祝勝の宴。
彼は常日頃から曹丕殿の傍に居た。
酒宴が苦手なのか、殿の乾杯が終わると曹丕殿に頭を下げて席を立つ。
初めはただのちょっとした好奇心、それだけだった。
回廊の踊場に出て溜め息を吐く背中を叩くと、私に驚いて袖を両手に入れ深く頭を下げた。
下を向くと睫毛が長い。
端麗な顔立ちに切れ長の瞳が良く似合う。
曹丕殿の教育係で書記官の司馬懿殿。
軍事に携わる書類もまとめてくれる私の部下のような存在、でもあった。
殿のお気に入り、ではあれど本人はそのつもりはないらしい。
今は殿のお気に入りと言うよりは、曹丕殿のお気に入りと見える。
そのつんとした態度が周りの文官達には受け入れられず、
陰口を叩かれているが本人は気にしていないらしい。
周りを警戒しているのか、あまり笑ったところを見た事がない。
彼は軍師ではない。
あくまでも曹丕殿の側近として出席したのだろう。
彼はいずれきっと軍師になる。
私はそう見込んでいた。彼の慧眼は素晴らしく、文官で終わる者ではない。
「こんばんは、司馬懿殿。もう帰ってしまうのかい?寂しいね」
「戦勝、誠に祝着に御座います郭嘉殿。…失礼ながら、酒宴は苦手でして…」
「そっか。曹丕殿の初陣は祝ってあげた?」
「…ええ、まぁ」
「浮かない顔だね。戦は嫌いかい?」
この端麗な顔立ちが酔った所を見てみたい。
笑った所が見てみたい。
初めは本当にそんな悪戯めいた好奇心でしかなかった。
水で割った酒の入った盃を渡すと司馬懿殿は渋々受け取ってくれた。
一文官である彼の立場上、軍師である私の盃は断れない。
「祝いの席なんだから、そんな顔をしないで。綺麗な顔が台無しだよ?」
「…仰る意味が解りかねます」
躊躇しながらも目を瞑り、司馬懿殿は盃を呷り顔を背けた。
にこりと笑って空けた盃に再び酒を注ぐと、司馬懿殿は嫌な顔をしつつもまた呑み干す。
それを何度か繰り返した。
少しだけ頬が桃色に染まる。
白い肌に頬紅をさしたようで、横顔はとても綺麗だった。
きっかけはそんなもの。
「司馬懿殿は、軍師にはならないの?」
「…自ら進んでなろうとは、思いません」
「君には才があると、私は思うけれど」
「皆、買い被り過ぎです。私に野心はありません」
「天下を取りたいとか、戦場で策を奮いたいとか、国を持ちたいとか、ないんだ?」
「平穏無事に日々を過ごせればそれで」
「変わった人だね」
よく見れば司馬懿殿の足元が覚束ない。
下戸なのか、もう酔ってしまったらしい。
ふらつく体を支えるように肩を抱いて引き寄せて顔を覗き込む。
「大丈夫?顔が真っ赤だよ」
「…誰のせいだと」
「私のせいかな」
首筋から香の匂い。おそらく白檀だろう。
司馬懿殿の白い肌に白檀の香がよく似合う。
掌を重ね、司馬懿殿の盃から酒を呑んだ。
胸の中に居る司馬懿殿の睫毛が濡れて、少し熱い吐息を吐く。
ああ、本当に君は綺麗なんだね。
そう耳元で囁くと、小さく震えて首を横に振った。
これは、やばいかもしれない。
むらっと沸き起こる欲情に火が点いた。
「…触ってもいい?」
「何、っぁ…!」
返答も聞かずに服の隙間から手を入れて胸に触れた。
口元を抑えて司馬懿殿は目をぎゅっと瞑る。
「固くなってるよ?感じているの?」
「そんな、こと」
「体は正直だね」
ああ、こんな筈ではなかったのだけれど。
「…酷く、苛めてみたくなる顔だね」
司馬懿殿は無意識なんだろうが、男を欲情させる顔をしている。
私の肩に凭れる司馬懿殿の顔を引き寄せ、深く口付けた。
