さきはなし

私は先の話を知りたくなかった。












大和の戦国時代と我らを含めた中華の時代が入り混じる世界に私はいた。

数々の戦を経て、遠呂智により壊滅した曹魏はかつての勢いを取り戻し、
遠呂智を倒すためにかつては敵であった蜀、呉、そして大和の人間たちと盟を組む。
同じくこの世界に巻き込まれた他の時代の人物も味方となってくれるらしい。

かつての中華の歴史、封神演義が語るところの三仙。
大和の戦国時代の名将、源義経など顔触れは怱々たるものだ。

各軍を束ねるのは曹操、劉備、孫堅。
そして織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、上杉謙信、武田信玄。
武将も軍師もしかりだ。
ここにはかつての時代、因縁を忘れてしまいそうな世界がある。



「全く、何でもありと見える」

仮の執務室にて書簡を読んでいた私に背後から声をかけられた。
如何に名将が揃ったとて、私の主君は曹子桓ただ一人と考えている。

「いよいよ決戦だな、仲達」
「まさかこの私があの諸葛亮と肩を並べるとは思いもしませんでした」
「お前がまた私の元にあるなら何よりだ。この世界は、遠呂智を倒した後はどうなるのだろうな?」
「それは私が答えよう」
「…太公望か」

古の中華の戦乱の時代。
名軍師と名高い太公望がいつの間にやら部屋にいた。

「皆と幕舎にいるものだと思っていたのだが、どうも主従というのは二人きりになりたがる性質のようだな」
「何の用だ」
「曹丕、暫し司馬懿を預かるぞ」
「何故だ」
「直ぐに返すので少し待っていろ」

太公望は私に用があるらしい。
子桓様が何やら抗議をしているのが聞こえたが、私の存在は既に部屋にはなかった。









何もない白い空間。
五感が麻痺する感覚。先程の部屋ではない。

恐らく、太公望に飛ばされたのだろう。

「さて、と」

唐突に太公望が現れた。
この空間には二人しかいない。

「厄介だな曹丕は」
「一体何の真似だ」
「決戦の前に話しておきたいことがある」

つかつかと太公望が歩み寄る。
私の左胸に手を置いた。

「何だ」
「司馬懿、お前は死んではならない」
「いきなり何だ?」
「お前は中華の未来を繋ぐ人間なのだ」

左胸に置かれた手を額に置いた。

「…お前に少しだけ未来を見せよう」

頭に直接響くように、記憶が流れ込んできた。
視界は此処にはない。

数々の名将たちの死に様。諸葛亮との決戦。
私が玉座に座って…いる…?

「馬鹿な…」
「これが先の話だ」
「…魏は…」
「魏はお前が滅ぼすのだよ、司馬懿」
「やめろ、聞きたくない」
「今のお前の心を読むと…ああ、曹丕か。曹丕はな」
「やめろと言っている」
「曹丕はお前より先に」
「…やめろ……」

見せられた記憶の中に、子桓様がいた。
見たくないと瞼を閉じても記憶が流れ込んで来る。

苦しそうに私を見つめる子桓様が視界に入った。耐え切れず手を伸ばすが、何も掴めない。

『仲達、私が死んだら…』












「もう、や、め…」

両手で視界をおさえた。

涙が止まらなかった。
いつか来る未来、こうなることは覚悟していたはずだ。
だが、何故こんなものを見せるのか。

太公望が額から手を離すと視界が元に戻った。
それでも瞳から流れる涙は止まらなかった。

「曹丕はお前より先に死ぬ」

太公望ははっきりと言った。
気遣いも何もあったものではない。

「これを見せたのはお前自身に自覚をしてもらう為だ。中華の未来はお前が紡ぐのだ」
「…言われなくとも死ぬつもりはない」
「故に決戦では常に身を護れ。これは徳川家康にも伝えたことだ」
「徳川家康?」
「あの男も大和の未来を繋ぐ男なのでな」

つまり徳川家康には大和の歴史がかかっているということか。
同じ宿命を私も背負っている。

「何故、私なのだ」
「何だ。お前ならば喜ぶかと思ったのだが。お前は天下を手に出来るのだぞ」
「私は未来など知りたくなかった」




これを知って私はどう生きていけばいい。
決められた未来に従うのか?

