武家の三男に生まれたからには、自分の役目は覚悟している。
自分が生まれた意味と役目を弁え、三つ指を揃えて頭を下げた。
「お館様、昌幸です」
「お初にお目にかかります」
「しっかりした子だね、幸隆」
「は…。昌幸をお願い致します」
「ああ、儂に任せよ」
お館様とは、武田信玄公の事である。
話に聞いていた甲斐の虎と呼ばれるお館様は、身形逞しく父上よりも大きな体躯をされていた。
暫し、父上の隣でお館様とのお話を聞いていた。
ずっと父上を見つめていた。暫く会えない事を解っていたからだ。
日が落ちると、父上は真田に帰られる。
何より父上は多忙である。
また戦の支度をされているとも聞いた。
別れ際に頭を撫でられて、父上の背中を見えなくなるまで見つめていた。
私は真田には帰れない。
私はこれから武田の人質として、躑躅ヶ崎館に住まう事になる。
裾を握って下を向いた。
「おことは数えて、いくつになるね」
「七つです」
「ふむ。読み書きは出来るかね」
「少しでしたら」
「では、勉学をしておいで。武芸の稽古もつけてやろう。一日忙しくなるから心しておいで」
「承知しました」
「まあ、今は来たばかりだからね。暫くはゆっくりお過ごしよ」
「お気遣い痛み入ります」
「ふふ。この館では、昌幸が一番歳下になったね」
余りにも肩肘を張り緊張していたからか、お館様が私の肩を叩いた。
少し息を吐くと、頭を撫でられた。
「また、幸隆は来るからね。今度は信綱が来るかね。別に、おことは捨てられた訳じゃないからね」
「はい…」
「されとて、七つか。ふむ。まだ親や兄達が恋しかろう」
「…大丈夫です」
「儂はおことから、子供らしさまで取るつもりはないよ」
「?」
荷物をまとめて、部屋に案内される。
きちんとした部屋を当てがわられて、隅の方に荷物をまとめる。
「そんなに隅っこに行かなくても大丈夫だよ」
「私の立場は、弁えております」
「おことは、歳の割に大人びた子じゃな。もう少し甘えると良いよ」
物の場所を教えて貰って、正座をして風呂敷を下ろした。
私の手荷物は少ない。
父上が出陣され、兄上も参陣されると聞いた。
この土地に来たのは初めてだ。
甘えていいとのお言葉にふと父上達、家族に思いを馳せた。
「…では、あの…、差し出がましいのですが、お願いがあります」
「ん。何かね」
「神社に行きたいです。父上と兄上に御守りを送りたいです」
「おや、信心深いね。では…そうさね。勝頼に連れてってもらいな」
「かつよりさま…」
「四男でな。おことと歳も近い。今度、支度をして門の前で待っておいで。勝頼が迎えに行くからね。これは駄賃じゃよ」
「えっ…、こんなに戴けません…」
「御守りを人数分買ったら、おことが何も買えないでしょ」
「私は別に何も」
「駄目駄目。後は勝頼に任せるから、今日はもうおやすみ」
「はい…。おやすみなさいませ」
「うむ。おやすみ」
「お館様、ありがとうございます」
「ふふ、お弁当も持たせようね」
お館様は優しい御方だった。
誰も知らぬこの躑躅ヶ崎館で、初めから優しく私に接してくれた。
父上や兄上のようにお優しく、一先ず私は安堵してその日は眠りについた。
神社参拝の日。
勝頼様の都合が着いたので、私も支度をして草履を履いた。
戴いた駄賃を巾着に入れて、手巾と弁当を持って風呂敷に包む。
勝頼様の分の弁当も預かっている。
勝頼様は私より一つ歳上だとお聞きしているが、まだお会いした事がない。
