ただをつなぎたかっただけ

今朝はまだ寒い。
昭はまだ眠いのか、父上に頬を撫でられても瞼を閉じたままだ。
執務に向かう父上をお見送りする為、母上に抱かれた昭と共に父上を見送る。

「今日も遅いのかしら」
「遅いだろうな。教育係と軍師の両立は疲れるわ」
「でも、旦那様は楽しそうだわ」
「文官で居た頃の方がまだいい」
「旦那様は相変わらず素直じゃないわね」

父上と母上の邪魔にはならぬように静かにお話しを聞いていた。
父上は曹丕様の教育係をしながら、軍師のお仕事もしている。
曹丕様は私よりかなり年上だが、父上よりは一回り年下だと言う。
お会いした事があるが、あの御方も父上が好きらしく、父上の袖を引いているのをよく見る。

正直、父上を取られているような気がして悔しかった。

朝は早く、夜は遅い。
戦地に行ってしまう時は長ければ幾日も会えない。

父上が大好きな私にとって、こうして父上が家に居る事だけでとても嬉しかった。




今日はお見送りをする為に何時もより早く起きた為、私も眠い。
目を擦っていると父上が私の頬に触れた。
長い睫毛がとても綺麗で、父上の顔が近付く。

「もう行く。師よ、礼を言う。私が去ったら寝台に戻るのだぞ」
「父上はこのまま起きてお仕事をなさるのでしょう。なれば私も、起きています」
「このように手を温かくさせておいてよく言う。春華、師を頼む」
「ふ、行ってらっしゃいませ」
「父上、行ってらっしゃいませ」
「行ってくる。夜は私を待たず、先に寝ておれよ」

父上の優しい手が離れ、母上と手を繋ぐ。
父上が見えなくなるまで手を振った。


また父上と手を繋ぎたい。
手を繋ぐだけでよいのだ。
お忙しい父上のお時間を取る訳にはいかない。
父上に怒られようとも、やはり今日は父上が帰ってくるまでお待ちしようと心に決めた。


門の外まで父上をお見送りした後、母上の着物の裾にしがみつく。
やはり眠い。だが父上だけが頑張っているのは嫌だ。

目を擦る私を見かねた母上が私の前に屈んで頭を撫でる。

「子元。子上ともう一回寝ましょう?」
「父上はいつ帰ってきますか」
「夜遅くにね。ちゃんと帰ってくるわ。子元はもう旦那様に会いたいの?」
「はい…。父上に会いたいです。お話しがしたいです」
「そう言えば、明日はお休みと仰っていたわ」
「!!」

なれば今夜は父上と一緒にお話し出来るかもしれない。
父上とずっと一緒に居れるかもしれない。
でもきっと父上はお疲れで、直ぐに寝てしまうだろう。
母上は昭にかかりきりだから、兄の私が駄々をこねてご迷惑をかける訳にはいかない。
とりあえず、今は母上の言うことを聞こうと寝台に戻った。

「母上」
「なぁに?」
「今夜は父上をお出迎えするので、ねます」
「あらあら、子元は本当に旦那様が大好きね。でも無理はしちゃ嫌よ。旦那様も悲しむわ」
「はい」
「いらっしゃい」
「母上もお休みください。昭は私が見ています」
「すっかり子元はお兄さんね」
「はい」

小さな昭の傍について、母上に寝台に寝かせられ目を閉じた。
やはりとても眠かった。父上は凄い。









昭を腕に抱いて暫く眠っていたら、昼になってしまった。
母上が家中を忙しなく動き、話し掛けるのも申し訳ない。

「あにうえ」
「…?」
「あにうえ」

昭に頬をふにふにと摘まれて目を覚ました。
昭の手は温かくて柔らかい。

「おはよう」
「はい」
「そこは、おはようございますと言うのだ」
「おあようございます」
「うむ」

昭と手を繋いで大人しく部屋にこもる。
自分と昭の着替えを終えて、まだ幼い昭には寒くないようにと首巻きを巻いた。

昭は何をするにも私の後をくっついて歩く。
歩けるようになってから落ち着きがないので、私は兄として目を離す訳にはいかない。


昭と暫く部屋で遊んでいると、母上がやってきた。
昼食に呼ばれたのだ。
卓に付いて昼食をいただいていると、母上が私の頬に付いた食べかすを拭いながら笑う。

「明日は子元の好きなものを作るわ。何がいいかしらね」
「好きなもの…?」
「肉まんは勿論作るわよ?」
「なぜ、私だけなのです?」
「ははうえ、しょうもー」
「子上の特別な日はもう少し先だわ」

