嘘偽きょぎ

数ヶ月経ったか。
仲達とまともに口をきいていない。
全ては己が招いた過失だが、今更自分の言葉の重みに頭を抱えた。

普段涼しい顔をして、仲達から甘えるような事も好意を伝えられる事もない。
恋仲であるのに、思いや好意を伝えるのは私ばかりで仲達は受身に回るのみだ。


ほんの些細な不満だ。
今思えば、馬鹿な事を言ったと後悔している。

「…話がある」
「はい」

仲達を呼び付け、隣に立たせる。
城下を見下ろし、仲達の事は見ない。
今から伝える酷い言葉を、知っていたからだ。

「お前との、このような関係はもうやめる」
「…は」

仲達が小さく息を詰めたのが聞こえたが、ひとつ咳を払い努めて平静にそうですかと呟いた。
ぐっと唇を噛みながら、仲達を蔑む言葉を続けた。

別れたくないとか、愛しているとか。
そういう言葉を仲達から聞きたい余りに、心にもない言葉を続けた。

「もう、いらぬ」
「…解りました」

漸く目線を仲達に向けた。
仲達は冷たい瞳で私を見る事もなく、いつものように涼しい顔で天を見つめていた。

「では、あなたから私を返して戴きましょう」
「…仲達」
「殿、もう字をお呼び下さいますな」
「仲達、待て」

仲達から私が望むような言葉を聞く事はなかった。
ただ一方的に仲達を傷付けただけだ。

一礼を持って立ち去ろうとした仲達の手首を掴むも、乾いた音と頬の痛みにそれ以上手首を握る事が出来なかった。

「さようなら」

仲達は私に平手打ちをした後、かつかつと靴音を響かせて私の前を立ち去っていった。










それからまともに話していない。

私から離れてから、仲達は子と共に居る所をよく見る。
今日も仲睦まじく、師と昭が仲達に伴い回廊を歩いていた。
私が通りかかると会釈はするが、それ以上の事はない。
以前のように、伴って歩いてくれる事はなくなった。
私が通り過ぎるのを最敬礼で待つばかりで、顔をあげる事はない。

「…。」

仲達に叩かれた頬の痛みを思い出した。
謝る機を逃して以来、声を掛けられずにいる。
徒に仲達を傷付けた代償は、結局己に跳ね返るばかりだ。

誰よりお前を愛しているというのに、私の下らない好奇心のせいで心にもない酷い言葉を浴びせてしまった。

「…仲達」
「は」
「後程、話を」
「…失礼を承知で申し上げます。私から話す事はございません」
「あれは、嘘だ」
「仰る意味が解りかねます」
「…仲達」
「…、失礼致します」

仲達は深く頭を下げたまま、見上げる事はない。
物静かに語る口調だが、怒りを隠せていない。

執務に支障が出ない程度には話すが、決して二人きりにはさせてくれない。
私から幾度となく声を掛けているのだが、小首を傾げてひらりと身をかわす。
相当に怒らせているのだと思い知った上で、敵と見られると仲達は随分と厄介なのだと改めて思い知った。

私の傍から、仲達が居なくなってしまった。




仲達が師を伴い、回廊を歩いている。
遠目に其れを見ていると、昭に顔を覗きこまれていた。
肘をつき、鼻を突くと昭は笑って頭を下げる。

「何だ」
「曹丕様は解り易いなと思いまして。父上は全然話してくれませんから」
「…仲達と共に行かなくて良いのか」
「あれは兄上が父上に付いていってるだけですよ」
「そうか」

隣に座るよう促すと、昭は一礼してから私と隣合う。
遠くに見える書庫で仲達が書簡を読んでいる。
横で、師は大人しく座っているようだ。
どうやら昭の言う通りのようだ。

「私がいないと、仲達は楽であろう」
「父上と何かありましたか」
「私が悪い」
「父上は何もお話し下さらないからもしやと思いましたが、やはり曹丕様でしたか」
「何も話さぬのか」
「最近お帰りが早くなった、とは思いました。曹丕様と何かあったのかなと思いまして」
「…その通りだ」

