嘘だ。これは現実ではない。悪い夢だ。
信じられる訳がない。
腕に抱いている仲達の体が徐々に重く冷たくなっていく。
目を開けない。声も発さない。
仲達が今まで生きていた証が、左胸から脈々と流れ落ちていく。
ただ一矢が仲達の背から左胸を貫いていた。
天下を決した戦。
蜀を下し、呉を下し。反曹を掲げる勢力は決戦によって討ち滅ぼした。
曹魏の天下が成ったのだ。
皆が勝ち鬨を上げる中、一矢報わんとした敵の矢は、次代を継ぐ私を目掛けて放たれた。
魏の勝利を知らしめん、と高揚し皆に語る父を私は見上げていた。
矢は背後から至近距離で射られ、構える事すら出来なかった。
「子桓様…っ」
いつも傍に居た。
今日も傍に居た。
執務室であれ、戦場であれ、仲達はいつも私の人生の傍に。
故に、私を。
肉が斬り裂かれ、突き刺さる音。
怒号に近い声に振り向くと、仲達は既に私の背後で矢を受けていた。
態勢を崩した仲達はそのまま私の胸の中に埋まる。
左胸から流れる血は私の白い服を赤く染め、蒼い外套を紫に染めた。
未だに事実であると受け入れがたい。
私の腕の中に受け止めた仲達は既に息をしていなかった。
手を持ち上げても、声を掛けても、抱き締めても。
もう何も言葉を発してくれなかった。
「…仲達、仲達」
「曹丕殿、司馬懿殿はもう」
「黙れ」
私に矢を射ったのは我が軍の兵士であった。
敵と内通していたらしく、魏軍将兵の姿をしながらも中身は蜀の残党だった。
其奴を横目で見た後、右手を振り下ろすと首が飛んだ。
他に内通者がいないか探し出すよう、賈クが私の代わりに指揮を取る。
勝利に酔いしれるのはまだ早々であったと、軍を動かした。
私は今とても、他の事を考えられる状態ではない。
先程まで私と話をしていた筈だった。
魏の勝利を高らかに皆にお話し下さい、とそう言っていた。
私にゆるりと微笑み、その声で私と共に生きていて良かったとそう言った。
事切れた体から徐々に失われる熱と血を止めたくて、強く抱き締める。
たかが矢ひとつ。されどその一矢が簡単に仲達の左胸を貫いた。
人の体は脆く、命は儚く呆気ない。
何の準備も覚悟も出来ていない。仲達を失う事など考えた事がなかった。
魏の天下を取ったとて、お前がいない天下など何の意味があると言うのだろう。
供の者に案内され、そのまま仲達を横に抱いて幕舎へ下がった。
せめて、これ以上体を傷付けまいと仲達の胸から矢を抜いた。
もう何の心音も聞こえない。吐息もない。
夥しい出血に手が紅く染まる。仲達はこんなに重かっただろうか。
微かに残る体温が物凄い速さで失われていくのが解った。
「約束したではないか。これからも私と共に生きると」
至近距離からの一矢、即死だったのだろう。
苦しまずに逝けたのだと思えば、少しはましだったのだろうか。
仲達の薄い胸に私の外套を着せて包み、抱き締めた。
感謝の言葉も、別れの言葉も、何も伝えられなかった。
よくやった、とも。ありがとう、とも。さようなら、とも。
愛している、とも伝えられなかった。
幾年月の人生を共に過ごし、互いに歳を取り、老いさらばえて何れ死ぬものだと思っていた。
互いに孫が出来るまで生きて、共に居られたら良いとそう思っていた。
天下と交換だと言うのならば、仲達の命は等価に値しない。
私の世界に、仲達がいないなんて考えられなかった。
「仲達、仲達。ほら、起きろ」
眠っているだけのように見える整った白い顔。
本当につい先程までは生きていたのだ。
つい先程までは私と話をしていた。
「頼む…。策ならもう私は騙された。だから、起きてくれ」
ほんの一刻前だ。
漸く手に入れた天下と、これから訪れる平穏を夢見ていた。
二人きりになり、仲達に口付けをして抱き締めた。
これからはもっとずっと一緒に居られると、そう言って何度も口付けた。
これからもずっと共に生きよう、と。
ずっと傍に居て欲しい、と。
そう約束して、口付けた筈だった。
「…私を護った、のか…」
大儀であった、と。
父や他の者ならばそう言うだろう。
だが命を散らした事を褒める事が出来ようか。
「…仲達、先程まで私と話していたではないか」
仲達の血で濡れた指で頬をなぞると、まるで仲達が血涙を流しているようになった。
鳶色の眼は既に光が失われ、固く閉ざされ開かれない。
そのまま冷たい唇をなぞり口付ける。
仲達の口内の中から溢れた血の味がした。
寧ろ血の味しかしない。
もうあの声も聞かせてくれない。
気付けば、雫が頬を伝う。
雨でも降っているのかと思ったが、どうやら私は泣いているらしい。
余りにも突然の事に感情が追い付かず、漸く涙が出たように思う。
泣いていると自覚した後は、涙腺が壊れたかのように涙が溢れて止まらなかった。
もしも、時が戻せるのならやり直したい。
もしもやり直す事が出来るのなら、仲達と引き換えに私の命を捧げても良い。
天下が取れなくても良い。
戦場に仲達を伴わなければ良かったのか。
仲達が私の教育係でなければ良かったのか。
仲達が魏に出仕せなんだら良かったのか。
私と出会っていなければ仲達は生き長らえていたのかもしれない。
だが、もう何もかもが手遅れだった。
たらればで物を語ったところで、今更どうする事も出来はしない。
