体温たいおん 後編こうへん

言葉の端に棘があれど、無意識に私の袖を掴む愛らしい仕種に笑う。
先に起き上がった私の腕の中で、仲達が背を丸めて寝息を立てていた。

手首を掴むと、よく解る。
やはり少し痩せた。
私よりも細い手首を掴み、指に口付ける。
首筋にも唇を寄せると、香の香りに混ざり血の匂いがした。
香で誤魔化しているようにも思う。

まさか何処か怪我でもしているのか。
不安になり上衣を紐解いて首筋をはだけさせると、包帯が見える。
右の肩口に治りかけた矢傷があった。

「…文では何も」

文には矢傷の事は何も書かれていなかった。
大した戦はありませんでした、貴方様は前線の戦に集中なさい、としか書かれてはいない。
幾度も読み直した文だ。文章を覚えている。

仲達にとっては大した事ではない、という事か。


仲達が身じろいだ。服を脱がされて寒いのだろう。
起こしてしまう前に上衣を元通りに着させて、頬を抓った。

「?!」
「間もなく刻限だ。皆が待っている。お前は先に行くがいい」
「いひゃい、いひゃいですっ」
「……。」
「子桓様?」

赤くなった頬をさすり、身支度を整えて仲達から離れた。
身支度を整える仲達を横目に深く溜息を吐き、振り返り右肩を叩く。

「先程から如何されました」
「…余り私を心配させるな」
「…?」

仲達に自覚がない事が腹立たしい。
一度部屋に戻る事を伝えて、先に部屋を出た。


大広間で皆の武功を称え、疲労を労う為に簡単な食事会を催した。
未だ戦地の為、酒は出ない。
祝勝は洛陽にて。明日から帰路につく。

右隣手前に座る仲達を横目に、やはり大して食が進んでいない。
というより、右手の動作が遅い。
どうやら仲達は皆にも隠しているらしい。

仲達を呼び、直ぐ傍に座らせた。
深く頭を下げる仲達に匙を渡す。
気を効かせたのか、郭淮が仲達の膳を持ってきた。

「貴方様の席は本来其方でありましょう」
「否、皆の前で」
「今は式典や軍議に非ず。
 貴方様とて曹丕殿が来て下されば総大将の認から解かれましょう」
「それは、そうだが」
「肩肘を張っていたら疲れます。
 どうか御自分に素直になられませ。今は寛ぐ時ですぞ」
「郭淮もなかなか良い事を言う。
 仲達、お前の顔をもう少し近くで見ていたい。故に呼んだのだが、嫌だったか」
「はは、存分に寛がれて下さい。司馬懿殿とて御公務も相まってお疲れでしょう」
「っ…、お前のせいで曹丕殿が、調子に乗る…っ」

そうは言えど。
仲達は私の隣から離れようとはしない。

暫く談笑をしつつも、仲達の動作のぎこちなさが目に付く。
箸より匙の方が食べ易かろう、そう伝えると仲達は漸く気付いたらしい。

「…御存知でしたか」
「何が大した事はないだ、馬鹿者」
「…本当に大した事はなかったのです」
「箸も満足に持てぬ癖に何を言うか」
「…怒って、いらっしゃいますか」
「ああ、怒っている」
「申し訳ありません」

私がそう言うと仲達はそれ以上喋らなかった。



席を離れている内に仲達は広間から退室したらしい。
まだ仕事を残している、と言い広間を出たようだ。

医師に聞いたところ、殆ど傷口は塞がっており安静にしていれば治る傷なのだという。
安静にしていないから拗らせるのだと医師は言う。
安静にしている場合ではない、と仲達は言っても聞かぬらしい。


仲達と共に後方支援に回った郭淮を呼び話を聞いた。
酒の出ない会食はどうやら此奴に向いているらしい。
諸将の元へ出向き、此度の戦で疲弊した皆を讃えていたようだ。

「此方は、どうだった」
「いやはや、其方の前線には主将が居られたでしょう。諸葛亮はどうでしたか」
「その名を今は聞きたくない」
「失礼致しました。此方の戦況は司馬懿殿の盤石の守り。
 後方支援の部隊が絶たれては援護にならぬと。司馬懿殿の采配はそれはそれは…見事なもので御座いました」
「当然だ。私の仲達だぞ」

人から仲達を誉められるのはやはり嬉しい。
口ぶりや気性は激しいものの、彼奴は深謀遠慮に特化した根っからの策士である。
しかし自分の事となるとからきりで、私もよく手を焼いている。

