親思おやおもこころにまさる親心おやごころ

本日は父上が休みと聞いて父上の部屋を訪れた。
いつもならもう出仕している時刻だが、父上は静かに寝台でまだ眠っていらした。

たまの休みだ、寝かせてくれと父上が母上に仰っていたのを昨晩見ている。
母上は今朝早く出掛けられたので家にはいない。

家にいるのは私と昭と、父上だ。

「兄上、どこー」
「昭、静かに」
「あ、兄上。昼食どうします?今日母上は夕刻まで帰って来ないって」

廊下を騒がしく昭が走ってやってきた。
母上がいないので、食事が未だなのだ。

私が指を立てて昭に注意すると、父上が眠っているのを見て昭は声を抑えた。
父上が身動いだが起きる事はなかった。



昨晩もお帰りが遅かった。
ここ最近執務ばかりだし、先日は内戦もあった。
父上直々の御出陣に私達もついて行ったが、父上は何処か本当に疲れていらっしゃった。
いつも疲れたお顔をされている父上に何かして差し上げよう。
昭に話すと、少し首を捻りながら寝台に座った。

「どうします?」
「父上に何か作って差し上げたいのだが」
「俺達で?」
「他に誰がいる?」
「うへぇ…、俺、そんなに料理とか詳しくないんですけど」
「私もだ」
「因みに肉まんは作るの大変ですよ?解ってます?」
「う…」
「母上が作るならまだしも、肉まん作るつもりなら買ってきた方が早いです」
「それだと味気ない」
「兄上、此処で話すと父上が起きちゃうかも。きっと夕方まで寝てるつもりでしょうし、部屋を変えましょう」

昭に手を引かれて父上の部屋を後にした。
居間に移動して改めて頭を抱える。

「料理なら父上の方が遥かに上手いですよ」
「それを言われてしまったら、そうなのだが」
「父上が喜ぶ事って何でしょうね。俺達に出来る事って少ないかも」
「そうかもしれぬ」
「じゃあ、何か差し上げるとか。父上が喜ぶ物」
「難しい事を」

改めて考えてみると、私と昭で父上に出来る事は少ない。
戦働きなれば勿論尽くす所存ではあるが、軍略や知略において父上には適わない。
どちらかと言えば、私達は父上に助けられていて頭が上がらない。
今の官職に就いているのも父上あっての事だ。

物欲に乏しい父上の事。
書簡を読むのが好きなのは重々承知しているが、何か差し上げたところで、
父上が読んでいない書簡などないような気もする。
何より、無駄を嫌う性格の父上に既存の書簡を差し上げてしまう事は避けたい。

書簡は駄目だ。父上の方が詳しい物は駄目だ。










昭と台所にある物をあさっていたら、母上がちゃんと昼食を三人分作ってくれていた。
結局私達が作る必要はなかった。
母上が何も用意せず出掛ける訳もないか、と昭と顔を見合わせた。

とりあえず父上と食べよう、と。
用意された昼食を蒸籠で温めて、父上を呼んだ。



顔を洗い、父上は簡易な部屋着に着替えてやってきた。
とても眠そうに上座に座る。髪も結っていない。
私達の企みは言わないでおこうと昭と口裏を合わせて、父上を迎えた。

黙々と食べる父上を見ながら、何を差し上げたらいいだろうと眉間に皺を寄せていた。
父上が私をじっと見ている事に気付き、はっとして顔を上げた。

「どうした」
「いえ、別に何も」
「何か悩み事か?」
「悩み事、ですね」
「それは私に話せない事か?」

父上が食事を終えて、私の額を指で押した。昭が笑っている。
父上は私の肩を叩き、笑って席を立った。

「眉間に皺を寄せていると曹丕様みたいな顔になるぞ」
「それは嫌です」
「ふ、それは酷い嫌われようだ」
「父上?」
「眠い。書簡を読みながら寝直す」

今日は一日ゆっくりしていたい。
父上はそう仰ると、欠伸をしながら部屋に戻った。




昭と食べ終わった皿や蒸籠の後片付けをしながら苦笑する。

「うーん、やはり父上はなかなか鋭い。手強いですね。あと兄上が分かり易すぎる」
「仕方あるまい。他ならぬ父上の事だ。…だが、二十余年と父上と暮らしているというのに、嘆かわしい話だ」
「だって父上って、小さい頃は何あげても喜んだじゃないですか」
「ふむ…。小さい頃は何をあげただろうか」
「そうですねぇ」

