仲達がこの頃、表情を曇らせている。
それが私のせいだということは明白で、その白い肌に触れた。
急に頬に触れられて仲達は身じろぐが、私に寄り添うように目を閉じる。
随分と分かり易く甘える仲達に、私も素直に仲達を甘えさせた。
「少し、疲れたか」
「大事ありません」
「疲労の色が見える」
「あなたは私の事より…」
言いかけて止めた言葉の先は予想がついた。
仲達の言葉はいつだって正論だ。
私が横たわる寝台に引き寄せ、仲達を胸に埋める。
また少し目を離した隙に窶れたのではないかと心配になり、腰に触れた。
やはりまた、窶れている。
「食が喉を通らぬか」
「はい…」
仲達の心痛を察した。
そうまでして私を想っていてくれたのだ。
多大に幸福を覚えたが、今はにやけてはならない。
全ては私のせいなのだ。
お前が哀しむ程に嬉しいなどと、仲達に伝えたら叱られよう。
仲達は私の為に涙を流す。
それ程に想われていたのだと、愛されていたのだと感じる度に幸福を感じた。
私に残された時間は余りない。
「いつ見ても、初めてお前を見た時と変わらぬ」
「何です」
「いつ見ても、綺麗だと」
「…おやめ下さいませ」
「想いを伝えず、たらればと悔いる事は避けたい」
「…では、聞きます。聞きますが、どうか。どうか、御無理なさらぬよう」
眉を下げ、いつにも無く気弱な仲達に苦笑し瞼に口付けた。
書簡にも文にも認めたが、未だ足りない。
曹子桓は司馬仲達を愛していたのだと、仲達に伝えたいのだ。
私がいなくなっても、私は仲達がずっと好きなんだとそう伝えたい。
「…仲達?」
「…。」
はっとした。
自分は何をしているのか。
腕の中で、仲達が静かに涙を流していた。
仲達の想いの深さは戯れに弄っていいものではなかった。
ずっと二人でいた。
ずっと二人でいようとも約束をしていた。
先に約束を違えてしまうのは私だ。
自分がいなくなった後の事を考えるのはもう止めた。
それを仲達に伝えたのは私なのだ。
私はこれから、仲達をずっと独りにしてしまう。
酷く虐めているような居心地の悪さと罪悪感に、仲達を抱き寄せる。
「…すまぬ」
「っふ、ぅ…」
「仲達、すまぬ」
「絶対に、許しません」
「そうか…。私はどうしたらいい」
「…ずっと、居て下さいませ。ずっと、ずっと」
「…そうだな」
私の唯一無二の宝物。
一番大切な仲達。
頬に伝う涙に口付けて額を合わせる。
痩せた手首を掴み、瞼に口付ける。
私は仲達に酷い事をしてしまった。
疲れていたのか、安堵したのか。
暫く抱き締めていたら、仲達は眠りに落ちてしまった。
髪を撫でて、肩に布団を寄せる。
「寒くないか」
仲達に声をかけて肩口に埋まる。
今私に出来る事は、仲達の身を案じる事くらいか。
深い眠りに落ちた仲達から返事がないのは承知の上だ。
己が死期を察し、後事は全て仲達に任せてしまった。
仲達になら任せられるという自負があったが、仲達にしか任せられないという事もある。
私は最期まで、仲達しか信用出来なかった。
仲達に、己の惨めな姿は見せたくない。
髪を撫でながら痛む胸を抑え、布で口元を拭う。
掌に滲む鮮血に、己の命が削られていくのを感じた。
痛みは和らいでいるのだが、息をするのが苦しい。
仲達に背を向けて咳き込み、落ち着くまでは口元を布で抑えた。
そっと背を摩る手に気付き、その手に触れた。
「…大事ない。起こしてしまったか」
「子桓様」
「このまま、お前に甘えても良いか」
「はい…」
「何、無体を強いるつもりはない」
「…構いませんのに」
「…そう言ってくれるな。嬉しくなってしまうではないか」
体温が心地好いのだと伝えたのだが、仲達は深い意味で捉えたようだ。
そうではないと諭して胸元に埋まると、仲達の体温と心音に心が安らぐ。
目を閉じると、仲達が背や髪を撫でてくれた。
好きだと、心から思う。
心から仲達が好きだ。
そう伝えて仲達に擦り寄ると、よく存じておりますと応えた。
「好きだ…」
「知っています」
「そこは私も、と応えて欲しいところなのだが」
「御存知でしょう」
「ふ…、口付けを」
「はい」
「したい」
「どうぞ…、あなたの気が済むまで」
「…仲達からがよい」