あれには自覚が足りなさすぎる。
考えていた事が口に出ていたのか、郭淮は何故だか嬉しそうに笑っていた。

「曹丕殿は司馬懿殿に対し、解りやすい好意をお持ちですね」
「ああ、好いている」
「理想的な主従と言えましょう」
「そうか」
「どうかあの御方の傍に居て下さいませんか。
 矜持の高い司馬懿殿に、私からはとても右肩の話は出来ません」
「…知っていたのか」
「言われずとも。ですが司馬懿殿は何も語らず、ただ一人堪えておられる。
 怪我を笑うものなどこの地にはおりますまいて、私達には何もお話しして下さらない」
「お前達を信用していない訳ではないだろう」
「それは、左様で御座いましょうが」
「相手が諸葛亮、故であろうな」

諸葛亮に対する戦の際に、仲達は判断力が鈍る時がある。
圧倒的な敵対心と、仄かに見え隠れする劣等感に私は気付いている。
私とて、劣等感を感じずには居られない。
策の揮い甲斐があると、諸葛亮が相手の際の仲達は何処か活き活きとしている。
仲達のように、好敵手として戦う事自体を楽しむつもりはない。

諸葛亮、諸葛亮と。
仲達の口からその名を聞くのは腹立たしい。
仲達からの手紙の内容も一度や二度では収まらない位、諸葛亮の名が出る。

もし彼奴の策で仲達が傷付けられたのなら、私は再び戦場に引き返すだろう。
私にとっては敵でしかなく、仲達が諸葛亮の事を話す事自体が嫌だった。
仲達は諸葛亮に勝ちたいというよりも、負けたくないという考えなのだろう。

仲達にとっては、あの一矢の傷が屈辱的である筈だ。
そして私にとっては、報復の理由たる事案になった。

私は諸葛亮に嫌悪以上の思いを抱いている。

「一矢でも、仲達の矜持を傷付けるには十分だ。彼奴、私の目の届かぬところでまた無理をしているな」
「ええ、ええ。どうかあの御方をお支え下さい。
 言葉にせずとも司馬懿殿は貴方様をお待ちしておりました。
 あの御方には今、支えが必要なのです。
 どうかよく堪えたと御言葉を差し上げて下さい。曹丕殿にしか出来ない事です」
「解っている」

彼奴の矜持に障らぬよう、郭淮は郭淮とて傍に居ながら仲達の身を案じてくれていたようだ。
仲達とて、もう少し周りを頼っても良かろうに。

郭淮に仲達の居場所を聞き、広間を出て仲達の居室に向かう。
小さな灯りを頼りに扉を開ける。




未だ戦地の為、警戒心を解いていないのだろう。
仲達は扉を開く前から筆を置いて私を待ち構えていた。
片手には鞭を持っている。

私だと解ると、仲達は深く頭を下げて武器を下ろした。

「…失礼しました。申し訳ありません」
「否…少し、良いか」
「…少し、でよろしいのですか」
「ふ、では今宵はお前の傍に居よう」
「はい…」

仲達はどうやら私を待っていたらしい。
扉を閉めた後、仲達の手首を壁に押し付け見下ろす。
仲達は眉を下げ私をじっと見上げる。
逃げようとも、抗おうともしない。

「…口付けをしたい」
「…お好きになさいませ」
「どうした、何を怯えている?」
「未だ、お怒りでしょうか」
「多少なりとも」
「…貴方様に、余計な心配を掛けたくありませんでした」
「…気が気ではなかったぞ」
「申し訳ありません」

会話を続けながら幾度も触れるだけの口付けを落とす。
口付けの度に閉じられる仲達の睫毛に見とれ、捕まえた手首を離して頬や腰に手を回した。

幾度目かの口付けに、仲達は眉を寄せて唇を噛んだ。
どうやら次第に激しくなった口付けの際、傷痕のある肩を掴んでいたらしい。



今一度、肩に触れる。

「…見ても良いか」
「はい…」

仲達が襟元を結ぶ紐を外す。
今一度、仲達に口付けてから上着を脱がせ傷痕を確認した。
私の知らぬところで、自分のものに傷をつけられるのはやはり腹立たしい。
傷痕のある肩口に唇を寄せ、奥の間の寝室まで仲達の手を引いた。
寝台に押し倒す事はせず仲達を座らせ、はだけた生身の肌を見つめていた。

ふと、仲達が私の手に触れ頭を下げる。

「…申し訳ありません」
「誰にやられた」
「偵察と称して現れた諸葛亮の部隊に」
「…ほぅ」

仲達の口から奴の名が出ると、頭痛がする程腹立たしい。
前線に居た筈では、と思案したが確かに奴の姿を直接目で見た回数は少ない。
蜀の兵達は何処からか指示を受けて動いているように思えた。

