長雨ながあめ

お前が好きだと伝えた。
それは親愛ではなく、恋慕なのだと幾度も伝えた。
私では畏れ多い。何故私なのかと仲達は私を拒んだ。
私の隣はお前でなければならないと口説き続けたが、仲達は後ろに下がり何も応えなかった。



とある戦地にて隣合って立つ事があった。
仲達は私の軍師。父のものではない。
仲達の策を聞き、私は本陣にて戦地を見下ろしていた。

「見物も飽きた。暫し席を外す」
「…あなたが前線に向かう必要はございません」
「腕が鈍る」
「あなたを傷付けない為の策です」
「お前の策は、魏国の為であろう」
「建前は」
「…どうした」

仲達の様子がおかしい。
羽扇を携え眼下の戦地を見下ろしてはいたが、声がおかしい。
剣を片手に携え、仲達の前に立つ。

私を見上げて唇を噛む。何か言いたげだ。
このような戦地には似つかわしくない何処か熱を宿した鳶色の瞳。
私が惚れた眼差しが美しく揺れている。

「…未だ、私の事をお想いでしょうか」
「一時も、この想いを諦めた事はない」
「もう一度、言って下さい。未だ、間に合いますか」
「…手を、仲達」
「はい…」

剣を置いて仲達の手を取り、地に膝を付いた。
私の予期せぬ行動に仲達は狼狽したが、その細い手に唇を寄せる。

「愛している」

ただ一言そう伝えると、仲達は少し屈み私の頬を撫でた。
細く白い指に見蕩れ、袖からでも香る仲達の良い香り。
戦地だとて仲達の香りは消えぬ。

「はい…」
「それは何の返答だ」
「…私は私とて、思い悩んだのです。本当に私で、よろしいのですか」
「お前がいい」
「私はお前という名ではございません」
「無礼であった。すまぬ」
「もう一度、私に伝えて下さい」
「仲達が好きだ」
「…私も、です」
「っ…?!」
「私は、あなたになら」
「敵襲!!!」

仲達から、私達の関係を改めるとの返答を貰った。
主従でもあり、恋仲にもなると言う。
だが今はその幸福には浸れない。
仲達を庇いながら敵を斬り伏せる。

「話は戦に勝ってからだ。直ぐに終わらせる」
「随分、士気がおありの様で」
「好きな人が傍に居るからな…」
「御武運長久をお祈り申し上げます。ですが、無理はなさらぬよう」
「ああ、お前の元に帰る」
「はい」

仲達は武人ではない。
腕力としては私が幾分も上だが、智略では仲達に私が適う事はない。
戦を早急に終わらせるべく、私自らが地を駆け、仲達の策があれば其れに従った。
仲達の指示は解りやすい。
私を策の一部として駒として使っていいと伝えると、仲達は申し訳なさそうにしたもののその瞳の奥底は輝いていた。
軍師として策を振るう仲達は楽しそうだった。

結果として、この戦は勝利に終わった。

血糊を落としてから仲達に会いに行こうと幕舎に入ったが、その場に仲達が居た。
兵らに後処理の指示をしながら、扉に背を向けている。

「仲達」
「は…、曹丕殿」
「…見せてみろ」

仲達も血濡れだった。
だがよく見れば返り血で、怪我をしている訳ではなさそうだ。
一先ず安堵し、兵らを下がらせた。
私もいい加減、血の臭いが煩わしい。

「直ぐに流します」
「…ん」
「どうされましたか」

仲達の白い肌に黒くなりつつある返り血が美しく見えた。
鳶色の瞳が更に綺麗に見えた。

「…許せ」
「っ…?…ん…っ…?!」

不意に思わず口付けた。無論、初めての事だった。
唇は柔らかいが、血と埃と、そして仲達自身の良い香りがした。
一度目は触れるだけの口付けを。二度目は深く口付けた。
口付けで腰が抜けたのか、仲達が背後に倒れそうになった。腕を回して抱き留め、呼吸が乱れた仲達を胸に埋める。