勝頼様や館の者と一緒なら外出しても良いと許可を得て、門の前で勝頼様を待つ事にした。
「おはよう。真田昌幸か?」
不意に背後から話しかけられ振り返ると、私より少し背が高い見目の綺麗な人が立っていた。
勝頼様は男と聞いていたのだが、失礼ながら女子なのではないかとも思えるほどに見目麗しい。
可愛らしい人だ、と素直に思った。
「おはようございます。勝頼様、ですか」
「おう。武田勝頼だ。よろしくな、昌幸」
「よろしくお願い致します。勝頼様」
「勝頼でいいぞ」
「そうは参りません」
お館様に似て、にこにことよく笑う人だなと思った。
あどけなく笑うお顔に、私も釣られて笑う。
勝頼様が顎に手を添えて、じっと私を見ていた。
「あの、何か…」
「変わった髪色だな!」
「っ…」
私は髪色が人と違う。
左側が黒髪で、右側は白銀のような色をしていた。
信綱兄上は父上に似て、昌輝兄上は母上に似ている。
私は父上と母上の髪色を半分ずつ貰い受けた。
故に生まれた時から、奇異の目で見られる事も多かった為、そう言われるとやはり人と違う事を思い出してしまう。
何を言われるのだろうと怯えた。
「…申し訳ございません」
「染めているのか?」
「これは、生まれつきで…」
「綺麗な髪だな」
「えっ…」
「では、行こうか」
意外な言葉に目を見開いた。
綺麗だなんて言ってくれたのは、家族以外で勝頼様が初めてだった。
自然に勝頼様に手を引かれて門を出る。
私の風呂敷包も持たれてしまって、慌てて取り返す。
「大丈夫です。自分で持てますから」
「すまん。大切なものだったか?」
「お弁当を戴きました。勝頼様のもあります」
「何だ。ならば私が持つぞ。重いだろう」
「されど」
「私は昌幸よりお兄さんだからな」
「あ、あの…」
結局、勝頼様に風呂敷包を背負われてしまい取り返せなくなってしまった。
申し訳ないと思いつつ、勝頼様の手を握り返した。
「せっかくだからな、諏訪まで行く」
「あの、諏訪大社でございますか」
「私の故郷だ」
「勝頼様の…?」
「だから、諏訪の地は庭のようなものだ」
真田の郷よりは手前であるものの、諏訪の地は遠い。
私達の足では、一日で帰って来れる距離ではない。
まるで私の不安を読んだかのように勝頼様が声をかけて下さった。
「手を繋いでいよう。はぐれぬ様にな」
「はい」
「少し遠いが、歩いた方が楽しいからな。帰りは迎えが来るからな」
「解りました」
「疲れたら言うんだぞ」
「はい」
勝頼様はお優しい。
何かと私に気を使い、私をよく見てくれた。
お顔の口角や眉の形などで、よく笑う方なのだろうと察した。私とは逆である。
勝頼様に対する最初の印象はそれだった。
諏訪までの距離は遠かった。
互いの身の上の話もした。
互いに嫡子ではない事や、立場を弁えている事など、勝頼様と私は共通する事が多かった。
諏訪の地に着く頃には、気を許していたように思う。
されど、相手は武田家の御子息。私は身分を弁えねばならない。
大きな木々の道を歩き続けて足が痛い。
それでも勝頼様は手を引くので、頑張って追い掛けた。
一歳の差は大きい。歩幅が違う。歩く速さが違う。
長い石段で、私の息が上がってしまった。
「はぁ、はぁ…まっ、て、勝頼、さま」
「すまぬ。早かったか。少し休憩にしよう」
「はい…、申し訳ありません」
「水がなくなってしまった。汲んでくるから、待っててくれ」
「わ、私も行きます」
「昌幸は休んでいろ。直ぐに戻るからな」
「あっ…」
私を木陰に座らせて、勝頼様は行ってしまった。
