伉儷こうれい

まさか医師に心労と判断されるとは思わず、鼻で笑った。
昨今の私の不眠は心労がたたっているという。



顔色が悪いと休養を強要されたが、私は今それどころではない。

「司馬懿様、陛下が」
「今行く」
「司馬懿殿、御無理は」
「無理などしていない」

医師に丸薬を処方されて、胸元にしまう。
私を待つ子桓様をお待たせする訳にはいかない。

扉の前で息を整えて、室内に入り深く頭を下げる。
幾度か咳き込む子桓様に傅き、伸ばされた手に触れる。
酷く熱いその手が不安で、額に乗せている濡れ布巾を取り替えて寝台の傍の椅子に座った。

「仲達…」
「此処におります。何か欲しいものはございませんか」
「水を」
「はい」

酷い高熱で、子桓様は起き上がる事が出来ない。
私以外に触れさせる気はないようで、医師の診察も嫌々に受ける程であった。
熱が下がる時もあるのだが、今朝は酷い熱で片時も離れたくない。

私がふらつきたまに空を見る様子を見て、医師は私も診察をした。
病を移されてはいなかったが、微熱は移されてしまったようだ。

だが、子桓様に比べれば。




子桓様の枕元に一言断りを入れて座り、首元を支えて水を飲ませた。
今朝からまだ何も口にしていなかったのだろう。
子桓様は私に礼を言った後、枕元に座っていた私の腰を抱き寄せた。

「陛下」
「此処に居ろ」
「は…。それでは苦しくありませんか」
「なら、横に寝てくれるのか?」
「御所望ならば」
「お前を抱き締めていたいのだ」
「…では、官服を着替えて参りますので少々お待ちいただけませんか」
「うむ」

子桓様は嬉しそうに笑い、濡れ布巾で目元を隠してしまった。
自分の辛い顔は私に見せたくないのだろうか。

足早に別室で服を着替えて、冠を置いた。
皺にならぬよう官服を脱いだだけで、寝間着ではない。

髪を軽く結ってから子桓様の元に戻る。
物音で私が来たと気付いたのか、私を寝台に手招き嬉しそうな顔を見せた。
子桓様を胸に埋め頭を撫でていると、暫くして寝息が聞こえた。
いつも以上に熱い体温を感じながら、腰に回される手は振り解かずに横になる。


風邪が悪化し肺炎になりそうだという。
ただの風邪と医師は言っていたのに、子桓様の病状は悪くなる一方だ。
考え得る最悪の結末も覚悟して下さい、と医師に言われた。

いつか来るかもしれない私達の終わり。
私はどうしたら良いのだろうか。






少しでも子桓様の傍に居ようとしていたら、家には帰れなくなった。
恋愛と家庭を両立出来るほど、私は器用じゃない。
春華も師も昭も私を案じてくれているが、私は己以上に大切な人がいる。
酷い父親で酷い夫だと思う。

この御方がいなくなったら、私はこの先どう生きていけばよいのだろうか。
子桓様が倒れてから、子桓様のお傍でそんな事ばかり考えている。


陽が沈みかけた頃、子桓様の熱は下がった。
枕元に伏した顔を、仮眠を終えた子桓様が撫でる。

「酷い顔だな…、仲達」
「…しか、…さ」
「大事ない。ずっと傍に居てくれたのか」

頬を撫でられて頷く。

腹が空いたと聞いて、粥を用意して貰い匙で口に運ぶ。
好物の葡萄も、私の指から美味しそうに頬張ってくれた。

安堵して私も漸く息が付けた。
白湯で薬を飲む子桓様の傍らに侍り、溜め息を吐く。

「…仲達」
「はい」
「心配を掛けたな…」
「熱は和らぎましたか?」
「胸が少々痛むが、もう起き上がれる」
「されど、余り御無理はなさらぬよう」
「…汗をかいた。湯浴みをしてくる」
「お一人では行かせたくありません。私も共に参ります」
「元よりそのつもりだった。手を、仲達」
「はい」

まだ足元がふらつく子桓様に肩を貸し、腕を組む。
脱衣室まで歩むものと思っていたのだが、子桓様は歩みを止めて私を引き留めた。

顎を掴まれて顔を上げさせられると、子桓様に額を合わせられる。
まだ少し熱い子桓様の体温に目を細めていると、私を引き寄せた子桓様が眉に皺を寄せる。

「仲達」
「はい…」
「微熱がある。瞼も腫れているぞ。お前、眠れていないだろう」
「平気です」
「…お前も湯に入れ。二人で話したい事がある」
「は…、畏まりました」

私の知らぬところで無理をして。
そう言って私を叱り、子桓様は触れるだけの口付けをして下さった。
他でもない貴方様だからこそ私は、と言い終わる前に再び口付けられる。

