうでなくとも父上は厳しい御方だった」

父上が御祖父様の話をするのは珍しく、常々厳しい方だったとは聞いている。
兄弟の面倒をよく見て、家事の手伝いもしていた為に料理くらいは訳ないと父上は仰った。

「なんつーか」
「うん?」
「美人で、頭良くて、家事も出来るとか完璧ですよね。俺、父上をお嫁さんにしたい」
「?!げほっ、ごほっ」
「父上、大丈夫ですか?」

昭の唐突な発言に父上は飲んでいた茶が噎せたらしく、背中を撫でた。
おさまったところで父上は昭の額をこつんと叩く。

「何を言い出すのだお前は」
「兄上もそう思いません?」
「昭、残念だが」
「ん?」
「昭とて父上は渡さぬ」
「?!げほっ」
「はは、そうきますか兄上」

割と真顔でそう言った後、再び噎せ込んでいる父上の背を撫でた。

私にとって父上は、天のようなもの。
父上が私の世界の全てだった。
それを言うと父上は、大袈裟だ、と言って苦笑する。

「兄上知ってます?俺も父上が大好きなんですよ。兄上には負けませんから!」
「私とて昭には負けぬ」
「何なのだお前達…恥ずかしいわ」

その場に居辛くなったのか、父上は頬を染めて台所へ向かってしまった。
頬に嬉しいと書いてあるお顔だった。
昭と顔を見合わせて笑う。今日は珍しく父上が家に居るのだ。

台所で物音がする。
父上が何かしているのだろうと思い、昭と台所に向かった。
どうやら母上が買った食材を見ているらしい。

「目が覚めてしまった。ふむ…豆と海老があるな」
「夕食は何です?」
「肉まん以外だな」
「何ですと…」
「そう毎日食べていられんわ。太るぞ師」
「う…、父上が…そう仰るのであれば…」

太るから止めろと言われているのであれば、他ならぬ父上の御言葉だ。従うしかあるまい。
父上には嫌われたくないので、少し落ち込みながらも了承した。
夕食の仕込みの手伝いをするべく、楽な格好に着替えに部屋を出た。


部屋から居間に戻ると、既に父上と昭が枝から豆を摘み終えて筋を取り除いているところだった。
めんどくせ、が口癖の昭が素直に父上に従っているなんて珍しい。

「昭」
「はい」
「何か企んでいるのか?」
「え?いや、別に?」
「お前は嘘が下手だな…」

昭の隣に座り、父上の支度を手伝う。
昭は明らかに手伝いの見返りを求めている顔だ。
父上とて昭の企みは見破っているのだろうが、大した事はないと踏んでいるのだろう。

他愛のない日常の話を三人でしながら、豆の下拵えを終えて水に浸ける。
三人でやれば下拵えはあっと言う間に終わった。
久しぶりに親子の関係で話せたような気がして、嬉しかった。
私は端から見ても分かりやすいくらい上機嫌だった。

父上が居るからだ。

「他には何かありますか?」
「海老の腸取りとか、か」
「私がやります」
「手伝いますよ兄上」
「うん?率先してどうした二人とも」
「塩揉みするのでしょう。父上の手が塩で痛んでしまいます」
「別に構わぬが」
「駄目です」
「嫌です」
「??」

昭と声を揃えるようにして父上を海老から遠ざけ、椅子に座らせた。
父上が脚を組んで座り、顎に手を当てて首を捻っている。

昭と手分けをして海老の下拵えを続けた。
父上が茶を飲みながらその様子を見ているのを見て、私から声をかけた。


「父上、御身をもう少し大切になされたら如何ですか?」
「別に粗末に扱っているつもりはないが…」
「これだから自覚のない美人は」
「は?」

私も昭も父上の自覚のなさに半ば呆れつつ、作業を続けた。
父上は本当に解っておられないようだ。

「貴方様の身ひとつ、指一本であれ…傷付いてしまったら、悲しみ怒る者が居るのです」
「そうだろうか」
「父上、少なくとも片手じゃ足らない人数ですよ?」
「そ、そうか…?」
「父上ってほんっと、鈍感ですよね」

皆、貴方様が大切なのです。
そう伝えると父上は少し申し訳なさそうに笑い、ありがとうと礼を言った。
本当に自覚のない人だ。


下拵えを終えると、私達の手は塩に負けて赤くなっていた。
父上が私と昭の手を見て立ち上がり、水桶を持って間に立った。

「父上?」
「手を」

私達の手を慈しむようにぬるま湯で洗い、布巾で拭って下さった。
袖から小さな軟膏を出し、父上御自らが私達の手に塗り手を握る。

「私とて、お前達が大切だ。傷付けられとうない」
「はい」
「…此度の辞令、曹操殿直々のお達しだ。断れそうにない。私はいずれ戦場に立つ」
「軍師、と…なられるのですね」
「せめてお前達の代までには、落ち着かせたいものだ。
 私はお前達まで戦場に立たせるつもりは…」

私達の手を握り締め、憂いに満ちた溜息を吐かれる。
ふと、向かいの昭が父上の頬に口付け抱き締めた。
父上も不意打ちに反応出来ず、固まっている。


昭の気持ちを解し、私も父上の頬に口付け手を握った。
並びに、曹丕様の想いもよく解った。

「なっ、何…」
「何か凄く、ちゅーしたくなりまして。あとぎゅうってしたくなりました」
「貴方様を護りたいと、心からそう思いました」
「っ…お前達の気持ちは受け取るが、不意にこのような事」
「じゃあ父上、唇にしても良いですか?」
「なっ?!」
「不意打ちは嫌なんでしょう?お手伝いの御褒美に、ちゅーさせて下さい」

