春華は、私が仲達に深く口付けているところを見ていたらしい。
子供達や他人様の前では仲達に手を出すな。
少しは我慢をしろと、にこやかな笑顔でそう言われた。
私と仲達の関係を全て解った上で春華は言うのだろう。
「認知すると言う事か」
「許可、して差し上げます」
「…尻に敷かれるわけだな」
「子供達に見られたらどうなさるおつもり?そうでなくても誰かに見られたら…解っていて?」
「私は別段構わぬが」
「私の旦那様を傷付ける事は許さなくてよ」
「善処しよう」
何だかんだと言いながらも、春華は春華とて仲達が愛おしいのだろう。
仲達は尻に敷かれ気味、いや敷かれている。
当の仲達は未だ湯殿に居るので、我らの会話は聞こえていない。
「ふふ。私が殿方だったら、あなた様のように旦那様を抱き締めて上から口付けたいわ」
「私はそなたの立場が羨ましい」
「あら、何故?」
「仲達と公的にいちゃつけるではないか」
「ふふ。お互い、ないものねだりですこと」
春華はにこやかに笑っていたが、笑顔が何処か恐ろしい。
互いにないものねだりで、互いの立場が羨ましい。
「旦那様に休養を命令したのはあなた様でしょう?」
「解っている」
「口付けも、だーめ」
「何っ」
「二人きりになら構いませんわ。ですが…少しは我慢を覚えましょうね公子様」
春華は湯上がりの私に布巾を渡して、一礼をし退室した。
入れ替わりに仲達が湯殿から上がったので、私が布巾で包み込み抱き締めた。
仲達は首を傾げるも、私に体を許し好きにさせていた。
濡れた体を拭いてやると、心地良さそうに目を細める。
湯上がりで心地良く、腹も満たされているのでとても眠いのだろう。
髪を拭くのもそこそこに昼下がりの窓辺で椅子に凭れ、師が用意した服に着替えた仲達は舟を漕いでいた。
濡れた髪を布巾で包み目を閉じている。
仲達の傍に侍り、頬に触れた。
「おい、仲達」
「はい」
「寝るならせめて、髪は乾かせ」
「…面倒です…。おやすみなさい」
「昭が真似をする、と嘆いていたのはお前ではあろうに」
昭がよく口にするめんどくせ、は間違いなく仲達に似たのだろう。
子は親をよく見ているものだ。
幼い頃に仲達と湯浴みをした事はあった。
恋仲となってからは、初めて湯浴みを共にした。
幾度かその体を抱いているとは言え、明るい場所でまじまじと仲達の裸体を見るのは久しい。
再会してから未だ数える程しか共に夜を過ごしていない私にとって、
仲達の白い肢体は十分そそるものがあったが、春華に釘を刺されているので何もしなかった。
仲達の表情は何処か憂いを帯びていて美しい。
仲達は湯殿で私の体を見てからは閉口し、背中に額を付けて下を向き押し黙ってしまった。
心配させているのだろうとは思ったが、仲達は何も言わず背中を流してくれた。
何も言わずとも、仲達の傍に居れるのは嬉しかった。
湯船に入り仲達の正面に向き直り、肩を引き寄せて目を合わせる。
口付けがしたくて抱き締めた。
小首を傾げる仲達を見下ろし、一度溜め息を吐く。
やはり解っていない。
唇に口付けるような素振りを見せると、仲達はゆるりと笑い目を閉じる。
口付けを漸く了承してくれたものと受け取り、触れるだけの口付けを交わした。
唇を少し離して仲達の様子を伺うと、仲達も薄目を開けて私を見上げた。
「…もう、しないの、ですか?」
「もっと…したいに決まっているではないか…」
「?」
「二人きりの時は、触れても構わぬか」
「はい。子桓様なれば」
「…ふ、嬉しい事を言ってくれる」
今一度だけ仲達に唇を合わせたが、触れるだけの優しい口付けだけに留めた。
仲達の裸体と潤んだ瞳を見て、これ以上手を出さない自信がない。
少し淋しそうな顔をしていたが、腕の中の仲達は愛らしかった。
仲達に包帯を替えて貰い、春華に用意された着替えに袖を通す。
私が髪を短く切ったとはいえ、長髪の手入れの手間が解らぬ訳でもない。
私は仲達の髪を好いているのだが、睡魔に負けたのだろう。