私には耐えられそうにない事実。
なればいっそ、私も仲達と共に。
咄嗟に過ぎった考えに手が動き、剣に手を伸ばす。
突如、その剣を棒で弾かれた。
見上げれば、郭嘉が其処に立っていた。
「…曹丕殿。ほら、ちゃんと立って。どんなに強く抱き締めても、彼はもう還ってこないよ」
「黙れ。貴様に何が」
「彼に生かされたんだ。あなたまで命を投げ出すのは許さないよ」
「………。」
「申し訳ない。私が内通者を看破出来ていたら」
「たらればで物を語るな」
「そうだね」
背後から来た郭嘉が背中を叩く。
これは酷い顔だ、と私に濡れた布巾を渡し去っていった。
その布巾で私の顔を拭う前に、仲達の顔を拭ってやった。
布巾が赤黒く滲む。
整った顔立ちに長い睫毛。どう見ても眠っているようにしか見えなかった。
師や昭にはまだ知らされていない。
我が軍も先ずは勝利に酔いしれたい事だろう。
暫し仲達と二人だけになり、現実を受け止める事に努めた。
もう仲達は目を開けてくれないのだ。
天下は魏の元にひとつとなり、父は魏王となったが実権は私に委ねられた。
これからはお前達の時代だと、父はそう言った。
並行して仲達の葬儀の支度も整っている。
厳粛に執り行われた葬儀で父が弔事を読み上げた。
師と昭を見かけたがかける言葉がなかった。
私とてまだ心の整理が追い付いていない。
仲達を慕う人間は多い。
その者らが私に声を掛ける度に、仲達はもう隣に居ないのだと実感した。
幾度となく故人を見送った私でも、これは暫く立ち直れないだろうと何処か他人事のように考えてならない。
大丈夫ですか、とも聞かれた。
大丈夫、な訳がない。
その夜。仲達に逢いに行った。
二人きりになりたかったのだ。
傷口を塞がれ、身なりを整えられた仲達は本当にただ眠っているだけのように見える。
「…綺麗にして貰えて良かったな」
顔に掛けられた布を取る。
沢山の白い花に囲まれて、仲達は眠っていた。
明日、棺に入れられればもう触れられない。
土の中に埋まってしまう。
今一度口付け、仲達の手を握った。
勿論もう握り締めてはくれない。
「…死ぬなと、言われてしまった」
仲達の手を握り締めたまま床に膝を着き、目を閉じた。
私のせいだと思い込めば思い込む程、心が引き裂かれそうになる。
子桓様、と。
最期に仲達は私の字を呼んでくれた。
其れが最期の言葉だった。
其れが最期に聞かせてくれた仲達の声だった。
「最期の夜だ。お前の傍に居たい」
また視界が滲む。
未だに不意に涙が零れ落ちる。
いい加減私も認めるべきだ。
私のせいで、仲達は死んだのだと。
先程は会わなければ良かったのではないか、とまで考えた。
だが、仲達が居なければ今の私はない。
冷徹な子供だった私を、仲達は人間らしく育ててくれた。
仲達に出逢っていなければ、私は今此処には立っていない。
仲達は私に人に恋する事、愛する事も教えてくれた。
「…ありがとう。仲達に出会い、私は沢山の幸せをお前から貰った」
私は心から仲達を愛していた。
今も愛している。
こんな気持ちはもう二度とないだろう。
「辛い記憶なら忘れてしまえば良いのだが、お前の事は私が死ぬまで忘れられそうにない…。
私の生は仲達亡くして…進む事はないだろう」
漸く伝えられた感謝の言葉。
何処か仲達が笑ってくれたように見えて頬を撫でた。
「……。」
柔らかい感触に目を覚ました。
泣き腫らした瞼が痛い。
いつの間にか寝台に寝かせられているようでぼんやりと天蓋を眺めた。
まだ夜中らしい。
ふと右腕に重みを感じ、其方に視線を向ける。
仲達が私の右腕を枕に横になっていた。
静かに寝息を立てて眠っている、らしい。
「仲達…?」
「……はい」
「生きて、いるのか?」
「?…どうされました、子桓様」
私の声掛けに仲達は身じろぎ、目を擦りながら私を見上げた。
私の様子を案じて、身を起こしてくれた。
鳶色の瞳の中に私が映っている。
確かにその声で私の字を呼んだ。
言葉に出来ない程、息が詰まり仲達を一頻り強く抱き締めた。
仲達は首を傾げながらも私の頭を撫でてくれた。
「怖い夢でも見ましたか?」
「悪い夢だ…」
「左様でしたか」
「暫く…このままで居させてくれ」
「はい」
仲達の心音を聞いた。
生きている。確かに私の腕の中にいる。
「…仲達」
「はい」
「仲達…」
「泣いて、いるのですか?」
「夢の中でも…ずっと泣いていた」
「瞼が腫れております…。冷やしましょう」
水差しの水で布巾を濡らし、仲達は私の目に当てた。
その手を上から握り締める。何処かまだ私の手は震えていた。
仲達の肩口に埋まり、背中に腕を回して強く抱き締めた。
仲達の胸の鼓動が聞こえるだけでどれだけ安堵しただろうか。
「…夢とは本来、直ぐに忘れるように出来ているのですよ」
「未だに覚えている…。私には耐え難い悪夢だ」
「悪い夢は思い出さず、お忘れなさい…。所詮、夢です」
「ああ」
「それでも不安でしたら私にお話し下さい」
「…解った」
「傍におります…。あなた様が眠れないのでしたら話し相手になりましょう」
子供のように泣く私の背中を、仲達は母のように優しく撫でてくれた。