「…突然、何を」
「綺麗だと、見惚れた」
「仰る意味が解りかねます」
「…嫌だったか」
「…拒まなかった、でしょう…」
「…っ」

確かに仲達は私を拒まなかった。
長い睫毛が濡れて美しい。
私の心臓が煩い。胸に埋まる仲達には聞かれているだろう。
仲達の胸に触れた。私と同様に酷い動悸だ。
私より少し小柄な仲達の耳は赤い。
可愛いとも思ったが、口には出さなかった。
私は仲達を女の代わりとして、傍に置いている訳ではない。ただ、好きなのだ。
共に過ごす事が安堵する。そんな思いを抱くのは仲達だけだった。

仲達は私を拒まなかった。
私で良い、と言う事か。
私が良い、と言う事か。
一文字しか違わないが、意味は大きく違う。

今触れているからこそ思い知った。
仲達の細腰は片腕だけで支える事が出来た。
細い。肩幅も男のそれではあれど、私が抱き寄せてしまえば胸の中に埋まる。
護りたいと強く思えた。


早急に帰国したいという意味を含ませて、皆に帰路の支度に就かせた。
帰国し、仲達の真意を聞きたい。
私は未だ仲達からまともな返答を得ている訳ではない。
仲達は意味深な言葉を匂わせ、直接的な言葉は使わない。
軍師という務めとしては良いだろう。
だが、私は仲達の本心を知りたい。
私に流されているのではないか。身分を気にしての事ではないのか。命令だと思っていないか確かめたかった。


帰国して数日は戦後処理に追われた。
仲達は傍に控えていたが、二人きりになれる状況ではなかった。
この状況が落ち着くまでは暫し耐えようと、傍に居ながらも何も聞けなかった。
時折、仲達と目を合わせる。
視線だけでも仲達には充分伝わったのか、竹簡の隅に今夜部屋に伺いますと私に書いて見せてから、その書簡の文字は直ぐに水に流して消してしまった。
思わず仲達に手を伸ばしかけたが、私が明ら様に機嫌が良くなったのが通じたのであろう。仲達も口元を袖で隠して笑っていた。

湯浴みを終えた頃、仲達と待ち合わせた中庭で逢引のように顔を合わせた。
仲達は誰も見られたくないのだろう。
私と仲達が共にいる事は側近として何もおかしくはないが、恋仲であるのなら話は変わる。
それを確かめたくて、ずっと話したかった。

仲達の袖を引くように私の私室に招いた。
二人きりになれるよう、人払いもしてある。
私室の奥には寝室もあるが、そこに誘うのは未だ早かろう。
口付けをしただけであの様だ。ましてや情事など…其処までで考えるのを止めた。

「夜分遅くに御無礼をお許し下さい」
「否、待ち侘びていた。此方に」
「はい」

仲達を椅子に座らせた。
正面に座るのは威圧が過ぎる。隣に座った。
隣に座るとは思わなかったのか、仲達が驚いている。

「主命だと、考えている訳ではあるまいな」
「何がです」
「私は仲達を愛している。戯れではない。命じたつもりはない」
「はい…」
「…私はお前と共に居たいだけだ」
「私は…あなたの事をずっと見てきたつもりです」
「言葉を濁すな。私は直接的な言葉が欲しい」
「其れを言葉にするには、私には詩才が足りません」
「お前に詩才は求めていないのだが」
「…ふ」

思わず二人とも顔を合わせて笑ってしまった。
私は詩作が好きだが、仲達に詩才はない。
私が押し付けたとて、仲達は首を傾げるだけだ。
身分や恋歌では仲達の心を動かす事は出来ぬ。

共に居たいとは言ったが、それは恋人で居たいという意味だ。主従で一生を終えるつもりはない。
私にとって仲達は私の特別だ。
故に私も、仲達の特別になりたかった。
ありのままの言葉を伝えると仲達は困り顔ではあったものの、口元を袖で隠して笑っていた。