舌を差し入れても司馬懿殿から応える事はない。
見れば司馬懿殿は拳を握り締めて、涙を流していた。
唇を離して頬を撫でると、自分の首筋にひやりとした刃が当たる。
「…離れよ」
殺気を隠しもせず、首筋に突きつけられている剣には見覚えがある。
両手を上に挙げて振り返り、崩れ落ちる司馬懿殿を抱き締めるその人は曹丕殿だった。
殺気を私に向けたまま、曹丕殿は剣を鞘におさめた。
腕に抱く司馬懿殿を胸に埋め、曹丕殿が頬を撫でる。
司馬懿殿は安堵したように目を閉じた。
ああ、成る程。
「所有物に手を出してしまったかな?」
「…物のように言うな」
「失礼。ごめん、怖がらせちゃったかな司馬懿殿」
「…平気、です」
「嘘。肩が震えてるよ」
「仲達に触れるな」
私が触れようとした司馬懿殿の肩を引き寄せ、私から引き離すように曹丕殿が強く抱き締める。
ああ、この二人。
ただの主従ではない。体だけが目的の排泄的な関係でもない。
友情よりも親愛よりも上。
曹丕殿が司馬懿殿に向ける視線は愛情がこもっている。
ただ何処となく感じる二人のぎこちなさに、最近恋人になったばかりなのだろうと悟った。
ほろ酔いで体を焦らされたままの司馬懿殿。
半端な快楽を与えられてしまったのが苦しいのだろう。
司馬懿殿は頬を染めたまま、曹丕殿の腕の中から動かない。
正しくは動けないのだろう。
「曹丕殿は司馬懿殿が好きなの?もう告白はした?」
「お前に話すつもりはない」
「冷たいね。曹丕殿との関係が無ければあのまま司馬懿殿を抱くつもりだったんだけど」
「…その口、閉ざさねば斬るぞ」
「失礼。知らなかったもので。本気、なんだね」
「……。」
「恋人なら、証拠を見せてくれるかな?」
司馬懿殿を帰らせようとしている曹丕殿を敢えて挑発し止めた。
こんな体の司馬懿殿をこんな夜更けに一人で帰すなんて、何が起きてもおかしくはない。
私だったらとっくに持って帰っている。
曹丕殿との関係を知らないままなら、あのまま確実に持って帰っていただろう。
「何を、見せろと」
「二人が恋人同士だって証明してくれないと、私は邪魔をされたままなのでね」
曹丕殿が舌打ちをした後、手摺にふらつく司馬懿殿を支えるように再び胸に埋めた。
曹丕殿と司馬懿殿の身長差は恋人としては理想的で、曹丕殿の腕の中に司馬懿殿はすっぽりと埋まる。
その場所が落ち着くのか、司馬懿殿はゆるりと笑った。
ああ、そんな風に笑うんだ。
曹丕殿にしか見せない笑顔なんだろう。
もっと色々な表情を見てみたい。
でもそれはきっと、曹丕殿にしか許されていないのだろう。
口付けた時に見せた涙と握り締める拳を見れば、司馬懿殿の想いなんて直ぐに解った。
「…立ったままでは司馬懿殿が可哀想だ。近くに仮眠室がある。そこで話そう」
「解った」
「酔った相手を肩に担ぎ上げるなんて駄目だよ?お姫様みたいに横に抱いてあげてね」
曹丕殿は司馬懿殿を横に抱き、私の後に続いて回廊を歩く。
熱い司馬懿殿の吐息が寒空に浮かんだ。
仮眠室の扉を開けて、曹丕殿を招き司馬懿殿を寝台に寝かせた。
胸で息をして苦しそうだ。
曹丕殿は直ぐ横に座り、司馬懿殿の襟元を緩め胸元をはだけさせた。
「ねぇ、してあげないの?」
「…するにしても、お前には見せぬ」
「証拠見せてって言ったじゃない。恋人である証拠がないなら私が抱いてもいいよね?」
「…ふざけるな。父の軍師であろうと許さぬぞ」
「なら見せて。司馬懿殿はどんな風に泣くのか」
ずっと生殺しのままで、早く抱いてあげないと可哀想だ。