首を傾げて母上に聞くも、母上はにこにこと笑うだけでその意味を教えてくれなかった。
昭も私と同じく口周りにつけた食べかすを母上に拭われる。

食後、母上のお手伝いをしてから部屋に戻った。


明日は何かあるらしい。故に父上はお休みなのだろうか。
なれば父上は私とお話しをしてくれるだろうか。

いつも母上と昭と三人で過ごす。
いつも其処にいない父上の為に、私は色々な事をお話ししたいのだ。
それに父上のお話しが聞きたい。

父上だけ、私と昭と母上との出来事を知らないなんて、寂しい。









夜になった。

夕食を食べて、湯浴みを終え、湯上がりの昭の髪を拭く。
一日がとても長く感じる。
母上にもう寝台に入りなさいと言われて布団を被ったが、私はまだ父上をお迎えしていない。
昭は先に別の寝台で母上と眠っていたが、私はまだ眠る訳には行かなかった。


父上はいつお帰りになるだろう。

一刻経った。
父上はまだ来ない。
二刻経った。
父上はまだ来ない。

格子を上げて窓辺で父上のお姿が見えるのを待っていた。
四刻経ったが、父上のお姿は見えない。


余りにも静かすぎる夜に空を見上げると、うつらうつらと雪が降っていた。
雪が降って白く積もり、夜だというのに外が明るい。
徐々に寒くなってきたので格子を下ろし、母上と昭の居る寝台に潜った。
石の床を歩いた裸足が氷のように冷たい。

「…うぅ」
「どうしたの子元?」
「父上が…」
「旦那様がどうしたの?」
「母上、外は雪です。父上は、父上は…こごえていないでしょうか」
「大丈夫よ。それより子元の足が冷たいわ」
「父上が、父上がまだ外です。父上は、とてもさむいはずです」
「もう眠りなさい子元。旦那様は大丈夫だから。ね?」
「…父上」

父上が心配でたまらない私を慰めるように母上は私の頭を撫でる。
母上は冷たくなった足も撫でてくれた。

「子元が寝なきゃ旦那様が悲しむわ」
「父上…」
「ふふ、子元は本当に旦那様が好きね」
「!」
「子元、どうしたの?」

外門を開ける音がした。
きっと父上に違いない。
母上が止めるのも聞かず、裸足で廊下を走る。


勢いで部屋から飛び出したが、灯りのない廊下は真っ暗で怖い。
それにもし父上でなかったら。
しかし私の中で父上と暗闇を比べたら父上が圧勝したので、裸足で駆けて戸口のある方に向かった。

人影が見えて恐る恐る柱から姿を覗く。

「…やれやれ」
「!」

聞きたかった声色が聞こえた。
漸く灯りが点いて照らされたお顔は、やはり父上だった。


白い息を吐いて父上は肩の雪を落とす。
漸く会えた父上を一番に出迎えられたのが嬉しくて、父上の下に走り腰布に抱き付いた。
父上は少し驚いた様子を見せた後、私だと気付いて腰を屈めてくれた。

「父上、お帰りなさい」
「ただいま、師。これ、寝ていろと言ったであろう」
「お外は雪です。父上が心配で、眠れません」
「全くお前は…。裸足ではないか」
「平気です。父上の方が」
「馬鹿めが…、ほら、おいで」

私の足に触れた後に、父上は外套を外して私を包み込み抱き上げてくれた。
裸足の足裏に触れ、父上の胸に埋まる。
父上の胸元は温かかったが、指先や頬や耳はとても冷たく悴んでいた。
私の方が幾分か温かい手で父上の頬に触れ、指先をさする。