ふわりと、急に仲達の香りが強くなった。
仲達が私の肩に凭れている。それも恋人のように私に腕を回して目を閉じて笑っていた。
美人だと、心から思わずにいられない。
男にしておくのが惜しいとまでは言わぬが、仲達は男でありながら適当な女どもよりも美しかった。

組まれた腕を引いて、仲達の腰を引き寄せ頭を支えながら長椅子に押し倒した。
驚いて目を丸くしていたのだが、ふわりと笑う仲達が愛おしく承諾も聞かずに口付けた。
己は既に仲達に反応し屹立ている。
はっきりとした言葉にするなら、私は仲達に欲情していた。

告白し未だ本当に私の事が好きなのかも解らぬ相手に、それも男に此処まで欲情するとは思わなかった。

「仲達が好きだ…」
「はい…、ありがとうございます」
「…仲達は、私の事をどう思う」
「ちゃんと好いております」
「本当か」
「あなたに絆されてしまいました。あなたが私の事を好きだ好きだと言い過ぎるものですから、私もあなたを好きになったのです」
「そうなのか」
「そのような淋しそうな瞳で見ないで下さい。私が偽りを述べているとお思いですか」
「思わぬが、そうであったらと…夢のような心地だ」
「…私をあなたの好きにして、良いのですよ」
「っ…!」

頬に触れ、仲達は私を見上げた。
その口振りは己の方が歳上なのだという余裕を思わせるものだったが、眉は下がり鳶色の瞳には一瞬恐れの色が見えた。
私の状況を察し、気を使った。
仲達は私に対して甘い。そのような気配りが出来るからこそ、今は未だとも思えた。

「…楽しみに、とっておく」
「よろしいのですか」
「今宵を、共に過ごしたい。私の寝台で共に眠りたい。それは我儘か」
「…それだけで、よろしいのですか」
「何だ。私が無節操な男だとでも」
「私に遠慮されているのではないかと…」
「容赦なくというのなら、私はもうとっくにお前を抱き潰している」
「っ」
「未だ尚早であろう。私も、お前も」

無理強いをするつもりはない。
本当は字で呼ばれたい。
お前は私の特別なんだと伝えた。
仲達は至極困った顔をしていたがただ一言耳元で囁いた。

「…子桓様…」
「っ…?!」
「字を呼ばれる事が、それ程までの事ですか?」
「…そうだ。ずっと、仲達にそう呼ばれたかった」
「耳まで真っ赤にされて…」
「っ、仕方あるまい。念願の夢だった」
「夢が叶ったのですね」
「お前が叶えてくれた」

余りの不意打ちに動悸が収まらん。
ぽつりと可愛らしい人だと仲達が呟いて笑っていた。

仲達を何時までも固い長椅子に押し倒したままでは体が辛かろう。
横に抱き上げ、仲達の冠や肩当てを床に落としながら私が仲達に埋まるように寝台に寝かせた。
私の寝台だ。臣下の中でも立ち入るのを許しているのは仲達のみだ。

「子供のよう」
「甘えさせてくれ」
「御随意に」

私を見つめる瞳が柔らかく優しい。
私の事をどう思っているのか、という問に対して言葉にせずともその瞳が応えてくれた。
仲達は多くを語らない。だが、充分思いは伝わった。

「…私がお前にどうしたいか、解っていよう。恐れぬのか」
「…当たっております…」
「当てている」
「…男の私に、欲情されるのですか?」
「惚れた弱みよ」

顎に指を添えて顔を近付けた。
何も言わずとも目を閉じる仲達に口付ける。
仲達も私の事を好いている。だがそれが愛までなのかは解らない。

一頻り仲達に口付けた。
唇を濡らして息を乱す仲達に色香を感じない筈もない。
だが、無理強いも傷付ける事もしたくなかった。

「…したい、のでは」
「未だ、だ」
「待てと言われて、何時までも待てる方だとは思っておりませんでしたが」
「ああ。故にまた、覚悟するがいい」
「また…?」
「今はこれだけで充分だ」

