両片思りょうかたおも

貴方の事が好き。
そう伝えると、私が好意を寄せているその人は目を見開いた後に眉を顰めた。
軍師の片割れだというのに、随分と解りやすい態度だ。
私は彼のそういう感情に素直で可愛らしいところが好きだった。

「駄目?」
「困ります…。そんな事を仰られても、私には妻も子供もいますし…」
「知ってるよ」
「…御命令だと仰るなら、従いましょう。
 ただ…、私に同性とそのような経験はありませぬ。戯れで…触れられとうございません…」
「いやいや、違うよ。貴方をそんな風に縛るつもりはないんだ。
 からかっているつもりもない。私が戯れているように思う?」
「思います」
「はは。これは手厳しい」

園庭に呼び出した司馬懿殿は、私の告白に対してつれない。
まぁ、解っていた。
司馬懿殿が色恋沙汰に敏感だなんて思ってない。
自分を律した人だとは思っていたけれど、表情がころころ変わる可愛い人だ。
今は私から目を反らして頬を染めている。

「返事はいいよ。私から貴方に好意を伝えたかっただけだから」
「仰る意味が解り兼ねますが…」
「…私はそういう目で貴方を見ているよ、と言ったら解る?」
「なっ」
「仲達、何処か」
「っ!」
「うん。行ってらっしゃい」

司馬懿殿を探している曹丕殿の声が聞こえる。
曹丕殿の声を聞いて一瞬、司馬懿殿の瞳が和らいだのを見逃さなかった。
司馬懿殿は私に深く一礼をして、声のする方へ駆けていった。

しかし、ただ、まぁ。
主従にしては随分と距離が近いなと首を傾げる。




司馬懿殿は曹丕殿に手を引かれるかのように、三歩後ろについて離れの執務室へ向かって行った。

離れの執務室は私の執務室から様子を伺う事が出来る距離だ。
格子が開いていた為、卓を並べて座る二人の姿が枠越しに見える。

司馬懿殿への思いを胸にしまいつつ、二人の様子を見守る。
どうやらお互いの『隣』がいいらしく、言葉は少ないけれど信頼し合う仲だと言う事は見てとれた。
時に作業の手を止めて、曹丕殿は司馬懿殿を見つめている。
司馬懿殿も曹丕殿の視線に気付いて手を止める。


二人の浮いた話は聞かないけれど、あれで付き合っていないなんて馬鹿げた話だ。

「付き合ってませんよ。司馬懿殿がふりました」
「おっと…、それはまた。司馬懿殿もなかなかやるね」

書簡を届けに来た張コウ将軍が私の視線の先に気付いて声を掛けた。
張コウ将軍は長身で紳士的な人だ。武力智力申し分ない男だけど、少し変わってる。
あと、司馬懿殿と仲が良い。

「どう見ても付き合っているようにしか見えないのだけれど、違うのかな」
「曹丕殿は司馬懿殿を好いていらっしゃいます。親愛以上の愛だと仰っていました」
「涼しい顔をして、随分と曹丕殿は情熱的だね」
「司馬懿殿は恐れ多いと丁重にお断りしたそうで。
 でも、其れからずっと意識してしまって困っていると相談されましたよ」
「はは、何それ」

つまり互いを想っているのに、足踏みをしている状態な訳だ。
恐らく互いに薄々は気付いているのだろう。

私なら一度ふられたくらいじゃ気にならないけれど、曹丕殿は自分に負い目があるのか今一歩前に出る気がないみたいだ。
司馬懿殿も自分に素直になればいいだけなのに、何とも不器用な両片思いだ。
私もふられてるけれど、見ていてもどかしい。

「もし司馬懿殿や、または曹丕殿から御相談されましたら他言無用でお願い致します。不器用な方々なのです」
「前者はともかく、後者は有り得ないから大丈夫」
「おや…。そうでしょうか」
「ひとつ聞いてもいいかな、張コウ将軍」
「何なりと」
「貴方も、司馬懿殿が好きだね?」
「私は司馬懿殿をお慕いしております。
 あの御方の知略、策、立ち振る舞い…信念を感じ、とても美しいと私は思います」

張コウ将軍の好意は分かり易く隠しもしない。
にこにこと嬉しそうに司馬懿殿の事を話す様子に、恋に浮かれた娘々みたいだと笑う。

「私は司馬懿殿の幸せを願います。あの美しい人に幸せになっていただかなくてはなりません」
「どうして?」
「司馬懿殿は、人に心を許した時が本当に可愛らしい。あの方は誰かに甘えるのがとても不得手です。
 故に甘えさせてあげたいと思いますし、甘えられたいとも思います。
 司馬懿殿の矜持が崩れた時はきっと、とても可愛らしいと思うのです。
 勿論、司馬懿殿に何かあれば、私が護って差し上げなくてはと強く思います」
「はは。将軍である貴方の言葉は頼もしい」

