仲達の行方が知れぬ。
戦場に在った筈の布陣は消え、仲達が率いた一軍が戦場から消えた。
先に布陣した筈の仲達が私を出迎える手筈だったが、これはどういう事なのか。

場所は間違えていない。確かに此処だ。
仲達に何かあった。

「周囲を捜索せよ」
「はっ」
「此処は既に戦場である。気を抜くな」

手網を引き、剣を片手に構える。
布陣をした形跡はある。だが、誰もいないのだ。
殲滅されたとしたらそれなりの跡があろうものの、それもない。

「曹丕殿、此方を」
「…これは」

仲達の冠を手渡される。
血が付いている。
其れを視界に入れた時、怒りが沸点と化したが己を抑えた。
痕跡を残しつつも、仲達らは消えた。軍丸ごとひとつ消えたのだ。

「気に入らん」
「何処へ」
「仲達を探す」

司馬仲達は、私の腹心筆頭である。故に仲達の裏切りは考えられない。
四友筆頭格、第一位の仲達が私を裏切る事はない。
裏切られたとしても、懐柔する自信がある。
ただの主従の枠には収まらぬ。私達は恋仲である。

陣張りに不備はない。
私とて仲達には劣るものの、人の上に立つ者だ。
仲達の冠を手に布陣図を見た。

右翼、仲達の陣がない。
故に其処だけが穴となっている。本陣の真横、仲達が抜けた穴は大きい。
何より、無事を案じた。
捕らわれたとて、そう簡単に殺される事はない。
敵軍にとって仲達は、利用価値のある格好の獲物であろう。
何より私の最大限の弱味だ。
今も何とか平静を保っているが、血は仲達のものなのか。そうでなければ、あれは。
このような状態でも陣張りはせねばならん。
対策をせねば犠牲が増える。総大将は私である。

「曹丕殿。心中お察し致しますが」
「大事ない。陣触れは良いな。防衛戦である。護るだけではない。攻めよ」
「御意」

諸将に声を掛けられるが一蹴し、己が感情を殺し指示を出す。
我ながら恐ろしく冷ややかな声色だ。

仲達に何かあれば、私の心は持たない。
事前に対策が出来なかったのかとたらればで思考が巡ってしまう。
だが、たらればで思考を止めるなと私に教えたのは仲達自身だ。

他ならぬ仲達の事だ。
生き残る事を最善に、きっと大人しくはしていない。
あれを手懐けられるのは私くらいのものだ。

戦局は右翼の仲達の穴が大きい為、陣張りを深くは張れず、右翼の守護には私自らが当たった。
此処に居れば、手掛かりがあるやもしれぬ。
日暮れから朝方にかけ、敵陣の攻勢は続いた。
我が軍の士気は高い。今のところ負ける要素もない。

「賈詡よ。指揮は任せた」
「は。どちらへ」
「仲達を探す」
「それは別働隊がやってます。大将は動かぬようお願いしたいのですが」
「では、代わるか」
「…やれやれ、解りました。夜明けまでには戻られて下さい」
「ああ」

本陣は任せ、別働隊に合流すべく戦線から離脱した。
戦線から離脱したが、我が軍の優勢は変わらず防衛も無事に果たせている。
私の近くには直ぐに動ける手勢のみを残した為、小回りがきく。結果的には別働隊として動かされていた。
敵もまさか総大将が別働隊となっているとは思うまい。
賈詡め。私を策に使うか。

「…使われるなら、お前がいいな」

冠を手に策をこなしつつ、仲達を探した。
今日は何も手掛かりはなかった。



戦に区切りを感じた。恐らくこの流れは私を誘い込んでいる。
敵も焦っているのか、策が単純である。

「曹丕殿。今回はどうか本陣に居てくれませんかね」
「出来ぬな」
「はぁ。司馬懿殿が居ないとこれだ」
「…行くぞ」
「では私も」
「お前も来るのか」
「はい。お供します。これはあからさまな罠。曹丕殿を狙ったものです」
「解っている」
「五大将軍の御一人、張郃将軍であれば心強い。よろしく頼みます」
「ええ、お任せ下さい」
「…くれぐれも、よろしく頼みますよ」
「承知しております」

