中庭から回廊を渡る。
小さな昭と一緒に、執務室の窓辺に立って爪先立ちで父上を探していた。
見れば父上の膝の上には曹丕様が寝転んでいる。
父上は曹丕様を膝に寝かせたまま、器用に腰を捻らせ卓に向かって黙々と筆を走らせていた。
昭を連れてこそこそと執務室に入る。
むっとして頬を膨らませ、父上の背中に昭と共に抱きついた。
漸く父上が気付いてくれたようだ。
「何だお前達、来ていたのか?」
「父上」
「何だ?」
何か用か?と聞かれれば別に用件はない。
ただ、執務にばかり、曹丕様にばかり構っている父上がなかなか私達には構ってくれないので寂しい。
お忙しい父上にそうは言えず、父上の背中に暫し無言で埋まる。
「ちちうえがあそんでくれないからさみしい」
「うん?…そうか」
昭もぷりぷりと頬を膨らませて唇を尖らせる。
このような時にさらりと素直に言える昭が羨ましい。
膝を崩さぬよう、父上が昭の頭を撫でて苦笑する。
「師も、か」
「…はい」
「生憎、今は動けぬ故…おいで」
私と昭の頭や頬を撫でて父上はすまない、と一言謝罪した。
父上を謝らせたい訳ではなかった為、恐縮してしまい父上の胸に埋まる。
父上の膝の上で眠る曹丕様は静かに眠りについていた。
父上を独占しているこの男に悋気を感じずには居られなかったが、
安堵しきっている寝顔を見てしまうと邪魔はしたくない。
父上の前でなら自分を晒け出せるのだろう。
曹丕様は、他人の前でこのような無防備な姿を決して見せなかった。
お二人の仲の絶対の信頼を感じた。
曹丕様にあてられたのか、昭が目を擦る。私も眠い。
昭は先日二つになったばかりだ。
私も四を数えるくらいでいつもならこの時刻は昼寝をしている時刻なのだ。
父上に会いたいばかりに部下の文官に頼んで連れてきてもらったので、まだ昼寝はしていない。
昭がうとうとと父上の肩に埋まり動かなくなってしまった。
どうやら眠ってしまったらしい。
「む…、増えてしまったな」
「父上…」
「師も眠そうだ。おいで。沢山歩いて疲れただろう?」
「…仕方あるまい。譲ってやろう」
「おや、お目覚めで」
曹丕様が欠伸をしながら体を起こした。
目を擦りながら昭を抱き上げる。
父上に促され今度は私が父上の胸元に埋まった。
温かくてしがみつくと父上は頭を撫でてくれた。
「少しは眠れましたか?」
「ああ…助かった。お前の傍でなくては眠れぬ故」
「左様で」
どうやら曹丕様はここ数日眠れなかったらしい。
まだ眠いのか、昭を胸に抱きながらも父上の肩に凭れていた。
「師が、どきましょうか」
「うん?」
「曹丕さまにおゆずりします」
「いやいい。其処はお前の場所だ」
「でも、曹丕様も眠いのでしょう」
「師?」
「ふ、子供に要らぬ気遣いをさせてしまったか。大事ない」
曹丕様に頭を撫でられた。
それが心地良くて目を瞑ると、父上がふ…と笑う。
父上に甘えるように首に抱きつき頬に擦り寄る。
私だって父上に甘えたいのだ。
「うん?今日の師は甘えたがりだな」
「ふ、子は可愛かろう」
「ええ。この子達を見ていると癒されます」
「そうか。だが随分と寂しがらせてしまっているようだな」
既に眠っている昭が曹丕様の胸元を握り締めていたが、その小さな片手は父上の袖を離さなかったようだ。
眠っている昭に無意識にぐいぐいと引っ張られて父上が笑っている。
曹丕様に促され、父上が脚を崩す。
その胸にすとんと埋まり、ぎゅうっと父上の服を握り締めた。
父上が何処かに行ってしまうと思ったのだ。
不安そうに見上げる私を察してくれたのか、父上は頭を撫でてくれた。
「生憎、私は多忙ゆえ…会いたくなったら此処に来たら良い。
部下に伝えるが良い。少し位であれば私も相手が出来よう」
「…はい…」
「すまぬ。眠いな」