仲達からの口付けを強請ると、眉を下げて唇を合わせてくれた。
柔らかい唇を堪能し吐息を吐くと、再び仲達から深く口付けられる。
首に腕を回し、深く深く口付けられる。
「…っ、ふ…」
「ん、っ」
「…、仲達?」
「もっ、と…と、強請るのは…我が儘でしょうか…」
「…愛らしい事を」
「そんなこと…」
「…今は余り動けぬ。それでも良いか」
「…なれば、私が動きますから…」
「お前にそこまで言わせては、抱かぬ訳にはいかなくなった」
「あ…」
「これを、男が廃ると言うのだろうか」
「私とて男です」
「ふ…」
仲達の体は予想以上に軽々と寝台に押し倒す事が出来た。
随分と窶れさせたのだと責任を感じ、また、情欲を抱かずにいられなかった。
既に熱っている肌に触れ、静かに涙を流す仲達に愛おしさを感じずにいられない。
余り焦らさず、仲達が欲しいままに私をくれてやる。
とうに私は仲達のものだ。
体を通じて感じる仲達からの情欲と色。
そこにいやらしさは感じない。
不安にさせている。寂しがらせていると解っているからだ。
「っは…、ぁ」
「…子桓さ…ま、無理をなさって…いるの、では…?」
「否、まだまだ…」
「ぁ、っ…!」
「今宵は加減せずともよいな…仲達」
少し胸を抑えただけで仲達を不安にさせてしまう。
少し咳き込んだだけで、仲達の表情は曇る。
それだけ今の仲達は、私のことしか考えていない。
「おちおち風邪もひけぬな…」
「…っ」
否、風邪ではないのだ。
風邪ではないのだが、皆にはそう伝えた。
だが仲達には風邪ではないと悟られている。
私が何もかも吐露する以前から、仲達はよく私の事を見ていてくれた。
寝台の上で主導権は握らせない。
仲達の主は後にも先にも私だけだ。
仲達は私だけのものだ。
ずっと、その鳶色の瞳の中に私がいる。
体を繋いでいると、仲達に何もかも伝わってしまっているように感じる。
「…仲達の瞳の中に、私が居る」
「っ、はい…」
「耳をすまさば、お前は私の声を思い出せようか」
「はい、しかと…」
「仲達から忘れられないようにせねばな」
「何です…、私があなたを忘れるとでも仰るのですか」
「まさか。私はお前の人生を狂わせた張本人だぞ」
「自覚がおありで」
仲達の人生を狂わせた自覚はある。
だが、私の人生を狂わせたのはお前だ。
言うべきか迷ったが、仲達との出逢いは予定通りだったのかもしれないと思えたので言わなかった。
少し深く腰を動かすと、仲達の脚が小さく跳ねた。
陽に焼けていない白い脚に痕を遺しながら、再び腰を揺らしていく。
私の精液が艶かしく仲達から溢れていた。
唯一の未練。
仲達は気付いているだろうか。
お前を遺して逝く事が怖いと思っているなどと、まさか思うまい。
「…子桓様」
「どうした?」
「もっと、御側に」
「ふ、これ以上距離はなかろうものを」
「もっと、酷くして…ください」
「…仲達には既に酷い事をしている。私が…お前をこれ以上傷付ける事は出来ぬ」
「…私が代わって、差し上げられたら…」
「其れは言ってくれるな…。私で良かったのだ。もしお前が病に倒れたならば、私は耐えられない」
「…あなたは、いつも…狡い」
「そうだろうか」
「…大好きです」
仲達の泣き顔は美しい。
泣きながら大好きだと言ってくれた。
仲達にしては分かり易い言葉に、私はこれ以上なく仲達からの愛を感じた。
私は仲達に愛されている。
また泣かせてしまった。仲達の感情が随分と脆い。
身も心も慰めるように丁寧に仲達を抱き、数刻経ってから漸く体の繋がりを解いた。
寝台に横たわる仲達が手探りで私を探している。
その手を握るとぼんやりと仲達が眼を開けた。
涙で濡れた艶やかな瞳が私を捉えた。
「…私が居なくなったら、仲達は耐えられようか」
「…恐らく、駄目です…私」
「私も仲達が居なくては生きていけない」
「…本当に、酷い人」
馬鹿め、と小さく呟き仲達はまた涙を流した。
触れていた筈の手はいつの間にか擦り抜けて触れられない。
幾度となく仲達と呼んでも、仲達は私に振り返る事はなかった。
己が身を亡くした事を、今更ながらに自覚する。
今の私には静かに涙を流す仲達の傍に居てやる事しか出来なかった。