私を誘う策だという事は承知の上である。
何も無為無策に突き進んでいる訳ではない。
碁を打つように拠点を潰していく。
滞りなく策が成せる様、私も戦場を駆けた。
速攻は戦を長引かせない。だが捨て身ではない。

私を誘う為ならば、打って付けの者が居るだろう。
何処を探しても仲達の姿はない。
なれば本陣に捕らわれている可能性は、もはや可能性ではなく核心に近い。
仲達は軍ごと捕らわれているのだろう。
早急に戦を終わらせ、仲達を迎えに行かねばならない。

「賈詡」
「あとは本陣だけです」
「時が来たら動く」
「あははぁ。それまでは大人しくしていてくれますか」
「ああ」

敵の本陣を落とす。賈詡が動いた。
張郃は私の傍に温存している。
剣を地に突き刺し、戦場を見下ろした。
我が軍優勢、もう間もなくであろう。

「…彼処か」
「はっ」

砦を包囲し、恐らく彼処であろうという陣張りを見つけた。
大軍を配置している割に動かぬ。
つまり動かないのではなく、動けない。捕虜なのだろう。

「我が軍を取り戻す」
「御意。先行致しましょう。援軍をお呼びしました」
「進軍せよ」

深呼吸を繰り返した。惨状によっては、私が持たん。
砦の門を開け、正面から突入する。

「殿！」
「殿っ！！」
「お前達、無事か」

我が兵らは生きていた。
多少暴行された痕が見られるものの、捕らわれた我が軍は手枷足枷で身動きが出来ないだけのようだ。
私の姿を見た兵らの安堵感が伝わった。
張郃に兵らの縄を解いてやるよう目配せを送った。
解いた者達がそれを繰り返し、見張りの敵軍も少なかった為に制圧するのは容易であった。

「殿、此方です」
「司馬懿殿が数日前から幕舎から出てこられず、安否が解りません」
「お顔を見ていないのです」
「何処だ」

捕らわれていた兵らに先導され、幕舎ひとつひとつを潰す。
無論、中には敵兵が居たが一言を発する前に首を飛ばした。

とある幕舎で、白い肌の脚が見えた。
投げ出されたかのような脚は力ない。
見間違えるものか。
仕切りを切り裂くと敵軍が居た。
仲達の体の上に敵軍が何人か乗っていた。

先ず、己の感情を殺した。

「死ね」

首のない体を蹴り飛ばし、半裸の仲達の傍に駆け寄った。
柱に縛られた手枷を切り、私の腕の中に埋める。
瀕死の傷を負い、意識はない。髪も切られている。
体を見れば、奴等が何をしていたのかも解る。
意識のない体にすら凌辱を働いたのか。

胸に手を当てれば微かに鼓動はしていて、か細く息はしている。
このままでは死んでしまう。

「我が軍の者らを見つけ、助けよ」
「…はっ」
「戦況はどうか」
「それが、本陣は司馬懿殿の策にて既に」
「流石だな」

故の拷問だ。
捕らわれた我が軍の支えは仲達であった。
捕らわれながらも仲達は策を講じ、諦める事はしなかった。

「本陣は落としました。我が軍の勝利です」
「そうか。帰るぞ」
「…息はありますか」
「後始末は任せる」
「御意。馬車を用意しますか」
「そうだな…。ふ、一番の手柄は仲達である。褒美をやらねば」

努めて平静に賈詡らと話した。
私の外套で仲達を包み、幕舎にて身を清め、仲達の容態を確認した。
肋が折れている。太腿と両腕が斬られ出血が酷い。

捕らわれていた仲達の兵らに話を聞いた。
仲達が捕らわれた事で士気は大いに下がった。
だが仲達は兵らに根回しをし、幾人かを手駒として本陣制圧に乗り出した。
仲達は自らを囮とし、兵らを動かした。
我が方の優勢を聞き、仲達も諦める事はしなかった。
聞けば本陣突入時、既に敵軍の大将首は仲達の部下らが取っていた。