父上は私を片腕に抱き上げて台所に向かった。

「師は温かいな」
「父上、あたためてあげます」
「ふ、先ずはお前の足を何とかせねばな。ふむ…、やはり何か見繕うか」
「?」
「風邪をひく」

沸かしたお湯を桶に注ぎ水を足して、私の裾を捲り足を浸す。
父上の腕に甘えて袖に埋まる。
父上の手が冷たくて、首筋や頬に擦り寄る。

足から温かくなって、また眠くなってきた。


「父上」
「うん?」
「父上、明日はお休みですか」
「ああ。お前の為に休暇をいただいたのだ」
「?」
「五回目の誕生日だ。忘れはせぬ」
「私の?」
「何だ。春華は何も言わなかったのか。明日は師の誕生日ではないか」
「誕生日…」
「さぁ、もう温まったな…。私も疲れた。もう寝るとしよう」
「父上、今日は父上のお布団でごいっしょしたいです」
「そうだな。長らく師を待たせてしまった。私の寝台で寝よう」
「はい。私も父上をあたためなくてはなりませんからね」
「ふ、では私も師に甘えるとしようか。もう寒くないか」
「父上がいます」
「そうか」

足を拭いてもらい父上に抱きかかえられて椅子に座る。
官服を脱いで着替える父上を見ながら目を擦った。

父上だ。父上がいる。
それだけでもう嬉しくて、体がとても冷えていた事など忘れていた。






寝間着に着替えた父上が私を抱いて寝室に向かう。
昭を抱いた母上が父上を呼ぶように手招いていた。
昭は静かに母上の腕の中で眠っている。

その昭の隣に寝かせられて、父上が私の隣に横になる。
父上はただいまと告げた後、おかえりなさい、遅かったわねと母上に言われていた。
昭の額を撫でた後、父上は私の額を撫でる。

その手はもう温かかった。

「もう少し温かい靴をやろうと思うのだが」
「おくつ?」
「裸足でいたら師が風邪をひく」
「いいわね。そうしましょう。でもきっと直ぐに師は大きくなってしまうけれど」
「そうだな…。子供というのは成長が早いものよ。もう五年か」
「旦那様はおいくつになるの?」
「さぁな。別段気にしておらんわ」
「そうね。旦那様は老けないものね」
「歳は感じるが、まだまだ乱世から逃げられそうにもない」
「逃げていたつもり?」
「まぁ、今はそうもいかなくなったな」
「ちちうえ」
「うん?すまぬ。そうだな、もう寝るとしよう」

父上の裾を引っ張り胸に埋まる。
背中を撫でてくれる父上の手が優しくて、安心して目を閉じた。

「父上」
「どうした?」
「明日はずっと、師と一緒ですよ。どこにも行っちゃいやです」
「解った。約束しよう」
「父上、ぜったいお仕事行っちゃいやですからね」
「ああ。もう寝なさい」
「はい、おやすみなさい…」
「おやすみ」

私が目を閉じたのを見て父上は頬に唇を寄せ、私を抱き締める。
少し溜息を吐いた後、また父上が私の頭を撫でていた。

「もう一年経つのか」
「早いと思った?」
「早いな。師がもう五つになるのか。昭は次は三つか」
「子供なんて直ぐに大人になっちゃうわ。きっと旦那様の背も抜かしてしまうわよ」
「む…、そうか。では成る可く早く帰宅出来るよう善処する」
「ふふ。家のお話しは子元がしてくれるわ。
 昭にも聞かせてあげて。旦那様の事をもっと子供達に教えてあげて」
「詩の云々は知らんぞ」
「それは曹丕様の方がお得意でしょうね」
「…子供達が起きてしまう。もう寝るぞ」
「ええ。明日は一日ゆっくりしていらして。子元がとても楽しみにしていたわ」
「そうか」

父上の手が私を引き寄せる。
温かい手が優しい。
その手がとても印象的で、私は本当にずっと父上の事が大好きだった。





















温かい手が私の手に触れる。

「…父上?」
「うん?起きたか。もう少しそのまま寝ていろ。疲れているのだろう」
「?」

父上の膝枕に甘えて、家の居間でうたた寝をしていたのを思い出した。
私の額に掌で日影を作り、書簡を読んでいる。

今日は父上が居る。
私の二十四の誕生日だ。


昔を思い出して居間で寛ぐ父上の袖を引っ張り、そのまま寝てしまったようだ。
私もどうやら疲れていたようだ。

「春華と昭は今宵の夕食の買い出しに出掛けた。もう間もなく帰るだろう」
「父上」
「何だ」
「私は二十四になりました」
「そうか。もう、そんな歳になったか」
「はい」
「もう一年経つのか」