一時期、諸葛亮が行方知れずになった時期があった。
仲達の話を聞けば、時期が合う。

諸葛亮の移動を見抜けなかった私には、戦に対する慧眼がない。
結果的には仲達が諸葛亮を追い払ったようだが…。

違う。
結果的にはとか、そういう話ではないのだ。

「直に私を目にしたかったとほざいていました」
「諸葛亮がか」
「はい。前線に私が居ないので如何なものかと、後詰めの私を見に。
 伏兵で追い詰めたのですが、苦し紛れの一矢を肩に受けてしまいました」
「奴め…」
「…子桓様、眉間に皺を寄せ過ぎです。皺が戻らなくなりますよ」
「半分はお前のせいだ」
「私が何故?」
「諸葛亮、諸葛亮と…。お前に自覚はないのか」
「其れが何か?」
「仲達よ…」

本当に自覚がない。
肩を落としてそのまま仲達の胸に凭れかかる。
仲達は私を胸に埋めて髪を撫でた。
相変わらず肩幅も胸もない。

「お前は嬉しそうに諸葛亮の話をする」
「何処が嬉しそうなのですか」
「少なくとも、楽しそうだ。それが気に食わない。不快だ。しかも諸葛亮は私のものに傷を付けた。許さぬ」
「…あの…、まさかとは思いますが、諸葛亮に妬いていらっしゃるのですか?」
「お前には皆まで言わねば解らぬのか」
「…今一度お聞きしますが、まさか、私を一年も前線に布陣させなかったのは」
「諸葛亮に対峙させたくなかった故、私自身が斬り込もうと思った」
「…貴方様は、本当にもう…」

私の頬に触れ、仲達は頬を染めて私の肩口に額を付ける。
胸元の襟を握り締め、今度は仲達が私の胸に埋まった。



幾度か私の胸を掌で叩く。
私の肩口に埋まったまま、仲達は私を見上げた。

「そんな事で、私を一年も…連れて行って下さらなかったのですか?」
「お前が諸葛亮、諸葛亮と」
「…諸葛亮に肩入れしているのは貴方でしょう。こんな事で一年も私を置いて」
「…寂しく、させたか」
「…はい」
「よく堪えた」
「酷い人。何て馬鹿な人」

怒っていたかと思えば、急にしおらしい。
珍しく素直な返答に愛しさが増して、仲達の肩を引き寄せ額に口付ける。

「今宵はもう、来て下さらないと思い…」
「一年も触れられなかったのだ。そんな訳…」
「…ずっと、貴方の事ばかり考えていました」
「ほう?お前にしては随分と」
「…そうではなく。貴方様は戦が下手ですから」
「…悪かったな」
「ですが私が居なくとも、蜀軍を退けたのなら…少しは成長されたようで」
「…もう戦の話はいい」
「はい…」

蜀軍という言葉をあえて使ったのだろう。
仲達は漸く気にしてくれたようだ。

仲達の唇に口付け、肩を引き寄せて寝台に押し倒した。
右肩には力を掛けぬよう、私の上着を肩に敷く。
押し倒された事で察したのか、仲達は目を瞑り今一度私に触れるだけの口付けをしてくれた。

「…肩は」
「大事ありません…」
「…すまぬ。共に居れるだけでも良かったのだが…」
「…私が貴方様を心配したのは本当の事です」
「もう戦の話は」
「戦の手腕ではなく…、ただ本当に、子桓様が心配でした。
 文字だけのやり取りでは顔色は伺えません」
「お前の睦言は少々言葉が足らぬな」
「…怪我など、されておりませんか。私によく見せて下さい…」
「好きなだけ見たら良い」
「…今宵は私を、抱いて下さいますか」
「無論」

はだけた胸元から首筋や胸を吸い痕を付ける。
仲達の白い肌の艶やかさは変わらず、滑らかさも変わらない。
私の合わせの紐を解き、私の胸や首筋に触れて傷がないか確認しているようだ。
下穿きの紐に手を伸ばすと、仲達の体が少し強張ったのが解った。
一年という長い月日が体を強ばらせるのか。




仲達が私以外に抱かれたとも思わない。
一人でしたのか、と聞く事も出来ようが今はいい。
仲達に聞けそうなら聞きたい。

「…怖いのならそう言え」
「子供のいる私に何を馬鹿な事を。私は貴方より経験豊富ですから」
「強がりにしか聞こえぬ」
「っ…!」

仲達のを擦りながら口付ける。
尻を撫でた後にそのまま指を滑らせ、中に指を入れ…たかったが体が強張っていて入らない。
無理矢理入れれば入るだろうが、仲達を乱暴に扱いたくない。

「…仲達」
「?」
「沢山、口付けをしたい」
「は、はい…?」
「口付けだけでも、別に良いではないか」
「子桓様…」
「…お前をこれ以上傷付けたくない」
「なに、っ…ん…」