私が引き留めなければ仲達は悠々に帰宅出来ている。
子供達との時を奪っているのは私だ。

昭に訳を話して苦笑する。
やはり昭にも少々呆れられたように思う。

戯れに仲達を深く傷付けたのは私だ。
私から距離を詰めるのはもう駄目なのかもしれない。
遠目に仲達を見つめて溜息を吐いた。

「仲達に謝りたい。まともに声を聞く事すら適わぬ」
「曹丕様、俺が此処はひとつ策を」
「策?」
「父上に」
「ふ、お前が仲達に適うはずもない」
「そりゃ勿論。父上にまともにぶつかって勝てる訳ないです」
「話だけは聞こう」
「父上は親馬鹿ですからね。俺から見てもそう思います」
「確かにな」

昭は子供である事を良いことに、何か考えがあるらしい。
したたかなところは仲達に似たか。

一案設ける事に賛同はしたが、昭に何の利があるのか。
また子供達との時を私が奪ってしまうのではないか。

「父上の場所ってのが在りまして」
「場所?」
「子供の時からお二方は隣合っているのが普通でしたから、何か落ち着かないんですよ。兄上もそう言ってました」
「師が、か」
「今の兄上は父上を一人にしたくないだけですよ。父上の事が大好きですから」

遠目の師が一瞬、私と目を合わせたように思う。
此方に気がついているのだらう。
師は仲達に一言二言話しかけるが、仲達は平静に書簡に目を向けるばかりだ。

「兄上とて、俺と同じだと思いますよ。父上も何処か、寂しそうだと」
「…そうか」
「曹丕様、此方へ。兄上が父上を誘導します」
「既に策は始まっていたのか」
「はは、後はお二方次第ということで」