仲達を捕らえたところで、戦況が変わると思ったのだろう。仲達がただで捕らわれる訳がなかった。
策に気付き、仲達は数日拷問にかけられ嬲られていた。

瀕死であった命を繋ぎ、私の上着を着せて仲達を抱き寄せた。
血を失いすぎて、血が足らん。仲達の体は随分と冷えていた。

「…こ、こは…？」

三日後の帰路の馬車の中。
長い睫毛が揺れ、私の腕の中で仲達が呟いた。
漸く意識を取り戻した。
私が淡々と戦況を述べた後、仲達は安堵したように溜息を吐いた。

「…、もう大丈夫だ」
「…良う、ございました…」
「今は休め」
「…申し訳、ありません…、子桓、さま…」

大丈夫だと言い聞かせたのは私自身にだったのかもしれない。
仲達は自分の肩を抱き、私の胸元に身を寄せた。
己の不明を嘆き、身の不浄を私に謝り続けた。

「…申し訳…あり、ません…」
「仲達」
「んっ…、っ…」

両頬を包み、仲達に深く口付ける。
甘く、優しく、いつものように。
不明を訴えれば褒めてやり、身の不浄を語ればそれを否定した。

「…私は何も出来なかった。私こそ、お前を護れず、何が…」
「…子桓、さま…」
「お前が望むなら、今、綺麗にしようか」

馬車の中だった。仲達の負傷は酷いものだった。
理由は多々あったが今抱かねば、今抱いてやらねば仲達も私も心が壊れてしまう。

身を清めるように仲達を抱き寄せ、押し倒す事はせず私の上に座らせ、前戯も程々に仲達を至極優しく抱いた。

「は…、っぁ…、しか、ん…さ…」
「…ああ、仲達」

凌辱された。無論体も酷く傷付けられている。何人にも凌辱されたのか。
体を見れば解ったが、仲達から語らせる事はしなかった。
血を流しつつも仲達は私を締め付け、程なくして果てた。
無理をさせたのは解っている。それでも震えた指で私の袖を掴む仲達の不安に応えない訳には行かなかった。
中に果て、仲達の腰を深く引き寄せる。
仲達に私の体温が移り、少し温かい。

「っ…、…ぁ…？」
「そのまま、身を任せよ」
「…は、い…、御随意に…」

仲達を私に染めるよう何度も抱いた。
激しく突き上げる事はせず、感じさせるようにゆっくりと抱いた。
中に果てられる事を望み、私の首に腕を回させた。
情事を終え、中から溢れるほどに仲達を抱き、敢えて後始末もしなかった。
気が進まないが仲達がそう望むと察していた。

「…愛している」
「はい…」
「愛している。仲達」
「はい、子桓様…。私も、です…」

酷く疲れさせてしまったが、漸く仲達が泣きそうな笑顔を見せてくれた。
仲達の心を戦場から取り戻す事が出来た。
私の心は仲達の元にある。



戦後処理を終え、軍議に参加する度に思う。
私は何もしていない。何も出来なかった。
捕らわれながらも仲達は戦況を覆すような策を労したというのに、私自身は支えられてばかりだ。
皆に各々報酬を与えるよう軍議にて父に進言し、仲達の元へ歩む。

一日たりとて途切れぬ訪問に仲達は苦笑していた。
一時瀕死にまで陥り、凌辱までされた身だ。案じない筈がない。
本当は片時でも離れたくない恋人の傍を、戦後処理の為に離れる事すら口惜しい。

未だ自ら起き上がれる程、回復はしていない。
眠っている事が多いが、今日は目を覚ましていた。

「仲達」
「はい。軍議は如何でしたか」
「お前達に褒美を取らせるよう、父に進言した」
「…私は、何も」
「何を言うか」

執務は滞らせず、ただ仲達の傍を離れる事はなかった。
仲達は平時と変わらず私に接する。
それが逆に私を追い詰めたのかもしれない。
心を病んでいったのは私の方だ。
痛いなら痛いと言ってほしい。
大丈夫、大丈夫と私を心配させまいと繰り返す。
何が大丈夫なものか。

寝台に突っ伏し、仲達の傍に膝を着く。
日に日に、何も出来なかったのだと自分で自分を追い詰めている。

「…私の部屋にばかり来ていらして、執務はよろしいのですか」
「ああ」
「…子桓様」

頬を撫でられた。
仲達に顔を合わせるものの、私の口数が少ない。
私を案じたのか、仲達が体を起こそうとした為に止めた。

「未だ無理だ」
「…今日は少し、我儘を言ってもよろしいでしょうか」
「ああ。何だ」

馬車で肌を合わせたのは無体だとも思えた。
あのような負傷をした仲達に何をしているのかと自分を責めたが、安堵した寝顔に私も救われたのは覚えている。
仲達が消え入りそうな声で私に礼を言っていた。