張コウ将軍は私よりも司馬懿殿の事を解っているみたいだ。
楽しそうに笑いながら話す張コウ将軍はきっと、司馬懿殿が本当に純粋に好きなんだろう。
そう考えると、私の想いというのは現実的に考えて厭らしいのかもしれない。

「私は司馬懿殿に口付けをしたり、抱き締めたりしたいと思うよ」

張コウ将軍のような純粋な好意と、私のような恋慕。
曹丕殿はどちらなのだろう。
恐らくは私と同じだ。

窓辺の二人を見ながら、張コウ将軍と話をしつつ午後を過ごした。





あの日から数ヶ月経った後の夜。
池に囲まれている中庭に人影がひとつ見えた。

啜り泣くような声に、一体どうした事だろうと杯を片手に様子を見た。
美女だったら慰めてあげなくては。

どうやらやはり泣いているらしい。
黒髪長髪の白い寝間着姿のその人に近付く。
きっと美人に違いない。

肩に手を触れる前に、私の気配を察してその人は振り向いた。

「…っ!」
「司馬懿殿?」
「郭嘉、どの…?」
「こんな時刻にどうしたの?」
「な、何でもありません…」
「待って。行かないで」

驚いた。
いつもより軽装備で、髪も下ろしているから司馬懿殿だとは思わなかった。
立ち去ろうとする司馬懿殿の手首を掴み、口元を隠す手を退けた。
ぽろぽろと涙が零れて、睫毛が濡れてとても美しかった。

泣き顔が美しいなんて人は初めてかもしれない。
確かに其処に居たのは美しい人だった。

「どうしたの?」
「何でもありません…」
「…とりあえず、此処は寒いから私の部屋においで」
「っ、そんな…、私には構わず…」
「いいからおいで。ほおっておけない。風邪をひいてしまう」
「はい…」

身分や遠慮を言い訳にして立ち去ろうとする司馬懿殿を捕まえ、肩に上着を掛けて部屋に招いた。

湯で濡らした布巾で顔を拭かせると漸く司馬懿殿は落ち着いた。
寝台に座らせ杯を渡したが、酒は苦手だと断られてしまった。


杯を回収して一献飲み干すと、司馬懿殿が酌をしてくれた。
口で言わずとも行動に移す司馬懿殿の気遣いは、側近という位に向いている。
あの気難しい曹丕殿が気に入るのも解る。

「寒くないかな?」
「大事ありません」
「そうか。それは良かった」

薄着の司馬懿殿に上着を被せて、また一献飲み干す。
司馬懿殿は瞳を伏せて、静かに座っていた。
私から切り出さないと、何があったのか話してくれそうにない。

「何があったのか、私に話してごらん?
 それも嫌なら、私は強要しないけれど…。
 今日はもう遅いから、泊まっていくといいよ」
「…解り、ました…。郭嘉殿になら、話しても…。
 ですが、ご迷惑になりませんか」
「迷惑だと思うなら、今こうして部屋に連れてきていないよ」
「はい…。申し訳ありません」

肩肘を張っていた姿勢が少し和らいで、司馬懿殿は話を始めた。
腫れている瞼の司馬懿殿は俯く。



大方の予想通り、司馬懿殿から聞かされた第一声から曹丕殿の名が出た。

「曹丕殿に、また…告白をされて…」
「うん」
「口付けを、されました…」
「ふ、曹丕殿もなかなかやるね」
「…ただの好意でも友愛でもない、私に恋をして…愛していると…、そう仰いました…」

一度ふった事により、司馬懿殿が気になってしまった人。
そして曹丕殿はやはりまだ司馬懿殿を諦めていなかったみたいだ。
その言葉に対して、司馬懿殿は果たして何と答えたのか。


私の立場はとりあえず気にせず全て話してごらん、と司馬懿殿の肩を叩いた。

「…お受け、しました」
「曹丕殿の情人…、言い方が悪かったかな。恋人になると?」
「はい…。ですが」

それだけなら両想いが報われた良い話で終わる筈なのに、司馬懿殿は眉を寄せて裾を掴む。
唇を噛みながら瞳を閉じた。

やはり何かあったらしい。

「…恋人となる意味を解っているのか、と曹丕殿は私を押し倒して仰いました…。
 私は…体が動かなくなってしまって…。何も言えなくなってしまって」
「うん。でも貴方は其れを解った上で了承したのだろう?」
「はい…」
「なら何故、泣いていたの?」
「…己の不甲斐なさに、今は腹が立っています」