日向から動かぬと籠城を決め込み、窓辺に腕を組んで仲達は動かなかった。
間もなく寝息が聞こえ、やれやれと仲達の傍に座った。
私の前であるのに仲達は随分と無防備な姿を私に晒している。
普段礼節を重んじ頑なな構えの仲達が、家族同様に私に心を許してくれているようで嬉しかった。
そのまま寝かせてやりたいが、このままでは髪も体も痛めてしまう。
その前に一度だけでも仲達に口付けたくて、顔を寄せた。
「曹丕様?何してるんですか?」
仲達に口付けかけたが、通り掛かりの昭と目が合い止めた。
「どうしました?」
「丁度良い。手伝え」
「?はい」
仲達に口付けられず、舌打ちをして溜息を吐いた。
一応、春華との約束は守るつもりだ。
昭は偶々通りかかったのだろう。
手には洗濯物と思しき服の山を抱えていた。どうやら春華の家事を手伝っているらしい。
私の肩に凭れて眠る仲達を見て、大凡の状況の把握はしたようだ。
「ああ、お疲れなんですね…父上」
「また起こすのも忍びない。髪だけでも何とかしてやりたいのだが」
「はは。母上に言ったら怒られそうです。良いですよ。そのまま父上を支えてて下さい」
春華には黙っておくと昭は言い、仲達の髪を拭く事を了承してくれた。
首を支え、胸に埋めるように仲達を膝の上に下ろし抱き寄せた。
持っていた洗濯物の中から布巾を取り、昭が仲達の髪を拭く。
干したてなのだろう。ふわふわとした布巾に拭われて仲達は気持ちよさそうだった。
「随分とまぁ、無防備なお姿で」
「仲達はいつもこうなのか?」
「いや。今日は疲れているからじゃないですかね。あとまぁ、此処は家ですし」
「昭、拭くだけでは駄目だ。御髪が傷んでしまう」
「おや、兄上」
いつの間にか師も我らに気付き、櫛を持って仲達の髪をとかしている。
幼い頃から師は仲達にべったりで、それは今も変わらないのだろう。
同じ髪質を受け継いだ師は仲達の髪の手入れをよく手伝っているのか、手際良く仲達の髪を整えた。
師は満足げに笑い、昭は手持ち無沙汰にそれを見て笑っていた。
「うーん…兄上に役目を取られてしまいました」
「うん?」
「まぁ、別にいいんですけどね。いい天気だし、俺も昼寝しようかな…」
「母上の手伝いは終わったのか?」
「あ、やべっ」
師が整えた仲達の髪を見て、昭も満足げに笑う。
二人とも仲達が好きなのだろう。見ているだけで解った。
仲達は随分と幸せな家庭を持ったものだと、人事ながら嬉しくなり背中を撫でる。
「子元も子上も揃ってどうしたの?」
声が聞こえて見上げると、洗濯物の籠を抱えた春華が昭の肩に手を置いて立っていた。
「探したわ、子上」
「は、母上…。すいません」
「いや、昭は私が引き留めた。邪魔をしたな」
「あら、旦那様ったら…。公子様の腕の中がお気に入りなのね」
春華が仲達を見て微笑む。
見れば仲達は、私の襟元を握り締めていて離さない。
父親好きの師が不安げに春華を見上げた。
「母上、どうか父上を起こすのは…」
「大丈夫。起こさないわ。子元、寝台の支度をして差し上げて。子上はこれの続きを」
「はい」
「はーい」
昭に籠を預け、春華は私の腕の中にいる仲達の髪を撫でた。
師と昭は春華に言われた通りにそれぞれ別れて行った。
春華もどうやら仲達の髪を好いているらしい。
春華は仲達の寝顔を見て微笑んだ後、私の耳元で話す。
「旦那様をお任せしても?」
「構わぬが」
「ふふ。でも、手を出したら許しませんわ」
「二人きりなら良いと言ったではないか」
「…?」
「お静かに。旦那様が起きてしまいます」
我らの話し声にぼんやりと仲達が目を開けた。
私の顔をぼんやりと見上げた後、寝返りを打つかのように再び私の腕の中に収まり目を閉じた。
ほっとして顔を見合わせ、春華が仲達の頬を撫でた。
「私では旦那様をお連れする事が出来ませんわ」
「ああ、これで良いか」
「ふふ。お姫様抱っこですわね」
仲達を横に抱き、廊下を歩く。
春華が微笑みながら私の横を歩いた。
「旦那様がそんな無防備な姿を見せるなんて…」