「未来を変えることは禁忌なのか」
「お前が死ねば中華の未来は変わる。だが私達がそれをさせない。
例えお前が死んだとて生き返らせてやる。歴史はお前の名を刻んでいるからな」
「この未来の記憶は消せぬのか」
「遠呂智征伐後、元の世界に帰る前に消してやろう」
「今すぐだ」
「それは何故だ?」

まだ顔を上げることが出来ない。
赤く腫れた瞳を見せたくなかった。

「私がどれだけあの方を慕っているのかお前は知らないだろう…」
「ふむ。そうか。お前は曹丕を慕っているのだな」
「主君として当然だろう」
「主君として、それがお前の本心ではないことは明確だな。心がそう言っていない。だが曹丕はお前より先に死ぬ」
「黙れ」

脳内で繰り返される苦しむ子桓様の顔と声が胸を締め付けた。
太公望が屈む私の冠を取り、頭に手を置いた。

「お前の記憶に封をかける。未来の事柄を他人に話せぬように」
「どうせ消す記憶なら今すぐ消せ」
「そうもいかぬ」

太公望の手が光る。
体は何ともないが何かされたことは確かだ。

「帰るがいい」

とん、と額を押されると視界が暗くなった。











仲達が突如部屋から消え、太公望も消えた。
もう一刻にはなるはずだ。
待てと言われて素直に待つのもそろそろ堪え難い。

目の前で私の承諾なく太公望に仲達を連れ出されたのだ。
三仙とは言え、納得など出来るはずがない。

「戻ったぞ」
「!、貴様…よくも」
「まぁ、そう構えるな」

太公望が部屋に突如現れた。
私は剣を構えて対峙する。

「私の仲達を返せ」
「それ程に大事か、あの男が。ふむ。今のお前の心にはあの男の事しかないようだ」

太公望が指を鳴らした。
目の前に突如として仲達が現れた。

だが意識がない。
そのまま床に倒れそうな体を胸で受け止めた。

「仲達に何をした。返答によっては三仙とて容赦せぬ」

私の怒りはおさまらない。剣を太公望に向ける。
太公望は仲達の冠を私に投げた。

「その男には、未来の記憶を与えた」
「未来の記憶?」

意識のない仲達の顔を見た。頬に一筋の涙が流れている。
仲達が人前で涙を流すなど…。

「一体何を見せた」
「お前には話せない。歴史が変わってしまうからな」
「中華の歴史は仲達が握っているとでも言うのか」
「その先は言えぬ。せいぜい護ってやるといい。大事な部下だろう」
「この私に対し、何様のつもりだ太公望」
「少なくともお前よりは長く生きている仙人だ。私の言う事は素直に聞いておくことをおすすめする」
「…ちっ、解せぬがお前に言われなくとも仲達は私が護る」
「慕っているのか?」
「愛しているからだ」
「司馬懿の心も同じ事を言っていた。精々励むがいい」

太公望はふっとその姿を消した。
剣を置き、仲達を両腕で抱きしめた。

「…お前が中華の歴史を紡ぐのか、仲達」

この細い双肩に重い宿命がかかっている。
私は未来を知らない。

立っているままなのも辛いので、仲達を抱き椅子に座った。
ゆっくりと瞼が開いた。

「子桓様…?」

私の顔を見た仲達は眉を寄せて、私の胸に顔を埋めた。
今にもまた泣き出してしまいそうな表情だった。

「お前にそのような顔をさせるとは…一体何を見せられた」
「言えません…」
「何かされたのか」
「身体は正常ですが、記憶に触れられました。私からお話することは出来ません」

