えぬもの

「司馬懿殿っ!!」
「…っ!うろたえるな、状況を報告せよ!各将!油断召されるな!」
「司馬懿殿、手当を」
「指示が先だ」

視界が、紅く滲む。























何も見えない。













































仲達が遠征に出てからはや数ヶ月。
手紙のやり取りが急に途絶えた。

遠征軍からの報告には勝利したとの書簡が届いている。
しかし、これは指揮をとっている仲達の字ではない。


仲達本人に、何かあったのか。


だが報告はない。
直に遠征軍が帰還する。

無事だといいのだが。







遠征軍が帰還した。
今は父に大広間で報告しているはずだ。

久しぶりに会える。
玉座の横の扉から、広間に入った。

「…では、しばらく執務は控えよ。他の者にまわす」
「しかし、それではあまりにも」
「お前を失う方が我が国にとって痛い。養生せよ」
「…御意」

父と仲達の声が聞こえる。
少し遅れて父の後ろに立った。

いくらか下の段に仲達以下遠征軍各将が片足をつき、軍礼をしている。
久しぶりに見る姿だ。

「子桓か」
「遅くなりました」
「遠征軍が戻った」
「はい」
「くれぐれも無茶をさせぬようにな」
「…?何かあったのですか?」
「司馬懿、顔を上げよ」

父に言われ、仲達の肩がびくっと震えた。





ゆっくり顔を上げる。
その顔は、両目を包帯で覆われていた。



目が。

自分の胸が刺されたように痛い。
動揺を堪えて仲達を見た。

「…その目はどうした。報告にはなかったが」

声が震えているのが自分でもわかる。

「…敵軍の矢が掠りました。
幸い視力に影響はないのですが、目に近かったので大事をとって
しばらく目が開けられないとのことです」



何故そんな平然と他人事のように言う。
自分の体ではないか。
私の気持ちをわかっているくせに。



「司馬懿にはしばし療養の時間を与えた。治るまでの期間だ。そう長くもあるまい」
「はっ…」
「司馬懿はお前に返すぞ、子桓。では散会」

父の号令で軍が下がっていく。
仲達が部下に手を取られ、立ち上がる。




「待て」

玉座から下りて、部下にとられた仲達の手を私が握った。

「仲達は私の元に」

部下に命じて下がらせた。
広間に二人だけになる。

「…私がわかるか?」

手を握り、頬に触れた。
両目を塞ぐ包帯にはじわりと紅く血が滲んでいた。

「…子桓様、ですね」
「見えぬのか」
「ええ…傷が癒えるまで目は開けるなと。夏侯惇将軍にもきつく言われました」
「そうか」

夏侯惇は司馬懿を自分のようにしたくないのだろう。

「…何故、報告しなかった」
「あなたを想えばこそです。私のことで政を」
「…何が私を想えばだ…」
「子桓様…?」
「お前から途切れた手紙で私がどれだけ」

冷静な物言いに腹が立ち声を荒げる私に、仲達が手を伸ばした。
頬に触れられ髪を撫でられる。

「御心配をお掛けして申し訳ありませぬ…」

髪を撫でられる。
いつかの幼い頃のように。

気恥ずかしいが、仲達の撫でる手が気持ちを落ち着かせた。

「手を」
「はい」

仲達の手を取り、私の部屋に連れていく。
医師を呼んで傷口に対する処方を教えて貰う。直に仲達の傷口も見た。
矢の切っ先が目のすぐ横を掠めている。傷口は痕にならないとのことだった。


仲達の妻、春華を呼び事情を話した。

「では、朗君は無事なのですね?」
「目以外は大事ない。そこで頼みがあるのだが」
「何なりと」
「仲達をしばし、私に預けてくれぬか」
「朗君は何と」
「それは本当に申し訳ない、と言っていたが」
「では曹丕様に預けましょう」
「良いのか?」
「甄姫様が予想されていましたので。朗君をよろしくお願い致します」
「ああ」

