此処で待ち合わせと聞いたのだが、其処には既に一人の男が佇んでいた。
左右色の違う黒と白の髪に、赤い甲冑。身丈は私より少し高いようだ。
身形だけなら、日ノ本の国の真田幸村だったか。
何処か似ている気がする。
「私に何か用か」
「否。人を待っている」
「左様であられるか。私も主をお待ちしている」
「奇遇だな」
「その様相…。古の軍師、司馬懿殿とお見受けするが如何か」
「その呼び名は気に入らんが、如何にも司馬仲達である。お前の名は」
「武田軍幕下、真田昌幸である」
「…真田の。お前、息子が居ないか」
「二人居るが」
「成程。幸村の父親か」
「信之と幸村を知っているのか」
「聞いた事があるだけだ」
どうやらあの若武者、幸村の父親らしい。
あの爽やかな好青年とは打って変わって、どうにも食わせ者のような気配を感じる。
謀略に長けた智者の顔をしている。同類の匂いだ。
本人に許可を得て、昌幸と呼ぶ事にし、隣に座った。
「私も司馬懿殿も歳は大差ないと思うが」
「子を持つ親というのは変わらぬようだ」
「ああ、それに司馬昭殿は何れ」
「先の話は控えろ。聞きたくない」
「左様ならば、止めておこう」
昌幸は日ノ本の国の者であり、先の時代の者であった。
私の国、魏の先の世の話は止めてもらうとして、昌幸は寡黙な方であったが話せる男だ。
暇つぶしに、孫子兵法など随分懐かしい兵法の風林火山の話をすると、昌幸は食いついた。
「風林火山が好きなのか」
「お館様の得意とされる兵法である」
「ほう。主君も謀略を好むか」
「お館様は…、否、止めておこう。話が長くなる」
「話し方で解る。良い主君のようだな」
「ふむ。司馬懿殿。曹操殿や曹丕殿はご健在か」
「何だ、知っているのか。その曹丕殿を待っている」
「そうか。司馬懿殿は曹丕殿に、であったな…」
「?」
随分含みのある言い方だが、昌幸の方もどうやら先程のお館様とは違う誰かを思っているような心持ちのようだ。
私と同じような顔をする。
「誰に仕えている」
「武田信玄公の四男、武田勝頼様である」
「…子守りか。私と同じだな」
「私がお支えしている。否、支えられているのは私なのだ」
「それには同意しよう」
策士、二人の息子、歳若い二代目の主。
どうやら私と昌幸には境遇に共通するものが多いようだ。
司馬懿殿は男にしては随分と細身であり、中性的な顔立ちの美丈夫であった。
もう少し解りやすい言葉にするなら、美人であろう。
正直女かと思いもしたが、声や肩幅のそれがしっかりと男であった。
それに何より、司馬懿殿はしっかりと芯のある男である。
あの諸葛孔明を負かした稀代の策士に会えるとは、このよく分からぬ世界の数少ない良いところか。
もはや物語の登場人物である。
しかしその見目で子二人の親だというのはさすがに驚いた。
「では、司馬懿殿は曹丕殿をお待ちしているのか」
「お前は、勝頼とやらを待っているのか」
「如何にも。私の大切な友であり、主である」
「友?ほう、面白い関係だな」
「幼心よりお仕えしている」
「成程。主とそのような関係になったことはなかった」
聞けば司馬懿殿と曹丕殿は、しっかりとした主従である。
教育係であった頃からの主従であり、司馬懿殿は曹丕殿のお目付けである。
歳も九つは違うという。
司馬懿殿の顔立ちから歳は感じないが、さぞや大切にされているのだろうということは伺い知れた。
曹丕殿を語る司馬懿殿の眼差しは優しい。
史実では、魏国に叛逆を起こした方だが、直に司馬懿殿を見ているとそうは思えん。
あの叛逆には何か深い理由があるのだろう。
「失礼を承知でお聞きしたい」
「何だ」
「曹丕殿と、恋仲で在られるのか」
「っ、何とでも言うがいい」
「ほう」
否定の言葉は出なかった。
口ごもった事から恐らくそうなのであろうと推察する。
見目や立場から察するに、司馬懿殿は下であろう。
これ以上は下世話かと思い直し、詮索は止めた。