仲達に深く口付け、舌を絡める。
そのまま仲達のと合わせて自分のを擦る。

正直これだけでもかなり、くる。
仲達自身に触れている事と、香の香りと、厭らしい精液の匂い。

仲達がどうやら限界が早い。
快楽に酔っていたが、それを堪えて敷布を握る。
その様が私を煽っていた。

「…、っふ、ぁあ…!」
「果てたか…、仲達、私も」
「…っぁ、お待ち、になっ…て…」
「…?」
「ん、っう…、ぅう…!」
「何をして…」

仲達が急に苦しそうに呻くので何をしているのかと思えば、自ら果てた精液を指に塗り中に指を入れていた。
自分でした事などないのだろうに、ぽろぽろと涙を零して指で自分の体を慣らしていた。

「これ、仲達」
「何が、怖いものですか…。こんな事、何度も、し…ている事なのですから平気で、す…!」
「…強がりを。指を抜け」
「自分で、出来ます…」
「いいから抜け。お前の血は見たくない」
「…はい」

仲達の指を中から抜かせ、次は私が指を入れた。
胸を上下させて浅く息をしている仲達の髪を撫でた。
また体が反応しているのだろう。体を震えさせている仲達が愛らしい。
仲達自身が乱暴に解していたが、お陰でもう大分良い。
私の方も色々と限界だった。

「子桓様…」
「ん?」
「…来て下さい、貴方…もう」
「手荒な真似を。私の前でもう無理はするな…」
「無理をしているのは子桓様です…」
「…力を抜け」
「はい…、少し、お願いがあります…」
「何だ」
「…抱き締めて、いて、下さいませんか…。
 子桓様の体温を、感じていたいのです…」
「っ、本当に今宵は可愛らしい事ばかり言う」
「私の何が可愛いと言うのです」
「全部だ全部」

まだ性行為が少し怖いらしい。
だが仲達の矜持からして、仲達は絶対に口では言わない。

仲達に当てがい、ゆっくりと腰を進めて奥を突く。
脚を引き寄せ仲達に寄り添い、胸に埋めた。
仲達の心音が酷い。
だがきっと仲達に聞かれている私の心音の方が酷い。

「…仲達」
「子桓様…、ぁ…、我慢…し過ぎです…、馬鹿めが」
「主君に馬鹿と言うな」
「主…、いいえ…」

仲達が脚で私を挟み、引き寄せる。
勢いで仲達を深く突き、私も相当堪えていた為、仲達の中に果ててしまった。

中の律動を感じて、仲達が目を細めて体を震わせている。

「…っ、…」
「私は、子桓様の…恋人…っ、ですもの…」
「!!」
「ぁっ…?!な、に…っあ…!」

今の一言で私の中で何かが切れた。
仲達を胸に埋めたまま腰を掴み、そのまま何度も突き上げる。

余り自覚していなかったが、確かに私も今まで相当堪えていた。


仲達が幾度果てようとも止めず、私が仲達の中に幾度果てても止めない。
仲達が愛しくて愛おしくて堪らなかったのだ。

「…愛している…」
「そんな、こと」
「仲達は、私の事を…」
「…同じ想いじゃなければ、こんな…」
「っ」
「ばっ、も…、もう、駄目です…壊れ、ちゃ…」
「…お前、そのような言葉…」
「!」

自分で何を言ってるのか気付いたのか、仲達は咄嗟に口を掌で隠した。
そういう言葉や行動が可愛らしいというのに、仲達はやはり自覚がない。

仲達も私も幾度果てたのか解らない。
漸く中から引き抜くと、仲達の股から私の精液が溢れていた。
腰も体も痛めただろうと思うも、仲達は私に笑って擦り寄ってきた。

仲達が、ただひたすら愛おしい。











睦言を言う前に仲達はもう瞼を閉じかけていた。
処理を済ませ、私の上着を肩にかけて仲達を胸に抱く。
抱き締めてほしい願いは、永遠に有効だ。

「…仲達は諸葛亮をどう思う?」
「何です…、まだそのお話しですか」
「どう思う?」
「大嫌いです。あんな奴」
「…では、曹子桓をどう思う?」
「好き…、大好、っ…何でもありません…」
「ふふ」
「何でもありません、もの」

結局、仲達は最後のきも言いかけた。
何だ此奴は…。本当にもうどうしてくれよう。
どうしてくれるのだ全く。


仲達を胸に抱き直して額を合わせた。
少し拗ねた顔で私を見上げる。

「愛しているぞ、仲達」
「っ…そうでしょうね」
「ああ」
「…おかえりなさい」
「まだ洛陽には早いが?」
「…私の元に…、という意味です」
「ふ…ただいま、仲達」
「はい、子桓様…」

おかえりなさい。
仲達の頬に口付けるつもりが、仲達から唇を合わせてきた。

もうずっとこのままで良い。
相変わらず無自覚に愛らしい仲達に笑い、一度の口付けを三度に返し仲達を強く抱き締めた。


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