昭に連れられ部屋を出る。
遠目に見た書庫から仲達と師の姿がない。




雨が降ってきた。
昭に連れられた部屋はどうやらまた別の書庫らしい。
奥まった書庫故に、誰が来るわけでもないのだろう。

虫干しをしていたであろう書簡が未だ外にある事に気付いた。
他に人影も見えず、片付けてやるかと気紛れに表に出た。

書簡を抱えて慌しく走る者が一人。

「手伝おう」
「は…、申し訳ありませ……」
「…仲達?」
「っ、何故、此処に」
「…貸せ。お前が濡れる」

書簡を一まとめに持ち、仲達の手を引く。
一人で片付けていたのだろう。仲達は随分と濡れていた。

書簡を無事に片付けた後、手布で仲達の顔や手を拭う。
手を離せない。
今離したらまた、仲達がいなくなってしまうのではないかと思い怖くなった。

「…寒くはないか」
「はい」
「此れを」

私の上着を仲達の肩に羽織らせ、戸を閉めた。
膝を付き、仲達の前で深く頭を下げる。
今しかないと思ったのだ。

「殿、そのような事…誰が見ているか」
「すまなかった。全て私が悪い」
「…っ」
「この通りだ…」

仲達の手を取り、頭を下げる。
今の私に地位など関係ない。

仲達が私の手を引いて膝を叩く。
手は振り払われなかった。

「曹子桓とも在ろう御方が、膝をついてはなりません」
「…しかし、私は」
「あなたのお気持ちは解りました。お顔を上げて下さい」

漸く私とまともに口をきいてくれた。
目線も合わせてくれた。

仲達が手布で私の頬を拭う。
そう言えば私も雨に濡れたままだ。

「…あなたこそ濡れて」
「そうだな、少し寒い」
「此方に」

手を引かれ、書庫の隣の部屋に招かれる。
布巾で髪や体を拭われた後、自然と私の着替えを手伝う仲達に口元が緩む。

「仲達、お前も」
「私は後程…」
「風邪をひく」

濡れた睫毛が艶を感じた。
布巾で体を拭きながら、仲達の冷えた体を摩る。

「…すまなかった」
「もういいです」
「寒くないか」
「大事ありません」

仲達の首筋を拭い、肌に触れる。
すっかり体が冷えているやようだ。
服を着替えさせ、布団を肩に掛けて胸に埋める。

ああ、仲達だ。
漸く触れられた事に安堵し思わず口付けをしかけたが、仲達に唇を人差し指で止められてしまった。

「…其処まではまだ許しておりません」
「まだ、怒っているのか…」
「少々」

少し拗ねて仲達は顔を背けてしまった。
それでもいい。
仲達が傍に居てくれる。

肩の震えを感じ、仲達を胸に抱いたまま床に座る。
少し体が落ち着くまでこうしていようと、肩口に顔を埋めた。

「…もう、拒まぬのか」
「私も寒いと思ったので」
「大丈夫か」
「今は温かいので」
「そうか」
「…ふ、先程から仰っている言葉が変わりませぬ」

仲達が笑う。
こうして胸の中の仲達を見下ろすのが好きだ。
見上げてくれる仲達の瞳が好きだ。

仲達がいらぬなどと、何故私は言ったのか。
己にほとほと呆れる。




この書庫は仲達個人のものらしく、人を立ち入らせていないらしい。
仲達や師、昭のみが管理しているらしく、故に他人が立ち入ることもない。

師が仲達を一人残し、昭が私を此処に連れてきてくれた。
其れが昭の言う一案なのだろう。

壁に凭れて仲達の髪を撫でる。
綺麗な黒髪は少し濡れて、艶やかさを増している。


ふと腹を押さえ付けられているように感じて仲達を見ると、ぎゅっと強く腰に抱きつかれていた。

「…仲達?」
「…。」
「何だ、何処にも行かぬ」
「…。」

黙って私の胸に埋まる。
顔は見せてくれない。
その手には力が込められており、なかなか離れようとはしない。
そんな仲達に愛おしさを感じない筈もなく、髪を撫でて仲達の好きなようにさせた。


髪を撫でているだけでは、やはり触れたりない。
もう少し触れていたい。

仲達の前髪を掻き分け、額に口付ける。
はっとして仲達は私を見上げたが、怒るような事はなかった。
そのまま頬に口付ける。
やはり拒まれなかった。

それでは唇は…と顎に触れ上を向かせると、少し眉を寄せて私を睨み付けるも拒みはしなかった。
素直ににこりと笑う事はない仲達に笑み、頬を掌で包み口付けた。

「…っはぁ」
「…恋しかったぞ、仲達」
「いらぬと、仰られた癖に」
「…だから、それは、すまぬと…」

これは以後永遠に言われるだろうと覚悟をしつつ、また仲達に口付けを求めた。
今度は仲達が目を閉じ、口付けを許してくれた。

舌を吸うように深く口付けると、流石に仲達も察したようだ。
鳶色の濡れた瞳が私を見上げていた。

「いらぬと、仰られた癖に」
「悪かった」
「…寒いです」
「ふむ、そうか」
「寒いです。殿」

故意に子桓とは呼んでくれぬようだ。
仲達とて意地になっている。
ならば、その意地に答えよう。
澄ましている仲達を解いていくのが、今の私がするべき事だ。

「仲達」
「…は」
「お前は何処まで、私を許した?」
「さぁ」
「口付けより先を…求めるのは尚早か」
「…?」
「漸く触れられた…。堪え難い」
「…あなたは、この様な処で…」

仲達が呆れるように溜息を吐き、顔を背けてしまった。
しかし、仲達は私から離れない。

存外、許されているのやもしれぬ。

「仲達が欲しい」
「いらぬと」
「聞き飽きたぞ、仲達」
「っ、まっ…お待ちを」
「待てぬ」
「そん、っ…な…」

強引に口付け首筋や胸に触れる。
そのまま下へ手を這わせると、仲達とて体を反応させていた。
頬を染める仲達の手を取り、そのまま己の下腹部に触れさせて笑う。

「っ…!」
「期待していたのか」
「誰がっ」
「…仲達、其れは私を煽るだけだ」
「っ、っ、ぅ…ん…!」

声を堪える仲達に口付けながら、仲達の手で仲達のを扱く。
仲達は抗議の視線を向けるが、声は甘く蕩けている。

「…ひとつ、聞きたい」
「…?」
「私にいらぬと言われて、お前は泣いたのか」
「…泣く訳、ないでしょう」

強い眼差しで仲達は私を上目で見上げるが、瞳が潤みただ愛らしいだけだ。
私も存外仲達に飢えているのか、そのまま仲達を果てさせた後、後ろに指を当てがう。
果てた後の仲達の体は熱く、中は更に熱い。
傷付けぬように指を動かしていく。