自己嫌悪でどうにかなりそうだったと後に仲達は語った。
今は、私が支えねば仲達が壊れてしまう。
私に心配掛けまいと平時を装っている仲達が見ていられん。
私を案じ、傷付けられても、痛いとも言わせてやれない。
表は綺麗だとて、中に亀裂が入っている玉の傷が隠せるものか。

「…お願いか。解った」
「はい…」
「曹丕殿は居られるか」
「お呼びですよ」
「また来る」
「はい」

仲達の額に唇を寄せ、頬を撫でて呼ばれた方に向かう。

珍しい。張遼か。
父が私を呼んでいると言伝られた。

「五大将軍の一人を言伝に使うとはな」
「司馬懿殿は如何か」
「どうも何も。相当無理をしている。暫し誰も入室を許していない」
「左様か。司馬懿殿の策をお聞きになられたか」
「聞いている。見事なものよ」
「司馬懿殿なれば、郭嘉殿に肩を並べられる実力をお持ちであられる」
「左様。見事な策でござった」
「徐晃か」
「曹丕殿は、休まれていらっしゃるのか」
「体はな。気は休まらぬ」
「大事にされよ。心が病めば体も病まれる」

父の使者で来た張遼、回廊で顔を合わせた徐晃にも仲達は賛辞を受けた。
心が病めば体も釣られる、と徐晃に忠告を受けた。
確かにそうだ。

徐晃と別れた先の柱に賈詡が見えた。

「御苦労だったな、賈詡」
「どうも。曹丕殿こそ、別働隊としての御役目ありがとうございます。またお強くなられましたかな」
「それは嫌味か」
「滅相もない」

皆に背中を押されているような言葉を掛けられる。
お前はよくやったのだとそう言われているようで、何だかむず痒い。
扉を開けたのは張郃だった。

「おや、曹丕殿。これは失礼しました」
「張郃か」
「良い茶葉が手に入ったのです。後程お持ちしますので、もし良かったら司馬懿殿と召し上がって下さい」
「…そうか、すまぬな」
「いえ」
「…張郃」
「はい」
「仲達の元に居てくれぬか」
「畏まりました。それでは茶器をお持ちしましょう」

張郃は仲達と仲が良い。
私以外誰も寄せ付けぬようにしていたが、張郃ならば良い。
仲達も、張郃なら良いと言うだろう。
何より余り仲達を一人にしておきたくない。

張郃と入れ替わりに扉を閉める。
見送りの張遼も去り、中に父と夏侯惇が居た。

「お呼びですか」
「御苦労だったな、子桓」
「は…」
「敵将だけでなく、お主の感情も殺したようだな、子桓」
「…軍を率いるものとして、個の感情は統率を乱します。例え仲達がどのような目に合ったとしても」
「もう此処は戦場じゃなかろう。司馬懿はどうしている」
「部屋に居ります。暫く静養が必要です」
「よく休ませてやれ。よくやったと、伝えてくれんか」
「俺からも良くやったと伝えてくれ」
「は…」

父も夏侯惇も仲達を賛辞した。
後で仲達に伝えてやろう。仲達が褒められると私も嬉しい。
父の元に頭を下げていたのだが、不意に頭に重みを感じた。

「子桓、よくやった」
「…私は、何も」

まさか頭を撫でられるとは思わず、不意打ちに驚いた。
髪をぐしゃぐしゃにされてしまった為、手櫛で髪を整える。

「甘えさせてやれ」
「そうですね」
「我等は家臣居てこそよ。のう、惇」
「お前は自覚があるあまりに、己を追い詰めすぎているのではないか」
「そうかもしれぬな」
「儂なぞ開き直っているからな。皆が居なくては何も出来ん」
「そうでもないでしょう」
「否、孟徳は割と駄目だ」
「うむ。割と駄目だな。駄目な時は甘えるのよ」
「お前は普段から甘え過ぎだ」