仲達の手が私の手を握った。
瞳は伏せられ、覇気がない。

「…私は先の未来など見たくありませんでした」
「お前が人前で涙を流すなどよっぽどの事だ。一体何を見せられた」
「言えません…」

言えない。
そればかりを繰り返した。仲達は私の胸に顔を寄せて目を閉じた。

「私はもっと子桓様の傍に居とうございます…」
「居たらいい。私は拒まぬ」
「…でもいつか、あなた様は私の前からいなくなってしまう」
「時が来ればそうなるだろう。誰でも命の終わりがある」
「皆、私を置いて行くのですよ。私は………………です」


途中声が消えた。
仲達が喉をおさえる。

「話そうとしても話せない…とはこういう事か」

苦笑し、仲達は目を閉じた。

仲達が何故にそこまで悲しむのか不安になった。
一体何を見たのか。其れを聞いたところで仲達は話せない。
それが非常にもどかしい。
流れる涙は拭えても、傍に居てやることは出来ても、心からの悲しみを取り除いてやることは出来ないのかと悩んだ。

仲達が一番悲しむことといえば何であろうか。

「仲達」
「はい」
「私の死に目を見たのか」
「……っ」
「答えずとも良い。そうなのだな」

仲達の心音が伝わる。どうやら正解だ。
胸にきつく抱きしめた。

「子桓様亡くして…どうして仲達ひとりが生きられましょうや…」
「人はいずれ死ぬ」
「私が先に…」
「それは私が許さぬ。私はお前に私より永く生きて居てほしい」
「私を置いて逝かれるのですか」
「それに仲達、よく聞け。私はまだ此処に生きているではないか」

泣く子をあやすように背中を撫でた。
仲達は私の腕の中に身を寄せて目をつむった。



「私がお前を護ってやる」

仲達の頬を両手で包み、唇を合わせた。





















「よほど大切にされているのだな。いやあれは、寵愛と言うべきか」
「何の用だ」
「すっかり嫌われたようだな」

遠呂智征伐の決戦。
戦は連合軍優勢に進み、間もなく遠呂智への門が開く。

趙雲や本多忠勝などの猛将が先んじて門に向かって行った。

遠呂智への門前。
軍師として私はそこにいた。
諸葛亮や石田三成たちと共謀し、遠呂智軍の半数を撃破または足止めすることが出来た。
そこに太公望が現れる。


「古の軍師、太公望師叔ともあろう方が何か御用ですか?」

諸葛亮が口を挟む。
三成もこちらに気付いた。

「これからの戦いは激しいものとなろう。お前たちの智で勇将らを支えてやってくれ」
「御意」
「言われなくともそのつもりだ」
「故に前線に向かうことは許さん。特に司馬懿、お前は解っているな」
「っ…仕方あるまい」
「したり顔がどうかしたのか」
「何、こちらの話よ」

