きず

突然。
視界に入ったのは、赤。

いつも澄ました顔が苦痛に歪み、私の瞳を捉えた。

『お逃げを』

そう言われた気がした。







倒れる音。
時が緩やかに流れたように感じた。

飛び散る鮮血。
崩れた体。

「貴様を倒せば、終わりだ曹丕!」

敵将の怒号と駆ける蹄の音。
しばし立ち尽くし我に帰る。

ここは戦場。
敵将を一瞥し、斬り捨てる。

「…貴様」

怒りに任せて首を飛ばす。
将が討たれた軍は散っていく。

「殲滅せよ」

自軍の将に冷酷に言い放ち、倒れた者の傍に跪いた。

「…仲達」

紅く染まっていた。




「軍師殿っ!」
「…騒ぐな。現状を報告せよ」

騒ぎに気付いた将が駆け寄るが仲達には触れさせない。

報告を受ける。
本陣に奇襲が入ったとの事だった。
自軍優勢の中での、突然の奇襲。
恐らくは敵将の独断専攻。
活路を見出だしてのことだろうが、その敵将は始末した。

…冷静にと、思ってはいたがどうやら今の私に余裕はない。

「…本陣は任せた」
「御意。殿はどちらへ?」
「…大切な者が傷ついたのだ。傍にいてやりたい」

抱き寄せると確かに息はあった。
どれだけ安堵したか知れない。
背中から肩を斬られていた。

「…仲達」
「私は、大丈夫です。子桓様」
「!」

自分の脚で立ち、肩を抑えながら向き直る。
砂を払って羽扇を持ち、淡々と部下に告げる。

「殲滅せよ。早々にこの戦に勝ち引き上げる」
「…しかし、軍師殿のお怪我が」
「奇襲を許したのは私の落ち度だ。大事ない。
本陣の護りを固めよ。殿に刃ひとつ掠めてなるものか」
「御意!」

命令を下し、また私に向き直った。
少しだけ、笑った。

「…そのような顔を為さらずとも…」
「さて…どのような顔をしているやら検討がつかぬな」

笑ったつもりだったのだが、恐らく笑えていないだろう。
笑えない。

本陣を任せ、幕舎に仲達を連れ、服を脱がせ手当てを施す。
仲達は苦痛に顔を歪めるが、命に別状はなかった。








「…泣きそう、ですね」
「誰がだ」
「恐れながら、子桓様が」
「…痛いか?」
「あなた様の方が痛そうです」
「大切な者が目の前で傷つけられて平静を保っておれるほど、冷酷ではないのでな」

隣に座り、傷口のない肩口に埋まる。
生臭い血の匂いと、金属の匂い、それと仲達の香の匂い。
目を瞑ると、細い手が私の髪を撫でた。
ここが戦場であることを忘れるような、あたたかさ。

「…仲達、すまぬ…護ってやれなかった」
「何を馬鹿な。私があなたを護れずして何が臣下ですか。
何より子桓様が御無事で何よりでした」
「私が、お前を護りたいのだ」
「またそのように拗ねて。もう子供ではないのですよ」
「…安心した」
「御心配をお掛けして申し訳ございません」

傷口に口付け、唇を合わせた。
血の味がした。

「…あなたを置いて、死んでなどいられぬものか」

私はあなたの後に死にます。
そう言ってまた唇を合わせ、今度は私が仲達を抱き締めた。
胸に埋まるその体は一回り小さく細かった。

生きてくれている。
そう感じるために、強く抱き締めた。

「傷を負ったのは、お前だけではない」
「ええ、子桓様の方が私より重傷のようで」
「今宵は供に寝てもよいか」
「御意に、我が君」

そう約束して、また剣を手に持った。
敵軍を殲滅するために。

「全く、仕様のない御方だ」


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