父と夏侯惇の主従は我等に似たところがある。
互いに居なくては駄目だと言い、駄目なら甘えるのだと言う。塩梅が上手いのだろう。
私達は互いを傷付けまいと、傷付きながら身を寄せる事しか出来ない。

「子桓。大義であった」
「は…」
「軍を率いるのが上手くなったな」
「未だ未熟です」
「子桓。存分に甘えさせてやれ。お前にしか出来ん」
「仲達を、ですか」
「お前も甘えたいんだろ」
「言われずとも」

少し、胸につかえていたものが軽くなった気がする。
部屋を退室し、仲達の元に向かった。


部屋に向かうと、張郃が仲達の傍に控えていた。
どうやら仲達は眠っているらしい。

「先程までお話ししていたのですが」
「良い。寝かせてやれ」

先程の茶だろう。仲達が飲んだ形跡がある。
何か口に出来たのなら良かったと仲達の額を撫でた。
今日は未だ何も口にしていなかった。

張郃に茶を貰い、寝台に腰掛ける。
すっかり日は落ちた。
部屋の格子窓を閉めて、張郃は私達に深く頭を下げた。

「お茶と、水菓子は此処に置いておきますね」
「もう少し居れば良かろう。それとも、私が相手では間が持たぬか」
「とんでもない。私は御二方の邪魔をしたくないだけです」
「…仲達はどうであった」
「強い御方です。御自身の事は語られず、曹丕殿の事を案じておりました」
「そうか」
「…無礼を承知で申し上げます。強く抱き締めたい衝動に駆られました。ですが、それは貴方の御役目。とても無理をして居られるのでしょう。どうか、司馬懿殿をよろしくお願いします」
「解っている。父にも言われた」
「ええ。皆がそう思っております。司馬懿殿を甘えさせて下さい。曹丕殿にしか出来ません」

皆が仲達を褒め、父は私も褒めた。
個より常を優先し、総大将をよく務めたと賛辞された。
私も少しは成長しただろうか。

「…私も、甘えたい」
「ふふ、司馬懿殿が曹丕殿を拒むものですか。司馬懿殿は変わらずとてもお可愛らしく、一途に貴方を愛しておられます」
「仲達がそう言ったのか」
「言わずとも解ります。司馬懿殿は気高く美しい。それは変わりません」
「そうか」

仲達の身にどのような事があったのか、張郃は気付いている。
幕舎の敵将を捕縛なしに殲滅したのは張郃らしからぬ事だ。
私がそうであったように、張郃とて怒りに身を任せる事もあるのだろう。
他の者では可哀想だと扱うかもしれぬが、張郃ならばその辺は抜かりない。

「話し声で司馬懿殿が起きてしまうかもしれません。私は失礼致します。面会のお許し、感謝致します」
「ああ」
「曹丕殿も司馬懿殿に甘えなくては」

張郃はひらひらと手を振り、蝶のように立ち去っていった。
仲達も張郃と話して少しは楽だろう。
茶を貰い、傍に座った。

「…美味いな」
「張郃は、行ってしまいましたか」
「起こしたか？」
「いえ」

仲達の声に振り向き、頬を撫でた。
未だ仲達の体温は平時より冷たい。
身を起こそうとするのを止めたが、首を横に振られる。
ならばと背と腰を支え、私の腕の中で仲達を支えた。

「…肉は、未だ口に出来ぬのか」
「粥でも、辛うございます…」
「血が足らぬか」
「はい。故にとても…眠く…」

慢性的に貧血で血が足らぬ。
肉を食えば良いのだが、仲達は粥すら口にせぬ。
夏の暑さもあり、何も食べない日とてあった。食欲がない。
それでは、体が弱るばかりだ。

張郃の持ってきた水菓子は、葡萄に桃に、梨か。
葡萄は私が貰うとして、桃なら柔らかいし旬のものだ。
これなら仲達も食べれるだろう。

「仲達」
「はい…」
「桃ならどうだ」
「それなら、何とか」

桃を剥き、小さくしたものを唇に当てた。
漸く食べ物を口にした気がする。
安堵していると、仲達が葡萄を私の唇に当てていた。

「どうぞ」
「ん」

仲達の指から葡萄を貰う。
それは一、二個で止めてもらい先ずは仲達が食べろと葡萄を摘みながら桃を剥く。
こうしていると、恋人であると思い出す。
甘く甘く甘やかしてやろう。暫く私は仲達を最優先にするべきだ。
それを話すと、いつもではと仲達は苦笑していた。

