「失礼します。司馬懿殿、書簡をお持ちしましたよ…おや」
「張コウか、少し静かにしてくれ」
「これは曹丕殿」
司馬懿の部屋に書簡を携えて張コウが訪れたところ、そこには椅子に腰かけ曹丕の肩で眠る司馬懿がいた。
どうやら曹丕は少し前から部屋にいた様子だった。
「昨夜遅くてな。」
「甄姫殿より聞きましたよ」
「ほぅ、甄は何と?」
「『少しいじめすぎたかしら?』と。私は司馬懿殿は司馬懿殿のままでいいと思いますが」
「些細なことよ。仲達には少しばかり冗談が通じぬようでな」
「基本的に司馬懿殿は真面目ですからねぇ」
手に持った書簡を卓に置いて、失礼しますと礼をしてから司馬懿の隣に座った。
「全く美しい方ですね」
「…張コウ」
「わかっていますよ、曹丕殿」
あなたから司馬懿殿を奪うようなことは致しません、と張コウは優しく笑った。
「この書簡は報告書なので、お目を通しいただき判をいただくだけで結構です。
曹丕殿はまだここにいらっしゃるのでしょう?」
「このままでは動けんからな。
仲達にしか見せられない書類というわけでもあるまい。大事ないなら私が判を押すが?」
「軍事に関することですから、曹丕殿にも見ていただけたら幸いです。
司馬懿殿に見ていただき、最後に夏侯惇将軍に見ていただきますので」
「わかった。」
「では、お邪魔でしょうから私は失礼しますね。」
立って一礼し、張コウは部屋を出た。
曹丕は軽く手をあげ、司馬懿を見る。
「…将軍にまで嫉妬されずとも」
「起きていたのか」
「私は何処にも行きませぬ」
ゆっくりと瞳をあけて、司馬懿は体を起こした。
立ち上がり卓にある書類に目を通しながら判を押し、何かつけたして書いている。
「眠れたか、仲達」
「ええ、少しだけ。肩をお借りし申し訳ありませぬ」
「構わぬ。もっと寝ていてもよかったのだが」
「いいえ。将軍に礼をしてきます。子桓様もそろそろ執務室に戻られては」
「私は今日の執務は終わったのでな。お前の傍にいようと思ったのだが」
「では、しばしお待ちくださいませ。行って参ります」
人一倍独占欲の強い曹丕のこと、張コウのことを思い一人で部屋を出た。
書簡を携えて序にいろいろな用事を済ませてしまおう、と他の書簡もいくつか持つ。
昨夜あまり眠れて居ないのは誰のせいだとは言わないでおく。
「張コウ、ここにいたか」
「これは司馬懿殿、よくお休みになれましたか?」
「済まぬ。わざわざ部屋に来てくれたようだ」
「いえいえ。書簡はついで。あなたに会いに行ったのですから」
「?」
中庭で佇む張コウを見つけ、司馬懿は声をかけた。
書簡を渡そうとすると少し屈まれた。長身の張コウからすれば司馬懿の身長は小さいらしい。
張コウなりの配慮であろうが、司馬懿は弱冠むっとした。
「わざわざ屈まなくても良い。私が小さいみたいではないか」
「これは失礼しました。それでは今度から片膝立てることにしましょうか」
「そ、そこまでしなくとも良いっ」
「だってあなたの顔を見れた方がいいでしょう?」
書簡を渡し立ち去ろうとする司馬懿の背中に、張コウは話した。
司馬懿は立ち止まり振りかえる。
「私の顔に何か?」
「美しいものは愛でておく性分なものですから」
「愛でて…お前は相変わらずだな」
「司馬懿殿は美しいですよ」
お慕いしております。
笑って張コウは去って行った。
ぽかんと口を開けて、張コウの背中を見ている司馬懿の横に曹丕が立った。
「気付いてはいたが、身近なところに恋敵がいたものだな」
「し、子桓様っ」
「仲達。お前は私のものだと言うこと忘れるな」
「…御意」
その頃の張コウは夏侯淵のところにいた。
傍には夏侯惇、張遼、徐晃の姿もあった。
「これは皆さん、御揃いで。ちょうどよかった。
司馬懿殿に判をいただきましたので将軍にこちらをどうぞ」
「ああ、あの書簡か。礼を言う」
「お安い御用ですよ」
「時に張コウ殿、曹丕殿をお見かけしませんでしたか?
何やら碁がどうだの、殿がおっしゃっていたのだが」
「孟徳のことだ、碁の相手を探しているんだろうよ」
「殿は碁もお強いですからな。
曹丕殿や司馬懿殿ならばお相手に相応しいのではござらんか?」
「曹丕殿は司馬懿殿と御一緒でしたよ」
「だろうな。最近ずっと一緒にいるのをよく見かけるわ」
「碁の相手ならば、夏侯惇将軍がよろしいのでは?」
「先日、孟徳に散々負かされたわ…」
「では我らでお相手仕ろう」
「拙者、碁は正直苦手でござるがやるだけやってみるでござる」
「ならオレは見物に行くとしよう」
夏侯惇、張遼、徐晃は曹操の方に向かった。
それを追いかけようとする夏侯淵の背中に張コウは声をかけた。
「ねぇ。将軍、片想いの恋って切ないですね」
「ん?なんだどうかしたか?」
「ちょっと報われない恋をしてしまいまして」
夏侯淵は張コウに向き直り、回廊に背中を預けた。
張コウは庭を見ながら遠くの執務室を見ていた。
「はっは~ん?そりゃ相手が既に好きなやつがいるとかそんな感じか?」
「お察しの通りですね。」
「まー、殿なら人妻だろうが何だろうが嫁にしてたけどなぁ。その息子もしかり、だ」
その息子が恋敵なんですよ、とは言えない張コウだった。
「お前が好きなら好きでそれでいいんじゃねぇか?
好きって言われること自体、相手は嫌だとは思ってねぇだろうよ。
答えがなくても、好きで居られるならオレはいいと思うがなぁ」
「…将軍!何と美しいお答えでしょう」
「よせよせ!悪ぃ!こういうのオレは苦手だわ」
逃げるように夏侯淵はその場を去った。
張コウの視線の先には、仲睦まじい様子の司馬懿と曹丕がいた。
「好きですよ、ずっと。
あなたが答えてくれなくたって私はあなたが好きですから」
「私はあなたの策の下、武を揮いましょう」
そう呟いて、張コウはその場を立ち去った。