武官ではない仲達の指は日に焼けてない為、白く細い。
「……。」
「子桓様?」
「っ、…ん」
「…ふ…っ」
そのまま指に甘えるように仲達に口付け舌を絡めた。
熱が通っている唇。
確かに仲達は生きていた。
全て夢だったのだろうか。
仲達の首筋に巻かれている包帯。見れば胸元や手首にも。
そうだ。
戦の後だったのだ。
仲達が負傷しながらも帰国して、私に勝利を伝えた。
仲達の怪我の安否を聞いて私は動揺し誰にも触れさせぬよう、独り占めするように仲達を部屋に連れ込んだ。
失うのが怖かった。
故にあのような夢を見たのだろうか。
前線に赴く仲達に対し、私は留守を預かる立場だった為、長期間直に会う事が出来なかった。
無事を確認するように仲達を抱き、離さぬように抱き締めて眠った。
長い口付けを終え、唇を離してやるとうっとりとした表情で仲達は私を見つめる。
仲達に濡れた瞳で見つめられては、私は堪えられぬらしい。
「…未だ、忘れられそうにない」
「私に関する夢、でしたか?」
「うむ」
「では、子桓様は…私の為に涙を流して下さったのですね」
「…ああ」
少し嬉しそうに仲達は笑う。
薄着だったので直ぐに仲達の肌に触れる事が出来た。
包帯には触れず、直に胸に触れ心音を確かめた。
確かに鼓動が聞こえる。
仲達が何か察したのか、頬を撫でて私に顔を寄せた。
少し心音が早くなったように思う。
「…何となく、あなた様の見た夢が分かりました」
「そうか」
「…子桓様はお話しをしなくて結構です。思い出してしまいますから」
「…解った」
「私は…此処に居ます。子桓様の傍に。先程も体の隅々まで触れて確かめて頂きました…。
それでも不安でしたら…もっと私に触れて下さいませ」
「…体は、良いのか」
「先程もお話し致しましたが、傷は多数あれど私の命に別状はございません…」
両掌で頬を包み仲達は私と額を合わせた。
私の額に口付けた後、腫れた瞼に唇を寄せる。
そのまま膝を立て、私を素肌の胸に埋めるように抱き締めた。
仲達の心音が耳に響く。夢に見た体温のない体とは違い、素肌はとても温かかった。
あれはやはり現実ではなく、悪い夢だった。
悪夢にしても酷すぎた。
仲達に触れている事で徐々に思い出せなくなってきたように思う。
生きている事を何度も確認するように左胸に耳を寄せた。
仲達もそれに甘んじ、私の頭を撫でてくれた。
心音が聞こえ、素肌から体温を感じられると漸く不安な思いが落ち着いてきたように思う。
何処となく仲達の膝が震えているように見え、身を案じた。
肌着の隙間から太腿に触れると、股から私の白濁が脚に伝っていた。
今宵仲達を抱いた名残がまだ体内に残っているのだろう。
この姿勢も事後の仲達には辛い筈だ。
「…すまぬ」
「?」
「…もう、大丈夫だ」
「はい」
膝で立たせるのを止め、私の膝の上に座らせると仲達は少し溜息を吐いた。
やはり辛かったのだろう。
仲達が自ずから口にしないのは解っていた。
頬に触れてその瞳を見つめると、鳶色の瞳に私が映っているのが見えた。
そのまま仲達の後ろに触れ、指を入れるとその瞳が閉じられる。
漏らす吐息を肌で感じ、そのまま仲達の中を解すように指を動かした。
「っは…ぁ…」
「体は大事ないか?」
「先程も、申し上げたでしょう…?」
「だが…」
「子桓様は心配性ですね…。まだ大丈夫、です」
沸々と与えている快楽に体が反応し、仲達の瞳が濡れてきている。
無意識に仲達の腰が引けているので、離れぬよう引き寄せた。
仲達がふ…、と笑い、私の額に口付け微笑む。
仄かに頬が染まると仲達は可愛らしい。
「でも、余り…酷くしないで下さいませ。明日とて執務がございます」
「無理をせず休めば良かろう。日頃の働きを省みれば父も咎めはしないだろう。
それにお前を手酷く扱った事など…、ない筈だが」
「…加減して下さいと、申したのです。腰が…立たなくなってしまいます…」
「善処は、する」
そのまま仲達の胸に口付け、痕をつけた。
仲達が頬を染めて恥ずかしそうに笑う。
中を解していた指を増やすと太腿に私の吐き出した白濁が伝い、その姿だけでも十分に私を誘った。
仲達は私のもので…、仲達も私を慕ってくれている。
首に絡めた腕と、うっとりとした表情で私に微笑む仲達から愛を感じた。
私の恋人。
素直ではないが、頭は切れる。仕事も出来るし、よく気が付く。
口は悪いが、凛とした美しさがある。
私とよく似て、一人で深く悩みやすい。
仲達は私にだけ、弱い自分を見せてくれた。
私を愛していると言ってくれた。
そんな仲達を私は愛している。
口論になった事も喧嘩をした事もあるが、仲達を嫌いになった事は一度もなかった。
仲達の心音が随分と速くなっている。
頬に触れる吐息も随分と熱く、仲達の体は火照って熱い。
「…余り、焦らすのは嫌、です…」
「欲しい、のか?」
「…そう言わせたい…のでしょう?」
「ああ…仲達にそう言われたい」
「…もう…、あなた様なら、私の事を解っている癖に…」
「無論。だが、体…だけではない。仲達の事なら、全て手に取るように解る」
「…ふ、子桓様は敵に回せませぬな…」
「その気もなかろう?」
「ええ…、あなた様を信じております…」
私の主はあなた様だけです。