本当によく歩いたので疲れてしまった。
髪を結っていた紐が解けかけていた為、一度髪紐を解く。
「やはり綺麗だな、その髪」
「ひゃっ、勝頼様」
「はは、驚いたか」
「うう…」
頬に冷たい水を入れられた竹筒を当てられて驚いてしまった。
急に勝頼様が背後から現れたのだ。
「ほら、水だ。弁当を食べよう」
「む…、ありがとうございます」
「はは、昌幸を怒らせてしまったかな」
「怒ってません」
「ごめんな」
勝頼様が陽向から私を見下ろしていた為に、勝頼様の輪郭が光って眩しい。
笑顔も相まって、勝頼様が日輪のように眩しかった。
「勝頼様が日輪のようです」
「そうか?」
「綺麗です」
「昌幸は可愛いな」
「かわっ…、え…」
勝頼様の方が可愛い、と言いかけて唇を噛む。
それを言うのは余りにも無礼で不愉快やもしれぬ。
実際、私も少しむっとしている。
唇を引き結びながら、髪を結い直した。
勝頼様が風呂敷包みを開くと、おむすびが二つずつ入っていた。
いただきますと手を合わせて、勝頼様と二人、木陰でおむすびを食べた。
躑躅ヶ崎館の皆様方には、本当に頭が上がらない。
少し遅めの昼食を終えて立ち上がる。
歩き続けて、腹も満たされて、木陰で心地よくて、とても眠い。眠くなる条件が揃っている。
ただ、まだ諏訪にも着いていない。
小さく欠伸をして目を擦った。
「眠いのか」
「…いえ」
「おんぶしようか」
「…そんな事させられません。頑張ります」
「む、私は結構力持ちだぞ?」
「お気持ちだけいただきます」
長く休憩していたら本当に眠くなってしまう。
勝頼様に手を引かれながら目を擦り、再び石段を歩いた。
心なしか、歩みがゆっくりになっているような気がした。
半日をかけて歩いたものの、諏訪の地に着いたのは日暮れであった。
夜の参拝は適わない為、諏訪の地で一晩泊まる事となった。
片や武田家の御子息、片や武田の人質の私のちょっとした二人旅だ。
子供二人野放しで良いのだろうかと夜道を歩きながら不安になった。
不意に背後に気配を感じて、勝頼様の袖を引っ張る。
「ああ、大丈夫だ。あれは我が家の透破だ。父上がつけて下さったのだろう」
「そう、なのですか…?」
「今宵は諏訪の館に泊まる。話は通してあるからな。遠慮する事はないぞ」
子供二人野放しで出歩かせている訳ではなかった。
見張りは付けられている。
なればこそ、私も気を引き締めた。
諏訪の館に入り、深く頭を下げた。
勝頼様は会いたい人が居ると言い、居室に通された後、直ぐに小走りで部屋を出て行ってしまった。
母上に会いに行ってくる、と仰る。
居室の隅に座り、勝頼様の分の荷解きもして貸し与えられた着替えなどを整えていた。
家族か、とぽつりと思いを馳せた。
父上や兄上達のお顔も見れずに幾分久しい。
人質なのだから当然であれど、家族に会える機会は多くはない。
一日中歩いていた為、足が棒のように感じる。
正座をして目を閉じていると、不意に頭を撫でられた。
勝頼様が戻られたようで、手に布巾をお持ちである。
「勝頼様」
「待たせたな、昌幸。食事の前に風呂に入るぞ」
「は。どうぞ、行ってらっしゃいませ」
「?昌幸も入るだろう」
「では、勝頼様の次に…」
「昌幸も一緒に入ろう」
「あ、あの」
「腹が空いてるだろう?二人で入った方が早いからな」
有無も言わさず勝頼様に手を引かれ脱衣場に連れられ、あれよあれよと着物を剥かれてしまった。
何もかも勝頼様に案内されてしまった。
お目付けがあるとは言え、今日は楽しかった。