仲達のお願いはささやかなものだった。
添い寝をして欲しいのだと、俯きがちにそう言われた。
仲達から求められる事は少ない。
立場を弁えているのは仲達の方であるが、二人きりの時は立場などないと何度も言っているのだが聞かぬ。

桃を食べ終えた後、ふと仲達が腹が空いたと、思い出したかのように呟いた。良い兆しだ。
好きな物を言え、というと仲達は私の袖を引いた。

「好きなもの…」
「っ、そうか」

私を好きなものだと言うのだ。
仲達は不意に可愛らしい事をする。
頬を染めて食事の話だと言うと、あっと言って顔を隠した。

「…包子でも、いいですか」
「直ぐに用意させよう」

素だったのか。仲達は恥ずかしそうに頬を染めていた。
私は仲達の好きなものか。素でそう言われて嬉しくない訳がない。
顔を隠していた手を退かせ、頬に口付けた。

「私の好きなものだ」
「子桓様」
「…恋人として、私に何が出来る。傍に居るだけでは駄目だ」
「充分です…。ただでさえ、御多忙で在らせられるというのに」
「今、お前以外に何を優先すると言う」

二人分の食事が運ばれ、仲達にゆっくり食べさせた。
私の食事も仲達に合わせ、簡素な物にした。
数日ぶりにまともな食事を食べたのだ。
食べる事にすら疲れているように見える。

大丈夫か、とは聞かない事にした。
とうに大丈夫ではない。だが大丈夫だと言うのだろう。
それは私も同じだった。

寝台に枕を重ね、仲達が寄り掛かって座れるようにした。
氷で冷やした茶を飲ませれば、ほっとした溜息を吐く。
顔色が大分良くなった。

「…子桓様」
「ああ」
「ん…」

仲達の微睡んだ瞳を見れば、何をして欲しいのか分かる。
甲と首に口付けた後、身を起こして唇に口付けた。
未だ日は落ちて間もないが、仲達はもう眠そうだ。
早めに寝ても良かろうと支度をさせ、寝間着で仲達の隣に横になる。
肩と腰を引き寄せ、私の腕を枕に仲達は間もなく眠りについた。

以前より細くなった手首と腰周りを案じ、背を撫でた。
ぽろ…と仲達の頬に涙が伝う。その目尻を拭う。
虫の声を聞きながら私も目を閉じた。


優しく撫でられている感覚に目を覚ました。
仲達が起きている。
私の髪や頬を撫でる手はひたすらに優しかった。
何故か、視界が潤む。視界が歪み仲達がよく見えない。

「…どうしました」
「解らぬ」

仲達が胸に埋めてくれた。
細すぎる薄い胸だ。今は包帯に巻かれている。
私を護るように仲達が抱き寄せる。
今は少し、私が泣きたい。
抱え込んでいた色々なものを涙で流してしまいたい。
仲達の胸に埋まり、暫し涙を流した。

暫く泣いたら、すっきりした。
仲達は私の泣き顔を見ないようにしてくれていたようだが、仲達は未だ私に涙を見せていない。
仲達の泣き顔など、数えるほどしか見た事がないが、泣いて欲しい時とてある。
目元を拭い、身を起こして仲達を胸に埋めた。

「眠らないのか」
「寝過ぎたのか、目が覚めてしまいました」
「そうか」

ありがとう、と仲達に礼を言った。
仲達はただ一言、はいとだけ呟き私の胸に頬を寄せた。
額を撫で、その額に唇を寄せる。
仲達を甘えさせたいのだが、これで充分だと仲達は言う。
私がそれでは納得出来ん。

相も変わらず長い睫毛と美しい顔立ちに、今は泣かせてやりたいと強く思う。
仲達が未だ本調子でないのは百も承知だが、心にある矜恃を取り払いたい。
仲達に何かあれば私が黙っていない。
だが、仲達だけが無理をするのは嫌なのだ。