「お前も、勝頼とやらとそうなのであろう」
「も、と仰ったか」
「っ、ああ、そうだ。あの御方との関係を偽りたくない」
「一途で在られる。可愛らしい人だ」
「な、何を言うか馬鹿め」
「私も、あの御方は私がお支えすると決めている」
司馬懿殿はどうやら素直ではないらしい。
そこも私に似ているようだ。
私は司馬懿殿ほど可愛くはないが、勝頼様を思えば口許が緩んだ。
此処で待ち合わせているが、お怪我などされていないだろうか。
激情に任せ、敵の挑発に乗せられていないだろうか。
到着の遅い勝頼様を思い、溜息を吐いた。
不意に背後から髪を撫でられる心地に身構えるも、その触れ方に覚えがあり警戒は直ぐに薄れた。
健勝で在られる様子に安堵し、その名を呼ぶ。
「勝頼様」
「待たせたな、昌幸」
私を見つめて破顔する勝頼様を見つめていると、司馬懿殿の方にも男が居た。
向こうの男は人目も憚らず、司馬懿の頬に触れて今にも口付けんとしている。
というよりこの男、見せ付けたいのだろう。
そうか、この男が曹丕殿か。
ほう、と司馬懿殿らを見ていると勝頼様が肩を引き寄せた。
肩を引き寄せられただけならともかく、顔が近付いている。
思わず手で顔を抑えて止めた。
「むう、昌幸」
「か、勝頼様。何ですか突然」
「曹丕殿が恋人の話ばかりするからな。私とて昌幸の話をしまくっておいた。故に、口付けたくなるのは仕方なかろう!」
「突っ込みたい所が沢山あり過ぎます…」
「し、子桓様!」
「口付けたくらいでそう怒るな仲達」
「人前でございます!」
彼処もそうなのか。
あちらは事後であったようで司馬懿殿は頬を染めて怒っていた。
先程とは、あからさまに態度が違う。
ひとつ確実なのは、曹丕殿が来てから司馬懿殿の眼差しが柔らかくなった。
年代だけで考えれば、司馬懿殿や曹丕殿は遥かなる歳上である。
だがそんな目上の方ではあれど、司馬懿殿は可愛らしい人だと男ながらにそう思った。
曹丕殿の傍に居る司馬懿殿は可愛らしい。
好きな人が居るだけで、あんなに顔が変わるものなのか。
勝頼様を見上げて見れば、私を見つめる瞳が柔らかい。
ああ、そうか、この瞳だ。
これが好きな人を見る時の瞳なのだろう。
きっと私も同じ瞳をしている。
「待たせたな、昌幸。もう少し先に行こう。その陣地ならば安全だ」
「勝頼よ。我等も其処に向かう。先程の話の続きだ」
「ああ、いいぞ。紹介しよう。真田昌幸だ」
「お初にお目にかかる。曹丕殿か」
「お前が昌幸か。曹子桓である。仲達が世話になったな」
「そなたが、勝頼殿か。司馬仲達である」
「勝頼で構わないぞ。我等は各々方に比べたら目下である」
「そうか」
「私は承諾し兼ねる」
「まあ、いいではないか昌幸。人生の先輩方だ」
「勝頼様」
「勝頼、それがお前の昌幸とやらか」
「ああ、私の世界で一番大切な人だ!」
「か、勝頼様」
「ほう」
「ほう」
勝頼様は、此処に居る誰よりも素直で選ばれる言葉も真っ直ぐだ。
その言葉は小気味よく、私に響く。
曹丕殿と司馬懿殿は同じような顔をして、私達を見ていた。
不意に司馬懿殿が曹丕殿を見上げていた。
曹丕殿が気付き、司馬懿殿の首筋に触れている。
耳に噛み付かんとする曹丕殿の手を除けて居たが、司馬懿殿は頬を染めて顔を背けていた。
相変わらずこの御方は人目というものを気になさらぬようだ。
どうやら勝頼様と同じ言葉を曹丕殿が司馬懿殿に囁いたようだ。
今にも横抱きにせんとする勢いの曹丕殿に対抗し、勝頼様が私の肩を叩いた。
「曹丕殿と司馬懿殿には学ぶべき事は沢山あるようだ」
「…曹丕殿は、少々慎んでは如何か」
「私が、何故隠さねばならぬ」
「人目を気になされませ」
「人目を気にされぬのか」
「私を誰だと思っている」
「おお、格好いい」
「勝頼様」
曹丕殿は一国の皇帝で在らせられる。
確かに身分を考えれば、皇帝より上は居るまい。