早いものだ。
父上はそう言って私の額を撫でる。
温かく優しい手は変わらない。

父上の膝から頭を下ろして、父上ごと引き寄せた。
この人とて働き詰めで、私よりお疲れなのだ。

今日はお休みなのだから、お休みになっていただきたい。
それに今日は私が主役の日なのだから、私の好きにさせていただく。
父上にそう伝えると、父上は何だ其れはと言いながら笑った。

「いや、しかし大きくなったものよ。私の裾を掴んで離さなかったあの師が二十四か」
「ふ、父上はお変わりなく」
「ある程度、歳はとったが」
「五つの時に頂いた靴、まだ持っていますよ」
「まだ持っていたのか」
「私の宝物です」
「では…。師よ、これをお前に」
「?」

父上は私の髪を撫でた後、髪を結い小さな蒼い冠を被せた。
蒼い飾り紐がはらりと落ちた。

「お前も官職に着いた。髪も伸びたようだし、丁度良かろう」
「ありがとうございます。なればこれからは毎日身に付けなくては」
「好きにせよ」

今年の贈り物は蒼い冠を賜った。
被せて貰った冠を両手で見上げて、再び父上の甘えるようににじり寄る。
私の思いを察した父上が苦笑し、また膝に甘えさせてくれた。

「また宝物が増えました」
「そうか」
「父上」
「うん?」
「父上はずっと、私の父上で居て下さいね」
「何だ、急に」
「まだ独り立ちをしたくはないと思いまして」
「ふ…、お前もいずれは結婚をして、子を成すだろうに」
「そうしたら、父上にとって私は一人前ですか?それとも、地位を築く事でしょうか」
「どうした?師」
「私はまだ、父上が必要なのです。
 身丈は大きくなりましたが、まだまだ私は未熟者です」
「何も急いで大人になる必要はない」

やれやれ、と溜息を吐いて父上は脚を立てた。
脚を立てたものだから膝には寝ころべず、胸に顔を埋める。

「っ、父上?」
「何があろうとも、師は私の子よ。昭もだ。
 身丈は私を超えたが、二人ともまだまだ…子供よな」
「はい…」
「ただいま、父上!」
「あらあら。子元はまた旦那様に甘えているの?」
「うむ。お帰り」
「兄上ばっかり狡い。俺も俺も」
「これ」

昭と母上が帰ってきた。
狡いと言いながら昭は父上の背中から抱き付く。
昭こそ父上よりも私より大きくなった。
母上は私達を見て笑いながら台所に向かう。

「父上、ちっちゃいなー」
「お前が大きくなりすぎだ」
「昭、今日は父上を渡さぬ」
「何です。父上は兄上だけのじゃないですよー」
「私の父上を好きな年数はお前より二年上だ」
「俺だって父上好きですもん」
「そんな事で喧嘩するな」

嬉しそうに父上が笑っているのを見て、私も笑う。
父上が笑っているのならいいか、と父上の薄い胸に埋まった。

「兄上、その冠いいですね。父上から貰ったんですか?」
「ああ」
「お似合いですよ。いいなー。
 俺の誕生日まだかなー。もうちょっとで兄上に追い付きそうなんだけど」
「昭が師を追い抜く事はないだろうに」
「そりゃそうですけど。俺はもうちょっと大人扱いされたいっていうか。
 あ、身丈は勝ちましたよ!」
「身丈はな」
「なに、師も昭もどれだけ大きくなろうと私の知っている小さなあの子らに変わりない」
「もう大きくなったでしょうに」
「まだまだ子供よ」
「じゃあ、まだ甘えててもいいですね!」
「はは」
「今日は私の日なのだから、父上は渡さぬ」
「兄上はもう」
「ふふ」

昭には渡さぬと父上を胸に埋める。
父上は嬉しそうに笑っていた。
そんな父上を可愛らしいとも思うし、愛おしいとも思う。

今一度、父上の方に向き直って肩口に埋まり目を閉じた。

「父上」
「うん?」
「父上、大好きです」
「ああ、知っている」
「俺は父上も兄上も大好きですよ」
「はは、知っている」

父上が私の父上で良かった。
今日は私の誕生日だが、私よりも父上が嬉しそうに笑う。
そんな父上に昭と頬を寄せて笑った。




父上の手は昔と何も変わらず、私達を温かく包んでくれた。


TOP