悋気りんき 前編ぜんぺん

曹丕様に軍議室に呼ばれて来て見たものの、三成と既に深く話し込んでいる様子だった。
壁に寄りかかり、羽扇を扇ぎ何となく二人を見ていた。

「三成、この陣についてだが」
「ああ、それは」

他国、別の時代の武将達が交じり合う世界にも慣れた。
幾度か敵対し、過去を遡り、色々あって結局私は曹丕様の元に居る。
石田三成、島左近らも我が方の味方だと聞く。
少しずつ、味方が増えていった我が方。

「此処を変えたいのだが」
「ふむ。では曹丕の意見を聞くとしようか」

この世界では、私は何なのだろう。
かつての敵は戦友となり、かつての主や部下が敵となる世界。

以前から在った関係など、まるで初めからなかったかのような。







軍師として扱って貰えるのは、まぁ嬉しい。
必要とあらば、策を携え戦に参戦する。

結局のところ、この世界も戦乱とさほど変わらず。
これまでと何ら変わらぬ。

ただ、酷く頭が痛い。
不愉快なのだ。
其処に私の居場所などなかった。傍に置かれているだけだ。


「…ふん」
「?」
「私は不要のようだ。失礼する」

何やら書簡に向かい思案中の曹丕様を一瞥し、三成に声をかけて席を外れた。

私など不要ではないか。
何の為に呼んだのだ。




「どうしました?」
「…左近、か。否…何でもない」

部屋を出て、回廊を暫く歩いた。
押し寄せる不快感に眉間を抑えて壁にもたれ掛かっていると、
通り掛かりの左近に話しかけられた。

「綺麗な顔なのに、顔色が悪いですよ」
「…お前は誰にでもそれを言ってるのか」
「はは、まさか。いやしかし、本当に大丈夫ですか司馬懿さん?」

左近に額に触れられるが、其れを振り払った。
別に熱はない。

「大事ない」
「そうですか。あんま無理しちゃ駄目ですよ」
「…傷み入る」

左近が壁に手をついて話す。






















話が粗方済んだところで仲達が居ない事に気付く。

「…仲達?」
「先程、退室したが気付かなかったのか?」
「……」
「えらく顔色が悪かったようだが」

いくら三成と話し込んでいたとはいえ、何故気付かなかったのかと己に腹が立つ。

気付けぬ程に、気にしていなかったのだろうか。
仲達が私の傍に居るのが当然だと思っていた。
仲達には、そう思われていないのだろうか。

「何か要事でもあったのか?」
「…三成、話は終いだ。すまぬが」
「ああ、行って来い。まだ近くに居るのではないか?」

これはいくら何でも私が悪い。
不用意に呼びつけ、結局仲達に一言も話しかける事をしなかった。

回廊を小走りに歩く。
仲達が壁際に寄りかかり、左近がその壁に手を付いて話し込んでいた。






「何処かの面食いの方がほおっておかないとは思いますが、この世界で無茶はいけませんよ」
「…其れは曹丕殿の事を言っているのか」
「曹丕殿、だなんて。あれ?仲良しじゃないんですか?」
「あの方とは何もない。この世界では以前の主従の関係などない」
「おや?そうなんですか?」
「私が退室した事も気付いておられぬようだし。それにやたら三成と話があるようなのでな」
「…あー、俺ちょっと司馬懿さんの気持ち解るかもしんないです」

