先約せんやく

日焼けをしたくないと言って、今朝から父上は書庫にこもっている。
せっかくのお休みなのだからゆっくりお休み下さいと進言したのだが、せっかくの休みだからこそ掃除がしたいという。

「父上」
「うん?」
「お傍に居たいので…、お手伝いをしてもよろしいでしょうか」
「それは助かる」
「ありがとうございます」
「師よ。お前は私に似ず、正直に物を言うな」
「…何かご不満でしょうか?」
「否、良い事だ。春華から受け継いだのであろう」
「私は父上によく似てると言われます。それが嬉しいのです」
「そうか」
「はい」

一回りほど私の方が身丈があるので、父上の手の届かない棚の書簡を整頓する。
目下、父上が忙しなく書簡を移動するのを見ていた。
今日は官服ではないので、体型がよく解る。
細腰を見ながら、また窶れられたのではなかろうかと心配で堪らない。

父上の背後に回り、腰に触れる。
相変わらずの細腰に心配になる。
父上は驚いた素振りを見せたが、私が肩に額を乗せると溜め息を吐きながらも甘えさせてくれた。

「どうした?」
「父上に甘えています」
「ふ、何を馬鹿な」
「私に甘えられたら、父上は嬉しいですか?」
「…う、む。まだ親離れ出来ぬものなのかと」
「はい。まだ父上から離れたくありません」
「そうか」
「はい」

見下ろさないように肩口で甘えていると、父上が頭を撫でてくれた。
どんなに身丈が成長しても、父上は私の頭を撫でられる。
私の父上は幼い時から変わらずお綺麗で、私を甘やかせてくれた。

父上に甘えながらも、片付けの手は止めず、父上に付き添って後を付いて歩く。
私が離れたくないのを解ってくれているのか、父上も故意に私から距離を取ろうとはしていない。
私が離れたら、待ってくれるのだ。

「父上」
「何だ」
「今日はずっと一緒に居てもいいですか」
「好きにしろ」
「はい。好きにします」

書庫の整頓が終わり、書簡を虫干しする作業も終えた。
父上とひと息ついて、居間で茶を啜る。
手伝いの御褒美に戴いた肉まんを二人で食べながら、横に並んで座った。

「兄上、朝食何です…、あ、狡い!」
「今起きたのか昭」
「もう昼だぞ昭」
「はは、父上と兄上同じ顔してる」

正午近くに昭は部屋から出て来た。
一応顔は既に洗ってきたようだ。

母上は今朝方から出掛けている。
甄姫様と出掛けているらしい。
昼食は適当に食べてね、と言伝されているものの父上はどうするおつもりだろうか。



身なりをきちんと整えた昭が食卓を挟んで父上の向かいに座る。
私が昭にも茶を煎れて渡した。
卓に突っ伏し、昭は父上の袖を引っ張る。

「父上、ご飯どうしますか」
「外に食べに行くか」
「おや、父上は日焼けは嫌だと先程仰っていましたが」
「仕方あるまい。作るのは面倒だ」
「父上と兄上と三人で外食って久しぶりですね」
「そうやもしれぬな」

今日の昼食は外食になるらしい。
と言っても高貴な御身分で在らせられる父上の事、適当な店に入る筈がない。
私も部屋着だったので、父上に続いて身なりを整え家を出た。






昭が先陣を切って歩く。

「父上と兄上を連れて行きたい店があるんですよ」
「ほう」
「なので、店は俺に決めさせて下さいませんか」
「構わぬ。師はどうか」
「私は元より外食を余りしないもので、店を存じ上げません。父上に習い、昭に任せます」
「兄上ももう少し遊んだらいいのに。執務に鍛練とまぁ、程ほどに息抜きして下さいよ」
「お前はもう少し師を見習ったらどうだ?」

昭を小突く父上を見ながら、後をついて行く。
今日が良い息抜きになるから良いのだと昭に伝えた。

昭に紹介された店に入り、席に通される。
昭が何度も訪れているからか、店員が気を利かせて数少ない個室にわざわざ通してくれた。
円卓に座り、ひと息吐くと昭が私に話し掛けた。