「やはり珍しいのか」
「子元や子上にも見せませぬのに」
「そなたには見せるのか」
「二人きりの時だけ。それも本当にたまに、ですけれど…旦那様は私に甘えるのです」
「仲達とて男であると言う事だな…」
師が支度した寝台に仲達を寝かせるも、襟元の手は離される事がない。
どうするべきかと困惑していると、春華に背を押されそのまま仲達を押し倒すように寝台に倒れた。
「おい」
「旦那様が離さないのでしょう?なれば抱き枕になるしかありませんわ」
「む…。そなたは良いのか?」
「旦那様が選んだ御方でしたら、許して差し上げます。
今日は特別。我が家で旦那様がお休みなのですから、ゆっくり休ませて差し上げましょう」
体勢を立て直し、肘を立てて仲達の横に寝転がる。
やはり仲達は私の襟元を離してくれないようだ。
春華は寝台に座り、膝に仲達の頭を乗せた。
仲達の頭を撫でながら、髪を労るように春華が櫛でとかしていく。
仲達の寝顔を横目に見ながら、春華の行為を何処となく目で追っていた。
どうなったのかと思い扉から寝室を覗くと、父上は母上に膝枕をされながら曹丕様に寄り添って眠っていた。
母上は父上の髪を櫛でとかしているし、曹丕様は子をあやすように父上の肩を叩いていた。
何というか父上にとっては至れり尽くせり、両手に花と言われる光景が広がっている。
見つからないようにそっと扉を閉めた。
父上が目を覚ましたら相当驚くだろう。
母上と曹丕様はどうやら話が合うみたいで、ずっと父上の話をしている様子だった。
扉越しとは言え、会話が聞き取れる。
「出仕した当初は、はやく帰りたい、子供達に会いたいが口癖でした」
「子煩悩な事よ。まぁ…仲達の出仕は、父の脅迫のようなものだったからな」
昔話をしているみたいだ。
母上と曹丕様は父上の話をすると、何処かいつも楽しそうなのがよく似ている。
「ふふ。それから暫くして公子様のお話しをよく聞くようになりましたの」
「ほぅ。どのような話か」
「第一声は、全く可愛くない若造の守役になってしまった、と」
「…ふ、仲達がよく言うではないか」
「師や昭の方がどれだけ可愛らしい事か!と、嘆いておられましたわ」
母上が時たまに俺や兄上の話をするので、気になって足が動かない。
あの厳しい父上が、そんなに俺達の事ばかり話しているのかというのも嬉しかった。
洗濯物は終わったという報告を母上にしたいところ何だが、どうにも踏み込めない。
このまま話を聞いていたいがどうするべきかと頭をかいた。
「昭、そんな所で何をしている」
「あ、兄上」
「父上はもうお休みになられているのだろう」
「しっ、兄上お静かに」
「うん?」
またも兄上が通りかかった。
事情を話すと兄上は声量を抑えて話を続ける。
「…直にお話しすれば良かろう」
「だって、気になるじゃないですか。このまま耳を澄ましていれば」
兄上に父上の話をしている母上と曹丕様の話をしたが、兄上は眉を寄せるだけだった。
「父上に怒られたくない。母上にはもっと怒られたくない。更には曹丕様を敵に回したくない」
「あー…、はい。完全に同意です」
「なれば、解っているな?」
「はぁ…、そうします」
「私も付き合おう」
「兄上も?」
「私とて、あの方の子だ」
兄上とて父上の傍にいたいのだろう。
俺も小言を言われないなら、たまには父上の傍に居たかった。
父上が家にずっと居るなんてなかなかある事じゃない。
扉を開いて二人で一礼をし、母上の傍に膝を付いた。
曹丕様は肘を立てて横になったまま、父上の傍から動かない。
「あら、二人揃ってどうしたの?」
「えっと、母上のお手伝いは終わりました」
「ありがとう。助かったわ子上。それで、子元はなぁに?」
「私も父上の傍にいたくて…」
「子元は本当に旦那様が大好きね。子上もかしら?」
「俺はその、俺の名が聞こえたんで気になって」
「正直だな。仲達も見習えば良いものを」
「旦那様は素直じゃないから可愛らしいのではなくって?」
「違いないが、たまには素直になってほしいものよ」
