昔々。
乱世にひとりの男がいた。
その男は厳しい家庭に育ち、智略に長けていた。
どうせ誰かが帝位を奪うだけ。同じことの繰り返し。
己の智略を揮い、天下を取らせてやろうと思う主君もなく。
かと言って自分で天下を取ろうとも考えてはいなかった。
乱世を傍観してやろう。
そのつもりだった。あの日が来るまでは。
時の人、魏の曹操に出仕をさせられ曹操軍に召し抱えられる。
嫌々ながらの出仕、そして面倒なことに曹操の嫡子の教育係を命じられる。
教育係を務めながら、男は軍略にも携わる。
嫡子の名前は曹丕、字は子桓と言った。
曹丕の瞳は冷たく、氷のようで。
父、曹操から疎まれていることを男は知っていた。
同じくしてその男は、曹操から智謀を認められていたが危険視もされていた。
そのせいもあってか、曹丕との日々は忙しいながらも男にとっては楽しかった。
いつの間にかその男は、曹丕と親しい主従の関係になり、字で呼び合う曹丕の一番の配下になった。
主君を思う気持ちが何時しか想う気持ちに変わったのはいつの日か。
主従の一線を超えてしまう。
それでも男は、曹丕の傍に居たかった。
男は言った。
『あなたこそ我が生涯唯一の主君である』と。
曹丕は満足そうに笑っていた。
ある日。
曹丕の父である、曹操が没する。
天下未だ定まらず、乱世は未だ続いていた。
次代は曹丕が継ぐことになった。
男は補佐役に徹し、曹丕を支えた。
曹丕は遂に帝位につき、魏帝となる。
『天下はもうすぐ』そう思った矢先だった。
男にとっての生涯唯一の主君、曹丕が没する。
その日から男の思考は止まる。
あなたがいないこの国で、私は何をすればいいのか。
…だが、あなたが愛したこの国を易々と滅ぼしてなるものか。
男は曹丕が遺した国の為、奮戦した。
戦い、勝って、負けて、戦って、闘って、殺し、殺し。
ただ男の心にはいつも虚無感があった。
勝っても、負けても。もうあなたはいない。
男はいつもそう思っていた。
いつしか男が支えていた国も代を追うごとにひ弱になっていった。
名将が死ぬ時代。遺された者で国を支えなければいけない。
男には諸葛亮という、好敵手と認める蜀の軍師がいた。
その諸葛亮も五丈原にて没する。
皆、私を置いて先に逝ってしまう。
男は孤独に、そう思った。
国がひ弱になるにつれ、男の心にはある気持ちが固まっていった。
『このままこの国が衰退し滅亡するくらいなら、私が天下を奪い取る』
男は国に対し、反逆をした。
男にとって、曹丕が遺した国に反逆をするのは身を切られるような思いだった。
それでも男はこの国をどんな方法を取ってでも遺してやりたかった。
反逆は成功し、晋が興る。
男はひとり、玉座に座り遠くを見た。
自分の息子に跡を継がせ、次代を示した。
男は既に自分には十分すぎる忙しい人生だ、と語った。
それでも最期に、男は曹丕に会いたいと思った。
反逆し、手に入れたこの国を見て曹丕は何と言うだろうか。
そんなことを考えながら。
「仲達」
男の名前は司馬懿、字は仲達と言う。
「随分と、遅かったな」
「やることがたくさんあったので、随分と遅くなってしまいました」
「ふ、御苦労だったな」
「ええ。あなたの国の次代は示しましたよ、子桓様」
その男は、私。