そう滅多に外出も出来ない為、良い息抜きとなった。
勝頼様は自分でやれると言うが、せめてもの御礼にとお背中をお流しした。
「…勝頼様、ありがとうございます」
「うん?私は何もしてないぞ」
「いいえ。久しぶりに楽しかったです」
「そうか。昌幸は気を張りすぎだからな。明日は社に行ったら迎えが来るぞ」
「お帰りは、騎馬ですか?」
「ああ。帰りは歩かないぞ」
帰りは歩きではないと聞き、少しほっとした。本当に足が痛いのだ。
勝頼様の肩に桶で湯を流して頭を下げた。
「よし、昌幸。お返しだ」
「?」
「昌幸は髪が長いから、大変だろう?」
「あ、あの、自分で…」
「お返しだ。それに昌幸の髪に触りたい」
「それは構いませんが…。申し訳ないです…」
「疲れただろう?足が張っているな。ゆっくり湯舟に浸かるといい」
「はい」
勝頼様に泡まみれにされ、体を洗われる。
髪はとても丁寧に撫でられて、私以上に気を使って洗ってくれた。
申し訳なくて大人しくしていると、不意に後ろから腹をくすぐられた。
「ぁっ、勝頼様っ?」
「気を張りすぎだ、昌幸」
「ゃっ、くすぐっ、たい」
「我等はもう友だろう?」
「友…」
「昌幸も、ほら」
「う、仕返しです」
「っひぁっ、昌幸がそうくるなら」
友だなんて、恐れ多い。だが嬉しかった。
互いにくすぐりあって、二人とも泡まみれになってしまった。
最後は勝頼様に押し倒されてしまった。
久しぶりにこんな無邪気に笑った気がする。
笑って勝頼様を見上げた。
勝頼様に友と言われて嬉しい。
友と言われたものの、供として共に居れるなら嬉しいと思った。
勝頼様の隣は居心地が良い。
「すまぬ昌幸。直ぐに退く」
「大丈夫です」
勝頼様に抱き起こされて、体を流される。
二人で並んでに湯舟に入り、勝頼様に足を揉まれた。
何かと私を気にかけて下さって申し訳ないが、何よりも嬉しい。
勝頼様の隣に居たいと思う。
ずっと隣で横顔を見つめて居たいと思った。
「私の顔に何かついているか?」
「いえ」
「そう見つめられては照れるな」
「…勝頼様、今日一日であなたの事が好きになりました」
「っ、私も昌幸の事が好きだ」
「ありがとうございます。甲斐に戻っても、許されるなら…勝頼様のお傍に居ても良いでしょうか」
「ああ、無論だ。私がお前を護ろう」
「いえ、それは…」
「昌幸は友だ。そう言っただろう?」
「私があなたをお支えします。あなたをお護り致します」
お傍に居たいと、自らの望みを遠慮なく吐き出したのは勝頼様が初めてのように思う。
いつもいつも私は自分を殺してきた。
故に、私を私として扱ってくれる勝頼様との時がかけがえのないものに思えたのだ。
頬に何か柔らかいものが触れた気がして勝頼様を見上げた。
勝頼様は優しく笑って、私の頭を撫でられた。
湯を上がり、勝頼様の隣で夕食も戴いた。
後片付けをお手伝いしたところ、勝頼様に招かれて諏訪御料人と呼ばれる勝頼様の御母堂様にも御挨拶をする事が出来た。
勝頼様によく似た、優しい眼差しの御方だった。
私達が立ち去る際に、勝頼様が振り返りお座りであった御母堂様の膝に飛び込み抱き着いた。
勝頼様とて、ただの子供なのだと思う。
私は頭を下げて、先に居室に下がる事にした。
「父上、母上、兄上…」
声に出して呼んでみると私も寂しくなってきた。
何時も家族が恋しい。
ほうと溜息を吐いて居室に戻ると布団が二組敷かれており、明日の着替えも置いてあった。
申し訳なく思い、部屋の隅に座り勝頼様のお帰りをお待ちする事にした。
