わたし大切たいせつ人達ひとたちはなし 03

各地でまだ内乱の火種がくすぶっていると言う。
師が目の届く範囲で謀反人や関係者を粛清し、昭らが援護している。
短時間で火種を消し止められているお陰で、大事には至っていない。


二人が前線に行くのを見送り、城門からその景色を見下ろした。
金属音と声は聞こえるが、眼下に将兵は見えない。
これくらいの小競り合いならば、私が出なくても大丈夫だろう。
二人とも、逞しく育ってくれたと思う。

熱のせいで視界がぼやけて、正直周りがよく見えていない。
私も耄碌したものだ。
季節は夏だというのに、寒くて仕方ない。



見上げた天は延々と蒼く、澄み切っていた。

乱世に散って逝った英雄、武将、軍師。
名を挙げればきりがない先達者達。
戦場に消え、病に倒れた大切な人々。

今や魏の軍師と言えば私の名を挙げられるもの。
私から言わせれば、魏の名軍師は郭嘉殿や賈ク殿が挙げられ、片手では名を挙げ足りない。
今の子らには遠い遠い昔話になってしまうだろう。
私が信じてきた人達は既にもう、現世には居ない。


黄巾の乱からもう何年経っているのだろうか。
無双の英傑を誇る呂布が居て、曹操殿が起ち、劉備が走り、孫権が抗う。
英雄達の時代を見てきた。

炎が赤い壁のように見えた赤壁の戦い。
魏が勝っていたら、天下は変わっていたかもしれない。
私も子桓様の教育係で終わっていたのかもしれない。

子桓様との出会いも巡り合わせ、だったのだろうか。
あの方ほど私を使える主も居なかった。


稀代の軍師、諸葛亮との対峙。
彼ほど戦いがいのある軍師も居なかった。
幾度勝とうが負けようが、諸葛亮との戦は楽しかった。
戦場に策を張り巡せ、互いを出し抜く張り詰めた策の応酬。

その諸葛亮も五丈原に散った。



皆ひとりひとりの物語を見届け、私はまたひとり、またひとりと見送った。
天寿を全うした命もあれば、亡くすには余りにも若すぎる命もあった。
戦を繰り返し、殺し、殺され、勝って、負けて、逃げて、生きた。

彼等は確かにこの乱世に生き、軌跡を遺して去って逝った。
その彼等に次代を任されて、私は生きてきた。

彼等の事は、誰よりも皆を見送った私が一番よく覚えている。



次は、私が次代を託す。

子供達の成長を最後まで見届けられないのは惜しいが仕方ない。
これが私の天命なのだろう。




遠くで勝ち鬨が聞こえた。
師と昭が反乱軍の鎮圧は滞りなく済ませたようだ。

「御覧下さい。私の息子達は優秀でしょう。
 毅然として皆を率いる兄は師、面倒臭がりですがやれば出来る弟は昭と言います。
 私の自慢の息子達です」

空に向かい、先人達に私の息子達を紹介した。
もう直ぐ私も其方に逝きます、と天に頭を下げた。

「次代の魏はきっと、あの子らが」

今日で数えて六日目。
体は痛みも何も感じなくなっていた。
冷たいのか暖かいのかも解らない。
季節は夏だと言うのに。
五感が鈍っている。もうそろそろなのだろう。


城門の上に居る私に気付き、鎮圧を終えた師と昭が私目掛けて石段を走る。
そんなに慌てずとも、私は何処にも行かぬと言うのに。

息を切らせて、師と昭は私の前に現れた。

「父上、このような所で何を…!」
「お体に障ります。お早く中へお戻り下さい」
「お前達の戦を見ていた。戦果は如何であったか」

緩やかに師と昭に微笑みかけると、二人ともはっとした顔をし軍礼を取り深く頭を下げた。

「…っ、万事滞りなく。城下と民に損害はありません」
「反乱の首謀者は討ち取りました」
「そうか…。よくやってくれた」
「…父上、どうか室内へ」
「ああ、そうしよう」

