これはまだ私が幼い頃の話。
「仲達はいるか?」
「これは若君。司馬懿様は私は存じておりませぬ」
仲達を探して早一刻。
別に会う約束をしている訳でもないし、今日の講義はもう終わっている。
ただ、何となく会いたい。理由はそれだけだ。
他に理由をつけるとすれば、仲達は私との講義のあと何をしているのか知りたいとか。
お前の好きなものって何だ、とか。
理由なんて後からいくらでもつけることができる。
先ほどから城内を歩き回っているのだが、なかなか見つからない。
少し疲れて廊下で座り込んだ。
「一体どこにいるのだ…」
会いたくて仕方ない、なんて。
この私に思わせるのは仲達くらいだろう。
会う人、会う人に聞いてまわる。
そのうち私が探していることを仲達本人に知られればいいのだが。
「探し物か、曹丕」
「何だ、夏侯惇か」
「何だとは何だ。何を不貞腐れている」
「皆知らぬと言う。お前も知らんのだろう」
「ああ、司馬懿か」
手すりによじ登り不貞腐れていた私に、後ろから夏侯惇が声をかける。
髪をぐしゃっとされた。痛むではないか。
「お前にしては珍しい。そんなに先生が好きか?」
「好き、好きか…好きだと思う」
「何だ自覚がないのか曹丕。お前にしては気に入っているなと俺は思っていたんだが」
「夏侯惇にはやらぬぞ。仲達は私のものだ」
「そうかそうか。よかったな。司馬懿なら書庫にいたぞ」
「本当か、礼を言うぞ夏侯惇」
ようやく情報を掴んだ。
軽く礼を言い、書庫に走った。夏侯惇が手を振っているのを横目で見た。
広い書庫。
書簡が山積みで棚がずっと並んでいる。
墨と竹の匂いがする。
「どこにいるのだ、ちゅーたーつー…」
「何ですか人を犬猫のように」
「!」
広い書庫を片っ端から探すのは面倒だったので、何回か字を叫んでみた。
そうしたら後ろから声をかけられた。見上げれば会いたかった人の顔。
何故だか息があがっているようだった。
「ようやく見つけたぞ」
「全く…皆に聞きましたよ。私を探して城内を走り回っていたとか」
見上げてそのままよろける私の背中を支えて、仲達がしゃがんだ。
振り返るとああ綺麗な顔だ、と思う。
「私もそれを聞いてあなたを探していました。すれ違いだったみたいですね」
「そうか。故になかなか会えなかったのだな」
情報操作が裏目に出たようだ。
だが仲達が私を探していてくれたことが何だか嬉しい。
「私に何か御用ですか?もう今日の講義は終わりましたが…」
「お前にふと会いたくなった。それだけだ」
「それだけって…子桓様が私を探していると言うから何事かと思い心配しましたが」
「すまんな、本当にそれだけだ」
「…はぁ、ところで用はお済みでしょうか?」
「済んだと言えば済んだし、済んでいないと言えば済んでいないな」
「私はこれからここで少し調べたいことがあるのですが…子桓様はどうされますか」
「なら私は、手伝おう」
顔を見て満足はしたが、何だか無性に傍にいたくなったので手伝うことにした。
「何を調べるのだ」
「あなたの明日の講義の内容ですよ。子桓様が決めても構いませぬが」
「孫子は飽きたぞ仲達」
「左様で。なれば論語などはいかがでしょう」
「ふむ。それでもいいぞ」
「では、そうしましょう」
棚を巡りながらただ歩くのもつまらない。
もうはぐれるのも嫌なので、仲達の袖を掴んで歩いた。
この頃から好きだったのかもしれない。
「ということが十四の頃にあってな」
「はぁ、左様で。随分懐かしい話ですね」
ふと思い出して仲達に話して聞かせた。
ここは私の執務室だ。
「お喋りは結構ですが、もっと手を動かしてください。進んでいませんぞ」
「つれないな仲達、私の初恋の話だぞ」
「今は執務中ですから」
真顔で怒られた。つれないやつめ。
仕方なく筆を動かす。
「まぁ、その頃から私はお前が好きだったという話だ」
「左様で。はい、手を動かす」
「本当につれないな仲達。やる気がそがれるぞ」
「いっつもそがれてますよね?」
「わかったわかった。やると言うに」
いつもは少しくらい顔が赤くなったりするものなのだが。
今日はいつも以上につれない。
一通り執務を終わらせ、あとは提出するだけである。
提出するのは係りの者が取りに来るのであとは待つだけだ。
「お疲れ様でした。どうぞ」
仲達が茶を入れてくれた。
少しぬるい。飲みやすい温度だ。
「今日は何か機嫌が悪くないか、仲達」
「…執務が最近とても滞っていたので、まとめて終わらせたかったのですよ」
「そうか。では私に何か褒美を寄越せ」
「は?」
「私は頑張ってお前の言うとおりに終わらせたぞ仲達」
「物によりますが…何ですか」
まぁ、お互い仕事後だ。
「接吻でいいぞ」
「公私混同はいけませんぞ、子桓様」
「もう仕事は終わったではないか」
「そ、そうですが誰が見ているか」
「見せつけておけ」
仲達の前に立つ。少し低い位置に我が師の視線。
遂に決心したらしい。
「目を…」
「少ししゃがんでやろうか、仲達」
「もう、あげません」
「はは、悪かった。目を瞑れば良いのだな」
目を瞑れば、感触だけが伝わる。
私の胸元に手を当てて、少し背伸びをしているのか下から唇が合わさる。
合わさって直ぐに離れた。
「…満足ですか?」
「いや、まだまだ」
瞳を開き、離れる仲達を引き留めお返しに頬に口付ける。
仲達の顔が赤い。
「もう…子桓様ったら」
「御苦労だったな、仲達」
髪を撫でて、胸に埋めた。
私が幼い頃、恋焦がれていた軍師は今、私の腕の中に。
いつでも恋患っている。