司馬懿を重用しすぎではないのか。
親族らから進言され、奴等を横目に見る。
私が仲達に執着し過ぎだと言う。
奴等は知らない。私は執着以上の思いを仲達に抱いている。
「では聞くが、司馬仲達以上の智者が居るのか」
「それは」
「父が言う唯才、仲達は其れに当てはまる」
「失礼致します」
「仲達か。来い」
「…?はい」
「また来る」
仲達の姿を見て、奴等は部屋を出た。
入れ替わりに部屋に入る仲達を手招き、右手を引いた。
小首を傾げて仲達は書簡を抱き、私を見上げた。
「どうなされたのですか」
「下らぬ進言よ」
「その仰りよう。却下なされたのですね」
「あれは明日も来る」
「この書簡を確認していただきたいのですが」
「ああ」
「軍議ですよね。それでは…」
仲達の手を握る。
手は振り解かなかったが、その手には書簡を渡された。
書簡を渡すと、仲達は足早に部屋を去ってしまった。
私と仲達が恋仲である事を奴等は知らない。
近親の将軍の何人かは私達の関係を知っている。
張コウなどは率先して我等に尽くしてくれるが、一部の親族や末端の家臣らは知る由もない。
父らにも話している事だが、仲達は知らない。
執着している。傍からはそう見えるのか。
確かに仲達の意見は率先して聞くが、仲達のみを贔屓した事はない。
仲達の進言が全て正解だとも言えない。
仲達自身はそれを自覚しているのか、必要以上に自重していると感じるところがある。
最近、距離を感じている。
野心があると思われてもつまらないと、いつだったか仲達はそう呟いていた。
仲達は私と恋仲である事を畏れ多いと隠したがる。
故に余り公にはしていなかったのだが、今暫くは情報解禁も必要かと考えた。
仲達は嫌がるであろうが、在らぬ疑いをかけられてもつまらん。
つまらぬ事で傷付けたくはない。
「賈ク」
「え、今の話題を俺に振るのは勘弁して下さいよ」
「どう思う」
「いやぁ、別に。司馬懿殿は若いのに優秀だ。俺は曹丕殿が良いと思うならいいと思いますがね」
「公にするというのは」
「それはどうだか。司馬懿殿はどうなんですかね」
「司馬懿殿が狼狽するのが目に浮かぶね」
「お前に聞いているつもりはなかったのだが」
「色恋沙汰は大好きなものでね」
「はいはい、さあ軍議ですよ軍議」
卓に戻り賈クに話しかけていたのだが、郭嘉も話題に交ざった。
確かに色恋沙汰なれば此奴の方が深い話は出来るだろうが、如何せん不良軍師故、私は好いていない。
それに仲達を皆の玩具にされたくない。
「仲達は何処か」
「先刻、張コウ殿と話しているのを横目に見ましたよ」
「張コウか」
「将軍にも妬きますか」
「…仲達に至っては、だ」
「これはなかなか根深い」
「愛情深いと言え」
「司馬懿殿も大変だ」
「軍議だって言ってんでしょうが」
郭嘉に苦笑され、賈クにはため息を吐かれた。
どうやら私が他人に執着するとは思わなかったらしい。
そうでもないと思うのだが、傍目にはそう思われていないようだ。
今のは素っ気なかっただろうかとか、恋仲になってからというものの己の身の振りを思い直す事が多くなった。
つまらぬ事で傷付けたくはない。
己が自覚するほどに色恋沙汰には鈍く、無自覚に傷付けていないかと時折不安になる。
私はこういう事が苦手なのだ。
「どうなされたのです。浮かない顔をしていらして」
執務の合間、張コウが私に声をかけた。
鍛錬場の近くを通りかかった為、将軍らの顔が見える。
張コウは将軍の中でも仲の良い方だ。顔を見る度に私に構う。
「何でもない」
「何か、お悩みでも」
「悩んでいるように見えるのか」
「司馬懿殿は解りやすい。お顔に出ていますよ」
「軍師には向かぬな」
「司馬懿殿は素晴らしい軍略をお持ちです」
「そうであろうか」
「本当にどうなされたのです。美しい顔が曇っていらっしゃいますよ」
張コウは私をからかう事はない。