二人に懇願され、漸く腰を上げた。
師と昭以外に気配を感じ、手を取られながら歩くもそれが気になった。

確かに城門に誰か居るのだが、姿が見えない。
師と昭は気付いていないようだ。

「……。」
「どうかしましたか?」
「私が、見えていなかった…だけなのかもしれぬな」
「何の話ですか?」
「何でもない」

何処か懐かしい優しい気配にふ、と笑う。
師と昭に手を引かれ、階段を下りて自室へと戻った。

この国を護っているのは、遺された者達だけではないのかもしれない。




寝台に促され、軽く横になる。
師や昭が甲斐甲斐しく私を案じていたが、大丈夫だと二人を制した。

「つまらぬ戦で怪我などしていない、か」
「はい。大事ありません」
「寧ろ父上こそ」
「うん?」
「お体は痛みませんか?」
「ああ、今日は大事ない」
「じゃあ!もしかして、徐々に治っているのかもしれませんね!」
「…そうかもしれぬな」

昭に返す私の言葉は優しい嘘だ。
確かに痛みは何も感じないが、それだけだ。
末期の病状が少しだけ落ち着いただけに過ぎない。

師は私の本心を察しているのか、下を向いて俯くばかりだった。



甘えたがる昭とは対照的に、師は近頃私に触れなくなった。
幼い頃から私に甘えたがりだった師にしては珍しい。
嫌われたのかと思えばそうではないようだ。

「師」
「はい」
「私を避けているのか?」
「…今のあなたに触れられたら、堪えられませぬ」
「何に堪えている?」
「私はもう、子供では居られないのです」
「何を言うか、馬鹿者め」

師は、私はもう子供で居られないと言う。
昭は、俺は未だ子供で居たいと言う。
全く以て対照的な兄弟だが、二人の内心も透けて見えた。

師は次代を担う覚悟を決め、甘えは不要と割り切っている。
昭は未だ覚悟が足らず、何処か他人任せで今は甘えていたいのだろう。
私の子供たる所以、親の私がその心内を解らぬ筈もなかった。

「…師、昭よ」
「はい」
「はい」
「私によく顔を見せて欲しい」
「こうですか?」
「近いぞ昭」
「師よ。そのように離れていてはよく見えぬ」
「…はい」

寝台から体を起こし、跪く師と昭二人の頬に触れた。
本当に大きく立派に育ってくれたと思う。

師の頬を撫で、昭の頭を撫でた。
何処か子犬のように甘える昭に笑うと、師が私の手を取った。

「父上」
「うん?」
「ずっと父上に聞きたい事があったのです」
「どうした、改まって」
「父上は、何故私に師と言う名を付けたのですか?」
「なら、俺も聞きたいです。俺は何で昭にしたんですか?」

随分と今更な話だ。
それにそのような話は幼い頃に春華がしているものかと思ったのだが。

興味津々な瞳で二人とも私を見上げる。
確かに今まで聞かれなかったから答えなかった。


どちらかというと、春華よりは私の方が子供達に甘い。
執務や遠征で家を空けていた分、子供達に何処か申し訳ない気持ちがあったのだと思う。
幼い頃はいつも寝顔を見ることしか出来なかった。

口では厳しく叱咤しても、本当は甘えさせてやりたい。
自分の子供には人一倍甘い。
私の本心が春華にだけは見破られていたのか、春華は私よりも厳しい母になったのだと思う。

「春華に聞かなかったのか」
「いつか父上に直に聞きなさいと、母上が」
「それを言うと、いつも母上がにこにこして笑って、いつも誤魔化すんですよ」
「では、いつか話そう」
「今にして下さい」
「…照れくさいではないか」
「?」
「何で?」

私が子供達を溺愛しているのが、子供達自身に知られるのはやはり気恥ずかしい。
そう言えば、私には余り時間がないという事を今更ながらに思い出した。

今更な話。
そうだ。私はもう…この子達にも逢えなくなる。
私の言葉で、声で伝えておかねばもう二度と聞く事がないのだろう。


昭の頬を撫で、頭に手を置く。

「ではまず、昭から」
「え?はいっ」
「父上、何故昭からなのです」
「師よ。少し待て」
「…はい」

如何にも憮然とした態度の師に、昭が気に掛けた が私は構わず言葉を続けた。

「皆を日の光のように、あまねく照らすように…、昭と」
「成る程」
「明るく元気なお前を見ていると私も嬉しい。期待している」
「ああ…何か、直に父上にそう言われると凄く嬉しいです!」
「なれば、めんどくさがりを控える事だな」
「えー…めんどく…、ああ、いや何でもないです」
「ははは」
「ふっ」