司馬懿殿の裾を掴む手が震えているのが見えた。
その言葉や素振りの節々に、司馬懿殿の想いが確かに曹丕殿に向いているのだと確認する事が出来た。
私ではやはり、司馬懿殿の心を射止める事は出来ない。

仮にも一度告白をされた私の部屋に来てしまう司馬懿殿の無防備さに少々不安になる。
信用してくれるのは嬉しいけれど、司馬懿殿はもう少し自分の立ち位置を見つめ直した方がいい。

了承したのなら、司馬懿殿はもう曹丕殿のものだ。

「恋人って、口付けだけじゃないよ。
 その人の肌に触れたいと思うし、体だって手に入れたいと思う。
 曹丕殿ならきっと、貴方の全てが欲しいと言うだろう。
 貴方といずれ…情事だってしたいと思う筈だよ」
「はい…。仰る通りです」
「…司馬懿殿は、怖かったんだね?もしかして、嫌って言っちゃった?」
「…ごめんなさい…」

だからあんな薄着で泣いていたのか。
漸く状況を理解して酒を呑む。

司馬懿殿は恋愛には奥手だ。
それに鈍感で、何処か抜けているところもある。



私は正直言うとまだ、司馬懿殿の事が好きだった。
愛していると言えば、そうだと言える。
今は可愛い後輩だと思うけれど…、先の話の後に気が変わった。

世話の焼ける。
本当に恋愛に不器用で、可愛い人だ。


杯を置いて司馬懿殿の手首を掴み、寝台に押し倒した。
そのまま深く口付けて舌を絡める。気が動転している司馬懿殿の体は強張って動かない。

このままだと、私の好きなようにされてしまうだろう。

「…抵抗しなきゃ駄目だよ?」
「っ、ぁ…!」
「曹丕殿が貴方にしたい事って、こういう事だよ?
 私が貴方に以前告白した事って、こういう事なんだよ?」

舌を深く絡めて胸に触る。
薄着だったから直ぐに生肌に触れられた。
そのまま下穿きの紐を解いて直に触れる。
私も流石に同性を抱いた事はない。

問題は司馬懿殿が抵抗をしない事だ。


このままならきっと私に好きなようにされて襲われてしまうだろう。
だがそこはやはり、私が好きになった所以の司馬懿殿自身を晒け出して欲しい。

「貴方は誇り高き司馬仲達だ。
 貴方が曹丕殿のものになったところで、貴方の意思や言葉を蔑ろにされる事はないよ」
「…私は、貴方様や…、曹丕殿よりも…身分が下です…」
「まさか、そんな事を気にしていたの?」
「…礼節を弁えず、何が主従と言えましょうか」
「馬鹿だね」
「ば、馬鹿とは…!」

司馬懿殿の生真面目さに溜息を吐いて笑う。
服を整えて寝台に座らせ、額に口付けた。

この人はとことん不器用だ。


先の無礼を謝り、両頬に手を添えて額を合わせた。
全く、どうしてこんなに可愛らしいのだろう。そんな事で悩んでいたなんて。
私が曹丕殿になりたいくらいだ。

「貴方と曹丕殿は主従だ。
 私と曹操殿だって、朋友だけど主従関係にあるのは解るね?」
「はい…」
「でも曹丕殿は貴方と恋人になりたいと言っているんだよね。
 恋人というのはね、平等なんだよ。其処には位なんて関係ないよ」
「…ですが、私は卑しい人間です」
「もう…。だから身分なんて考えないで。曹丕殿は貴方の隣に居たいんだよ?」
「隣…」
「そろそろ貴方も出て来たらどうかな?」
「?」

扉の前に気配があるのは解っていた。
薄着で飛び出した恋人を追い掛けない訳がない。


扉を開けると曹丕殿が背を向けて立っていた。
よく見るとその手には剣が握られており、一度抜き掛けていた事が解る。
もしかしたら、私は曹丕殿に斬られていたのかもしれない。

「…世話を掛けたな」
「いえ。私も邪魔をしてしまったみたいで申し訳ない」
「曹丕殿…?」
「郭嘉の方がお前に優しい。郭嘉が良いのか仲達」

曹丕殿は一部始終、話を聞いていたのだろう。
曹丕殿は司馬懿殿を見ずにそう言った。

司馬懿殿よりは曹丕殿の方が素直だけれど、その言葉は何処か刺々しい。
そんなに冷たく言い放ったらまた司馬懿殿が誤解をしてしまうかもしれない。

素直に司馬懿殿の手を引いて連れ帰ればいいのに。




司馬懿殿からの視線に気付いて片目を閉じると、司馬懿殿の手を引いて曹丕殿の背中に埋めた。
正確には司馬懿殿を部屋から追い出した、が正しい。
少し背中を押してあげればきっと、この二人はもっといい関係になれる筈なんだ。