甄に見破れていたらしい。
流石と言うか何と言うか。
春華と仲達を会わせるため、私は部屋を出た。

「不安ですの?我が君」
「甄」

廊下で待っていると、甄が歩いてきて声をかけられた。

「春華のことでしたら御心配なく」
「そうか」
「司馬懿殿のことでしたら、我が君がしっかりなさらないと」
「ああ」
「治る傷なのでしょう?なれば時が経つのを待つだけですわ」
「そうだな」
「…いつもの我が君らしくありませんわ」
「…らしくないか。すまぬ、仲達のこととなるとな」
「大切な方なら尚更ですわ」
「すまぬ、甄」
「いいえ。あら、春華」

春華が部屋から出てきた。

「これは甄姫様もお揃いで。曹丕様、朗君が呼んでおります」
「では、甄」
「行ってらっしゃいませ、我が君」

二人に見送られ部屋に入ると、仲達は寝台に座っていた。

「子桓様ですね。…春華より聞きました。子桓様が私を預かるとか」
「ああ」
「何故です。これでも少しくらいは自分で」
「仲達、聞け」
「あなた様に御迷惑を」
「聞け」

尚も言葉を続ける仲達を黙らせるために唇を塞いだ。
そのまま背中に腕をまわし強く抱きしめる。

「お前は私のものであろう」
「はい…」
「私が傍に居たいのだ。このようなお前をひとりほおっておけぬ」
「しかし子桓様に御迷惑が…」
「そんなことは気にするな」

尚も口づけて、抱きしめた。

「完治は?」
「一月くらいかと」
「なれば私の傍から離れるな」
「…御意…」

それから仲達との生活が始まった。
目以外、仲達の体は健やかなので視界がなくとも出来る作業をしてもらっている。

何かあれば私を呼べと言ってあるが、
始めのうちは、私に遠慮してなかなか呼ばなかった。

今では少しずつだが仲達から呼び出しを受けている。



















それから二十日ほど経った夜のこと。

私の部屋の寝台に仲達を座らせ、包帯を交換するため外していく。
麗しい顔立ちがあらわになる。

黙々と作業をしていた時だ。

「…子桓様?」
「何だ」
「子桓様っ」
「どうした?」
「すいません…お声が聞こえなくて…」
「すまぬ。不安にさせた」

仲達の手が私を探す。
その手を取り、握ってやる。

「ここにいるぞ」
「…もし、ここが魏ではなくて…、
あなた様が子桓様でなかったら…なんて最近考えるようになりました」
「……。」
「朝がきても夜がきても私は変わらず暗闇のまま。
手を引かれて歩いてはいるものの何処を歩いているのか…この手は本当に子桓様なのか、と」
「怖いのか」
「…怖いです。たまらなく怖い。ただ見えないだけなのですが」
「仲達」
「もしこのまま目を開いても暗闇だったら私は」

仲達の目に新しい包帯を巻き直しながら聞く。
かたかたと小さく体が震えていた。




「それでも私はお前の傍にいよう」

震える体を自分の胸に埋めた。
寝台が軋み、不安なのか背中に腕をまわされる。

「治る傷だ」
「はい」
「もうすぐ治る」
「はい」
「私が傍にいる」
「はい…」

慰めるように頭を撫でた。
視界を奪われて二十日以上、暗闇の中だ。
怖くなるのも無理はない。







不意に下から、頬に口づけられた。
不意打ちだったので驚いていると、仲達の手が首に回される。

「仲達?」
「…抱いて、下さいませんか」

最初は、何かの聞き間違いかと思った。
だが仲達から初めて聞いた、抱いてほしいと。

「しかし」

体の大事を取り、あえて情事を営むことを避けていた。
本当は遠征から帰還した日にでも抱いてやりたかったのだが。

傷を見た私は、これ以上仲達を傷つけたくなかった。

「声だけでなく、全身で子桓様を感じたい」
「……。」
「…こういうこと、私から言っては、駄目でしょうか…」
「いや」

顔を撫でて、唇を合わせた。
そのままゆっくりと寝台へ押し倒す。

「…普段そんなことを言ってみろ、問答無用で襲うぞ」
「今はどうなのです?」
「私がお前からの誘いを断るとでも?」
「子桓様たら」
「ただし、今宵はお前を傷つけぬように抱く」