すっぽりと胸に埋まり離れない私を抱き上げて父上は立ち上がり窓辺に立った。
背中をぽんぽんと叩かれていよいよ持って本当に眠い。
曹丕様も父上の後に続いて、昭を胸に埋めて抱き上げた。
「師も眠いようで…仮眠をお許しいただけますでしょうか?」
「許す。私も眠い。昭が温かいのでこのまま抱いて寝たい」
「ふ、子桓様がそれで宜しいのなら」
「師は仲達から離れぬだろうしな。今日は仲達の隣を諦めよう」
「私の隣が良かったのですか?」
「…やはり譲れんな。昭も仲達が良かろう」
「??」
曹丕様の部屋に移動されたのか仮眠室の敷布と違い、寝台の敷布がふかふかだ。
日当たりもよく温かい。
父上が曹丕様の装備品を外していく。
どうやら先程のはうたた寝だったらしい。
お返しに曹丕様が父上の冠や肩当てを外す。
父上が私の額や頬を撫でた。
それが嬉しくて心地良く、父上の手に甘えるように擦り寄る。
曹丕様が寝台に座り、父上も促されて隣に座った。
父上の肩が曹丕様に引き寄せられている。
「…子桓様?」
「少しだけ」
「少しだけ、ですよ」
「?」
曹丕様が昭の目元を隠すように掌で覆う。
首を傾げながら見上げる私を見て父上が頭を撫でる。
父上もそれに習うかのように私の目元を掌で隠した。
お二人が何をしているのか私には解らなかったが、
目元から手を離された時には既に視界に曹丕様は居なかった。
父上の胸元に私と昭が埋まるように寝かせられる。
どうやら曹丕様は父上の背後に横になっているらしく、父上の首を曹丕様の腕が支えていた。
曹丕様は父上を背中から抱き締めるようにして隣に居るようだ。
寝室に入れる事といい、曹丕様に腕枕をしてもらえる人なんて父上以外にいないのだろう。
どうやら曹丕様はもう眠ってしまったらしい。静かな寝息が聞こえていた。
「父上」
「うん?もう寝なさい」
「まだ、お話し…したいです」
「なれば一眠りしたら沢山話そうではないか」
「やくそくですよ」
「約束しよう」
もうおやすみ。父上が私の額に口付ける。
父上の腕枕には曹丕様の腕も添えられていて、手を繋ぐかのように寄り添っていた。
「父上」
「何だ?」
「曹丕様のこと、好き?」
「…好きだ。勿論お前たちの事も好きだ。ほら、もう寝なさい」
「ん…」
「ふむ。そうか」
「聞いていらしたのですか?」
曹丕様の声が聞こえる。
父上を後ろからぎゅうと抱き締めて笑っている。
「私も好きだ」
「知ってます」
父上と曹丕様の声を聞きながら、限界だったので眠りについた。
「ちちうえ」
「うん?」
「しょうのことすき?」
「勿論」
「へへ、うれしい」
「父上、師は?」
「無論好きだ。師は初子だった故、生まれた時は本当に可愛らしくて仕方なかった」
「今は、どうなのですか」
「今も大好きに決まっているだろう?」
「はい」
「しょうはかわいくないの」
「そうは言っていないだろう?」
暫くして目を覚ました私と昭は父上の胸に埋まり、お話をしていた。
寝起きの昭は元気が良く楽しそうにはしゃいでいる。
父上の背中ではまだ曹丕様が眠っているようで、父上はしーっと昭の唇を指で抑えた。
「お前達は私の宝物だ」
「たからもの?」
「とても大切で、大好きだという意味だ」
「しょうもちちうえがだいすきです!」
「そうか。それは嬉しい」
「師は?」
「大好きすぎて…離れるのが寂しいです」
「なれば、出来るだけ二人の傍に居よう。寂しくさせてすまない」
父上に抱き締められて目を瞑った。
昭がまた嬉しそうにはしゃいでいる。
「私は仲達を愛している…」
「…っ、何ですか急に」
「ふ…、お前たちは随分と可愛らしい」
「子供は、可愛いです」
「お前も可愛い」
「な、何を仰います」
「ほら、な?」
「ちちうえかわいい」
