昼下がり。
春の柔らかい日差しが注ぎ込む宮中内の私室。
妻に呼ばれましたので先に上がらせていただきます、
と仲達は執務を早々に片付け小走りで去っていった。
仲達と茶でも呑みながら話したい、と思っていたのだが。
まだ少し話したい事もあった。
ひとり残された私室がやたら広く感じる。
暫し黙々と執務を続けたが、やはり仲達が隣にいないのがどうにも落ち着かない。
ただ、傍に居たい。
我が儘が通じる歳でもないが、仲達にだけは心を許せていた。
仲達も其れを察しているのか、私の前ではゆるりと柔らかく笑む。
私は思い立ったら、行動に移す主義だ。
執務を抜け出したと怒られぬよう、仕事の書簡と茶器と点心を持って中庭に向かった。
中庭には花水木や二人静が咲いている。
柔らかい日差しが照らす。
父や叔父達がたまに此処で酒宴などを催しているが、
今日はそういった事もなく静かに小川のせせらぎだけが聞こえる。
此処に居たら眠ってしまいそうだ。
小さく欠伸をして、未だ居るであろう仲達を探した。
中庭の一角の長椅子。
黒髪の長髪の後ろ姿を見つける。
どうやら冠は取ってしまっているらしい。
見間違えようもなく、仲達を見つけた。
奥方の春華は既に居らぬようだ。
「仲た…、む?」
「お静かに」
「何だ、お前達も来ていたのか」
背後から仲達の肩に触れ話しかけようとしたら、
人差し指を唇の前に差し出し訝しく私を見る司馬師が其処に居た。
小さすぎて椅子の背に隠れていたようだ。
仲達は長椅子に座ったまま、こくりこくりと寝息を立てている。
よく見れば仲達の膝に、司馬昭も居た。
此方は仲達の冠を持ったまま、熟睡しているようだ。
春の日差しが温かい。
おそらくそのまま眠ってしまったのだろう。
普段、多忙にさせているのは私のせいでもある。
今起こすのは可哀想だ。
師はどうやら眠らなかったようだ。
幼いながらに、無防備な父を護りたいのだろう。
師の頭に手をやり、仲達の頬に触れた。
少々、外の風にあたり冷えているようだ。
春とは言え、未だ寒さが残る。
「暫し、待っておれよ」
茶器と書簡を椅子に置き、一度私室に戻り上着と膝掛けを持って戻る。
上着を仲達の肩に掛け、膝掛けを昭に掛けた。
仲達の隣に座り、師にもう一枚の膝掛けを投げた。
「寒ければ使え」
「…ありがとうございます」
師が受け取るのを見て、仲達の隣に座った。
書簡と筆を取り執務の続きを始める。
やたら視線を感じるので書簡を置いて、師を見れば私の隣にある点心を凝視している。
そういえば肉まんが好物だったか。
「ん…」
「…仲達、私の肩を使え」
首が安定しないようなので、私の肩を貸してやった。
無意識におずおずと首筋に埋まり落ち着いたようだ。
静かな寝息が聞こえ、ふ…と笑った。
師が私をじっと見ている。
「何だ?」
「父上は」
「ん」
「お寒くはないでしょうか」
「昭が温いゆえ、心配なかろう」
「左様ならば良いのですが」
「ほら」
「?」
「好物なのだろう」
「…父上が起きたら食べます」
蒸籠の中には小さな肉まんが入っていた。
ひとつを師に渡すが、首を横に振る。
「暫くは起きぬぞ」
疲れているのだろう。
気を許し、私に身を寄せる重みに安堵する。
私は仲達に許されているのだろう。
師がいそいそと私とは反対側の、仲達の脇の下に収まった。
随分と器用なやつだ、と思いながら先程自分で入れた茶を啜った。
仲達の横で黙々と肉まんを食べている。
随分と幸せそうだ。
鵯が近くで鳴いている。
春を感じさせる日だまりに、今が乱世であると一時忘れさせた。
己が見ている書簡が、軍備や兵站の一覧表である事に、
少しばかり淋しさを感じながら眠る仲達に身を寄せた。
「私も寝ていいか」
「…駄目ですよ」
「む…」
「執務を終わらせませ」
「ちっ、解った」
目を閉じたまま、仲達が返事をしたので少々驚いた。
ふ、と笑い師を引き寄せた。
私に寄りかかる重みが増えたような気がしてならないが、
大して気にも止めず、黙々と書簡に目を通していく。
四刻ほど経ったか。
漸く執務を終え、眉間に指を当て空を眺めた。
蒼天の空。
桃色の風。
仲達の白檀の香り。
ひどく眠い。
欠伸をして、仲達を見ればいつの間にか師と昭が居なくなっていた。
「彼奴等…何処に」
「二人で庭で遊んでいるようです」
「元気な事だ」
仲達が私の肩に頭を預けたまま、呟くように話した。
「重いでしょう、今」
「否、このままで」
肩に寄せる仲達に擦り寄るように、頬を寄せた。
いつの間にか、蒸籠にあったもう一つの肉まんもない。
「お前と食べようと思っていたのだが」
「申し訳ありません。余りにも欲しがっていたので、昭にあげてしまいました」
「左様ならば仕方あるまいな」
私が肩にかけた上着を、仲達が私にかけた。
其れではお前が寒いだろう、と二人で肩を並べて羽織った。
仲達の白檀の香りに、心が落ち着くのを感じた。
うつらに微睡む仲達の視線の先に、浅瀬で遊ぶ師と昭が見える。
其れを同じように見ながら、頬に擦り寄る。
頬に口付け、唇に口付けると仲達は赤面し私から少し顔を背けた。
結っていない髪がさらさらと春風に揺れている。
「髪」
「…はい?」
「下ろしている方が、私は好きだ」
棚引く髪を、指でなぞった。
ぽかんとした顔をしていたが、次第にゆるりと笑った。
その顔が好きだ。
「…左様、ですか」
「お前に結い紐を贈るのも一興だが、下ろしている方が好きだ」
「貴方様がそう仰るならば、二人の時はそう致しましょう」
身嗜みとしては余り宜しくないのですが、と仲達は付け加えた。
別に、気にも止めぬ。
其れより。
「仲達」
「はい」
「貴方様、とは言わず…」
「解りました、子桓様」
「ん」
二人で居るなら、字で呼ばれたい。
ひどく安堵する仲達の声色に目を閉じた。
やんわりと頬に軟らかい物が当たった気がした。