薄々察してはいたが、昭の狙いはこれかと納得した。
手伝いの褒美とあらば、私にも褒美を貰う権利がある。

「私も口付けたいです」
「!?」
「兄上、俺が先ですよ」
「兄に譲る気はないのか、昭」
「こればっかりは兄上でも駄目です」

舌打ちをして拗ねていると昭が、兄上怖いと言いながら苦笑した。
父上を胸に埋めて、昭が父上の顎に手をかける。
慌てふためく父上を他所に昭はいつになく何処か冷静で、
父上に恋でもしているのかと思う程、父上に対し優しかった。

「ま、待て、私は許可していない!」
「大丈夫です。優しくしますから」
「そういう問題じゃ…っ、ん」

唇を合わせるその仕草から、本当に恋をしているのではないかと思った。
そして、私の心に沸々と湧き上がる感情は何なのだろう。
もしかしたら、私と昭も曹丕様や母上が抱く気持ちと同じなのかもしれない。

私達の大切な人。
昭との口付けを終えた父上に優しく口付けながら、強く抱き締めた。




兄上も同じ気持ちなんだろう。それ以上かもしれない。
父上を抱き締めて離さなかった。

父上が戦場に行かなければならないと知って、動揺していたのは俺だけじゃなかった。
曹丕様は止めたがっていたし、母上も嬉しそうな顔はしていない。

戦場で殺されるのかもしれない。
そう思うと父上を護りたい気持ちの方が勝って何かほおっておけなかった。
まだ初陣も果たしていない俺が言うのも何だけれど、早く大人になりたいと思う。


今日は久しぶりに父上が家にいる。
俺も兄上も、ずっと父上に触れていたかった。
その気持ちが通じたのかは解らないけれど、父上から手を伸ばして兄上と一緒に俺も抱き締めてくれた。

「…後で、饅頭でも作ろうか」
「はい。お手伝いしますよ」
「今晩のおかずですね」
「ふ…。また、褒美を寄越せと言うのであろう?」
「じゃあ、次の御褒美は…」
「待て昭。私から言わせてもらう」
「?はい」

父上がコホンとひとつ咳払いをして俺達を見上げた後、背中を向けた。

「たまには、一緒に寝よう。それで良いか」
「!」
「!っはい」
「今夜だけ、だからな。寝台が狭くなるわ」
「はい。子供の時以来で…本当に嬉しいです」

父上は照れくさそうにそう言って、書庫に向かって歩いて行った。
まだ夕食には早い。時間潰しに書庫で書物を読むつもりなのだろう。
兄上と共に父上の後ろに続いて、書庫に向かって歩いた。




「鴨の雛でもあるまいし…、何処にでも付いて来るでない」
「父上と話足りませぬ」
「だって、父上が家にいるの珍しいし」
「それは、その、…悪かった」

書庫で親子三人。
長椅子に凭れる父上の足元で、俺と兄上も書簡を読んでいた。

「今日の晩御飯は何です?」
「豆と海老の炒め物と、饅頭を」
「饅頭を作るのなら、生地は作りますよね…」
「…解った。肉まんも作れと言うのであろう?」
「御明察。さすが父上」
「師は本当に肉まんが好きよな…」
「兄上って、肉まんと父上をどっちが好きなんです?」
「それは究極の選択なので答えられない」
「何だそれは」

父上が笑いながら、足を伸ばして書簡を読む。
その足を揉んで差し上げたり、頭を撫でて貰ったり。
話を続けながらも父上はいくつか書簡を読破し、
親子の時間は気付けばあっという間に過ぎて、日はかなり傾いていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。
一日が短く感じた。



父上が作る夕食の手伝いをしながら、一時一時が幸せで堪らなかった。
きっとまた父上は暫く帰って来ないんだろう。
横で大きな肉まんを作っている兄上を見て笑いながら、俺はひとりで勝手に幸せだった。

父上が作った夕食を食べ終わり、食器も片して早々と湯浴みをして廊下を走る。
やっぱり父上が作ってくれた久しぶりの夕食は美味しかった。
先に湯浴みを終えて父上の膝で甘える兄上を他所に、俺も父上の寝台に寝転ぶ。
兄上は父上に髪を櫛でとかしてもらって、とても機嫌が良さそうに笑っていた。

「いいなぁ、兄上」
「ふふ」
「これ、昭。ちゃんと拭いて来い」
「これはわざとですし」
「わざと、だと?」
「父上に拭いてもらいたいの。解ります?」
「今日は何だお前たち…。全く、いくつになったと言うのだ」
「だって今日は父上が家にいるんですよー」
「特別な日ですから」
「わかったわかった。師、昭と交替だ」
「…む、仕方ないですね」

兄上と交替して、父上に髪を拭いてもらう。
父上は、額の形が母上にそっくりだと言いながら髪を拭いてくれた。
日は暮れたとはいえ、まだ母上は帰って来ないようだ。

「私は春華を待とう。お前たちは先に寝るがいい」
「じゃあ、何かお話して下さい」
「話とは?」
「んー。俺達の話がいいです」
「子供の頃の話、とか」
「そうだな…。なれば今宵は師と昭の話をしよう」


父上が話す俺と兄上の話を聞きながら、頭を撫でられて目を閉じた。


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