頬を染め、私に口付けながら仲達は耳元で囁いた。
「…もう一度…子桓様を下さいませ」
「ああ…、仲達と一つになりたい」
「っ…、ぁ…!」
艶やかな声に応じ、仲達の頬に口付けながら腰を支えゆっくりと繋がる。
中の私の白濁が溢れて、脚を伝う。
艶やかな吐息を漏らし、強く抱き締めるように仲達は私を胸に埋めた。
「…仲達?」
「私は…この様に…、生きております…。あなた様の傍に…」
「…ああ」
「少し…こうして、居て下さい…。私も、あなたを感じていたい」
まだ体が馴染んでいないのだろう。
過ぎた快楽は与え過ぎれば苦痛となる為、仲達が落ち着くまで暫し動かさないでおいた。
私の膝に腰を下ろしている為、仲達の目線は少し高い。
膝は床に付いていたが、仲達の腰が引けて腰は下ろしきられていない。
仲達の心音が煩いくらいに私の耳に響いていた。
呼吸が落ち着いていないのだ。
下から仲達を見上げるように口付けると、仲達は私を見下ろすように唇を合わせてくれた。
少しは落ち着いたようだ。
深く口付けたまま、引けている腰を深く繋がるように引き寄せると、仲達がくぐもるように声を上げた。
感じてくれているのだろう。仲達の体は私を締め付けていた。
「っ…ふ…!」
「中から、溢れてきているな…」
「全部…、あなたの…でしょう…?」
「ああ…そうだ。お前は私のものだ」
「ぁ…は、っ…」
「良い声だ…。もっと私に聞かせよ」
声が聞きたい、と仲達に強請り少しずつ突き上げていった。
いつもなら仲達は恥ずかしがり声を堪えるのだが、私の強請りに応えて声を堪えなかった。
私の字を呼ぶ甘い声が耳に響く。
仲達が無意識に腰を動かしていた。
心音が煩い。呼吸も荒かった。
頬を伝う涙は温かい。
仲達は確かに私の腕の中で生きていた。
「…っ、仲達」
「は…、い…」
「もし、私が先に死んだら…お前は私の為に涙を流してくれるだろうか」
「そんなお話し…、今は…」
「今、だ」
「…私が、どれだけ…あなたを愛しているか…知らないの、ですか…?」
仲達はその話を聞いただけで、ぽろぽろと涙を流して眉を寄せた。
今でも涙が止まらぬというのに、涙を流さぬ訳がない。
仲達は涙を拭いながら目を擦り、私にそう言ってくれた。
私が夢見たように、仲達も私の為に泣いてくれた。
その仲達を慰めるように頬に唇を寄せ、涙に口付けた。
「すまぬ…。泣かせてしまった…」
「…そのようなお話し…、嫌です」
「…もっと言葉が欲しい。仲達の声が聞きたい。お前が生きているのだと…感じていたい」
「我が儘な人…。私は…、此処に居るでしょう?」
「ずっとお前の傍に居たい…」
仲達の呼吸が荒くなってきたのを感じ、もう果てそうなのだと察した。
共に果てたいと仲達に伝え、ゆっくりと寝台に寝かせて深く突き上げていく。
仲達の嬌声が耳に響き、脚は私の腰に回されていた。
一際強く私を締め付けて仲達は果て、私も再び仲達の中に果てた。
今宵何度目になるか解らない程に仲達の中に注ぎ込んでいる。
軽く気を飛ばし、仲達はくたりと寝台に凭れている。
私の首に回した腕と腰に回された脚の力が抜けるまで、暫く動かさぬよう仲達の頭を撫でた。
濡羽色の黒髪がさらさらと指の隙間から流れ落ちる。
つ…と流した涙を拭い、仲達を暫く見つめていた。
「…愛している。お前だけだ…。お前が居なかったら、私は…」
「……。」
「…気が付いたか。よく眠っていたな…。起きて早々で悪いが抜くぞ、力を抜け」
ぼんやりと朧気な瞳に私が映ったのを確認し仲達の脚をさすると、漸く腰から脚を下ろしてくれた。
仲達の身を案じながらゆっくりと引き抜くと、中に収まりきれなかった私の白濁が股を伝い溢れていた。
首に回された腕をさすり力を抜くよう促すが、仲達は私を離さず寧ろしがみつくように力を込める。
「…離れられぬではないか」
「離さないで、下さい…」
「…どうした?」
仲達の声色に何処かか細さを感じ、疲れさせていると思いはしたが其れ以上の動揺を感じた。
何かに怯えたような表情を察し、仲達から話してくれるまで私も仲達を抱き締めた。
私の腕の中の仲達は、本当に安堵してくれているように見えた。
頭を撫でる手に仲達から擦り寄る。
もしかしたら、暫く気を飛ばしている間に何か怖い夢でも見たのかもしれない。
さすがにこれ以上、仲達の体に負担を掛けるのは私が耐え難い。
仲達に一言許しを得て体の繋がりを解き、丁重に仲達を寝台に寝かせた。
私と離れるのが嫌なのか、そっと私の指を握っていた。
その手を取り、握り締める。
仲達がぽつりぽつりと話し始めた。
「人は…誰かを忘れる時、まず声から忘れるのです」
「ほぅ」
「次は顔。どんな顔をしていたのか…次第にぼやけて…」
「顔、か」
「最後は、思い出、記憶、その人が其処に居た事…存在を忘れるのです」
「そのような夢を見たか」
「皆が、あなた様が…私を…、知らぬと仰るのです。そのような者が居たか、と。
…私がまるで最初から居なかったかのように…」
「怖かった、のか」
「…淋しかった。私に誰も気付いてくれない。忘れられてしまった。
私の生きた過去も今も何もかも無意味に聞こえて…まるであなた様の夢の続きを見たかのよう」