左近に苦笑しながらも、心を開き話している仲達を遠くに感じた。

全てが、不愉快だ。
師や昭にならまだしも。




主従の関係などない。

仲達自身の言葉に、酷く傷付いた己が居る。
気付けば拳を握り締めていた。

「…何をしている」
「は?」

即座に仲達の表情が不快に変わった。

私は、私以外が仲達の傍に居る事が不愉快だ。
左近の手を掴み、仲達から離す。
訝しげな表情の仲達を一瞥すると、確かに顔色が些か悪い。
左近の手首を掴んだまま問う。

「仲達に、何をした?」
「あー…何か誤解してません?」
「何をした、と聞いている」
「ですから」

困惑している左近が仲達を見て、頭を掻いた。
仲達は溜め息を一つ吐き、淡々と簡潔に話した。

「左近は何もしておりません。私の体調を気にかけ声をかけただけです。
何卒、その手をお離し下さいますよう」
「…左様か。すまなかった」
「いえいえ」

別に、解ってはいたが。
左近には三成が居るであろうし、私とて三成に手出しをする気は毛頭ない。

仲達が私の腕を掴み左近から払った事に驚いた。
以前の世界では、そのような態度は絶対に取らなかったのだが。

「…何を怒っている?」
「は?」
「私が何かしたか」
「別に、何も」

仲達の言葉は至極平静だが、あからさまに顔に不愉快と書いてある。
左近が横で困惑しているが、気にも止めなかった。

「何だ、揃いも揃って」
「三成」
「ああ、殿!助かった!」
「は?」

通りすがりの三成が、我らの静かな冷戦を察し声をかけてきた。
左近が縋るように逃げた。
仲達の眉間に皺が刻まれている。

「…失礼する」
「待て仲達」
「触らないで下さい」

身を翻す仲達の肩を掴んだが、あっさりと払われてしまった。
そのままつかつかと立ち去って行く仲達を追いかける事が出来ず、伸ばした手もそのままに固まった。






私が何をした。

「…何だあの態度は」
「今度は何をしたのだ曹丕」
「左近が仲達に言い寄っているのかと思い、話し掛けただけだ」
「お前は何をしているのだ」
「ちょ、だから誤解ですって!」

左近が何やら三成に懸命に説明をしている。
だがそんな事は問題ではない。

伸ばしていた手を下げた。
此処まで蔑ろにされると、流石の私も頭に来る。
次に胸が傷んだ。

私は、仲達に必要とされていないのか。

「曹丕さん、此処で気付けなかったら司馬懿さん多分…この軍から離軍しちゃいますよ」
「…私が何をした」
「あぁもう、ですから」
「何もせず、何も言わぬからではないのか?」

三成が蔑むように私を見た。
左近が三成の顔を覗き込む。

「あれは人形ではないのだぞ、曹丕」
「解っている」
「傍に置くだけでは、体の良い飾りではないか」
「おや、我が殿は解っていらっしゃる。
ちなみに聞きますが島左近は、石田三成に必要ですかね?」
「ああ。俺の傍に左近が居れば何かと便利だからな。存分に使ってやる」
「どうも、ありがとうございます」
「貴様は其れでいいのか」
「我々の世界では御褒美です」
「何を言っているのだお前は」