私より歳上の筈なのだが、何時でも低姿勢に接してくれる為、妙な奴だが好感が持てる。
椅子に座ると、張コウも隣に座った。
どうやら話を聞いてくれるようだ。
「曹丕殿の事なのだが」
「はい」
「私は、素っ気ないだろうか」
「ふむ、そう見えますね」
「やはり、か」
「ですが、緊張しているように見えます。何か、怖がっていませんか?」
「…恋など、と」
「?」
「した事がないものの正解など解らぬ」
「可愛らしい事を仰って。もうお付き合いは長いのでは?」
「どんなに時が過ぎたところで慣れぬものは慣れぬ」
した事がない色恋沙汰など解らない。
結婚をしてから、恋愛などしないと思っていた。
解らない事が不安で仕方ない。
私の態度や行動を余計な心痛にさせてないだろうか。
それが今は私の心痛になりつつある。
「両想いじゃないですか。とてもお似合いですよ」
「?」
「曹丕殿も、以前そのような事を口にしておりました」
「曹丕殿が?」
「では、私がちょっとしたきっかけを差し上げましょう」
「きっかけ」
「御髪に触れる事を、お許し願えますか?」
「あ、ああ…」
張コウは笑って私の背後に立った。
官服に合わせて結い上げていた髪を下ろして、いつもとは違う結い方をしているようだ。
後ろなので、私からは見えない。
櫛で髪をとかしながら、張コウは私の髪を撫でた。
「何だか、娘をお嫁に行かせたような心地です」
「いつ私がお前の娘になった」
「可愛らしいですよ、司馬懿殿」
「可愛いとか、そういうのは困る…」
「大丈夫です。女子のようには致しておりません。御髪を編み込みました。崩すなら司馬懿殿では外せないので、曹丕殿にして頂きますよう」
「そ、曹丕殿に?」
「あなたの夜のような御髪が好きだと仰っていました」
「確かに、よくそう仰っているが…」
「曹丕殿は司馬懿殿の全てが好きだと仰っていましたよ」
「う…」
曹丕殿は張コウにもそのような事を言っているのか。
顔を覆い隠して目を閉じた。
髪型を変えたくらいで、あの御方が何か言ってくれるとは思わないが、話のきっかけにはなるかもしれぬ。
「父上」
「こんな所にいるなんて珍しいですね」
「来ていたのか」
「鍛錬ですよ。将軍方に御教授頂いております」
「そうか。礼をせねば」
鍛錬場に師と昭の姿が見えた。
私は文官である為、剣術指南が出来るほどの腕はない。
以前から古参の将軍らが子供達を指導をしてくれていた。
見れば、鄧艾や郭淮らの姿も見える。
頭を下げると、皆の方が深く頭を下げた。
「今日はいつもと違いますね、父上」
「先程、張コウに」
「お似合いですよ」
「そ、そうか…」
子供達の事はいつでも案じている。
子供達に話し掛けられたら暫くはつかまる。
鄧艾や郭淮につかまれば尚の事、話が長くなりそうだ。
私が子供達を邪険にする事はないが、今は急いでいる。
張コウが片目を閉じて私に合図を送った。肩を二度叩き、張コウは子供達の元に向かった。
「司馬師殿、司馬昭殿。良ければ次は私が御相手致しましょうか」
「五大将軍のお一人と、ですか」
「張コウ、手加減を」
「解っております。曹丕殿の初陣のお供をしたのは私ですよ?」
「だから怖いんじゃないですか…」
「賑やかだな」
背後から聞き慣れた声が聞こえた。
張コウは元より、皆も子供達も畏まり頭を下げた。
私も振り向き、頭を下げる。
曹丕殿と賈ク殿、郭嘉殿が居らしたようだ。
「やあ、司馬懿殿。授業参観かい?」
「賈ク殿、郭嘉殿」
「軍議が終わったよ。皇子様があなたをお探しだ」
「仲達」
「はい」
「司馬懿殿、髪型いつもと違うね?」
郭嘉殿が私の後ろに立った。
髪型に気付いた郭嘉殿は、私の背中を押した。
目の前には曹丕殿がいて、咄嗟に胸元に飛び込んでしまった。
「も、申し訳ありません…」
「…結い上げたのか。それも良いな」
「そうですか…?」
「暫し、共に話したい」
「はい」