「可愛らしいです」
「やめなさい…」
目を閉じたまま、曹丕様が父上の肩に埋まって話す。
まだ眠いようだ。
昭が手を伸ばして、曹丕様の頭を撫でていた。
「こ、こら」
「昭は大物になりそうだな」
「おおもの?」
「こちらの話だ」
父上が慌てるも曹丕様は気にしていないようだ。
昭は首を傾げている。
小さな手で曹丕様の指を掴んでいた。
「…お前が子煩悩になるのも解る気がする」
「子供は良いものです。護るものがまた増えました」
「お前は子供たちの前では随分と甘いな」
「可愛くて仕方ないのです。本当はもっと傍に居てやりたいのですが…」
「仲達を独り占めしてばかりですまぬな」
曹丕様が私に詫びる様に頭を撫でた。
年齢的にも立場的にも曹丕様に勝てる気もしないので、私は首を横に振った。
別に曹丕様の事を嫌っている訳ではない。
ただ何となく、私の上にもうひとり兄がいるかのような心地だった。
腕枕ふたつ。
このお二人はいつも私達の傍に居てくれた。
私達をいつも護ってくれていたのだ。
回廊を昭を伴い歩く。
空いたままの扉が気になり父上の執務室に入った。
書簡が積まれた卓の上で、父上がうたた寝をしている。
曹丕様はここ数日、国をあけており父上が留守を護っている。
実質、重大な執務は全て父上に任されている。
「このようなところで寝ては、風邪をひかれますよ?」
うたた寝など父上にしては珍しい。
お疲れなのだろう。
筆の文字が歪んで変な文字になってしまっていた。
筆と硯を移動させ、父上の冠を取るとさらさらとした黒髪が流れた。
「ねぇ、兄上。父上をちゃんと寝かせてあげませんか?」
「そうだな。今更起こすのは忍びない」
昭が父上をそっと横に抱き上げ、寝台に寝かせた。
小さかったあの昭が今では父上を持ち上げられる程に成長している。
大きくなったと、兄の私でもそう思う。
「何だか昔を思い出しますね」
「昔とは?」
「腕枕してもらいましたよね」
「ああ…懐かしいな」
「兄上、この後の御予定は?」
「特にはないが」
「なら今度は、俺達が腕枕してあげましょうよ」
「それは良いな」
私と昭、二人で父上を挟むように寝台に横になり父上に擦り寄った。
私達の身丈はいつの間にか父上を追い抜いてしまっていた。
父上の胸の中に収まることはもう出来ない。
「昭」
「何です?」
「今度は私達が父上を御護りする番だな」
「そうですね。今度は父上が寂しくないように」
昭と二人、腕枕ふたつ。
父上を抱き締めるようにして目を閉じた。
「…ありがとう。温かい」
父上の声が聞こえて昭と二人で体を起こしかけたが父上に引っ張られてしまった。
「留守を任されている故…今日は気が緩んでいたようだ」
「少しはお休み下さい…。曹丕様の代わりになれるとは思っておりませぬが、父上が倒れてしまっては…」
「お前達はお前達であろう。比べようとは思わぬ」
「心配なんです。父上は無理するから」
父上の頬に擦り寄る昭は相変わらず自分に正直に話す。
しがみつく昭に父上が頬に口付けた。
「っ…!」
「昭は変わらぬな」
「やめて父上恥ずかしい!こんな綺麗な人に口付けられたら、俺もっと好きになっちゃいますよ」
「何を言っているんだお前は」
「父上…」
「うん?」
「私も…」
昭が羨ましくて私も父上に擦り寄る。
父上は苦笑しながらも私の頬に口付けをしてくれた。
「満足か?」
「父上…」
「ん?」
「大好きです…」
「私もだ」
「はい…少し、お眠り下さい」
「おやすみなさい、父上」
「ありがとう…おやすみ」
父上が目を瞑る。
私と昭、それぞれから額に口付けられて父上は笑う。
暫し父上の寝顔を見ながら、私と昭も目を閉じた。
「…すっかり場所を取られてしまった」
遠くで曹丕様の声が聞こえたような気がした。