「所詮、夢だ」
「…もし子桓様が私を忘れても…私はあなた様を覚えています…」
「淋しい事を」
「…愛しています…。あなた様が私を忘れても」
ぽろぽろと涙を流す仲達が本当にそのまま消え入ってしまいそうに見えて不安になった。
私に抱かれて疲労し、とても眠いのだろうがそのままずっと眠ってしまわないか怖くなった。
一体、どちらが夢なのだろうと不安にさえなる。
手を強く握り、涙に口付ける。その身を引き寄せて胸に埋めた。
仲達の束の間の夢に、私の悪夢が通じ、続けて見せられてしまったのか。
私が生涯唯一愛した人を、誰が忘れられると言うのだろうか。
「目、鼻、口、耳、頬…」
「…?」
言葉でひとつひとつ確認しながら、その場所に口付けていく。
指先から足先に至るまで、仲達の体を確認するように触れた。
仲達の瞳はまだ濡れていたが、私が瞼に口付けると少し落ち着いたようだ。
「話し方、肌の感触、体温、心音、吐息…」
「子桓様…?」
「私を呼ぶ声。忘れるものか…忘れたくない。忘れる訳がない…」
「…はい。私もきっと…子桓様と共に過ごした時を、ずっと。
人生の中で一番素敵な時間だったと、覚えておきます…。もう二度とないでしょう」
「私と恋仲になって、辛い事ばかりさせていないか?」
「いいえそんな…人の命とは何と短い事でしょうか。
あなた様とやりたい事が沢山あるのに…子桓様と一緒に居ると、時を短く感じます…」
「ああ。私を愛してくれているのだな…仲達」
「はい…、子桓様」
湿らせた柔らかい布巾で仲達の体を清め、肌着を着せた。
疲れて眠いだろうに、仲達は眠ろうとせず何処か遠くを見ていた。
また悪夢を見ないか、怖れているのだろう。
私が戦場に伴うが故に仲達の体は傷痕が多く、生傷が絶えない。
傷付けたい訳ではないのに、傷付けられる。
それが私には耐え難く、仲達に傷が付けられる度に腹が立った。
愛しているからこそ傍に置き、愛しているからこそ傷付けたくなかった。
人である仲達は、玉のようにしまって置く事も出来ない。
仲達を失う夢。仲達自身が見た己の消える夢。
嫌な予感が過ぎるが、先の事は私でも解らない。
正夢でない事を祈り、仲達を一時も離すまいと強く抱き締めた。
仲達の疲労も限界だろう。
疲れがたまっている。
眠るまで見守っていると仲達に伝え、髪や胸を撫でると仲達は目を閉じた。
疲労と睡魔には耐え切れず仲達は間もなく眠りについたが、私の手は離さなかった。
その手を握り締める。
「…逆夢だ。そんなものは」
この時世、仲達が先に死ぬ事も有り得ぬ話ではない。
無論、それは私とて同様の可能性がある。
天下は未だ定まらず、戦続きの乱世の終わりは未だ見えない。
私は剣を揮い軍を率い、仲達は知略を持って敵を殲滅せしめた。
冴え冴えとした策を奮い、血に濡れても眉すら動かさぬ仲達が唯一愛した私にだけ甘えるのだ。
互いが互いに唯一の弱みであり、支えなのだろう。
「…ん……」
「ん?」
「っ…」
私の腕の中で眠る仲達の頬に涙が伝った。
また悪夢でも見ているのだろうか。
小さく力を込め、私の手を握る。
その手を握り返し、仲達の耳に唇を寄せた。
「…忘れるものか。お前に出会わなければ、私は此処に居なかった」
「…っふ、っ…」
「お前がもし…先に居なくなったとて、私はお前を愛した事を忘れない…。
ずっと、お前だけを愛している…」
「…はい…」
「もし、私が…先に居なくなっても、お前は私を愛した事を覚えていてくれるだろうか」
「はい…」
「…仲達、起きているのか?」
仲達は返事をするが、まだ眠りについたままのようだ。
きっと夢の中の私に返答しているのだろう。
夢の中で、私に会えたのだろうか。
怖い夢は終わったのか、仲達は微かに笑った。
涙を拭ってやり、仲達を背後から抱き締める。
私に仲達の体温が移り、少し眠い。
「長い夜だな仲達…。」
一夜がとても長く感じた。
寝台に入ったのが早かったのもあるが、まだまだ夜は明ける気配がない。
仲達をずっとずっと独り占めして居られる長い夜。
二人きりで居られるのなら、ずっと夜が明けなくても良いと思った。
だが、この世に永遠などは有り得ない。
明くる日。
戦後処理を終え、ある程度の執務が片付き仲達を執務室ではなく私室に呼んだ。
昨晩、仲達を見守るがあまり浅い睡眠しか取れず集中力が欠けている。
その仲達も休めば良かろうに忙しなく執務をこなしていた為、昨晩の事もあり身を案じて私が呼び付けた。
事後の次の日の朝であれば尚更、恋人を他人に晒したくないのだ。
仲達が部屋に入室するなり、冠や肩当てを外し靴を脱がせ寝台に寝転ぶように抱き締めた。
咄嗟の事に仲達も対応出来ず狼狽していたが、私が仲達を胸に埋めると落ち着いた。
仲達の胸に埋まるように背中に手を回し、子供のように甘える事を仲達は許してくれた。
「もう…抱き枕ではございませぬと言うに」
「抱き心地が良くてな…。お前の体温は落ち着く」
「…疲れているのですね」
「眠いだけだ…。昨晩は眠れたか?」
「はい…。夢か現か解らぬ子桓様との夢を見ました」
「良い夢だったのか?」
「…夢は、人に話すと正夢にならないと聞きます」
「其れならば」
「はい。私が、あなた様より先に死ぬ夢でした」