「いってらっしゃい」
郭嘉殿は敢えて私の背中を押したのだ。
間近でないと気付かない髪型に、曹丕殿が気付くようにと。
張コウに連れられた師と昭も察したのか、私に手を振る様子が見えた。
皆、私達の事を知っている。
故に気遣わせてしまう事がどうにも気恥ずかしく申し訳ない。
周りにそうまで気遣わせてしまわないと、曹丕殿と二人きりになれないのかという事にも少なからず責任を感じる。
私が消極的過ぎるのだろう。
「曹丕殿」
「何だ」
「…子桓様」
「…ん」
二人きりになれた事を確認して字を呼ぶと、嬉しそうに私を見下ろす。
灰色の冷たい瞳が、温かになる瞬間だ。
その瞳が、私はとても好きだった。
「たまになら、良い」
「髪、ですか?」
「下ろしている方が好きなのだが、それはそれで良い」
「そうですか」
「だが、私以外に余り触れさせるでないぞ」
「…善処致しますが」
「善処では困る」
「妻や子供達はお許し下さい」
「ああ」
付き合ってから、嫉妬深いのだと気付いた。
それも子供じみたような小さな嫉妬から、人を殺めるような危ういものまで振り幅が大きい。
今更ながら、大変な人に好かれてしまったのだと苦笑する。
私には決して手をかけることはない。
だが、手は出して欲しいと思う。
気合いはさり気なく入れるものだと、郭嘉殿か誰かが言っていた。
張コウにでもやってもらったのだろう。
仲達の後ろ髪が三つ編みにされ、編み込まれて下ろされている。
いつもと違うというのは、やはり新鮮に感じる。
軍議が終わり、仲達に会いたくなった。
郭嘉と賈クが安易に場所を知っていた為、直ぐに姿を見つける事が出来た。
仲達は表情がころころと変わる。
父や郭嘉や賈クなど、目上に接する時は何処か緊張している。
目下、張コウらに接する時は和やかだ。
子供達に接する時は朗らかでいて、優しさに溢れている。
私に接する時は…。
「ふ、そう緊張するな」
「は、はい…、申し訳ありません」
「私の部屋だ。誰も来ない」
「左様ですが」
「暫し主従である事は忘れよ」
「あ…」
「眼を」
「子桓様」
「口付けをしたい」
眼を閉じさせ、窓辺の仲達に口付ける。
少し背伸びをするような仕種に頬を撫でて、額にも口付けた。
「久しい」
「…、そうですね」
「暫し、共に過ごしたい」
「はい」
昨今忙しなかったのだが、漸く日常に落ち着きを取り戻しつつある。
先程の軍議の後は暫く予定がない。
仲達の予定も把握している為、攫っても差し障りないと判断した。
主従である時間が長すぎて、恋人である時間が短い。
せっかく射止めた想い人を不安にさせていないだろうかと、仲達の腰に腕を回して引き寄せた。
恋仲を自覚してはいるものの、ぎこちない態度を見せる仲達を案じた。
恋人としてはそれなりの年月が経っているはずだが、暫し触れないでいると初々しい態度に戻る。
愛らしい事、この上ない。
我等にはどうやら倦怠期というものは存在しないようだ。
仲達の肩を抱き、私の寝台に座らせる。
手に持っていた冠を机に置かせて、仲達の膝に頭を乗せた。
仲達は少し驚いた様子を見せたが、直ぐに私の額を撫でて、肩に上着を掛けた。
「私の膝で良いのですか」
「お前がいい」
「お疲れですか」
「ああ、少しな…」
「少し、ですか」
執務は真面目にこなす方だと思う。少なくともあの不良軍師よりは。
暫く徹夜をしていたからか、温かな仲達の体温と、敷布の柔らかさに瞼が重い。
せっかく仲達と二人きりになれたのだが、眠気に勝てそうにない。
「お休み下さい」
「せっかく、仲達がいるのだ」
「ですから」
「仲達」
「仲達は何処にも行きません」
「私はもう、子供ではない」
「ええ、素敵な殿方に」
「仲達、何処にも行くな」
「はい。何処にも行きません」
仲達が私の頭を撫でる。
その指が白くて細くて、いつもとは少し違う黒髪がさらさらと私の方に流れた。