「今宵は、話そうか仲達」
「何のお話しでしょう」
「仲達の話をしよう」
「私の話ですか？」

体温は充分取り戻しているように思えた。
手が随分と温かい。
指を絡めて額同士を合わせた。
私の大切な者の話をしようと、背中を撫でた。

「…大丈夫、大丈夫だと、私には心配すらさせぬつもりか。その言葉を言われる度に、大丈夫ではないのだと言われているようだ」
「…本当に、大丈夫なのです」
「私は、大丈夫ではない。お前を傷付けられ、穢され、何も出来なかった己を許せない」
「あの場から助けて下さったでしょう…。私は信じておりました」
「体の傷は何れ治るだろう。心の方が治るのは遅い」
「…子桓様が居て下さるだけで、贅沢です…。あの日とて、直ぐに抱いて下さった…」
「抱かずにいれなかった」

壊れそうな心をあの情事で体も心も繋いだように思う。
故に仲達の思いが解る。解るからこそ辛いのだ。
仲達が少し俯いた後、私に額を寄せた。
握られている袖に気付き、手を取り指を絡めた。

「…しようか、仲達」
「はい…。沢山、して下さい」
「沢山か。抱き潰してしまうぞ」
「…そうして欲しいと言ったら？」
「仲達には弱い。知っていよう」
「はい。…ふふ」

優しくすると言うと、酷くして欲しいと真逆の事を言われる。
それは駄目だと仲達を言い聞かせ、後の言葉は口付けに溶かした。
下着をはだけさせ仲達を寝かせたまま全身くまなく口付け、痕を残した。
傷だらけの体に、所有の証を残す。
余り使わないのだが、今宵は潤滑油を余分に使い、少々媚薬も混ぜた。
私は酷く抱きたい訳ではない。心の傷を癒したいだけだ。其処にある矜恃を取り払いたい。

苦痛ではなく、快楽に落としてやろう。
全身くまなく愛撫し、水音が響くほど仲達の中を解した。
指だけで仲達が感じているのを横目に、仲達を果てさせる。
媚薬に気付いたのか、仲達が眉を寄せた。

「…そんなもの、使わなくとも…」
「痛くない方が良かろう」
「ぁっ、は…、ぁ…」
「今宵は声を堪えるな。聞かせよ」
「は、い…」

抑えようにも抑えられないのか、指を二本加える頃には仲達は充分蕩けていた。
胸で息をする仲達に当てがい、額を合わせる。
唇を指で撫で、仲達を見つめた。

「しかん、さま…」
「私はお前を泣かせたい」
「っ、…っひ、ぁ…！！！」

一番奥までゆっくり突き入れる。
入れただけでぞくぞくと体が震え、仲達が果てたのが解った。吐き出してはいない。
中だけで果てたのを見た後、深く口付けながらそのまま腰を揺り動かす。
蕩けた瞳に幾筋も涙を流しているのを見ながら、果てたばかりの体が痙攣して私をきつく締め付け続けている。
また果てた。幾度も果てて過敏になっている。

「…おかし、く、なり、ます…」
「なればいい」
「…、もっ、と…、子桓、さ、ま…」
「ふ…、存分に」

仲達に染みた媚薬は私にも効いている。
仲達の中にだけ果てるよう、私も何度か果てた。
とうに仲達の中から収まりきれていない私のものが溢れている。
白い脚を撫でるだけで、仲達は体をぞくぞくと震わせた。
眉を下げ、声を上げる。
色香に満ちた艶のある声が私の耳に響いていた。

ゆっくり腰を支えながら、深く仲達を抉る。
また果てたのか。瞳の焦点が合っていない。

「…仲達、私は…、仲達が何よりも、大事と思っている…」
「は、い…」
「…遅くなった。すまない…仲達」
「しかん、さま…」

快楽に狂っているのは解っている。
だが、今流れた涙はそれが理由ではない。
私の首に腕を回し、仲達から深く口付けられ腰を押し付けられる。
私を求められ、仲達が腰を打ち付けていた。

「っ…、腰を、痛めるぞ…」
「欲しい…、も、っと、子桓様が…」
「搾り取る気か」
「私…を、あなたの…ものに、して…下さい…」
「私も、仲達のものにしてくれぬか」
「…子桓様は、私の、です…」
「ふ…」
「私の、子桓さま…」