額に口付けて、仲達を腕に抱く。
仲達は私を拒まず、私の好きな様に身を委ねている。
この流れのまま仲達を抱きたいとも思ったが、今は未だだ。
今は未だこの幸福を噛み締めたい。

故意に触れられた。
此れをどうするのかと仲達は私を見上げたが、どうにでもすると仲達に無理強いしない事を伝えて目を閉じる。




否、眠れる訳がないのだが。
夜も老けて、体温が移り仲達は私の腕の中でいつの間にか眠っていたが、私は眠れない。
欲情の対象を目の前にしての据え膳。なかなかの苦行である。
仲達の代わりで済ませよう等とは考えない。
私はどうやら存外一途らしい。自分でも驚いている。

「…仲達だからか」

私よりも小柄の仲達を胸に抱き寄せながら、首筋に埋まる。
やはり良い香りがする。私に比べれば、仲達は随分華奢だ。
仲達を抱く事を想像すると、余計に眠れなくなった。
何れ抱く。だが今ではない。漸く想い合えたのだ。

私に伝わる仲達の心音が余りにも早い事に気付く。
眠っているのだとしたら、随分とおかしい。

「起きているのか」
「…はい」
「何を緊張している」
「…あなたのお顔が目の前で、しかもその方の腕を枕にするなど…、眠れる訳ないでしょう…」

私はお前よりも酷いのだが、それは言わないでおいた。
色香はあれど仲達に自覚はなく、自らの魅力に気付いていない。
このまま、仲達を目の前にして理性を保てる自信がない。

「…ならば、離れよう」
「…?」
「寝台は貸してやる」
「…何処かへ行ってしまわれるのですか」
「夜風に当たろうかと」
「…私を置いて、ですか」
「っ」

仲達は私が惚れ抜いている事を自覚している。
故に、私がそのような事は出来ないと見抜いている。
どうやら今宵は何とか仲達に手を出さずに過ごす事になりそうだ。

「…覚えていろ」
「何がですか?」
「ちっ」

仲達の思惑通りに事が運ぶ。
色恋沙汰や色事には鈍感な癖に、人の心を予測するのは容易い。
否、私の心を見抜いている。
見抜かれているからこそ、試されているのだろう。
仲達とて、私の思いが本気なのか戯れなのか、私を試している。

「…仲達。お前と話がしたい」
「何のお話しをしましょう」
「そうだな。眠くなるまで、だ」
「議題は」
「互いの好きなところ、というのはどうだ」
「……、はい」
「今の間は何だ」
「私の好きなところとは、何なのでしょう」
「夜明けを迎え、昼までかかるやもしれん」
「何と…」
「先ず、そうだな…」

こうしていると恋人のようだ。
生殺しだと知りつつも、仲達の好きなところを語っていく。
仲達はころころと表情を変えながら、私の話を聞いていた。



「あなたの好きなところは…」

仲達が好きなのだと、お前が仲達であるから好きなのだと一頻りに語った。
そして仲達が語る私の好きなところも、私をよく見ているものだと思える何気ない所作であった。

仲達を好きになった。好きになって良かった。
もっと仲達の事を知りたいが、いつの間にか、空が明るい。
文字通り、互いに語り明かしてしまった。

「もし、また…があるのなら…、今度は…私を抱いて下さいますか」
「…覚悟しておけ」
「はい…」

互いの好意を自覚しながら仲達を胸に埋め、明るくなった空を横目に二人で目を閉じた。

きっと共に過ごす度にもっと好きになるだろう。
私に愛される覚悟をしておけ、と伝えると仲達は長い睫毛を閉じて笑っていた。


TOP