子供達を見る時よりも優しい瞳が私の瞳に映った。
相当お疲れだったのか、暫くすると曹丕殿は私の膝の上で眠りについてしまった。
日は落ちて、従者が灯を持ってきてくれた。
日が落ちると急に体が冷える。
曹丕殿が寒かろうと、枕を手繰り寄せて掛布を掛けた。
何処にも行かぬと約束した。何処にも行く気はない。
ひとつ欠伸をして私も隣に寝転ぶと、肩と腰を引き寄せられる。
どうやら、起きているらしい。
「…子桓様?」
「寒い」
「もう一枚、掛布をお持ちしましょう」
「仲達が居るではないか」
「しかし」
「お前は寒くないか」
掛布を私に掛けて、曹丕殿の胸に埋められる。
もう曹丕殿と呼ぶのも止めよう。
子桓様の温かな抱擁に眼を閉じ、今暫く恋人で在りたいと願った。
髪を撫でられている。
子桓様のお好きなように甘んじて受け入れていると、首筋を吸われている感覚に細く眼を開けた。
「子桓様、湯浴みがまだ」
「後で共に入ればいい」
「う…」
「嫌ならば止めるが」
「狡い人」
私とて情欲がない訳ではない。
子桓様を私だけのものだと感じられる時間。少なくとも情事の際はそう思えてならない。
湯浴みをしておきたかったのだが、こういう事は勢いに任せた方が良い。
どうせ言う事を聞いてくれる人でもない。
私から身を寄せて口付ける。
きっとそれだけで子桓様には通じる。
私を押し倒して、ふと笑う。
眉間の皺は相変わらずだが、皆には見せぬ優しいお顔。
不安などはなく、抵抗などしない。
離れていた時間を埋めるように全身を愛撫され、身も心も熱っていく。
私の方がひと回り年上なのだが、色事において子桓様に敵わない。
焦らされて燻る熱がもどかしく、お願いをすると必ず口付けて下さる。
子桓様からの口付けが好きで、体を繋げて間もなく果ててしまった。
「…、未だ足りぬ」
「は、い…」
「…どうした?」
「…子桓さ、ま」
「っ、仲達、余り動かなくていい」
久しい情事に頭が追い付いていない。
何をされるにも快感が巡り、動けない。
私がいつもより消極的な理由を子桓様は察してくれたようだ。
気持ち良すぎて動けないなどと、言える訳がない。
「媚薬でも飲んだのか、仲達」
「ち、違い、ます」
「締め付け過ぎだ…。私は何処にも行かぬ」
「…本当に……?」
「…寂しかったのか?」
寂しかった、と言われたら、そうなのかもしれないと頷ける。
最奥を突かれて声を上げると、子桓様は嬉しそうに笑った。
「本日、親族の者達から進言を受けた」
「…?」
「司馬懿に執着し過ぎだと言う。ふ、執着もする。否定はせぬ」
「っ、今する…話?」
「まあ聞け。この私がただ一人何もかも己を晒して居られる。仲達だけだ」
「…っ、ぅ」
「仲達、お前の前ではただの子桓で居させてほしい。それだけ言いたかった」
中に果てられて律動を感じる。
私の体は果てて軽く痙攣していたが、幼子のように私の胸に埋まる子桓様に何とも言えない気持ちが込み上げる。
大切にして差し上げたいという想いで溢れる。
手に触れると、指を絡めて手を繋いでくれた。
その後、唇、頬、額にも口付けて私を抱き締める。
子桓様はいつもこうして私に甘えて、私を案じるのだ。
「大丈夫か」
「…子桓様」
「せっかくの髪が、乱れてしまった」
「あなたが、解いて下さい…」
「少々、勿体ない」
「また何れ…。今は私もありのままです…」
「誰にも見せるなよ」
「見せるものですか」
体は未だ繋がれたまま。ぽつりぽつりと、太股や項に所有印が付けられる。
官服で隠れるところにならと、人には絶対に見せないところに子桓様は痕をつける。
執着している、などと言われるとは思ってもみなくて、動悸が激しくなる。
いつも涼しい瞳をされているというのに。
普段から愛だの恋だの、詩として語られるその詞ひとつひとつ、全て私に向けたものだと仰るのだ。