三成が呆れたように左近を小突いた。
この主従は其れが常のようだ。

「…仲達を傍に置くのが当然だと思っていた」
「何の為にです?」
「仲達の主君は私だろう」
「司馬懿はそうは思っていないかも知れぬがな」
「…そうか」


この世界では、私は仲達の主ではないのか。
呼び方を当て付けのように変えたのもそのせいか。

「あれは言わねば伝わらぬぞ。あのしたり顔がお前の想いを察する程、気がつく男か?」
「…行って来る」
「ふん。武運を祈る」

呆れた様に三成が扇子を翻し、左近と回廊を後にした。



















この建物は私の記憶にある建物だ。
恐らくは、装飾からして魏の建物だろう。
記憶を辿り、角を曲がり玉座の間に入った。

今、この席が誰のものかは解らない。
ただ座っていた人が誰かは解っている。

玉座の前に膝を付き、座す場所に頬を付けうずくまる。
冠が落ち、髪型が崩れたが気にも止めなかった。

何を泣いているのだ私は。

馬鹿らしい。
頭が痛い。

羽扇を握りしめ、玉座に顔を埋めた。







「此処か」

聞き覚えのある声にはっとして立ち去ろうとしたが、それよりも早く後ろから抱きすくめられてしまった。

「仲達」
「離して、下さい」
「離さぬ」

振り払おうにも羽扇を取り上げられ、投げ捨てられる。
振り返り嫌味の一つでも言おうとしたが、抵抗すればするほど抑えつける力が強くなり痛い。

玉座に押し倒されるように、左手で両手首を掴まれ抑えつけられる。
顔を見られまいと逸らし、髪で隠したが右手で顎を掴まれ顔を上げさせられる。

「…先程から、何…」
「何です…か…」

ひたすらに無礼な態度を取る私に何かしら言うつもりだったのだろうが、
私の顔を見るなり曹丕様がはっとして立ちこめていた怒気が消えた。

「…私とて言わねば解らぬ」

一言、そう言い私の瞼に口付ける。
強く抑えつけられていた両手首は離された。その代わりに強く引き寄せられ、胸に埋められる。

「…何ですか」
「お前には言葉で言わぬと伝わらぬか」
「何の話です」
「…お前の主は私ではないのか?」
「私の居場所など、何処にも…」
「そうか。…漸く解った」

尚も態度を尖らせて接する私に対し、曹丕様が何故か柔らかく笑った。



















「私に構われず、淋しかったのだな?」
「なっ、ばっ…違います!」

仲達の頬を撫で微笑むと、顔を赤くさせ反論した。
この反応はどうやら正解だ。

「ふ、図星か」
「違います。貴方の傍にはいつも三成が居るでしょう。私はもはや不要と…」
「私が、何時、そうお前に言った?」
「それは」

仲達が口ごもり、下を向いた。
その肩を引き寄せて胸に埋めた。



そんな事で、仲達は顔色を悪くする程悩んだのか。
そんな事で、仲達は私の座る玉座の前に座し涙するのか。

何なのだ、お前は。
愛しくて仕方がない。



「…勝手に深く考え、一人で悩んでいたのだろう」
「それは貴方が」
「この世界で、私とお前が主従関係にないと言うのならば其れでも構わぬ。私との事は忘れてしまってもいい」
「それは…」
「出来るならな」
「…っく」

顎を掴み優越に笑むと、仲達は赤面し顔を逸らした。
玉座に広がる黒髪を一房掬い、口付ける。

「主従でない、と言うのなら平等と言う事か?」
「知りませぬ」
「主従でないと言うのなら、私を子桓と呼べ」
「は…?」
「出来ぬのか、仲達」
「…何を馬鹿な」

仲達の頬に擦り寄る。
これは私のものだ、と香りを残すように。

「字を呼べ。お前なら構わぬ」
「子桓………、様」
「様は要らん」
「…御戯れが過ぎます」
「左様なれば主従関係にあると思って良いのか、司馬仲達よ」
「…参りました。私の負けです」

数々の御無礼申し訳ありません、と仲達が頭を下げた。
別に私ももう怒ってはいない。
私からも仲達に改めて謝罪した。

互いに謝罪した上で、仲達に確認をしたい。





「お前の主は?」

仲達の首筋を指でなぞり、真っ直ぐに見つめた。
仲達が観念したかのように私を見上げて、袖に手を通し頭を下げて言葉を続けた。

「…司馬仲達の主は、曹子桓様ただ一人に御座います」

微睡む鳶色の瞳には、私だけが映っていた。
長い睫毛に唇を寄せ、玉座に押し倒す。

「…子桓様?」
「やはり仲達が良い」

首筋に口付けて吸うと、仲達が小さく声を上げて抵抗した。


「…此処では嫌です」
「散々煽られては、私とて堪えようも」
「堪えろ。目障りなのだよ」

後頭部を扇子の柄で叩かれた。
痛みに振り返れば三成が腕を組んで立って居た。

「何だ三成」
「なっ…?!」
「どうなる事やらと様子を見に来たが、どうやら話は済んだようだな。事を起こすなら司馬懿は持って帰れ」
「…そうするとしよう」
「ちょ、待っ、人の話を」
「ふん。痴話喧嘩は犬も食わぬぞ」


ひたすらに狼狽する仲達を肩に抱えて、三成と別れた。


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