ほしまたた夜空よぞらもと

頬を撫でられる心地に、ゆっくり瞼を上げた。
整ったお顔が鼻先を掠める程に近く、私の顔を覗き込んでいた。
もう片手は腰に触れ、私を見下ろして笑っていた。

「…気を飛ばす程、良かったのか」
「ぁ、子桓…さ、ま…」
「今宵は随分と過敏だな、仲達」
「っ」

魏太子、曹子桓。
私は以前、太子直属の文官であり教育係であった。今は彼の軍師である。
九つも歳下の公子様に、今も昔もずっとお仕えしている。

今は、紆余曲折を経て私達は恋仲である。
皆には無論公にするものではないと私が咎めると、子桓様は解ったとは言っていたが言っているだけでおそらく聞いていない。
昔から尊大な態度で、己が世界で一番偉いと思っている。
いずれそうなるのではないかとも危惧しつつ、私にだけは甘えた姿を見せるのだから勘弁して欲しい。

歳が下だと言うのもあるが、何より惚れた弱みだとも言えよう。
凛々しく雄々しい子桓様を時折、可愛らしい、愛らしいとも思う。
私が知る限り、他の者にそのような素振りを見せている様子は見られない。

肌を合わせていて今はとても熱いが、体を冷やせば風邪をひいてしまうだろう。
特に私よりも、子桓様が風邪をひいてはならぬと首に腕を回して身を引き寄せた。

「…如何した」
「もう、終いに…」
「未だ、足らぬな」
「子桓様が風邪をひいてしまいます…」
「そんな事を気にしていたのか?」
「…国の大事でございましょう。何より…」

恐る恐る頬に手を伸ばすと、触れて良いぞと言わんばかりに私の手に擦り寄られる。
そんな子供のような仕草に微笑みながら、その頬を撫でた。

「あなたは昔から、よく風邪をひく子でした。…ぁ、ん…っ!」
「もう一度だけ付き合え、仲達。お前に甘えるのはそれからにする」
「…もう、ずっと、甘えておられる…のでは…?」
「ああ、存分に甘えさせてくれ」
「…ご随意に…」

ぐっと奥に突き上げられて、不意に声が漏れる。
私も大概、この御方には弱い。
首に回した腕に力を込めると、それはそれはとても解りやすく微笑まれて機嫌が良くなったのが解った。
どんなに位が高くなろうが、曹子桓が曹子桓たる事が変わることはない。
私と二人きりの時は我儘で手のかかる甘えたの皇子様でしかない。

奥に突き上げられつつ、漏れる声に口元を緩まれて微笑まれる。
私で感じて下さっているのだと思えば、嬉しい。
子も孕まぬ私で、情事をする意味とは何なのかと悩んでいた時もあった。
男として屈辱的ではないかと思いもした。

されど、こうして抱かれればその悩みも消えてしまった。
こんなにもこの御方に愛されていると思い知らされてしまうのならば、何度でも繋がりたいと思う。
今はもう屈辱だとも、恥辱だとも思ってはいない。
ただただ、愛おしい。愛されている自覚もあるし、私もこの御方を愛している。

体を繋げば繋ぐほど心も繋がり、私が今まで取り繕っていた矜持や礼などを子桓様は取り払ってしまう。
ありのままを見せるのは怖ろしいと思っていたが、今ではそうも思わなくなった。
こうも子桓様が己あるがままを私に曝け出すのだ。主ばかりにという訳にも行かないだろう。

不意に抽送を止められて溜息を吐きつつ小首を傾げると、唇を親指の腹で撫でられた。
そのままちぅと口付けられると、そのお顔には眉間の皺が深く刻まれていて眉を下げる。
私が気を逸していた事が気に障られたようだ。
子供のようにむっとされたお顔が可愛らしく、思わず微笑む。

「随分余裕があるようだな、仲達」
「あ…、申し訳ありません。昔を思い出しておりました…」
「ほう。昔とは、何時の話だ」
「些細なことです。お忘れ下さい…」
「情事の最中に、恋人に気を逸らされては気になるだろう」
「…あなたの事を考えておりました。私が想うのは何時も、あなたの事です」
「…お前は、不意に」
「っあ…、また…!もう、あと一度だけと申しました…」
「さて、どうだったか」
「子桓さ、ぁ…、ぅ…!」