物静かな面持ちで在って片時も離れたくないと、子供のような甘え方をする。
これが愛おしくないと、言えようか。
真っ赤に頬を染めて泣きそうな顔で仲達は私を見上げていた。
私にこれ以上あなたを好きにさせないで、と消え入るような声で手を握り締める。
何だまだ私を好きになれる余力があるのかと、腰を支えて奥に揺り動かす。
「っ、ぅ…っ!」
「もっと好かれても構わんのだが。寧ろ仲達、未だ余力があるとでも?」
「ない、です、そんなもの…もう…」
「ふ、全力で抱いてやる」
「なっ…、ま、だ…」
「お前が可愛い事を言うからだ、仲達。私は幾人も一生を添い遂げようと思う者を持てん」
「仰っている、意味が…」
「私の一生を捧げるのはお前だと言っている」
仲達の髪を解いて指に絡ませ口付ける。
息を吐くのも苦しそうだが、仲達の体は私の言葉と行為に敏感に反応していた。
久しい情事は随分仲達を官能的に変えた。
生理的な涙なのかもしれんが、泣き顔の仲達は美しくて麗しい。
「っ、あなた…、また…」
「このまま、時が止まらぬものか…」
「馬鹿、でしょう……、もう……」
「…ん?どうした」
「今度は、私が…」
皆まで言わなかったが、察した。
仲達から一度引き抜き、股を伝う精液を撫でると、頬を染めて弱々しく私の体の上に跨った。
腰を支えて頬を撫でてやると、私の指を口に咥えてゆるゆると繋がっていく。
今の仲達に、緊張や距離は感じられない。
視界には仲達だけしか見えず、仲達の声しか聞こえない絶景だ。
仲達の辿々しい腰の動きは、これはこれで癖になる。
何より妖艶で堪らぬ色気を、仲達自身は自覚していない。
普段は高嶺の花というようにすましているのだが、いざ二人きりとなると愛らしい事ばかりだ。
実際公子付きの軍師。皆にとっては高嶺の花ではある。
口から指を抜き上体を起こし、腰を深く引き寄せて突き上げる。
さすがに三回も四回も果てさせると仲達が持たない。
私の方が多く果てているのだが、仲達の事を思えばそろそろ終いにせねばなるまい。
「子桓様」
「何だ……、もう」
「…子桓さま…」
字を呼ぶだけで精一杯なのだろう。
きつく締め付けて果てる仲達の髪を撫でてやり、私も果てた。
毎度毎度、私の仲達は愛らしい。
らしくない事をした。
仲達はそう言って私の腕の中で頭を抱えていたが、暫くすると静かになった。
情事の余韻に浸りつつ、仲達は抱き締めたまま離さない。
私の匂いが仲達に染み付いている。
汗ばんだ肌に、そう言えば湯浴みが未だだった事を思い出した。
体の繋がりを解き、疲労して気を飛ばした仲達を労る。
暫く抱き締めているだけで、私の心は言いようのない安堵感で満たされていった。
共に湯浴みをして、服も着替えさせた。
仲達を膝に座らせ、髪を櫛でとかす。
項に残した所有印は、髪をかき上げると見えてしまう。
いっそ見えてしまえばいいものを…とは思うが、仲達の意思を蔑ろに私の思惑を無理強いしたくない。
恋仲で慕い合う事に、主従の命などは要らぬものだ。
確かに今日の仲達の髪型はいつもと違い、新鮮だった。似合ってもいた。
だが、やはり私は嫉妬深く出来ている。
「……、余り他の男に触らせてくれるな」
「…………、はい」
「…、大丈夫か?」
「はい……」
解いた髪を撫でて背後から肩に埋まっていると、か細く仲達が頷いて私の袖を握り締めていた。
情事の余韻で体に力が入らないのは解っている。
私も今宵は随分としつこく抱いたと一言謝罪したが、仲達は首を振って私の胸に顔を埋めた。
仲達に眠気眼で見上げられ、瞼は閉じられた。
私からの口付けを待っている。
少々、悪戯心がわいた。
暫くその顔を見つめていると、仲達が私の頬を摘み臍を曲げてしまった。
可愛いなお前は、と言ったら益々怒られた。
「もう知りません」
「悪かったというに」
「……茶でも飲みたいです」
「今宵は私が煎れよう」
「子桓様が?」