「何処が良い夢だ…」
ふと昨晩の夢を思い出し、仲達の方に距離を詰めた。
生きているのに、死んだように話す仲達は何処か嬉しそうだった。
「…私が亡くなっても、子桓様は時折私の字を呼ぶのです。
私はもう姿も声もなくて…、あなたが見えているのに触れられないのです。
呼び掛けても聞こえる筈のない声に、あなたは応えてくれたのです」
「夢の中の私は、姿も見えぬお前に何と話していた?」
「私はお前を愛した事を忘れない。ずっとお前だけを愛している、と。
まるで私が其処にいるかのように、話しかけてくれました」
「仲達の夢の中の私は、現の私と然程変わらぬようだな」
「ええ。子桓様はいつでも、私の心の中に」
夢の中の私は、仲達の為に涙を流し、言葉を送り、偲ぶが故に花を贈ったと言う。
姿の見えなくなった仲達は私を見守り、傍をついて歩いていたらしい。
死後の世界など在りはしない。
死ぬ時は死ぬ。時が経てば己の天命はいずれ悟る事だろう。
そうして、仲達の夢のようにいつか皆から見えなくなる。声も聞こえなくなる。
時が経てばいずれにせよ忘れられるだろう。
ただ、一人でも居なくなった己を片隅でも覚えていてくれたのなら救われるのだろうか。
仲達の心音を聞きながら目を閉じた。
ふわりと頭を撫でてくれる仲達の手に甘えるように擦り寄った。
こうして仲達と過ごす時間とて、止まっている訳ではない。
時は止まる事がない。
私が心から甘えられる唯一の人。
ずっとこうして甘えていたいと願いながら、仲達に擦り寄った。
「…こうして居たいのですか?」
「ああ…。少しでもお前に触れたかった」
「昨晩から随分と甘えたがりですこと」
「…お前の身を案じていたのだ。大事ないか」
「はい。子桓様は私に過保護すぎます。…昨晩を思い出してしまうでしょう」
「…声を堪えぬ仲達は可愛らしかった」
「や、止めて下さいませ」
昨晩の情事。
子桓様、と何度も私を呼んでぽろぽろと涙を零しながら泣いていた。
仲達を抱きながら、実は何度私を呼んだか数えていた。
仲達も昨夜を思い出してしまったのか、私の顔を見なくなってしまった。
私の首に腕を回し、脚を腰に絡め、昨夜の仲達は私を受け入れていた。
昨夜と同じ私の私室、この寝台の上での話だ。
仲達と過ごした事を思い出す事は容易であったが、悪夢の内容は覚えていなかった。
仲達とずっと話していたからだろうか。
「昨晩、仲達に何度字を呼ばれたか…数えていた」
「?!」
「艶やかな嬌声の方が耳に残っているが…二十…数回」
「ばっ、馬鹿めがっ!何をして」
「正確には二十七回くらいか」
「そういう事ではないです…。ああ、もう…何を数えているのですか」
「可愛かった」
「止めて下さい…もう」
恥ずかしがる仕種が可愛らしく、気を良くし仲達の赤くなった頬に口付けた。
仲達は顔を隠してしまい、私に見せてくれない。
「覚えていたいのだ…何もかも、お前の事なら」
「私…?」
「お前が涙を流す時、必ず私が傍に居ると約束しよう」
「その様な事…」
「約束出来ぬと申すか。曹子桓を舐めるなよ」
「そもそも、私は泣きませぬ」
「其れこそ嘘だ」
仲達の胸から顔を上げて、今度は唇に口付けた。
仲達の目尻をなぞり、額に口付ける。
いよいよもって眠くなり、仲達の胸に埋まるようにして目を閉じた。
仲達が私の頭を撫でている。
「…私も覚えていますよ」
独り言だろうか。
仲達が私に向かって語りかけていた。
「あなた様と出会った時の事…。あなた様が私に初めて愛していると伝えて下さった事。
初めての夜…。あなた様は今までずっと…私の傍に居て下さいましたね」
それは違う。
お前が私の傍に居てくれたのだ。
そう伝えたかったが、眠気に勝てず仲達に擦り寄る事しか出来なかった。
仲達の鼓動が耳に響いている。
きっともう怖い夢も見ないだろう。
温かい胸に埋まり、眠りに落ちた。
眠りに落ちた筈だった。
仲達の腕の中に私は居て、仲達は私を抱き締めたまま眠りについていた。
静かな寝息が聞こえるのだが重みを感じない。
私は眠ってしまったのか、起きてしまったのか。
それともこれが夢なのか。
何度触れようとしても仲達に触れられない。すり抜けてしまう。
「仲達」
声も届きそうにない。
暫くして仲達は目を覚ましたが、私には目もくれず淋しそうな顔をして身を正して部屋を出て行ってしまった。
ああ、そういう事なのだろうか。
仲達の後を歩くも、やはり気付いてくれそうにない。
やはり私の姿が見えていないようだ。
別室に入ると師と昭が仲達に話し掛けた。
やはり私の姿には気付いていない。
身を案じる師の心遣いに仲達は二人の肩を叩いた。
「夢の中で…会う事が出来た。答えはもう出ている」
「どのような夢を?」
「さて、どちら側が夢…なのだろうな」
「父上、何のお話ですか?」
「私は未だ生きている、な…」
「父上?」
仲達と視線が合った。
仲達は気付いているのだろうか。
私の傍に歩み寄り目を閉じた。
「幸福な夢を生きた。幸せな幸せな夢だった…」
「生きた、ってそんな」
「幸せだった…。あの人が居たから、私も幸せだった」
「曹丕様の事ですか?」
「ああ。今も私の傍に」
「…父上、曹丕様はもう」
