「悪戯をされるか葡萄を寄越すかを選ぶが良い」
「…脅迫ですか」
仮装をした子桓様が私の前に立ち、脅迫まがいに私を壁に押し付けた。
西洋の公子の格好…らしいが正直よく解らぬ。
私は私で西洋の悪魔の格好らしい。
信じたくはないが、今日と言う日を迎えてから角も翼も本当に生えていて爪も歯も鋭利になっていた。
今朝から散々師と昭に羽や角を弄られた挙げ句、菓子や甘味を要求され仕方無く点心を与えた。
菓子がなければ暴れるだと?ふざけるな。
と、先程一喝したばかりだ。
すっかり今日という日を楽しんでいる曹操殿が酒宴を開いた。
ただでさえ羽が邪魔だと言うのに、参加は強制だと言う。
面倒だ…、と口には出さず。
今日の祭りに浮かれた輩が放り投げた執務を片付ける為に執務室に隠っていたのだが、
愉快な格好をした郭嘉殿に拉致された。
「随分と…頭の悪そうな格好ですね…」
「そうか。司馬懿殿は悪戯が良いんだね?」
「や、やめて下さい」
「待て、それは私の獲物だ」
にこやかな笑顔の郭嘉殿に詰め寄られる。
恐ろしい笑顔に後退りをしていたら背後から物騒な発言が聞こえた。
首根っこを掴まれまた、抱きあげられる。
「若君、酒宴には出なよ。殿が司馬懿殿の翼に触りたいってさ」
「誰が触れさせるものか」
郭嘉殿がひらひらと手を振るも、
子桓様はそれを無視して私を抱き上げ人気のない回廊に運んだ。
そして今に至る。
「このような所ではなく、お姫様の供をなさいませ」
「術の効果は子の刻までだ。今は魔法使いとやらのお喋りに夢中らしい」
「…私の姿もそうであってほしいところです」
いつもの黒髪ではない子桓様の髪色が見慣れない。
いくら仮装とはいえ、何故このような色にしてしまったのだろう。
私は子桓様の黒髪が好きなのに。
橙色の髪はまるで南瓜のようだ。
何だか別人を相手にしているようで、腕を退かして空に逃げた。
「ほぅ、飛べるのか」
「悪魔ですから」
子桓様では届かないであろう屋根の縁に腰をかけて月を見た。
どうやら今宵は満月らしい。
「下りて来い。触れぬではないか」
「触っていただかなくて結構です」
「…何を怒っている」
「別に何も」
勝手に盛り上がっているであろう酒宴の声が聞こえる。
賑やかな光にふ…、と笑い、其方には近付かぬようにさっさと帰ろうと羽根を広げた。
「待て」
「…っ?!危ない、でしょう!何をして…!」
「お前が下りて来てくれぬからだ」
どのようにしてよじ登ったのか知らないが、子桓様はいつの間にか屋根の上に居た。
純白の衣装が月の光に反射して喧しい。
白の眩しさに目を擦ると、直ぐ耳元に気配を感じた。
「っ…ぁ!」
「血は変わらず赤いようだ」
「何を、して」
首筋に歯を立てられ、噛まれた。
つ…と赤く首筋に血が滲む。
屋根に押し倒されるようにして、服の隙間に手を入れられたが手を叩いて払った。
子桓様を退かせ、背中を向けて屋根に座り込む。
「…外でなんて、絶対に嫌です」
「翼の付け根に触れたかったのだが」
「なれば何故、噛むのです」
「お前の態度が気に食わなかった。何を怒っている」
子桓様の目の色がいつもと違う。
灰色ではなく、蒼い色だ。
いつもと同じ声色や、顔であるのに私の好きな髪や瞳がない。
自覚はしていなかったのだが、私はどうやら機嫌が悪いらしい。
「なれば、今宵は是れにて」
「待て、こら」
子桓様に翼を掴まれ、背中から抱き締められる。
ああ、やはり翼が邪魔だ。
「…仲達」
「嫌いです。このお祭り。皆が菓子をたかってきますし。菓子がなければ悪戯だとか、話を聞けと」
「そうか。私は普段とは違う趣向ゆえ、それなりに楽しんでいるが」
「左様ですか」
「お前の仮装は、悪魔とか」
「私は退治される対象ですので、王子様には釣り合いませぬ」
「そうだな。いつも悪者扱いだ」
「ですから、王子様はお姫様の元に参られませ」
悪魔の私なんかより、着飾った煌びやかなお姫様の方が王子様にはお似合いだ。