「此処の肉まんは美味いですよ、兄上」
「ほぅ、そうか」
「余り食べ過ぎるなよ、師」
「はい。気を付けます」
「今日の兄上は御機嫌ですね?」
「そう見えるか」
「見えます見えます。分かり易いですね兄上。父上が居るからでしょう」
「ああ」
「そうなのか」
「因みに父上。俺も今日は父上と兄上が居るので御機嫌ですよ」
「左様か」
「はは、左様です」

昭から見て分かり易い程、今日の私は機嫌が良いらしい。
昭も今日は随分といい子で居るようだ。
父上が嬉しそうな顔をして笑うのを見て、私も嬉しくなり笑う。


注文を終えて料理を待っていると、一名隣の個室に座らせたいと言う。
一人で個室と首を傾げたが、なにやら高貴な方がお忍びで参られたそうだ。
御簾越しだったので、顔を見ることは適わない。
父上が通される隣の個室と言う事は、父上と同等かそれ以上の身分の方なのだろう。

父上より上の身分の方など数える程しかおられないが、私が思い付くあの御方でない事を願うばかりだ。





やがて運ばれてきた料理の数々はどれも美味で、昭の言う通り肉まんがとても美味い。
父上のお口にも合ったようで、箸が進む。

具がぎっしり詰まっていて、皮がふわふわで理想的な肉まんだ。
満悦しつつ肉まんを頬張っていると、食事を終えた父上がずっと私を見ていた。

「何ですか」
「美味そうに食べるものだなと」
「とても美味しいですよ」
「それは良かった。昭は良い店を教えてくれた」
「…、その声は」
「曹丕様?」
「!」
「殿、こんな所におひとりで何をしているのですか」
「この店は気に入っているのだ。表から堂々と通っては、店を混乱させるだろう」

御簾から少し御顔が見えた。
結局其処には、私が思い付くあの御方が居たのだ。

父上の表情が少し綻んだのを見て、むっと唇を引き締めた。
唯一の主であるこの御方に、今日は父上を取られてなるものか。
めらめらと悋気を隠しもせずにしていたのが見透かされたのか、曹丕様が笑う。

「そう睨むな」
「師」
「睨んでなどおりません」
「兄上ったら、解りやすい」
「ふ、そう顔を顰めるな。仲達を取りに来た訳ではないのだ」
「何です、人を物みたいに」
「私のものではないか」
「っ、左様ではございますが」

むっとして、父上の袖を掴む。
父上が曹丕様の元に行ってしまう。それだけは嫌なのだ。
曹丕様の元へ歩もうとする父上の袖を掴む。
私の手を見て父上は笑い、昭の手も取った。曹丕様は軽く首を傾げている。

父上は曹丕様の前で畏まり、席を立った。

「御忍びなのは結構ですが、道中くれぐれもお気をつけ下さいますよう。
私達はそろそろお暇致します故」
「そうか。行ってしまうか仲達」
「先約がございます。師と約束をしましたから。
昭もおります故。本日はどうか、ご容赦下さいませ」
「構わん。お前の子らだ」
「ええ、私の大切な宝物です」

私と昭が顔を見合わせて父上を見た。
父上がとても優しい眼差しで私達を見下ろしていた。
目を閉じると、私達の額を温かい掌で撫でてくれる。

小さな子供の頃と、なんら変わらない。
仲達には敵わんと曹丕様が小さく溜息を漏らしているのが聞こえた。





曹丕様にご挨拶をした後、昭が嬉しそうに笑っていた。

昭はあれからずっと父上の手を取って歩いていた。
自分の感情に素直な昭が羨ましいと思いながら、私は父上の後ろを歩く。
ふと、父上の方から手を伸ばされた。

「今日は、お前が先約であった」
「は…、ですが」
「私の子供は昭も居る。弟と一緒でも構わぬか」
「無論です。私は昭を嫌ってはおりませんよ」
「そうか。なれば、おいで」
「はい。今日はずっと一緒ですよ」
「約束したからな」

父上と手を繋ぐ。
私よりも少し小さな手を引いて、昭に負けぬよう私も先導して歩いた。
父上は笑いながら私達に諸手を引かれて笑っていた。


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