私が支える筈の子桓様に肩を支えられてしまい、恐縮して頭を下げる。







病で少し窶れられただろうか。
子桓様のお体を湯で流しながら、顔色を伺う。
少しでも何かあれば、仰っていただくように釘をさした。

子桓様は私の手を引いて泡まみれのまま、私を膝上に座らせる。
そのまま泡にまみれた手で私の体に手を這わせた。

「っは…、陛下」
「子桓と、仲達」
「…子桓様…、左様な事、貴方様が為さる事では…」
「私の仲達には誰も触れさせぬ」
「…っ」
「…窶れたのはお前ではないのか、仲達」

胸や腰に手を這わせながら耳元で囁かれる。
その声色や仕草に感情が高まってしまい、目を閉じて首を横に振った。
子桓様は必要以上に私に触れて、太股から股に指を這わせる。

止めて欲しいが、止めて欲しくない。
久方に生身の肌に触れられて気が高ぶらない訳がなく、私は子桓様を渇望していた。

それでも子桓様の御身を心配する気持ちが勝ち、私に触れる手を止める。

「子桓様…」
「…、仲達」
「本当に、駄目で、す…」

首を横に振るも、子桓様に深く口付けられて後ろから抱き締められる。
私が止める手を振り解いて、今度は私自身に触れる。

「…仲達」
「っは…、ぁ…」
「ずっと、伝えたかった事がある」
「…?」
「ただ今は…、このまま、お前を抱きたい」
「此処…、で…?」
「寝台まで待てない」
「貴方、体調は」
「そんな事は問題ではない」

粘膜を傷付けぬよう下半身だけに湯を流されて、子桓様に当てがわれる。
いつもなら子桓様は前戯で私を翻弄するのだが、今回はそのような前戯すらなくそのまま子桓様に深く挿入される。

「っ、ぅ…!」
「痛むか?…すまぬ、私も余裕がない」
「…、あ…ぁ…!」

背後からの挿入で顔が見れない。
いきなり奥まで深く挿入されて苦しいが、私を求めてくれるのが嬉しかった。

「顔が見たい…、私を見て欲しい」
「ふ…っ、存分に、私も…貴方が、見たい…」

子桓様に焦がれた私の体は血を流しながらも、子桓様を受け入れて震えていた。
顔が見たいと子桓様に乞われて、振り向くなり腰を抑えつけられて深く口付けられる。

急いた情事に翻弄されて、思考が追い付かない。
慣らされていない体では子桓様を受け止めるにも、痛みの方が勝る。
それでも私を抱いて感じて下さる子桓様の鼓動が伝わって、愛おしくて堪らなかった。

「っふ、ぁ、は…!」
「仲達…」
「はい…」
「私と、婚約をしてくれぬか」
「…?」

何を仰っているのか解らない。
痛みと快楽と混乱で、何が何やら解らない。
かといって子桓様が戯れにそのような事を言う筈もない。

今は子桓様の言葉の意味が解らず、子桓様に抱かれて泣くばかりだった。











子桓様に一頻り抱かれて繋がりを解いた後、体の中に果てられた精液が股を伝う。
私を押し倒したまま、子桓様も乱れた息を整えようと息を深く吐いた。
腰が立たず子桓様に凭れて目を閉じると、ぽたぽたと何かが顔に落ちてきた。

「…?」
「痛むか、仲達。今…流してやる。寒くないか」
「今…」

子桓様の優しい声色を聞いて、泣いていたのですか、と言葉を続ける事は出来なかった。


私の脚を伝う血に気付いて、子桓様は罰が悪そうに私を横に抱き上げた。
病み上がりの方が何をしているのかと私が心配するも、子桓様は構わず私に世話を焼く。

先程の続きのように私の体を流して清め、私を抱き締めて湯に浸る。
私から離れたくないようだ。
肩に埋まる子桓様の髪を撫でると、私の指に甘えるようにして口付けられる。



子桓様の顔色に生気が戻り、病の気配は薄れた。

私の指に口付ける子桓様の頬に口付けると、子桓様が私の唇に口付ける。
先程私を抱いたばかりなのに、子桓様は離れることなくずっと私を抱き締めていた。

「…すまなかった」
「?」
「体は痛むか」
「平気です…。貴方様こそ、もう御加減はよろしいのですか?」
「お前を無理矢理抱くくらいには回復した」
「無理矢理だなんて、思っていません…。寧ろ、私…、貴方様を欲しがっていたのかもしれません…。そんな酷い顔をしていました…」
「…辛かったか」
「少しだけ…。でも大丈夫です。無理はしていません」
「…そうか。無理をさせているのだな」