されとて、横暴な皇帝だと言う話は伝わっていない。
人々の上に立つ御方としては見習うものがある。
だが性格には難ありのようで、其れに至っては良い話を聞かない。
「司馬懿殿も大変だ」
「はは、あれは曹丕殿が司馬懿殿に甘えているのだろう」
「そう見えますか」
「そうとしか見えない」
皆の前でお伺いした際には、皇帝陛下なのだと本能的に感じる孤高のものを感じたのだが今は何というか、一人の我儘な男だ。
その曹丕殿を皇帝としても扱いつつ、我儘にも応えて遇う司馬懿殿の気苦労に同情する。
「されとて」
「うん?どうした昌幸」
「…司馬懿殿は、嬉しそうです」
「曹丕殿と共に在れるのが幸せなのだろう。私達にも似ている」
「はい…」
「ふふ、どうした?昌幸」
「あの二人にあてられたのです」
お二人がお二人の世界にいる内に、勝頼様の肩に持たれるようにして目を閉じた。
誰にも見られていないのなら、私とて。
勝頼様がそっと肩を抱くのと同時に、頬に唇が触れる感触がして目を閉じた。
私にとって世界で一番大切な人など、言うまでもない。
目的地に到着したが我等は別れる事はなく、ささやかな四人の宴を開くことになった。
どうやら曹丕殿も勝頼様同様、果実がお好きであられるようで勝頼様と話が合うようだ。
曹丕殿の傍に座る司馬懿殿と目が合った。
古の軍師、あの諸葛孔明すら上回る知略をお持ちの司馬懿殿が曹丕殿の前では唯一本心を曝け出している。
「司馬懿殿に御指南戴きたい」
「私にか」
「策略家として尊敬せずには居られん」
「ほう」
「昌幸とて謀略家だ。昌幸の言葉は口八丁…」
「勝頼様。いくら私とて司馬懿殿に嘘偽りは申しませぬ」
「正しく、軍略家の口先だな」
「子か…、曹丕殿」
「字で呼ばぬか仲達。軍師というのはどうにも素直でない」
「同感だ。たまには素直に甘えて欲しいものだ」
「だが、それも含めて全てを愛らしく愛おしいと思うのであろう勝頼」
「勿論。昌幸の事は全部好きだ。曹丕殿もそうなのだろう」
「無論よ。なあ、仲達」
「っ、子桓様」
「勝頼様、勘弁していただきたい」
曹丕殿と勝頼様は想いも言葉も真っ直ぐ過ぎるあまりに、私や司馬懿殿には強すぎる刺激である。
果物談義を楽しげに語る勝頼様を見つめていると、司馬懿殿は曹丕殿を見つめていた。
両想い過ぎるほど両想いなのだろう。
ほろ酔いで凭れる身を抱き寄せて、曹丕殿は眠る司馬懿殿を見つめていた。
勝頼様もほろ酔いとなられたのか、私の肩に甘えるようにして凭れて目を閉じている。
「勝頼はお前の事が愛おしい。それは言葉にも態度にも解りやすい」
「存じている。畏れ多い事だ」
「ひとつ忠告してやろう。過ぎた遠慮は拒絶にも通ずる。下らぬ遠慮ですれ違ってもつまらん。せいぜいたらればと後悔をせぬ事だ。これは仲達の受け売りだがな」
「司馬懿殿がか」
「仲達は二人きりになれば…、これ以上は言えぬな」
「ほう」
「昌幸とて二人きりになれば可愛い」
「か、勝頼様」
「ふ、では私も仲達を可愛がるとしよう」
「ふふ、末永くお幸せに曹丕殿」
「祝你们永远幸福」
曹丕殿は司馬懿殿を連れて奥に下がった。
司馬懿殿も目を覚ましていたのか、曹丕殿の袖を掴んでいる。
何といじらしい可愛らしい人だ。
曹丕殿は最後は何と言ったのだろう。
彼処の言葉であったから聞き取れはしなかった。きっと悪い言葉ではないのだろう。
「何と仰ったのでしょうな」
「何と言ったのかは解らんが、何と伝えたかったのかは解る」
「左様でございましたか」
「ふふ、昌幸。愛しているぞ」
「…はい、私も…勝頼様」
私が余りにも素直に返答したものだから、勝頼様は驚いて頬を赤らめていた。
私とて、たらればと後悔はしたくない。
きっとまたいつか逢えるだろう。次に逢えた時もまた話が出来るだろう。
今の私には勝頼様しか見えていない。
私から手を伸ばすと指を絡め取られて勝頼様と唇が合わさった。