三成が訝しく太公望に詰め寄り、横目で見たが視線を逸らした。
諸葛亮は無言で私を見ている。

「しか…、曹丕殿は御無事か」

思わず字で呼んでしまうところを堪えた。

「曹丕も同じ事を言っていた。曹丕は前線に向かった」
「…!」
「司馬懿、待て!」

太公望の静止も聞かず、気付けば前線に向かって走っていた。

いつもなら後方に控えられるではないか。
何故、前線なのだ。

疑問と不安を抱きながら走った。
目の前にかの人の背中が見えた。隣には徐晃や張遼の姿が見える。


「司馬懿殿」
「何?」

張遼が私に気付き、子桓様が私に気付き振り返った。
血に濡れている。

「何故前線に来た」
「何故、あなたが前線にいるのです」

お互いに同じように言い放つ。

子桓様に手を引かれ、前線から外れる。
徐晃と張遼には待機するように命令したらしい。

濡れている血は返り血だ。
子桓様のものではない。一先ず安堵した。

「あなたが前線に行かなくとも良いではないですか」
「この戦を見届けたくてな」

そのような気まぐれ、と言いかけて止めた。
この人はどうせ言っても聞かない。

「私を案じて此処まで来たのか、仲達」
「っ…それは」
「全くお前は軍師であろうに。それに先の話もある」
「私は、先の話より」





子桓様が





言いかけた言葉は口づけに溶けた。
唇は直ぐに離され、子桓様も直ぐに離れて行った。

手を伸ばしても、もう届かなかった。

「後方で私を待て。私が帰った後は共に還るぞ」



















戦に勝利し、遠呂智は倒れた。

私はあの後、太公望に引き戻され後方支援に回った。
遠呂智撃破後、崩れ逝く城の中で子桓様を見た。





それから未だ会えていない。
瓦礫の中、滅奏を見つけた。







あなたのいない魏に、どうして私ひとりが還れようか。


一人立ち尽くした。
あなたを置いて行けるものか。












「さて、時間だ司馬懿」

背後に太公望が現れた。
振り返らずに背中で聞いた。

「主君を失った軍師にこれ以上どう生きろと言うのか」

感情は何もなかった。ただ心が泣いていた。




「お前には辛い思いをさせた。これは私からの償いだ」

太公望が手をかざすと私の腕ががくんと重くなった。

















腕の中には、傷だらけの子桓様がいた。

「っ…子桓様」
「瓦礫の中にいたのを見つけてやった。
他にも何人かいたようだが全員生きている。仙人を見くびるなよ」

腕の中の子桓様の意識はないが、生きていてくれているというだけで私の心は満たされた。

「心から礼を言う…太公望」
「何、ついでだ。それに曹丕も先の話、歴史に刻まれる名だ」
「曹丕殿が?」
「司馬懿、お前は曹丕の亡き世、曹丕の為に魏を滅ぼすだろう」
「それはどういう…」
「さて、約束だ司馬懿。先の話、今の話も含めて未来の記憶を消してやろう。そして還るがいい」


太公望が私の額に触れ、手をかざした。





「お前たちの時代に」













































温かい。
此処は何処だろうか。








「仲達」

見覚えのある腕。大好きな方の声。
御無事だったのだと心から安堵した。

「子桓様」
「よく眠れたか?」

これはかつての日々のような。起き上がりまわりを見た。



許都。
ここは子桓様の部屋だ。窓の先には城下街が見える。





全て夢だったのだろうか。


「子桓様…あれは全て夢だったのでしょうか」
「いいや、現実だ」

枕元には紙の鶴が並んでいた。

「これは…」
「太公望が上手く時間の操作をしたらしい。我等にとってあの世界での出来事は一晩の事に済ませたようだ」
「一晩の出来事、夢のようなものだったと?」

日を見ればあの世界に飛ばされてから一晩しか経っていない。
外はまだ暗い。これから朝になろうというところだった。

「だが現実だ。民には何ら変わりない日常ゆえ、私達も相応に接しようではないか」
「はい。あの…」
「何だ?仲達」
「子桓様、お怪我は…」
「大事ない」

平気だと言いながら視線を逸らしたので、懐に潜り服の合わせを開いた。
胸に包帯が巻かれている。

じっ、と子桓様を睨んだ。

「大事ないと言うに」
「嘘ばかり」

服の合わせを正し、苦笑しながら腕を首の下に入れられた。
ちょうど腕枕をして下さったようだ。
睨むのを止めて、子桓様の方に体を寄せると肩を引き寄せられた。



「仲達、先の話を覚えているか?」
「先の話?何の話ですか?」
「来世、未来の話だ」
「おっしゃる意味が…」
「成る程、その記憶は消されているのだな」

いいこいいこと母が子を撫でるように、子桓様は私の頭を撫でた。
久しぶりの穏やかな時間に目を閉じた。

「夢現の内の夢のまた夢。だが我等は確かにあの世界にいた。お前も覚えているだろう」
「はい」
「覚えている事が礼儀、であるかな」
「向こうもそうなのでしょうか」
「恐らく」

では、覚えていよう。
あの者たちのことを。











子桓様に抱かれて、日が明けるまで眠ることにした。
ずっと戦続きだったのだ。

世界は還った。
だが、私が還るのは子桓様の腕の中だと。

そう思いながら目を閉じた。


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