曹丕殿が手を出さないのなら、私が手を出してもいい。
そう言うと曹丕殿は舌打ちし、司馬懿殿を後ろから抱き締めるようにして寝台に腰を掛けた。
「…子桓様…?」
「仲達の肌を見せるつもりはない」
「それでいいよ。でも私にも少しだけ触らせてくれないかな?」
「断る」
「こういう事は私の方が上手いと思うよ?」
司馬懿殿の首筋から胸元を指でなぞり、そのまま下の方に手を滑らせた。
唇を噛む仕草を案じ、曹丕殿が顎を掴み司馬懿殿に深く口付ける。
司馬懿殿は曹丕殿の口付けを受け入れ、怖ず怖ずと舌を絡めている。
口付けに応える司馬懿殿は初々しく、たどたどしい。
それが凄く可愛らしい。
司馬懿殿のを服の上から擦り上げると、司馬懿殿は肩を強ばらせ曹丕殿から唇を離した。
「っ…ん…」
「郭嘉」
「司馬懿殿の肌は見ないよ。でもこんなに放置してたら可哀相だ」
「…っ」
「このままだと服を汚してしまうね?」
「…仕方あるまい」
曹丕殿が脚を開かせ下穿きを脱がす。
耳元で一言二言囁くと司馬懿殿は眉を寄せて、曹丕殿の胸に背中を預けた。
そのまま曹丕殿は司馬懿殿の後ろの方に指を這わせ、指を入れていく。
まだきついのだろう。司馬懿殿は眉を寄せて涙を流していた。
「待って。入れるならこれを塗ってあげて」
「…何だこれは」
「受ける方は凄く痛いのだから、優しくしてあげて。何なら私が塗ろうか」
司馬懿殿のを擦り上げるのを止め、とろりとした潤滑油を股に垂らした。
その滑りを借りて司馬懿殿の中に指を易々入れると一気に奥まで入るようだ。
抱かれる事自体は初めてではないのだろうが、処女と殆ど変わらぬ司馬懿殿の仕草に煽られる。
司馬懿殿は私から与えられる快楽に曹丕殿の袖を握り、身を震わせていた。
からかうつもりだったのに、気持ちはどんどん本気になっていく。
「しかん、さ…ま…」
「退け郭嘉、…早く終わらせてやりたい」
「ん。もう頃合みたいだよ?司馬懿殿はずっと君を待ってる」
「かくか、どの…」
「こんな事をしてごめんね。色んな君を見てみたくて」
司馬懿殿の中から指を抜くと、糸が引いた。
綺麗な顔をして厭らしい人だね、と耳元で囁くと顔を真っ赤にして曹丕殿の腕に埋まった。
「…仲達、力を抜け」
「ぁ…、ん…っ!」
「可愛いよ司馬懿殿」
「みないで、くだ…さ…っ」
「駄目。繋がっているところよく見せて?」
後ろから抱き締めるようにして曹丕殿が司馬懿殿の中に挿入していく。
潤滑油のせいで滑りがいいのか、体重がかかって直ぐに最奥を突いたようだ。
司馬懿殿のがもう限界だったが、敢えて果てさせずきつく根元を握り締める。
「…っ…ぁあ!」
「きつくなったでしょ曹丕殿」
「っ…止めろ、離してやれ」
「そのまま突き上げてあげれば、きつく締め付けると思うよ」
「…貴様、後で覚えていろ」
「後でなんて知らないよ。私は今を楽しみたいんだ」
果てたくてぽろぽろと涙を流す司馬懿殿の頭を撫でてやると、
曹丕殿が意を決したように司馬懿殿を突き上げ始めた。
深い突き上げに司馬懿殿が座っている事が出来ず、私の胸に埋まる。
「や、ぁ…あ…!」
「…これは酷い生殺しだね…」
「そのまま支えていろ郭嘉」
「はな、し…っ…」
曹丕殿に突き上げられる度に、司馬懿殿が私の胸の中で喘ぐ。
司馬懿殿の甘い声は曹丕殿を字で呼び、決して私を見る事はない。
ああ…、羨ましい。
「かく、か…どの、はな、し…」
「なら一度だけ、司馬懿殿にお願いがあるんだけどいいかな?」
「な、に…?」
「ああ、もう…果てたくて仕方ないんだね?」