「まだ動けまい。夕餉もまだだったな。持ってくる」
「あなたにやらせる訳には…」
「その姿を誰ぞ見せる事、断じて許さぬ」
「っ」
普段皆に命じるが如く強い口調で仲達の肩を掴む。
危うい。事後の仲達の色気はこの国のどの女よりも勝る。
そもそも仲達は美人だ。それが今は事後の気だるさで妖しい魅力が付加されている。
先程出来なかった口付けをして、仲達の為に茶を煎れたり、夕餉の手配をしたりと忙しなく動いた。
とはいえ、部屋からは出ない。
従者らを部屋に入れるつもりもない。
今の仲達を誰にも見せたくない。
「あなたは、私に対して過保護が過ぎます……」
「独占欲と言って欲しい」
「今は其れも心地好いです」
「ほう」
「あなたはいつも温かで…」
夕餉を終え、仲達を腕に抱き寛ぐ。
私の腕に凭れてうつらうつらとしている仲達の首筋を指でなぞる。
情事を第一には考えていない。だが、仲達をこのように甘えさせるのは好きだ。
執着もする。仲達は私が世界で一番愛おしい人だ。
艶を帯びた唇をなぞり、上を向かせる。
眼を閉じた仲達に口付けて額を合わせた。
「幸せだ」
「私が居るだけでしょう」
「お前がいるから、幸せだ」
「私はあなたの幸せなのですか」
「そうだ」
「そうだと…いいです…」
「そうだとも」
仲達に心の底から惚れている。
愛していると囁くと、仲達は困ったように眉を寄せて笑った。
愛おしい時間は名残惜しく過ぎていった。
今朝は気怠さに起き上がれず、私のせいなのだからゆるりと休めと子桓様は仰った。
そんな事ないと言う前に唇を塞がれて、深く口付けられる。
名残惜しい、とは言いつつも軍議に向かってしまわれた。
主が執務を執り行っているというのに、従者の私が休むのは心苦しい。
夜中に私を抱き締めて眠る子桓様の寝顔を見ていた。
私の事を幸せだと言ってくれた。
世迷言でも寝言でも睦言でもなく、本心の言葉。
私の下らない不安など、子桓様の言葉が何もかも吹き飛ばしてくれる。
あなたこそ、私の幸せ。
そう伝えたくて、子桓様の事を想う。
子桓様のお傍に居たい、ただその思いで官服に袖を通し重い体を起こした。
子桓様の寝室を出て、壁伝いに歩く。
皆の前では凛と在り、子桓様のお役に立ちたい。
私に腕力はないが、心をお護りする事は出来る筈だ。
あの御方を傷付ける事は、私が許さない。
壁伝いに手をついて廊下を歩く。やはりまだ体が痛い。
子桓様が何処で軍議をされているかは解っている。
あの御方の命令で私は休暇を与えられているのだが、軍議が終わったら執務の手伝いくらいさせて頂かなくては気がおさまらない。
「おや、司馬懿殿。本日はお休みだったのでは?」
「張コウか。曹丕殿には内密に」
「ふふ。美しい恋人同士の想いは繋がっているのですね」
「う、煩い」
「ですが、顔色が優れませんよ」
「大事ない。疲れているだけだ」
「どうぞ手を。軍議には参加されないのでしょう」
「私が出ては軍議が混乱しよう」
「御出迎えをなさるのですね」
「ああ、扉の前で待つ」
張コウが通りがかり、私の手を取ってくれた。
子桓様に何か言われた訳ではないのだろうが、故意に肩や腰には触れようとしていない。
紳士的に張コウは私を気にかけてくれた。
軍議から帰ってくるであろう執務室の前でお待ちしようと、回廊の途上に腰を落ち着けた。
「お茶でも煎れましょうか」
「そこまでせずとも」
「私が好きでやっているのです。司馬懿殿もそうでしょう?」
「う、うむ…」
「おや」
「父上、そのような薄着で出歩いては」
「風邪ひきますよー」
張コウと入れ替わりに子供達が通りかかった。
私の肩に上着を掛けたのは師、風上に立ってくれたのは昭だ。
子供達の分まで茶を煎れて、張コウは去っていった。
礼を言いたかったのだが、張コウは片目を閉じて手を振る。
子桓様の嫉妬を知ってか知らずか解らぬが、張コウ自体は気にしている素振りはない。