これはとても、あと一回では終わりそうにない。
眉を下げて抗議の眼差しを向けるも、愛おしいだけだぞと言われては怒る気も失せる。
さらさらと肩を流れる子桓様の髪に指を絡めながら、子桓様に身を寄せて脚を腰に絡めた。



事後の気怠さに寝台に身を横たえてぼんやりと天井を見上げる。
格子を見れば、星々が夜空に煌めいていた。
少し歩けば温泉もあるような所だ。都市部とは少し離れた別邸、隠れ処に私達は居た。
腰が立たぬ身ゆえ、身形を整えている様子を恨めしそうに横目で見つめていれば額を小突かれた。

「…子桓様」
「悪かった」
「…汗をかかれたままでは、お体を冷やします。身をお清め下さい」
「ふむ。湯でも沸かしてもらうか」
「そう思い、控えの者に支度を命じてあります」
「…おい、その姿を誰ぞに見せたと言うのか」
「いえ。あ…」

はたと思い当たる事があり、言葉を繋げようとするも子桓様はつかつかと私に歩み寄り、私の肩に上着を掛けて胸に強く抱き締められる。
周りを見渡し、更には格子を気にして眉を寄せる。
おそらくは、事後のこの姿のまま私が誰ぞに会ったと思われたのだろう。
これはきちんと否定をしておかないと面倒な事になる。
以前にも似たような事があり、それはそれはしつこく厳しく愚痴愚痴と妬まれて切々に怒られた事が記憶に新しい。

「あなたの考えているような事はしておりませぬ」
「どういう事だ」
「外に口の固い護衛がおります。如何に我らとて、隠れ処に二人きりという訳にはいかないでしょう。身分をお考え下さい」
「解っている。それは解っているが」
「そのままでは風邪を召されます。湯に入りましょう…。私もお供致します」
「…腰が立つまい。どれ、運んでやろう」
「あなたのせいでしょう」

こんな事で病など貰われては困る。これは私の本心からの思いであった。
昔からこの子は、体調を崩しやすい。何時から見ていると思っているのだ。
私の本心からの心配であるからこそ、子桓様もそれを感じ取り大人しく聞き分けてくれた。

頃合いを見て風呂の支度をしておいて欲しいと、私達の仲を知る者を護衛に付けていた。
この者は私と子桓様を深く慕っているようで、口も固かった為に護衛として付いてきて貰った。
湯が沸いたようで、こつこつと壁を叩いて報せてくれたようだ。その音の後、人の気配は薄れた。
声も姿も見せぬようにしてくれているのだろう。出来すぎた護衛で本当に申し訳ない。
出来れば中での事柄は聞かないで欲しいと伝えてあるが、実際はどうなのだか解らない。

「この屋敷は外で湯浴みが出来るのであったな。目隠しもあろうが、天井はない。今なら星が見えるだろう」
「星を見ながら、湯浴みでございますか」
「贅沢だろう。それに仲達を腕に抱きながら入れるのなら、尚更贅沢だな」
「私を星と同等に思われまするか…。私にそのような魅力はございませぬ」
「何を言うか。仲達以上に魅力のあるものなど、有りはしない」
「…よくそう、臆面もなく…」

さらりと口説かれている事を悟り、頬を染めて目線を逸した。
間もなく外から湯張りの支度が出来たとの声が掛かり、恐れ多くも腰が立たない為に子桓様に横抱きにされて運ばれる。
護衛の者は敢えて姿を見せずに居てくれているのだろう。余計な気遣いをさせてしまった事に心内で頭を下げた。

「礼を言う」

子桓様が一言、湯殿の壁に向かい声を掛けた。
気配は消しているのだが、子桓様には感じ取られたようだ。
そこに居るのかと首を擡げようものの、今は体を動かすのがとても怠い。
子桓様の言葉に一度気配を感じたものの、私達に距離を取ったのか気配が遠ざかった。