曹丕様が溜め息混じりに愚痴り、母上が笑う。
母上と曹丕様は随分と打ち解けているようだ。
父上は相変わらずよく眠っている。
此処に居るのは皆、父上の事が大切で、父上を慕う人ばかりだった。
父上の空いた片手に触れ、甘えるように頬を寄せると父上が頬を撫でてくれた。
父上が目を覚ましたのかと思ったが、相変わらずよく眠っている様子だった。
無意識に撫でてくれているのだ。
「…ふふ」
「どうしたんです兄上?」
「あら、良かったわね子元」
「はい」
父上の手に甘えられる事に微笑みながら、寝台に頬をつけた。
幾度か頬を撫でた後、私の頬に手を置いたまま父上は大人しくなった。
父上の手は温かい。
曹丕様がそんな父上を見ながら、頬をつつく。
「仲達は本当に子煩悩よな…」
「公子様の事を、一番手のかかる子だと仰ってましたわ」
「…ふ。もう子供と言える歳でもない」
「本当に、ね?」
「?」
「??」
母上と曹丕様が何か含みを持った笑みで笑う。
私も昭も首を傾げていた。
「仲達の子煩悩ぶりは周知の事実だが、此奴は兄弟の優劣を付けぬ故…良い父親だと思う」
「あら、旦那様をお褒め下さるの?」
「褒めている。師に聞きたい」
「はい」
曹丕様は父上の髪を撫でながら、私を見下ろし言葉を続けた。
「弟の為に兄だから、と何かを我慢させられた事はあったか?」
「いえ…。そのような事は」
「ふむ。では昭に聞きたい。弟なのだから兄のようになれ、と言われた事はあったか?」
「いや。それは俺が父上に言って怒られた言葉です」
「ほぅ、仲達は何と言った?」
父上と昭にそのような事があったのかと、昭を見つめて話を聞いた。
昭は寝台に肘をついて頭をかきながら話す。
「俺は兄上のようにはなれません、って。
そうしたら父上は少し強い口調で、お前はお前にしかなれない、って」
「旦那様はきちんと見ているわ。子元も子上も可愛くて仕方ないの」
「そう、なんですか?」
「だから甘やかせ過ぎです、って私が旦那様を怒るのよ」
「目に入れても痛くない、と言う奴だな」
母上が私と昭の頭を撫でて微笑む。
父上は私達にいつも厳しかったのだが、何処か…いつも優しかった。
父上が優しく甘やかせてくれる分、母上は父上よりも手厳しい。
それがお二人の役割分担なのだろうか。
「私がお前達から仲達を奪ってしまった。寂しい思いをさせただろう。すまなかった」
曹丕様が母上の話を聞いて、居心地悪そうに私達と母上に謝罪をしたが母上は笑って首を横に振った。
「何を仰るの、公子様」
「?」
「旦那様、唯一無二の主はあなた様だけでしょう?」
「仲達がそう言っていたのか?」
「もう、あなた様はもっときちんとお話しなさい。旦那様はあなた様が好きで堪らないのに」
「そう、だろうか」
暫く母上と曹丕様の話を聞いていた。
母上しか知らない父上の話もあったし、曹丕様しか知らない父上の話もあった。
何よりこのお二人は父上が好きで仕方ないのだ。
曹丕様が目を擦るのを見て、母上が掛布を引き寄せ曹丕様に掛けた。
曹丕様の腕の中には父上が居る。
風呂上がりの昼下がり、昼寝には申し分ない。
曹丕様とて眠いのだろう。
公子様にすっかり旦那様の体温が移ってしまったのでしょう。
外は良い天気の昼下がり。風呂上がりで体もぽかぽかで。
公子様は眠そうな眼で旦那様を見つめていた。
旦那様の話をする時も聞く時も、公子様は終始機嫌良く笑っていらして。
この御方は、本当に旦那様が好きで堪らないのでしょう。
子供達の事も旦那様と同じように考えて下さっているようで、公子様は旦那様に考え方がよく似ていらした。
何よりも旦那様の事を考えて下さっている。
「少しお眠りになって。旦那様と一緒に」
「しかし…」
「子元、子上。私と一緒に飲茶を作らない?」
「!!」
「あ、肉まんですね?」
「子元が大好きだものね。おやつにしましょう」
「お手伝いします」
「んじゃ、俺も」
子元と子上を先に行かせて、膝からゆっくりと旦那様の頭を下ろした。