張コウの去った後は子供達が話し相手をしてくれた。
皆まで言わずとも、私が誰を待っているのか解っているらしい。
私の両隣に二人が座り、私の肩に体温を分けるように擦り寄っていた。
「これ」
「父上、小さくなっちゃって」
「お前が大きくなったのだ」
「寒くないですか」
「お前達が居るではないか」
「はは、まだかな。ねえ兄上」
「父上、あと一刻経ったらお部屋にお戻りを。此処はお体を冷やします」
「私を年寄り扱いするでない…」
暫し親子の団欒を楽しみ茶を飲む。
子供達は甘えるように私の手を繋いでくれていた。
師も昭も私の手より大きい。
子供達の成長に時の流れを感じ、温かな子供達と共にかの人を待った。
軍議がまとまらない。
故にこのままの討論は無意味と私が止めた。
軍師共は納得していないようだが、時は無限ではない。
「では、曹丕殿の意見をお聞かせ願いたい」
「全員、頭を冷やせ」
「はは。確かに。結論を急ぐと策が鈍るね。今日は止めときましょう」
「ふむ。若手の軍師の意見でも聞いてみようかね」
「予め言っておくが、仲達は呼ばんぞ」
「それは残念」
「あれは今、体調を崩している。今日一日は構うな」
「曹丕殿は司馬懿殿に甘いね」
「あれは私のものだ」
「誰も取りませんよ」
談笑をしつつ、卓を片付けて書簡をまとめて席を立った。
仲達の話をしていたら、顔が見たくなった。
今日は疲労で寝ていよう。起きていなくともよい。寝顔だけでも見れないものか。
この後の執務に執り掛かる前に、私室に向かおうと扉を開けた。
「あ…」
「……仲達?」
「申し訳ありません。来てしまいました」
「お待ちしておりました。父上、我等は此処までです」
「曹丕様、父上、では」
仲達が子供達に護られるかのように回廊に座っていた。
私の姿を見て仲達と子供達が最敬礼をしたが、子供達は直ぐ様その場を離れていった。
顔を見たら、顔を見るだけでは収まらなくなった。
後に続いてくるであろう賈クと郭嘉に仲達を構われるのは嫌だ。
即刻、扉を閉めて仲達の手を引き回廊を速足に歩いた。
「あ、あの」
「愛らしい事を」
「執務の補佐をさせて頂きたく参りました」
「…私の命を聞かぬか仲達。私はお前を案じているのだが」
「申し訳ありません」
「ほら、私の部屋だ。此処ならもう良いな…」
「あ、あの…?」
「ああ、大好きだ…仲達」
顔を見るなり抱き締めたくて仕方がなかった。
私室に入るなり振り返り強く抱き締める。
今日はいつも通りの髪型のようだ。
歳上の美人なのだが、不意に可愛らしい事をする。
それが無意識なのだから、罪深い。
想い合っているのだと感じざるを得ない愛らしい行動だ。
仲達を一頻り抱き締めて口付けた後、横に抱き上げて私の寝台に下ろした。
上着を掛けられていたが、仲達は薄着だ。寒かろうと布団を掛けた。
もう執務はここでやろう。仲達から離れたくない。
仲達の手に口付けて書簡を取りに戻る。
暫し部屋を離れただけなのだが、仲達は私が置いた上着を抱き締めて寝台に座っていた。
淋しい、と後ろ姿に書いてあるような心細さだ。
「もう離れぬ」
「…はっ、いやあの、違います…」
「ふ、もう離さぬ」
「はい…」
幸せだと一言呟いて隣に座る。
仲達に口付けた後、書簡を仲達に持ってもらい背後から筆を取った。
仲達の首筋を私の首筋に掌で引き寄せた。
「…、書き難いのでは」
「仲達の香りがする」
「…子桓様の香りがします」
「寒くないか」
「…逆上せてしまいそうです…」
仲達が瞳を閉じて上を向いた。
もう何も言わずとも解る。
唇を合わせて目を閉じる。
幸せで胸が詰まりそうだ。
私からは惜しみなく愛を贈ろう。仲達からは少しだけで良かった。
少しだけでよかったのだが。
「くらくらする…」
「何処か具合でも?」
「お前のせいだからな…」
幸せで仕方ない。
仲達にそう伝えると、困ったように笑った。