別に拗ねている訳ではない。
子桓様はふ、と笑うと私を更に強く引き寄せて抱き締める。
翼が軋んで、痛い。
「痛い…子桓様」
「ああ、そうか痛むのか。すまなかった」
翼を案じて、今度は正面から抱き締めた。
別にそうして欲しい、と言う訳ではないのに。
姿の違う貴方に抱き締められるのは癪だが、抱かれてやることにした。
「…香の匂い」
「ん、いつも通りだろう?」
「…違いますもの」
黒髪じゃない。灰色の瞳じゃない。
白く蒼い衣を羽織った子桓様の方が好きだ。
「…ふん」
肩口に埋まり、先程の仕返しに噛み付いてやろうかとも思ったが。
今の私の姿では噛み付いたら、簡単に殺せてしまいそうだ。
本当に、面倒な日だ。
このような爪では、触れる事すら危うい。
私からは、抱き締める事すら出来ない。
「…嫌な日」
「今宵のお前は本当に不機嫌だな。先程の私のようだ」
「先程?不機嫌だったのですか?」
「…誰が、お前を他人に触れさせるものか」
「あ…」
先程の郭嘉殿の戯れに、この人は本気で腹を立てていた。
だから、私を攫うようにこの人は。
「…なれば、そう仰って下さい」
「では、交換だ。お前が不機嫌な理由を言え」
「さぁ」
「悪戯で済まなくなるぞ仲達」
首筋を撫でられ、また噛み付かれるのかと思ったが、
今度は優しく私の首筋を吸い、痕をつけた。
「…黒髪、灰色の瞳の貴方が好き」
「ん…?」
「それだけ、です」
そう呟いて、仲達は顔を背けた。
傷付けてしまう、と腕を引くも私は腕を離さない。
普段は言葉にしないくせに。
この悪魔、どうやら相当私を好いているらしい。
いつもの黒髪と瞳でないから嫌だ、とは随分と可愛らしい事だ。
仲達こそ、私よりも姿形が変わっているというのに何を今更。
白い肌にと黒髪は相変わらずだが、鳶色の瞳は紅に変わっていた。
私も存外、仲達の瞳を好いていたらしい。
いつもと違う、というのはどうにも慣れぬ。
「仲達」
「はい」
「菓子がなければ、お前を寄越せ」
「嫌です」
「まだ悪戯をするとは言って」
「嫌です」
仲達にあっさりとふられてしまった。
むっとした顔をしていると、仲達が空を見上げた。
頭上には満月が煌々と光っている。
「こんなお祭りより、乞巧奠や中秋節の方が好きです」
「そうだったのか?」
「貴方様が詩を詠んで下さる」
「ほう、初めて聞いた」
漸く、心を赦してくれたのか。
仲達は私に寄りかかるように翼を畳み、私の肩に凭れる。
随分と手懐けるのに苦労する悪魔だ。
「私の詩が好きなのか」
「いいえ。詩はよく解りません」
「…お前、今宵は随分とつれないな」
満天の空の月が少し沈んでいる。
溜息を吐き仲達を見返せば、翼や角も消え、瞳の色は鳶色に戻っていた。
「貴方様が詩を詠む、声が好きです」
「…仲達」
「うん…?」
日が変わったのだろう。どうやら珍妙な祭りは終いらしい。
仮装は解け、私の髪色や瞳も戻ったらしく仲達がふと笑って私の頬に口付けた。
「此方の方が、良い男です」
「ふむ。左様か」
術が解け、仲達の機嫌も治ったようだ。
私の髪に触れ、口付けるように私の胸に埋まる。
「子の刻だ、仲達。寒かろう」
「さすがに寒い、ですね」
「下りるぞ」
仲達を横に抱き、そのまま回廊に飛び降りた。
突然の事に仲達が私の胸元を掴む。
地に足を付くと溜息を吐き、仲達は私の頬を摘んだ。
「いひゃいのらか」
「飛ぶなら飛ぶと、そう言いなさい!」
「っ、下りると言ったではないか」
「事後でしょう!」
どうやら相当怖がらせたらしい。
胸を撫で下ろし、仲達は私の胸に埋まった。
それに気を良くし、頬を摩りながらも仲達を横に抱き回廊を歩く。
「さて、祭りは終わってしまったな」
「菓子はもうありませんよ」
「なれば悪戯をしてやろう」
「…外は、嫌です」
「いつもの、仲達であるな」
「何ですか、もう…」
拗ねて唇を尖らせる仲達の鳶色の瞳に、灰色の瞳の私が映っていた。