子桓様は私の言葉を真っ直ぐには受け取って下さらない。
私を慈しむように抱き締めて、子供のように私に甘える。


先程まで寝たきりで、今朝だって赤い顔をして寝込んでいた。
こんな事は初めてで、私は子桓様が居なくなった後の事まで考えてしまった。

それ程、司馬仲達は曹子桓で出来ていた。

服も着ないで、子桓様に抱き締められて寝台に沈む。

私の脚を伝う血を見て、子桓様は眉間に皺を刻む。
謝罪の言葉を繰り返して子桓様は私の肌に口付ける。
もういいと言ったのに、まだ罪悪感を感じているようだ。


好きな人に抱き締められて冷静になったとは言えないが、先程よりは頭が冴えている。

髪を撫でる手に甘えていたら、眠ってしまう。
こんなに安堵して横になれた事など、暫くなかった。

子桓様の腕に甘えて鼓動を聞く。
寒くないようにと、子桓様は私に上着を着せる。



相変わらず冷たい瞳をして、私にだけ甘い。

「…仲達」
「?」
「お前に伝えたい事がある。明日…、私と共に玉座に参れ」
「は…。今、仰っていただいても構わないのですが」
「寝台では、言いたくないのだ」
「…?畏まりました」
「仲達」
「はい」

私を呼び、額を合わせて口付ける。
氷のような灰色の瞳の中に、酷く安堵した表情の私が映っていた。

私から口付けて子桓様を見上げると、子桓様は嬉しそうに笑って私に何度も口付ける。

「…これ」
「はい」
「今は、誘うでないぞ」
「…いけませんか」
「私はお前に心底惚れている。其れを解っているお前が、私を誘うのか」
「…はい…」
「…不安にさせたか」
「はい…」
「ふ…。もう、大丈夫だと伝えた筈だが」
「…嘘仰い」

子桓様の体温がまた少し上がっている。
またぶり返していないか心配で、額に手を乗せた。
やはり少し熱い。

「…大事ない。お前を抱いた後だ。まだ熱が冷めやらぬのだろう」
「また嘘を仰って」
「仲達への想いは、一度たりとも偽った事がない」
「…本当に?」
「疑うのか?」

私の頬に口付け、手を取りながら首筋に口付けられる。
触れられる指先や唇が熱い。
心配でたまらず、子桓様を見上げて額を撫でた。

「…私に抱きついていらして」
「ああ…、細いな。窶れた」
「このまま、ずっと」
「離さぬぞ」

そうしていられたら。
子桓様に抱き寄せられながら朝を迎えた。


抱き寄せられる体温にとても安心したのか。随分と深い眠りに付く事が出来た。
少々体が軋むように痛いが、これぐらい堪えられる。
言葉通り、朝まで私を離さずにいてくれた子桓様の身支度を手伝いながら膝を付いた。
凛とした正装。紅の装いに着付けて頭を下げる。
紅を着るなど、珍しい。

子桓様の着付けが終わり、私も正装を装い髪を結う。
子桓様たっての希望で、私も揃いの紅の正装を身に付けた。



横を見ると、手持ち無沙汰な子桓様が私が被る冠を弄っていた。

正装の凛々しいお姿は誰が見ても平伏する雰囲気を感じる。
自分の身形を整えた後、子桓様の傍に立った。
子桓様に冠を被せて頂き、深く頭を下げる。

「お待たせ致しました、陛下」
「何だ。もうその呼び方か」
「正装の身形の陛下に畏まらず何が臣かと」
「寂しい事を言う」
「…子桓様」
「ふ、お前は優しいな仲達」
「紅など、珍しいですね」
「靴を、仲達」
「そのような事、貴方様がなさらずとも」
「良い。昨夜は無理をさせた。心配なのだ」
「お優しいのですね。貴方様はいつもそうです」

私の前に膝を付こうとする子桓様に申し訳なく、私が椅子に座り足をあげる。
成るべく座っていろとでも言いたげで、私に靴を履かせて足首に口付ける。
膝は付かずとも子桓様は私に屈み、目線を合わせる。

「子桓様、正装で在らせられるのにそのように屈んでは」
「そのまま、大人しくしておれ」
「?…、あ!」
「玉座の間まで、連れて行く」

子桓様に横に抱き上げられ、靴を履いたのに歩かせて貰えない。
引き摺らないように裾を掴んで子桓様を見上げると、いつものように涼しい視線で私を見てくれた。
胸の高鳴りが聞こえて、今日は何かあるのだろうかと首を傾げる。

何処か少し嬉しそうな子桓様を見て、私はもう何も言わず身を任せる事にした。




玉座の間に着き、子桓様に抱かれて階段を登る。
結局一度も地に足を付かず、子桓様に運ばれてしまった。
早朝であるせいか、門前の前の兵以外は居らず静かなものだ。

胸に頬を寄せ、目を瞑っていたからか。
子桓様が私を下ろした場所が玉座だと言う事に気付かず、慌てて身を引いた。

「子桓様、お戯れにも程があります!」
「私はお前の前で戯れた事などない」
「しかし、此処は貴方の席です。私が腰を下ろしては」
「くれてもいい、と思うた」
「…何を仰っているのです」