昭と食器を片付けながら考えた。
幼い頃から私も昭も父上が大好きだったし、母上と一緒に色々なものを贈ったと思う。

唯一喜ばなかったのは、初陣だろうか。
私も昭も、初陣を迎える時は父上と戦を御一緒したが、その日だけ父上は嬉しそうではなかった。

首級をあげても、喜んではくれなかった。
今ではよくやった、とは言ってくれるもののそこに笑みはない。

「私達は父上の役に立っているのだろうか」
「何です突然」
「父上はよく笑うが、嬉しそうに笑うところはなかなか見ていない」
「…言われてみれば」
「喜ばせて差し上げたいが、何をしたら良いのか」
「はは、いやしかし、兄上の父上好きは本当に相変わらずで」
「何が悪い?」
「いえ、何も悪くないです。すみません」
「…父上は何を召し上がるのがお好きだったか」
「茶、ですかね。酒は好まれなかった筈です」
「茶なれば」
「父上や母上の方が上手い」
「…だな」

外は雨。
昭と母上に頼まれた洗濯物を部屋干ししながら考える。

何処かお食事を御馳走しようかと思ったが、親に奢るなど十年早いわと怒られたばかりだ。
逆に十年経てば御馳走しても良いのかと首を傾げる。

御祖父様は厳しいお方だ。
父上も母上も茶の作法は心得ておられるし、今更私達が手を出す物でもあるまい。

食事も茶も駄目か。




どうにも解決しない。それにじめじめした部屋にいるとイライラしてしまう。
そういうところも、父上から受け継いでしまった。


お邪魔になるかもしれないが、父上の傍にいたい。
父上の部屋は書簡が沢山置いてある為、比較的涼しい。

母上に言いつけられた家事は終わった。
昭は少々苦笑いをしながら私の後ろを歩く。

「どうした」
「父上に何て言おうかなって」
「何かしでかしたのか」
「いや、何もしないで父上の傍にいるのって久しぶりだからどうしたらいいんでしょうね」
「…そうか、私も始めてかもしれぬ」

父上の傍にいる時は食事をしている時か、執務を行っている時。
或いは戦、子供の頃とて父上から課題を与えられていた。

何の用もない、と言えばそうなのだが。何もする事がない、と言う訳でもない。
私も昭も勿論やる事はあると言えばあるのだが、急ぎではない。


今日くらい良いではないか、と言った具合だ。

「では、めんどくせ、と言う事で」
「はは、それ父上の前で言うと怒られますね」
「ふ、たまには良かろう?」
「兄上にしては珍しい。父上が何て言いますかね」
「お前と違って日頃の行いが良いのでな。怒られはしないだろう」
「あー、はいはい。すみません」

結局何をしたらいいのか、何を差し上げればいいのか思いつかなかった。
私も昭も、まだまだ父上の事が解っていないようだ。

周りの将軍に聞けば、いろいろ教えてくれるだろう。
母上に聞けば助言が得られるだろうし、曹丕様に聞けばほぼ正解が聞けるだろう。
今回はそれが癪だった。私達で解決しなければ意味がない。

