さんより

「寒くないのか?」

涼やかな声が、この心を弾いてくる。さも児戯の如く弄ぶ。
この方は悪戯な笑みを浮かべ、心を射抜く事が得意なようだ。

だから、私は「いえ」と短い返事だけを返し、相手にしようとはしない。

寒空の下、距離を置きながら歩く二人。
決して下らぬ喧嘩をした訳ではない。
意味は無いのだ。

本来ならば主従関係にある従の私が、主の御前を歩く事など許されぬ事だろう。
ただ、わが主が「たまにはお前の姿を少し離れて見ていたい」などと、気まぐれな提案をされたから、やむ無くそうしているだけの事。

見透かされる事に馴れそうもないままでいる私には、このくらいが丁度良い。

「ここからの光景、まるで天女でも見ているような感覚を覚えるな。」

後方からまた声がかかる。
発言に少しの苛立ちを覚えた。
頭のキレには自信があるが、どうせ策士など女々しい体力の持ち主だ。皮肉なくらいに現実である。今更言われるまでもない。
歩みを止め、少しの間を置いて振り返った。

「酔っていらっしゃるのですか?」

精一杯に出た皮肉がコレだった。
しかし…

「お前に」

間髪開けずにサラッと、とんでもない事を言いなさる。
こういう所が相変わらず恐ろしい。策士の私ですら測りかねる。

「ご冗談を」

目蓋を閉じ、顔を背ける。
何もないフリ。

動揺を見せれば、すぐに私は貴方に屈してしまうだろう。
これ以上、私にどう屈しろと?

立ち止まった私のすぐ後に追いついた貴方は、後ろ髪を掬った。

「黒くしなやかな美しい髪に嫉妬する。」

そう言って口付ける。
ひとふさの髪に。
直接には見ていないが、見ずとも感じる事ができる。
身体には触れられてもいないのに、全身に痺れが走った。

「額縁は絵より目立つべきではない。双方が互いを引き出す事は難しく、どちらかが引かねばならない。だがお前は、その曖昧な釣り合いすら物ともしないのだな」

「何が言いたいのです」

「髪を下ろしている姿が良く似合っている、と」

言葉が終わる前に、後ろから抱きしめる形で首筋に顔を埋める。
吐息が触れ、くすぐったい。

だが私は、まだ貴方に屈しはしない。

「重いです」

「愛が」

「貴方が」

さらに続けて、冷たく言い放つ。

「貴方はもう、私が抱き上げ、あやす事などできぬ程にご立派になられた。私など無用でしょう。」

酷い言い方だ。
まるで天の邪鬼で、不器用にもほどがある。
もっと私は策ではなく、上手い冗談でも学んでおけばよかったのだろうか?

自分の発言に傷を追いながら、反応を待ってみるが…

なにも返ってこなかった。

自分で言い出した手前、引くことも出来ず、不安を隠すように唇を噛みしめ沈黙をきめる。

「抱き上げられた覚えがない」

ポツリと貴方が呟いた。
意外な返答に呆気にとられ、締めた口元が緩んだ。

「何年、何月…」

「それは貴方が幼き昔の…」

「何時何分何十秒。地球が何回回った時だ」

「私の反応を見て遊んでいるのですね」

耳元で、また含み笑い。
私には貴方の顔を見ずとも分かるのですよ。
少年の悪戯が決まったような顔をされて、大いに喜びたい所をさぞ堪えていらっしゃるのでしょう。

(ええぃ、………がっ!)

と、思わず口癖となった言葉を発しそうになったが飲み込む。間違ってもあの言葉だけは言えない。

「……離れていたぶん、冷えているな」

そう言って、ご自身で着ているマントに私をくるみ、回した腕をきつく絞めた。

「たとえ世が替わり、全てが手にはいる私とて、この鼓動は昔と変わらん。お前には解らぬだろう。」

私は貴方の鼓動を知っている。その変わらぬ速さも。

「お前といる時のこの音の速さを思えば、伝わらぬ想いに似て切なく、哀しくなるな。」

逆を言えば、速い音しか知らない。

「それは、私とて同じ事……」

「つまりは相思相愛、だと?」

「っ…馬鹿めが」

ついたまらず、禁じていたはずの言葉が出てしまった。
やはり貴方にはかなわない。
誘導尋問に流されるばかりで、私は赤子同然だ。

「私が馬鹿であったら、その責任は先生であるお前が全て負ってくれるのだろう?」

ああ。そうか。
貴方は私の前では、いつまでも子どものままでいるのですね。

必要とされなくなる事は、誇らしくあり、寂しい物。
手離そうとしない限り、私は心置きなくこうして傍に居られる。

我が儘な方だ。


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