「解っている。姿も見えず、声も聞こえないが…此処に居る気がする」
やはり私が仲達に触れられないのは、そういう事らしい。
仲達はふわりと笑い、私に手を伸ばした。
触れられる訳ではないが、仲達の手に触れた。
「…行くぞ。師、昭」
「御意」
「はい」
さようなら、と一言。
仲達は私に囁き、武器を手に部屋を出て行った。
人肌の温かさに目を覚ました。
私はどうやら仲達の胸の中に居る。
「どちらが夢だ…」
「…子桓様?」
「仲達…?」
「はい。此処におります」
「…良かった。触れられるのだな」
「?」
体を起こし、仲達も身を起こした。
少し着崩れた襟元を直し、仲達の手を引いて回廊を歩いた。
師と昭、他に見慣れない男達が私達を通り過ぎて走って行った。
鉄錆の匂いと、血の匂い。
衛兵が幾人も倒れている。
どうやら城内は、戦場となっているらしい。
「これは…」
「いつかはこうなると思っていました…」
「仲達?」
「私の代では、抑えるだけでしたが」
「仲達、先程から何を言って」
「…師と昭が、良くやってくれているようですが、まだまだ…」
仲達は私と手を繋ぎ、肩を寄せて目を閉じた。
確かに感じられる仲達の体温に私も目を閉じた。
「そうか…、私達はもう」
「ええ。約束したでしょう…。私が涙を流す時は」
「傍に居ると」
「はい」
城内が燃えているのか、煙の匂いがする。
もはや肉体を持たぬ私達ではあったが、仲達の身を案じ手を引いた。
玉座の間には誰もいない。
変事があったのか、やはり血腥い。
手を繋いだ仲達の頬に静かに涙が伝っていた。
私の手を握り締め、肩に凭れる。
「…もうあの頃の魏は、此処にはありません」
「お前が、護っていたものか」
「はい…。あなた様を忘れまいと」
「私は此処に」
「あなた様はずっと、私の」
仲達の言葉は途中で途切れた。
「子桓様」
「…?」
「泣いて、いるのですか」
「また夢、か?」
「また怖い夢でも?」
「仲達…」
包帯の巻かれた手首が見えた。
所々傷付いた体の仲達が私の腕の中に居た。
見ればまだ、夜さえ明けていない。
日も昇っていなかった。
そのまま仲達を押し倒し、口付ける。
荒々しく肌着の隙間に手を入れ、そのまま中に指を入れた。
まだ、私のが残っている。
「…っ、ふ…」
「仲達…、此処に居るな?」
「は、い…」
「力を抜け」
幾度か指を差し入れた後、そのままゆっくりと仲達の中に挿入していく。
中にある私のが仲達の股に収まりきらず、脚に伝った。
急に事に及ぶような事を今までしなかった。
仲達も少々動揺しているのだと見て取れた。
仲達の体に気遣いもない抱き方をした事に心が痛んだが、そのまま仲達に腰を打ち付けた。
厭らしい水音が響き、仲達は私を見つめながらも咎めず、私に抱かれていた。
「…また、こわい…夢を…?」
「何処までが夢なのか、解らなくなった…」
「っは…、ぁ…子桓様…、熱い…」
「熱…、生きている証だ」
「ぁ…!また…中に…」
幾度仲達を抱いても不安が拭えない。
長々と明けぬ夜に仲達と捕らわれてしまった。
何処までが夢なのか、解らなくなってしまった。
痙攣し股を白濁に汚した仲達が寝台に沈む。
女であれば孕むように、仲達の奥深くに白濁を注ぎ込むよう、腰を上げさせ流し込んだ。
そのまま抜かず、また腰を揺らし突き上げる。
仲達が小さく痙攣しながら、また私を締め付けていた。
生を確かめ、仲達に溺れる。
仲達を抱いている時、自分が生きていると感じられた。
これが夢でないと信じられた。
「子桓様…、子桓、さ…」
「…何だ?」
「私…、も…」
「…?」
「こわい、夢を…」
私に抱かれながら、仲達は首に腕を回し自分から腰を動かしていた。
何度も口付けて、強く抱き締める。
私が死ぬ夢を仲達は見たらしい。
私は仲達が死ぬ夢を見た。
私達は互いを失う夢を見て、涙を流した。
これは夢か現か。
確かめるように仲達を再び抱いた。
寝台に沈む仲達の首筋を吸い、包帯を取り痕を付けた。
快楽に涙を流す仲達の頬に口付ける。
仲達の体は震え、最早腰も立たない。
「…もっと…、子桓様」
「お前も、同じ…か」
「子桓様に…、抱かれて…あなた様の熱を感じて、…漸く、生きていると…、信じられ…ます…」
「仲達…、お前が涙を流す時は…」
「はい…、傍に、居てくれる…のでしょう…?」
「…何れ永久に、仲達」
「いつ…約束しましたっけ…」
「さて、いつだったか」
何処までが夢で現か、解らない。
だが仲達を抱いた事、慰めた事、口付けをした事などは覚えていた。
私も仲達も一糸纏わず、互いの命を確認するかのように肌を合わせた。
幾度となく仲達の声で呼ばれる私の字。
私も幾度となく仲達と呼び、唇を合わせた。
夢でも、是れを失うなど考えたくなかった。
其れ程までに仲達に溺れ、愛してしまった。
速い心音を聞き、漸く落ち着き仲達から引き抜いた。
胸を激しく上下させて、仲達は息も絶え絶えに目を閉じた。
胸に触れた掌に仲達の鼓動が伝わった。
頬を伝う涙に唇を寄せると、仲達から私に唇を寄せた。
「仲達…」
「大丈夫です…、子桓様、あなた様を置いて…、先に死に逝く私ではありません…」
「…そうか」