服を開け、胸を吸った。
視界が見えないせいか前に抱いた時よりも反応が良い。

今宵は、特別優しく抱いてやる。
耳や首筋を甘く噛み、唇を滑らせながら体を愛撫していく。

「子桓様…は」
「ん…?」
「いつも私に、お優しい…」
「お前だけだ」
「自惚れて、いいのでしょうか」
「お前が考えていることは自惚れではない。事実だ」

愛撫する手が体をなぞり、指を入れた秘部がいやらしく水音を立てる。
ぞくっと仲達の体が震えた。

私の手の中で、ゆるゆると勃たせていく。
私のものも服ごしに仲達の体に当たっていた。

「…ぁ…子桓、さ、」
「くれてやる」

よく仲達を見れば、手は小さく私の服を握りしめていた。

何も見えない情事。
不安で、怖くて、たまらないのだろう。

耳元に顔を寄せた。
そのまま、ゆっくりと仲達に挿入していく。

「っぁ、はっ」
「仲達、私だ。子桓だ…わかるか?」

耳元で字を呼びながら、腰を打ち付けていく。
仲達の声が、私を高ぶらせていく。




だが理性が勝っていた。けしてこれ以上傷つけまいと。
私に体を揺らされてか、目にかかる包帯がずれていく。




いけない、と思い包帯に手を伸ばすより先に仲達に包帯を取られてしまった。


「お、顔が…見た、い」

無理矢理包帯を引っ張り、目を開けようとしている。
包帯からあらわになった目を、けして開かせぬように手の平で覆った。

「ならぬ…」
「い、やっ…子桓様っ」

覆った手の平が濡れていた。
泣いて、いた。

胸が掴まれるように痛い。
だが、目を開けさせてやることは出来ない。

「私とて、お前の顔を見たい…」
「なれ、ば」
「あと少しだろう」

仲達の濡れた瞼に口づけをした。

「…治ったら、一番はじめに私を見せてやる」

再び腰を打ち付け、奥に突き上げる。
仲達の体が快楽に震えた。

「お前がいるのは暗闇ではない。私の腕の中だ」

不安を拭うように、何度も口づけをした。
そのまま仲達の中に果てる。仲達も私の字を呼んで果てた。

頬が濡れている。私も泣いていたのだ。



















「子桓様」
「何だ。ここにいる」
「はい」

情事の後、体を清め仲達を胸に抱き寝台に入る。
包帯はあれから巻き直した。

仲達も今は疲れて、私の腕の中で大人しくしている。

「子桓様」

時折、字を呼ばれる。
私は不安にさせぬように応える。

「疲れただろう。無理をしていないか」

頭を撫でてやると、擦り寄るように体を寄せた。

「優しく、してくださいましたから」
「そうか」

仲達が手を伸ばし、私の頬に触れた。

「治ったら、一番に子桓様が見たい。きっとですよ」
「ああ、約束しよう。もう眠れ」
「はい…あの子桓様」
「何だ」
「…ありがとうございます」

そのまますぅっと仲達は眠りについた。
仲達が眠り、私も眠りについた。




















それから七日経った。
医師が部屋に来ている。

「きちんと約束を守って下さった御様子で」

包帯をはらはらとといていく。

「痕も残らず、綺麗に治りましたよ。もう目を開けても大丈夫です」
「そうか。大儀であった」
「では、私はこれで」

医師は包帯を回収し、去っていった。









「子桓様」
「ああ、目の前にいる」

ゆっくりと瞼を開けた。
その眼には、私の姿が映っていた。

眩しそうに私を見てから、仲達から口づけをされた。
それから涙をぽろぽろおとして私の胸の中で泣いていた。

「もっと、見せて下さい」
「ああ。お前の子桓はここにいる」

お互いを抱きしめあった。
私と仲達には、目には決して見えないものがある。


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