子桓様は私を玉座から下ろそうとしない。
寧ろ座っていろと言うように、肩を押さえつけられた。
膝を付き、私の手を取る子桓様を正面から見据えて目を細める。

「…子桓様、もうご容赦下さい…。誰ぞ見られては」
「人払いはしてある。仲達、このまま少し私の話を聞いて欲しい」
「…何です。今日の子桓様は変です…」
「ふ、そうか。そうかもしれぬ。だがこのまま私の話を聞いてくれ」
「何でしょうか」
「無理強いをしてすまぬ。だがこうでもせねば、けじめにならぬ」
「?」

戯れでも冗談でもないのは解ったが、何も玉座でなくともと溜息を吐く。
玉座でないと駄目なのだと子桓様は言う。
そのまま私の手を取り、言葉を続けた。

「お前と出会い、二十余年。長いようで短かった」
「はい、左様でございます。私も随分と歳を取りました」
「お前は変わらぬ。変わらず、いつも、私の傍に居る」
「ええ、これからもそのつもりです」
「そうか。私もそれを望む。…ん、うむ。そして本題なのだが」
「はい」
「二十余年、お前の人生を狂わせた責任を取りたい」
「?」
「私が靴を履かせ、お前を此処まで連れてきた。意味は解るか?」
「…?」
「国と引き換えでも良い。この婚姻の儀を以って、伉儷の約を結びたい」
「?!」
「…知っている。言うな。私がそうしたいと思っただけだ。
断られると思っていた。ただ」
「あの…」
「形だけでいい。けじめをつけたかった」

余りのお言葉に、一瞬息が出来なくなった。
靴を履かせられる事。私の足を地につけさせぬ事。
何よりこの紅の正装。

今朝から何かがおかしいと思っていた出来事が漸く線で繋がり、納得した。
あからさまな溜息を吐く子桓様を見て、ひとつ大きく溜息を吐く。






どうしたって出来る筈のない事を、この人はそれでも。
恋仲である事に責任をだなんて、考えた事などなかった。

私の手を取る子桓様の頬に口付け、袖を引っ張る。
再び私を見下ろして、子桓様も私の頬に寄り添った。

「見出されなければ、私は世に出るつもりはございませんでした」
「そうだな」
「きっと、此処にはいなかったでしょう」
「かもしれぬ」
「私は、素直ではありません」
「知っている」
「私はとうに、貴方のものです」
「…、ああ」
「伉儷の約…、そのような事なされなくとも、もう」
「そう、思っていてくれたのか?」
「この国に、私達を結ぶ法はございませぬ故。そう思うだけで幸せだと、思っておりました」
「そうか。だが、法など作ってしまえばどうにでもなるな」
「子桓様は、もう」
「…ふ、私が改まって告白をする事でもなかったか?」
「いいえ。息が止まってしまうかと、思いました…」

伉儷。
法的にどうであれ、私も何処か心の底で望んでいたのかもしれない。
互いに妻子持つ身であるのに、何と言う事だろうか。
玉座から立ち上がり子桓様を座らせると、腰を引き寄せられて膝に座らせられた。

法など何もない。仲人もいない。
私達はただ二人で、伉儷の約を交わし誰にも打ち明ける事はないだろうと笑った。



優しく触れるだけの口付けに目を閉じ、首に腕を回す。

「魏をくれてやる。お前に私の全てを贈りたい」
「いいえ、私には過ぎたものでございます」
「伉儷の約なれば、何かお前に贈らねばならぬ」
「それが魏とは。馬鹿めが、何を仰るのか」
「お前を手に入れる為なら、国を引き換えにしても良いと思うたのだ」
「何もいりません…。
ただ子桓様、貴方と共に居られる時があれば…もうそれだけでいいのです」
「…心配をさせたな。仲達」
「ええ、ええ…。もう嫌です。貴方の安否を案じて泣く夜なんて」
「泣いたのか」
「誰にも見せておりません」
「今も、泣いている」
「…泣いてません」
「…素直でないな」
「知っていると、先程仰ったでしょう」

優しく涙腺に口付けられても、流れる涙は止まらない。
ただ、ただ、溢れてくる涙の止まらない私を抱き締めて下さった。
このぬくもりを覚えていたくて、首を腕に回して私からも抱き締めた。





















五月十七日。
あの御方に狂わされた人生二十余年の責任をあの御方は勝手にとって、私は独りとなった。
私達が伉儷で居られたのは、ほんの七日間の話。
最期にあの御方は私に全てを託して、私の全てを奪った。

私には伉儷という言葉だけが残り、ただそれだけが皆の知らぬ私達の事実となった。


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