「あれには後で褒美を取らせよう。よく気が付く。…まさかとは思うが、よもやお前の息子ではあるまいな」
「師や昭な訳ないでしょう。このような姿、見せられませぬ」
「お前も漸く自覚をしたようだな」
「ええ、それはもう、懲りました」

身ぐるみを剥がされて、遠目に目隠しがあり護衛も居るとはいえ、この夜空の下に二人きりなのだと思えた。
ほうと溜息を吐いて星を見上げ、子桓様を見上げると不意に額が合わさり口付けを受け入れた。
口では何とでも言っているが、されとて事後だ。



私とて今一番、子桓様を愛おしく思っている。
唇を少し開くと、待っていたかのように舌を割り入れられて舌が絡まる。
そのまま歩みを進めて、私を横抱きにしたまま湯船に腰を落ち着けられ、名残惜しく唇が離れた。
温かい湯を肩に掛けられ、子桓様の肩に身を寄せて目を閉じた。
身を寄せて気付いたが、子桓様の心音が煩い。緊張しているのかと思えばそうでもない。

「どう、なされたのですか」
「どうも、何も」
「?」
「仲達が愛おしい余りに、胸が高鳴っているだけだ」
「…それは私とて、同じ思いです」
「どれ。ああ、生きているな…」
「無論です。あなたの為に生きています」
「ふ、これ以上の口説き文句はあるまいな、仲達」
「…口説いているつもりはございませんでした」
「故に、お前は狡い」

頬に手を添えられて、愛おしいとはっきりと言葉にされて伝えられる。
子桓様は言葉の伝え方が上手い。詩家というものは本当に狡いと思う。
私に詩才はないが、言葉の使い方に関しては心得ている。
だが、言葉の伝え方に関しては子桓様には敵わない。
三曹とも評されようと納得もする。
故にこそ調略の為であれば二枚舌でもあるが、それはそれである。

子桓様は、色恋に関しての詩歌を一番得意とされていた。
あれは誰を想ってのお言葉でしょうかと、何の気なしに訪ねたことがある。
私とて恋仲である自覚はある。恋人として、気にならない訳ではなかった。
その問いに、自覚がないのか、と応えられ首を傾げたが暫くしてその意味を知り頬を染めた。
この御方は、本当に質が悪い。

そして私も相当、子桓様が好きなのだと思う。

溜息を吐くと指先で顎をなぞられ、その指先を追いかけるように視線を彷徨わせた。
視線が絡み合い、互いにゆるりと瞳が揺れた。
ああこれは、愛おしいと想っている眼差しであろう。
子桓様の瞳の中に映る私が、子桓様と同じ眼差しを向けていた。

空いていた片手で、湯船の中にある子桓様の手を取る。
私の手に直ぐに気付かれて、指を絡めるように手を繋がれた。

「どうした」
「…幸福が過ぎます…。身に余る光栄です」
「私は何もしてやれていないが」
「あなたが生きている。傍にいらっしゃる。私を選んでいただけた。このような幸福は身に余ります」
「ふ、選ぶも何も。私は初めから仲達に惚れていた」
「…何時から」
「初めて出逢ったあの時から、私の一目惚れだ」

手を取られて、甲に口付けられる。
みるみるうちに顔に熱が集まり、子桓様をまともに見れない。
胸元に埋まり片手で顔を隠すと、額に唇が触れた。

「お前は本当に可愛いな」
「か、可愛くなど、ありません。九つも上の年増に何を仰る」
「仲達は、可愛い」
「う、う、う…!」

目をぎゅうと閉じると、その瞼にすら口付けられる。
ああ愛おしいと呟かれてそのまま幾度も口付けられた。
何が星だ。結局、星などちっとも見ていないではないか。

今は束の間の二人きりだ。
子桓様の首に腕を回して私から口付けると、とても嬉しそうに微笑まれる。
体温が移るほどに抱き寄せられて、もはや触れられていない箇所がない。
子桓様のその微笑みは私にとって瞬く星々よりも遥かに眩しくて、何よりも愛おしいものだった。


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