「っ?!仲達?」
「曹丕殿、わ…、私は…、貴方様をお慕いしております…」
「そう、か…。本当に、そうなのか?」
「はい…。この御心、貴方様に…」
「…先のような行為、またはそれ以上の事を、私は仲達に求めてしまうやもしれぬ」
「…はい」
「嫌なら嫌と言うがいい。私がお前の意思を蔑ろにすると思ったのか」
「…申し訳ありません。
 出仕自体に問題があったものですから、私の意思は聞き入れられないものと考えておりました…」
「はは。曹操殿のせいだったんだね。貴方も一応根に持っていたのかな」
「父と私を一緒にするな。私は私だ、仲達」
「そうでしたね…。ごめんなさい…」

司馬懿殿は曹操殿に無理矢理出仕を強いられた身。
確かに彼の立場を思えば、そう考えてしまうのも解らない訳ではない。


曹丕殿が司馬懿殿に振り返り、少し身をかがめて口付けを落とした。
私の前だとか、そういう事は曹丕殿にとって関係ないらしい。
其処は曹操殿に似たみたいだ。

「まだ、怖いか?」
「……。」
「嫌とか、怖いとか、言葉にしてくれねば解らぬ…」
「曹丕殿に嫌われたら、と思うと…、怖かったのです…」
「…子桓と、仲達」
「え?」
「子桓でいい。そう呼ばれたい」

曹丕殿の我が儘なところをきっと司馬懿殿は甘やかすのだろう。
司馬懿殿はとても驚いた様子を見せて、私に一度振り向いた。

「私は字で呼び合う事に干渉しないよ?
 曹丕殿がそう言うのならいいと思うけれど」
「…ですが、私…字でお呼びしているところを誰かに聞かれたら、何を言われるか」
「そんな奴は私が黙らせてくれる」
「はは。曹丕殿もそう言っている事だし、何も遠慮は要らないと思うよ?」

司馬懿殿は曹丕殿と違って、人前で曝け出すのは嫌みたいだ。
曹丕殿はどちらかと言うと人目を気にしないみたいだから、そこはきっと苦労するところだろう。
敢えてそれは言わないでおいた。

「…私は司馬懿殿が好きだよ。今でもずっとね」
「郭嘉殿?」
「外は寒いよ。早くお行き。
 そういえば、司馬懿殿は靴を履いていなかったのだけれど、行方を知っているかな?」
「私の部屋にある」
「ふ。曹丕殿は恋人を裸足で歩かせるのかな?」
「…無用の心配だ」
「なっ、曹丕殿…?!」
「子桓と、仲達」
「っ…、し…、子桓…さま…」
「ふ、それで良い」

肩に自分の上着を掛けて、曹丕殿は司馬懿殿を横に抱き上げた。
私の思い描いた通りになって何よりだ。
司馬懿殿の手を取って曹丕殿は柔らかく笑い、司馬懿殿に口付けた。

その二人を見送って、私は扉を閉めた。
司馬懿殿が一度此方を振り向き頭を下げたのを見て手を振る。


本当に幸せそうで、私の入る余地などない。
私も張コウ殿みたいに、いっそ想いの行く先を留めておいた方がいいのかもしれない。

好きだっていう想いだけでよかったんだ。













また、ある日のお話。
子桓様と呼ぶ司馬懿殿を遠くに見ながら、張コウ将軍と立ち話。
曹丕殿と司馬懿殿の事は張コウ将軍の耳にも入っているようで、当人達よりも嬉しそうに笑う。

「司馬懿殿が幸せそうで良かった。曹丕殿も少し丸くなったような気がします」
「これで曹丕殿の棘も少しは抜けるかな?」
「…郭嘉殿、顔色が悪いですね?大丈夫ですか?」
「はは、大丈夫だよ。これはいつもの事だから」
「っ、郭嘉殿、聞いて下さい!」
「おや、どうしたの?おいで、聞いてあげる」

司馬懿殿が駆けて此方の庵にやってきた。
曹丕殿が向こうの庵で何か叫んでいる。どうやら下らない喧嘩みたいだ。

司馬懿殿はあれから、私や張コウ殿に相談をしてくれるようになった。
些細な事でも、ほんの小さな事でも。
司馬懿殿からの好意が私はとても嬉しい。

それで私は幸せだった。


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