仲達に一度果てさせられ、また中に精液が伝う。
腹に触れて仲達が私に泣き顔を見せた。
眉を下げ、涙の止まらぬその瞳は長い睫毛が濡れていた。
今までで一番綺麗な顔だ。

「…ああ、綺麗だ…仲達」
「私は…穢され…、汚いの、です…」
「綺麗だ、仲達」
「っ」

仲達を傷付けていたのはやはりそれだった。
深く口付け、吐き出させるように果てさせた後、再び腰を揺り動かした。
水音がぐちゅぐちゅと響き、精液が糸すら引いている。
一体どれだけ情交を重ねたのか解らない。
仲達が傷付けられた以上に私が仲達を抱き潰した。

仲達の意識が飛びかけているところで止め、それを最後として漸く中から引き抜いた。
こぷ、どろりという音が聞こえて仲達は私の精液を溢れさせていた。

ぐったりと褥に沈む仲達は股に手を這わせ、私の精液を手に指を口に含んだ。
眉は下げていたが、柔らかに笑う。
胸につかえていたものが取れたのか、仲達は柔らかく笑えていた。

だがその仕草が妖艶でしかなく、私を煽るには充分だった。
既にまた固さを取り戻している。
先のを最後にしていたつもりだが、仲達に再び当てがい深く奥にまで衝動的に突き上げた。

「ぁ…、あ…！！」
「駄目だ…仲達…。そんな事を、して…」
「もう、お許しを…、わたし、壊れて、しまい、ま…す…」
「文字通り、搾り取られても構わん」
「んっ、ぁ、子桓、さ、ま…、だ、め…っ」

文字通り仲達が気を飛ばすまで抱き潰し、私が枯れるまで仲達の中に注ぎ込み続けた。
淫靡が過ぎる。
怪我人に余りにもやり過ぎてしまったが、意識を取り戻した仲達は私の腕の中で笑っていた。
漸く、自然に笑った。
私で仲達が救えたのか不安になったが、仲達は私にくっつきたがり傍を離れようとはしなかった。
仲達が腰砕けとなった為に、繋がりを解けず暫し余韻を楽しんでいた。
仲達が締め付けすぎて、抜けない。

「…こんなに、して…。女だったら、孕んでおります…」
「いっそ孕め。仲達の子なら愛せる」
「生めません…。もう…」
「…落ち着いたか？」
「はい…。すっきりしました…」
「そうか」
「好きです…、子桓様」
「私の方が好きだ」
「ふふ。負けませぬ」

事後ならば、仲達も素直に言葉が吐ける。
矜恃は既に剥ぎ取り、多少乱暴ではあったが仲達の心は顕に出来た。
その心を、柔らかく優しいもので包みたかった。
それが私で良かったのかと思えたが、仲達の言葉に一人よがりではなかったのだと私も安堵している。

仲達を救うつもりが、結局私が救われてしまう。
仲達には敵わんのだ。

いつもなら肌着でも身につけようものの、最後は互いに一矢纏わず肌を寄せた。
仲達の股を伝う精液に指を這わせるも、もう駄目だと仲達は私の手を叩いた。

いつもの、仲達である。

「…おかえり」
「ただいま…戻りました…」
「ああ、おかえり仲達」

心を漸く迎えに行けた。
戦場で殺した私の心も、仲達が取り戻した。
体の上に仲達を乗せ、背を抱き締める。
隠せるものは何もない。
今は隠す必要もない。

「…甘えても、いいですか」
「私も甘えたい」
「どうぞ…、お気に召すまま」
「仲達も、存分にな」

触れるだけの口付けをした。視界には仲達しか居らん。
いつも仲達を押し倒していたが、体の上に乗せるのも悪くはない。
幾度も口付けていたら、またしたくなってしまうと仲達は呟いた。

「…もう、駄目です…」
「ふ、このまま眠るか」
「はい…」
「っ…、しかし」
「このままがいいです…」

体の繋がりを解かずに、結局仲達は先に眠ってしまった。
泣きすぎて腫れた瞼を撫で、腰を引き寄せ腹を当てる。
起きたらまた抱いてやろうと、繋いだ手も体をそのままに私も目を閉じた。