掌上明珠しょうじょうのめいしゅ

師は私に甘えたがりで、帰宅すれば傍から離れる事はほぼない。
春華はまだ歩けたばかりの昭から目が離せず、師は大人しいからと構えない事が多いらしい。
師は聞き分けの良い子だから尚更申し訳ないのだと、春華は師に謝っていた。

「師は昭の兄なので、大丈夫です」
「おいで」
「お背中に居てもいいのですか?」
「ああ。私は暫く此処に居る」

官服を着たまま家に居ると、決まって師は私の背後に座り、重ね着で膨らんだ背後に座り埋まっている。
そのまま寝ている事もしばしば見かける。
柔らかくて気持ちいいらしい。

「何をするでもなくそれだけで、良いのか」
「もふもふです」
「そうか」
「大好きな父上の香りがします」
「そ、そうか」

師から私の好意は真っ直ぐで隠しもしない。
私も人の親故、子供からの好意は素直に嬉しい。
無理矢理出仕をさせられた身故、師になかなか構えない事が多いが、家に居る時は存分に甘えさせてやろうと頭を撫でた。



外出時、師が私の官服の中に潜る。
小さな師はすっぽり埋まってしまう。

「これ」
「ご一緒します」
「駄目だ」
「どうしてですか」
「執務室には連れていけぬ」
「ではお帰りをお待ちします」
「うむ。とりあえず出て来なさい」
「あたたかいです」
「こら、師。出て来なさい」
「やです」
「師っ」

足にしがみついて離してくれない。
いつもは聞き分けが良いのだが、今日はなかなか離れてくれない。
推して駄目なら退くまでだ。

「師がそこまで言うなら、少し共にいよう。だが執務に遅れると私の帰りが更に遅くなる。それでもよいか」
「いやです。今日は一緒に沐浴するとお約束しました」
「ふむ。師の眠る刻限までに帰らないやもしれぬ」
「うう」
「私の言う事は解るな」
「ごめんなさい」
「すまんな。行ってくる」

足下から漸く師が離れてくれた。
今にも泣き出しそうな師に袖を引かれたが、いつまでも構う訳にもいかぬ。
師に手を振り、少し足早に歩いた。

「いつもより遅いぞ」
「申し訳ございません。ああ、あなたも其れが好きなのですね」
「柔らかくて温かくて好きだ」

曹操殿の子、曹丕殿の教育係を頼まれている。
漸く心を開いてくれたかと思ったら随分と甘えたがりのようで、よく私の官服の裾に埋まっている。
私よりひと回り下の若僧なのだが、やっている事が師と変わらぬ。

「あなたは誰にでもそのように甘えているのですか」
「私が誰彼構わずこのようにしているとでも思うのか」
「違うのですか」
「仲達にだけだ」
「はぁ、左様でございますか」
「お前は良い香りがする。落ち着く」
「…ふ」

師と同じ事を言っているので笑ってしまった。

見た目は容姿端麗。そして文武両道のこの若様はどうにも気難しく、誰彼と心を開いている訳ではないらしい。
故に任命された教育係が長く続いた事がなかったそうだ。
文学だけであれば私より知識がある御方に何を教える事があるのかと、曹操殿に問うた事がある。
子桓は一人で何でもこなしてしまうがあれは繊細だからな、と苦笑して私の肩を叩いた。

確かに繊細な方だ。

「曹丕殿。本日は此方のお話しをします」
「ああ」

曹丕殿は人の上に立つ御方。
人がどう動くか、知っておく必要がある。
ある意味、軍略が必要だ。
私の肩に凭れて甘える曹丕殿を許しつつ、書簡を開いて軍略を教えた。










数年後。官服を少々変えた。
紫の衣が良く似合うと曹丕殿が私に言っていた。
師も大きくなり、昭も私の足にくっ付くようになった。
昭は師と違い春華に似たのか、随分と伸び伸びしているのでなかなか足下から離れず困ったものだ。
私が戦地に赴くようになったものだから、毎朝出仕の度にくっつかれてしまい困っている。

「二人とも、出て来い」
「えー」
「えー、じゃない。もう曹丕殿が」
「お前が子供に甘いというのはよく解った」
「そ、曹丕殿。お待たせ致しまして誠に申し訳ございません」
「構わぬ」
「そーひさま?」
「父上の」
「ああ、仲達の子らか。よく似ているな」
「師と、昭と申します」

思わぬ形で我が子を紹介する事になった。
師は私が曹丕殿にお仕えしている事を知っている為、何処か憮然としていた。
曹丕殿のせいで私が帰って来ないとでも思っているのだろう。




挨拶をさせた後、子供達は春華に預けて曹丕殿の供として歩く。
元々、本日は曹丕殿の予定が先約であった。

「掌上明珠、と言った具合か」
「師と昭の事ですか」
「仲達の子らが羨ましい」
「何です。私の子になりたいのですか」
「お前の子になりたい訳ではないが、お前に愛でられるのは羨ましい」
「…はぁ」

眉間に深く皺を寄せている面構えなのだが、不意に寂しそうな表情をされる。
私と居る時はそのような顔はされないのだが、何かあったのだろうか。

「どうかされましたか」
「寒い」
「申し訳ありません。私があなたより小柄故、風避けにもなれず」

風上側に立ち、せめて直風が当たらぬよう努めたが曹丕殿の方が私よりも身丈がある。風避けにはなれない。
風向きを気にして歩く位置を変えていたのだが、さらりと曹丕殿が風上になってしまった。
何か言おうとする前に、建物に入る。

「茶を煎れましょうか」
「ああ」
「暫しお待ち下さい」
「うむ」

椅子に座り茶を煎れると、正面に座っていた曹丕殿が隣に移動してきた。
何処に座ろうが勝手だが、私の茶を飲み小休憩が出来たように思う。

遅れて私が茶を飲んでいると、私の膝を曹丕殿が優しく叩いた。
首を傾げているとそのまま膝に寝転ばれる。

「借りるぞ」
「奥方をお呼び致しましょうか」
「仲達が良い」
「…そうですか」

数年前。私達は恋仲になっていた。
無論、皆には話していないし話すつもりもない。
子桓様は二人きりになると途端に私に甘えたがる。
歳を重ねたくせに、私には子供のよう。

「子桓様」
「漸く呼んでくれた」
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

肩に私の上着を掛けると、子桓様はその手を取って唇を寄せた。
動作ひとつひとつが、ああ皇子様なのだと思い出させる。
間もなく聞こえた寝息に微笑み、頭や髪を撫でた。

子桓様が私を見つめる瞳は柔らかい。
私もきっとそう見ていると思う。
子供とは違う愛おしさ。子桓様は私の子供ではない。
しかし甘え方は子供のようだ。

「ずっと見ております。ちゃんと好きですから…」

眠る子桓様の額に唇を寄せて寝顔を見守った。
子供ではないが、子供のような甘え方の恋人に微笑み穏やかな時を過ごした。


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