何もない。何も出来ない。けれど、一緒にいたい。
それだけだが、父上は一緒にいてくれるだろうか。


怒られないか、少し怖い。








許しを得て父上の部屋に入ろうとするも、返事がない。
また眠っていらっしゃるのだろうか。

「父上?」
「お、やっぱ涼しい。あらら、寝ちゃってますね」

扉を開けると父上は竹で作られた床の間の近くで横になっていた。
寝台の敷布が干してある。やはり湿気が酷いようだ。

書簡がいくつか干されている。
どうやらその作業中に書簡を読み耽り、眠ってしまったようだ。

「枕くらい…、ああ、枕も干されているのか」
「裸足でこんなとこで。ああ、でも床冷たくて気持ちいい」
「ほう」

適当に一纏めにしていらっしゃるのでせっかくの綺麗な黒髪が台無しだ。
枕も使わず横になっているので、色々と酷い。

傍に座り、私の膝を枕代わりに父上の頭を乗せて髪を整えようと櫛を持った。
昭も傍に座って書簡をまとめる。

「父上、肌白いなー。相変わらず細いし。きちんと食べてるんですかね」
「確かに心配になる」
「脚がぱんぱんだ。父上起きちゃわないですかね」
「うん?何をするつもりだ」
「こり解し。脚は大事ですからねー」

よじよじと昭は父上の下半身の方に座り、父上の脚を擦ってこりを解す。
いつも腰が痛い、と仰るから私は腰でもお揉みしようか。





そう思案しながら髪を梳かしていると、父上が気持ちよさそうな声を出して目を覚ました。
眠そうに少し欠伸をして私を見上げる。

「ん、何だ、急に…」
「起こしてしまいましたか?」
「あ、すみません」
「心地良い…、上手いな昭。そのまま続けていて欲しい」
「いいですよ。力抜いてて下さい」
「む…」

昭ばかり褒められるのは面白くない。
髪をまとめ終わり、父上の上体を起こして私は私で肩や腰を揉んだ。

「っふ、急にどうしたのだお前達」
「…昭と、色々思案していたのです」
「うん?」
「父上に何が出来るだろう、って。でも周りと比べたら俺達って出来ない事ばかりで」
「余所は余所。うちはうちだ。それにお前達はよくやってくれる」
「そうでしょうか」
「其処、が良い」
「あ、はい」

父上は朗らかに笑いながら私の頬を撫でた。
それは何処か楽しそうに笑う。

「お前達はまだまだ若い。出来ない事の方が多かろう。それだけ伸び代があると言う事だ」
「まだまだ父上の背中を追いかける事に精一杯で」
「…、そうか。こんな私でも、お前達は背中を見てくれているのだな」
「父上?」
「っ、昭、其処はくすぐったい、から、やめろ」
「えー?」
「こ、ら!っふぁ」
「痛い痛い!顔はやめて下さい!」

わざと昭が脚をくすぐって、父上に軽く蹴られていた。
昭が顔を抑えていると、父上が昭の顔を撫でて胸に埋めた。




昭がぽかんとした顔をして父上を見上げる。私も肩を引っ張られて父上の胸に埋まった。

「師、昭よ」
「はい」
「はい」
「並みの父親になれず、すまなんだ。お前達が子供の頃は、なかなか構ってやれなかった。
私はどうも、父親と軍師を両立出来ないらしい」
「いいえ。私は父上を誇りに思います。貴方様が父上で良かった」
「そうそう。何言ってんですか父上らしくもない。それに父上より大きくなりましたよ」
「…そうか」

今なら聞ける、だろうか。私達が父上にしたかった事。
昭と目を合わせて父上を見上げた。

「うん?」
「父上、私達に何をして欲しいですか?」
「父上の欲しいものって何?」
「何だ二人揃って」
「教えて下さい。今日一日、父上が居られるのなら」
「なれば、そうだな…」

父上はそんな事でこそこそと悩んでいたのか、と笑って私達の頭を撫でた。
そんな事、か。少し落ち込みつつ父上の言葉を待った。

「傍に居てくれるか」
「!」
「?」
「いや、な。私は存外…、その、やはり言うのは止めた」
「何です?」
「あ、父上可愛い。父上寂しいんでしょー」
「!」
「う、煩いわ」

鈍感なところまで父上に似てしまったのか。
昭は母上に似て、こういう事に敏感なので直ぐに気付く。

つまり父上は、私達に傍に居て欲しいのだ。







私も何処か、父上を可愛らしいと思ってしまった。

「何をしましょうか」
「お前達と、家でゆっくりしている事が私は今一番幸せだ」
「はは、左様で」


父上に腰揉みと脚揉みの続きを強請られ、私達は笑って願いに応えた。
横になる父上は嬉しそうに笑っていた。


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