額に口付けを落とすと、旦那様がぼんやりと瞳を開けた。
まだ夢心地の瞳に笑って、今度は唇に口付ける。
「…春…、っん」
「まだ寝ていらして。公子様が眠ってしまったの」
「あ…」
「旦那様が公子様を離さないんだもの。ずっと傍に居て下さったのよ」
「それは申し訳ない事を…」
「旦那様、旦那様」
「うん?」
旦那様の顔を胸に埋めて、ぎゅうっと一頻り抱き締めた。
公子様が眠っている今、子供達も居ないので旦那様と二人きり。
唐突に、旦那様を思い切り抱き締めたくなる。
だってまた、帰ってこない日が続くかもしれない。
公子様の所へ行ってしまうかもしれない。
本当は旦那様をずっと一人占めしたいのだけれど…。
「し、春華、春華!」
「はい」
「止めて下さい死んでしまいます」
「あら」
胸に顔を埋められるのが恥ずかしくて、旦那様は赤面して胸から顔を上げた。
「妻ですのに」
「妻だからだろうが」
旦那様は目を逸らして、私から離れてしまった。
先程のように正面からは胸に埋めず、後ろから旦那様を抱き締める。
「…可愛い人ね」
「う、煩い。可愛くなどないわ!」
「静かにして旦那様。公子様が起きてしまうわ」
「っ…う、うむ」
後ろからぎゅうっと抱き締めて、旦那様の頬に擦り寄る。
私のふわふわした髪が旦那様を包む。
旦那様が私の髪を掬って、指でくるくると丸めている。
「よく眠れました?」
「ああ…。気のせいだろうか。師と昭が居なかったか?」
「ふふ…旦那様ったら流石ね」
「うん?」
「子煩悩、と公子様が仰っていたわ。本当にそうね」
旦那様が少し顔を上げて、私に振り向いた。
困ったような顔をして、私を見上げる。
「甘やかせ過ぎ、だろうか?」
「旦那様は甘やかせたらいいわ。私が怒る役だもの」
「そう、か」
「ふふ…旦那様に大切なものが増えていくわね。私も嬉しいわ」
「大切なもの?」
旦那様が私を見上げる。
小首を傾げる旦那様が可愛らしくて、頬に口付ける。
「子元に子上に、公子様。これからもきっともっと増えていくわね」
「うん?大切なものが抜けているではないか」
「あら、何かしら?」
「お前を抜かすとは何事か」
旦那様が私の手をぎゅっと握り締めて、一度見つめるも直ぐに逸らしてしまう。
頬を赤らめて、いつも直ぐに逸らしてしまう。
そんな旦那様が愛おしくて、口付ける。
舌を絡めて深く口付けて、押し倒す。
「っ…、ふ…」
「大好きよ。愛しているわ旦那様」
「これ、春華…っ」
「まだ寝ていらして。これから子元と子上と飲茶を作るの。後でおやつにしましょうね」
「…いきなり何だと言うのだ」
「たまにね、旦那様を抱き締めたくなるのです」
「淋しがらせている、だろうか」
「?」
旦那様に何度か口付けて、名残惜しく離れようとした時、
旦那様が私の頬に一度だけ口付けをして下さった。
嬉しくて、旦那様の頬に擦り寄る。
「ふふ。淋しくなんかありません。旦那様が大好きですもの」
「そ、そうか」
やっぱり旦那様は直ぐに目を逸らしてしまう。
そんな旦那様にもう一度口付けて、今度こそ離れた。
「あなた様の大切な人に寄り添って差し上げて。出来たらまた来ます」
「解った」
扉を閉める際、曹丕様の手が伸びて旦那様を引き寄せるのが見えた。
きっとずっと我慢していらしたのでしょう。
旦那様を一頻り抱き締めて、口付けるのが見えた。
「子桓、さ…っ?!」
「口付け、させろ」
「!?なっ…、ゃ…っ」
「…我慢させられた、のだ」
「…?え?…子桓様、目が怖い…」
「仲達」
二人きりの約束。
公子様はずっと守って堪えていたようで、少し可哀相な事をしてしまったかもしれない。
旦那様に何度も何度も公子様は口付ける。
公子様ったら、相当我慢していた様子。
見えたけれど、見えていないふり。
旦那様ったら、公子様の前では可愛さが三割増すのかしら。
「でも、旦那様には秘密ですものね?」
少し其処で公子様に甘えられていなさい、と扉を閉めて笑いその場を立ち去った。