「私も…、怖い夢を見て…不安、でした」
「私は、此処に」
「はい…、私の子桓様は此処に…」
くた…と、仲達の体が寝台に沈み、私の頬に触れていた手も寝台に沈んだ。
その手に指を絡め、仲達に唇を合わせると仲達から舌を絡め、口付けは深いものとなっていった。
「っふ、ぁ…む…」
「ん…、眠りたく、ない…か」
「はい…。でも…とても、疲れてしまいました…」
「…無体を強いた」
「いいえ…。私も…子桓様が欲しかった…」
体の境界がある事すら煩わしいとでも言うかのように、仲達を腕に抱き締め口付けを繰り返した。
互いに生きている熱を確認したいのか、何度も何度も口付けた。
眠ったらまた夢を見るだろう。其れが怖かった。
「愛している…」
「はい…。私も」
「愛している、仲達。お前が居ないのは堪えられない…」
「其れは私とて…」
「仲達、仲達」
「何です…子桓様」
「仲達…、愛している」
母に甘える子供のように仲達に甘えて、その肌に触れたがった。
その声が聞きたくて何度も仲達と字を呼んだ。
是れが、今度こそ現なのだろう。
「…おやすみなさい」
仲達の胸に埋まり体温を感じ声を聞き、漸く安堵して目を閉じた。
温かい腕の中で目が覚めた。
仲達の柔肌が頬に当たる。怖い夢は見なかった。
朝日が帷の隙間から差し込んでいた。
漸く朝が明けたらしい。長い夜だった。
「おはようございます…子桓様」
「…おはよう、仲達」
「よく、眠れましたか?怖い夢は…」
「お前に触れていたら、見なくなった…」
「左様なればよろしゅうございました…」
仲達は力無く微笑み、私の頬を撫でた。
疲労が残っているのだと直ぐに解った。
「…疲れが抜けぬか」
「はい…。腰から力が抜けてしまいました…」
「すまなかった。私が加減せなんだら」
「いいえ…。私も不安でしたから」
「湯浴みを」
上着を羽織り、仲達を敷布に包むようにして湯殿へと連れて行った。
丁寧に身を清め、仲達は私に体を許してくれた。
髪も流し、包帯は全て新しい物に替えた。
湯上がりの仲達を布巾で包み込み、体を拭く。
やはり過労させてしまったか。仲達は力無く私のする事を見つめていた。
子桓様なら、と仲達は私に身を許して好きにさせてくれた。
私のする事であるなら、仲達は何もかも許してくれていた。
そこには信頼や愛を感じずにはいられず、私は何度も仲達に口付けた。
湯浴み後の気怠さは嘸や眠い事だろう。
仲達を胸に抱き、私室の寝台に戻った。
仲達は既に私の腕の中で静かに寝息を立てている。
是れが現の温かさだった。
「…酷く体を酷使させてしまった。嘸や痛むだろうに。詫びに何か贈ろう」
「いいえ…何も…」
「…仲達?」
「高価な贈り物など要りません…。私には持て余すばかりです」
「そうか。女であれば悦ぶだろうが」
「…あなた様と過ごした一時一時が、何物にも代え難い宝物…」
「そうか」
「ええ…、私を字で呼ぶのは子桓様だけ。我が身を許すのも…子桓様だけです」
ふ、と笑う仲達を横に寝かせ髪を撫でた。
その手に仲達が口付ける。
「ずっと幸せな夢を…見ているかのよう…」
「否、是れが現だ」
「なれば子桓様は…、私のもの…、ですね」
「違いない。お前も私のものだ」
「はい…。私の全てはあなた様のもの…」
ぽろぽろと涙を零す仲達が愛しくて堪らない。
所々視界に入る包帯が、尚のこと私を仲達に引き寄せた。
戦禍の最中に傷付き、帰国したその時からずっと私に会いたかったのだと仲達は言った。
二人きりで会って、触れ合って、話して、声を聞きたかった、と。
私が其れを許した事で矜持が緩み、仲達が素直に甘えられている。
矜持の高い仲達に取って、其れが夢のように幸せなのだろう。
随分ささやかな幸福に、もっと欲張れば良かろうにと仲達に言うも首を横に振る。
同じ時を共に過ごせる事がどんなに幸せか、仲達は嬉しそうに笑ってそう言った。
私は仲達の傷を見て失ってしまうのかもしれないと不安になり、あのような夢を見た。
仲達は仲達とて、私に会えぬ日々にもう会えないのかもしれないと私を憂い、悪夢を見た。
相思相愛である事に代わりはないが、不器用に互いを想い過ぎた為に絶望を夢見たのだろう。
もしかしたら、あれが私達の未来の姿かもしれなかった。
だが、今はそんな事はどうでも良い。
そんな事は問題ではないのだ。
私達は確かに此処に生きているではないか。
「私の腕で良ければ貸してやろう」
「腕…」
「膝が良いか?」
「抱き枕が良いです」
「抱き…、これ」
仲達が私の胸に収まり、腕を枕に脚を絡めて抱き付いた。
言葉通り抱き枕にされて身動きが取れない。
早々に寝息が聞こえた。湯浴み上がりの体温がとても温い。
結局仲達の抱き枕にされ、動けなくなってしまった。
これはこれで、仲達が私を独り占めしているようなものなので悪くはない。
今度はどんな夢を見ているのだろうか。
夢と現は紙一重。仲達がどのような夢を見ているにせよ、私は仲達の傍に居る。
例えこの身が果てようとも。
どちらが先に逝ったとて、その意思を変える気はない。
「もっと素直になれば良いのだ…。後悔してからでは遅いのだぞ、仲達」
その方が可愛らしい、そう一言付け加えて仲達の背中に腕を回して抱き締めた。