肩口に頬を寄せて、背は私に預けてくれている。
一回り小さな仲達を背から抱き締め、指を抜いた。

「っ…ぅ、は…ぁ…」
「仲達」
「…?」
「…もう、戯れに傷付けるような事はせぬ。お前から嫉妬されたいなどと考えた私が浅はかだった」
「…もう、もう…いいです…から…」
「顔が見たい」

向かい合うよう仲達を振り向かせ、頬を撫でた。
肩で息を吐いている仲達に当てがい、深く己を挿入していく。


仲達と漸く繋がれた事に悦び、深く挿入し動作を止めた。
肩で息を吐いている仲達の動悸は、胸に触れれば容易に伝わる。

ぽろぽろと生理的に涙が溢れていたが、今や何をするにも仲達が愛おしい。
ただただ、愛おしくて堪らない。

「…仲達」
「…?」
「すまぬ…」

今一度仲達に謝罪をすると、首に腕を回されて顔を見せてくれなくなってしまった。
顔を見たかったが、今の私は仲達に頭が上がらない。
肩に仲達を抱き、耳で声を聞き、手で肌を感じた。

「っ、この…ばか、も、…め…」
「愛している」
「っ、ん、ぁ…!」
「ふっ…、っ」

仲達が先に果て、そのきつい締め付けに中に果てた。
かくん…、と力が抜けてずり落ちる仲達を支え、胸に埋めた。
ぽろぽろと泣いている仲達の涙を拭い、優しく口付ける。

「…此の世で唯一、お前だけだ…。仲達」
「わたし…?」
「二度と、手放すものか」
「…。」

衝動的な情事は一度で止め、さながら主か姫とでも在るかのように仲達を気遣い抱き上げる。
流石にこのまま此処にいるのは何かと不味い。
疲労し気を飛ばしている仲達を横に抱き上げ、裏道を通り私の部屋に連れた。








その手をずっと握り締めたまま、仲達を寝台に寝かせて私も共に横になる。
細く白い手がずっと、私の手を握っている。

遠かった。
仲達が傍を離れた日々を思い出し、もし仲違いをしたままだったら…と思うと怖くなった。
策を用いて機会を与えてくれた師と昭には大きな借りが出来た。

情けない話だ。仲達には話せない。


強く胸に抱きついてくる仲達に気付き、顔を上げた。
気がついたのだろうか。
やはり顔を見せるのは嫌なのか、私の方を向いてはくれない。

それでも、愛おしい。
ぎゅうと強く、もう離さぬとでも言いたげな仲達が愛おしい。

「…また、私を好きになっても、良いですよ」
「っ、ふ…、有難き幸せ」
「私の傍に、居ても良いです」
「もう二度と離れぬものか」
「…、子桓様」
「漸く、呼んでくれた」

声が涙ぐんでいるように聞こえたが、気が付かなかった事にして仲達を胸に抱いた。
字を仲達の声色で漸く聞けた。

言葉だとて二度と思いを偽る事のないよう、仲達と指を切り額を合わせた。
仲達に今一度謝罪すると、しつこいと怒られてしまった。


どうやら、もういい、らしい。
仲達に口付け目を閉じると、また再びぎゅうと胸に抱き付かれてしまった。
寂しかったのか、と聞いたら仲達の機嫌を損ねそうだ。

これが仲達からの好意の伝え方なのだとしたら随分と愛らしいではないか。
そう思うと幾分と可愛らしく、私の下らない不安など何処ぞへ消えた。
仲達に甘えるように肩口に埋まって笑った。


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