私と師が笑い、昭は深々と頭を下げた。
本当に言葉通りの意味で、昭にはこの薄暗い乱世を日の光のように明るく照らしてくれたら嬉しい。

いつかこの乱世も終わらせて欲しい、とか細い願いも込めて昭の頭を撫でた。



次は師。
甘えたがりだったあの小さな子が、今ではすっかり魏の一将として闊歩している。
時が経つのは早いものだ。

「お前が生まれた日の事を、昨日の事のように覚えている。初子の師は本当に小さかった」
「…ふ、大きくなったでしょう?」
「まだまだ」

寝台から脚を下ろし、師を膝の上に寝かせた。
私に似た髪質の黒髪を撫でる。

「師。皆を先導し、導く。皆を率い、皆の師であれと願う」
「はい…」
「家督も、魏も、お前に任せれば大事あるまい。これからのお前の生を期待している」
「父上」
「所以…。家督を譲ったとはいえ、お前が私の子である事に違いはない」
「…はい」
「子供で居て、良い時もある」
「はい…。なれば父上の前でだけ…」

師が私の膝に甘え、ぽろぽろと涙を流していた。
昭がそれを羨ましそうに見ていた。

「俺も甘えていいですか?」
「お前はもう少し大人にならぬか」
「兄上ばかりは狡いです」
「っ!これ」

膝上に居た師の横に並ぶように、昭も私の膝に頭を乗せた。
正直、二人を膝に乗せるのは重い。
涙する師の手を昭が取り、師を見つめて話した。

「兄上に何かあったら、俺が助けますから」
「…ふ」
「俺じゃ頼りないかもしれないですけど。俺が兄上を支えますよ」
「なれば、頼りにしてやろう」
「はい。頑張ります」
「…重い」
「!」
「!」

師と昭が私の言葉にはっとして、頭を上げた。
漸く解放された脚を伸ばし、そのまま寝台に横になった。


ああ、良かった。
一番心配していた子供達は、私が思っていたよりも勝手に立派に成長していた。
私が心配し過ぎていただけだったのかもしれない。

私を案じて師と昭が寝台に座る。
その二人の手を引っ張り、二人とも腕に埋めた。

「師、昭」
「どうしました父上」
「脚が痛いんですか?」
「…大好きだ。愛している」
「っ!」
「!」
「私の宝物だ…。師も昭も」
「何ですもう…私の方が父上を愛しています」
「俺だって父上が大好きです!兄上には負けませんよ!」
「ふふ」

本当に幸せな人生だった。
愛しい息子達を抱き締めて、額に口付ける。
師が頬に口付け、昭が掌に口付けた。
一体誰に似たのだか、ませた子供達だ。



私の大切な人達、私が尊敬する方々。私を叱咤してくれた同朋。
そして私を愛してくれた人。
皆、居なくなってしまったが、きっとまた逢えるだろう。
もしかしたら、ずっと傍に居るのかもしれない。


曹操殿、夏侯惇殿、夏侯淵殿。
典イ殿、許チョ殿。
曹仁殿、張遼殿、李典殿、楽進殿。
郭嘉殿、賈ク殿、王異、ホウ徳殿。
張コウに、徐晃殿。甄姫様、蔡文姫殿。

春華。



そして。


「子桓様に、逢いに行こうと思う…」
「…っ」
「また、逢えるだろうか…。またお仕えしたいと思う」
「…ええ、きっと」
「きっとまた、父上の字を呼んでくれますよ」
「そうか…。忘れられていないだろうか…」
「父上の事をあの人が忘れる訳ないでしょう」
「どうか、な」

師、昭。元姫、賈充。トウ艾、鍾会、郭淮、夏侯覇。
後は、彼らに任せるとしよう。



安堵したら何だか瞼が重い。
今にも泣きそうな顔で見つめる師と昭を腕に抱き締めたまま、目を閉じた。


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