司馬懿殿の顎を掴んで上を向かせると、快楽に潤んだ瞳で私を見つめた。
曹丕殿が司馬懿殿の腰を掴み、更に奥を突く。
「っは…やく…!」
「良いよ。私のお願いは、一度で良いから君に字を呼んで欲しいって事なんだ」
「…?」
字で呼び合う二人が羨ましいのは事実。
そして司馬懿殿が愛しいのも事実。
からかうつもりだったのに、いつの間にか司馬懿殿に夢中になっていた。
でも、もう司馬懿殿は曹丕殿のものだ。
なら一度だけでいいから夢を見たい。
私にはあまり時間がない。
「呼んで、仲達?」
敢えて字を呼ぶと、曹丕殿が眉を寄せ私を睨んだ。
司馬懿殿は甘く快楽に蕩けた声で私の方を向く。
「っ…ほうこ、う…どの…」
「ふふ、もう一回」
「…奉孝殿」
「よく出来ました」
司馬懿殿の頬を撫でてやると、曹丕殿が私の腕を掴んだ。
その腕には痛いぐらいに力がこもっている。
「郭嘉」
「…好きになってごめんね司馬懿殿。曹丕殿に可愛がって貰うんだよ?」
司馬懿殿の額に口付けて、曹丕殿の胸の中に司馬懿殿を戻して手を離した。
二人に手を振り、扉を閉めて部屋を出る。
室内からはまだ司馬懿殿のくぐもるような声と寝台の軋む音が聞こえていた。
「まさか、この郭奉孝が失恋とはね」
酒を呷るように飲み干し、回廊にしゃがみ込んだ。
ほろ酔いで盃を呷り、月に向かって愚痴る。
「可愛すぎだよ…全く羨ましい限りだ」
「お前にはやらん」
「やぁ、終わったの?司馬懿殿は大丈夫?」
「疲れて眠っている」
「そっか。悪い事をしたね」
扉を開けて、私の横に立ったのは曹丕殿だった。
曹丕殿から司馬懿殿の白檀の香りが匂う。
「…司馬懿殿、可愛いね。大切にするんだよ」
「お前に言われずとも」
「君が大切にしないなら、私が奪ってしまうよ?」
「させるものか」
「その意気や良し。良かった…司馬懿殿は君にとても愛されているんだね」
立ち上がって曹丕殿の肩を叩き、おやすみ、を告げて去ろうとしたところ。
曹丕殿に肩を掴まれた。
「…何故、あのような事をした?」
「証明が見たかったんだよ。それだけ」
「本心を言え」
「やだな。私は軍師だよ?本心なんて言う訳ないじゃない」
「話せ」
「…怖いって。解ったよ」
曹丕殿の視線には殺気がこもっていた。
怒ると殿に似てるな、なんて思いながら曹丕殿の手を退けた。
「まさかね、後輩相手に失策するなんて思ってなかった訳」
「失策?」
「口説き落とそうとしてたんだけど、初めから失策だったなんてね」
「仲達を、か」
「跳ねっ返りだけど、さっきみたいな顔見せられたらたまらないって言うか」
「悪趣味すぎるだろう…人の情事を見るなど。それにあれは」
「解ってるよ。司馬懿殿も曹丕殿の事が相当好きみたいだね」
「…彼奴は、口ではそうは言っていない」
恐らく司馬懿殿は曹丕殿に直接思いを伝える事が少ないのだろう。
そもそもこういう事に慣れているとは思えない。
曹丕殿が一瞬、淋しそうな顔をしたのを見逃さなかった。
「言わないだけで、司馬懿殿は曹丕殿の事を愛しているよ。とても、ね」
「何故そう言い切れる」
「せいぜい思いがすれ違わないように大切にしなよ。司馬懿殿は君を選んだのだから」
曹丕殿の肩を叩いて、回廊を去った。
冷たい夜風に酔いが覚めそうになる。
まだ、夢に酔っていたいのだけれど。
私の字を呼ぶ司馬懿殿の声がずっと耳に残っている。
もう諦めた、と言えば嘘になる。
「ごめんね」
空に向かって司馬懿殿に謝っても伝わる訳でもあるまいに。
何となく夜空に呟いた。