温かな心地にぼんやりと目を覚ましたのは子の刻ではないかと思う。
月明かりに目を覚ますと、勝頼様に抱き寄せられてひとつの布団を共にしていた。
どうやら勝頼様をお待ちしている時に寝入ってしまったらしい。
申し訳なく思い、隣の布団に移ろうとするものの勝頼様に抱きつかれて離れそうになかった。
「寒くないか」
「…温かいです、勝頼様」
「良かった。一緒に寝よう、昌幸」
「はい…」
ふふ、と笑って勝頼様を見つめた。
勝頼様は私の事を好いてくれた。
疎まれず、嫌われる事がなくて良かったと思う。
このままでいい、このままでいたいと、勝頼様が私を胸に埋めた。
そこまで体格差はないのだが、ひとつ歳上の分、勝頼様の方が大きい。
勝頼様は、太陽のような香りがする。
撫でられて心地が良くて、居心地が良くて、温かくて、それで。
勝頼様の事が好きだった。
次の日、朝餉を戴いて屋敷を出た。
もう当たり前のように手を繋いで、漸く諏訪大社に着いた。
諏訪大社に本殿はなく、一番近い社に勝頼様が案内して下さった。
諏訪湖畔まで行けなくもないが、子供二人が日帰りで行ける距離ではない。
手水舎で手を清めて、勝頼様と二人並んで参拝した。
甲斐でお世話になる真田昌幸です。
私はきっと御役目を果たしますから、どうか。
父上と兄上が無事に戦から帰ってきますように。
皆が病もなく、怪我もなく、毎日健やかに過ごせますように。
またいつか、家族に会えますように。
己の人質という身分を思い出しながら、平穏無事、家庭円満を神様に願った。
あと、ひとつ。
私はどうなっても構いませんから、勝頼様の隣に居たいです、と神様にお願いをした。
まだ出会って一日しか経っていないのに、勝頼様の事が家族のように大切に思えたのだ。
社に深く頭を下げると、先に参拝を終えた勝頼様が私を待っていた。
「昌幸、こっちだ」
「はい」
「御守りは此処だ」
勝頼様が古札入れに御守りを返していらっしゃった。
どうやら勝頼様は何度も参拝されているようだ。
参拝客も増えてきて、私が迷っていると他の方の迷惑になってしまう。
はやく決めなくてはと御守りを見ていると、勝頼様にひとつの御守りを指をさされた。
「勝栗札」
「くり?」
「これは、戦勝祈願でな。いつも首からかけてる。去年からのものは、先程お返ししたのだ」
「では、父上や兄上には此方に致します」
「うむ。それは良いな」
「あ…」
勝栗札には、何事にも打ち勝つという意味があるらしい。
父上や兄上には此方にしようと人数分を手に取った。
ふと、協力一致守、と書かれた御守りが目に付いた。
協力という字に惹かれて、自分の御守りはこれにしようと手に取った。
衆心一致守というものも隣にあった。
どうやら協力一致守と対になっているらしい。
人の上に立つ者にとって良い言葉だと思う。
勝頼様にこれを、と思ったが私と対だなんて申し訳ない。
他のにしようと目線を逸らしていると、勝頼様が衆心一致守を既に持たれていた。
「あ、あの」
「混んできた。退こう。御守りは買えたか?」
「はい」
勝頼様に手を引かれて、人混みを避けた。
御守りは無事に手に入れて、個に袋を分けてもらい風呂敷包に入れた。
勝頼様が隣で御守りを見て、嬉しそうに笑った。
「昌幸は協力一致守にしたのだな」
「はい、あの…」
「では、私と昌幸はお揃いだな。見てごらん昌幸」
「?」
対になるのは申し訳ないと思っていたのに、勝頼様の笑みに救われた。
二つのお守りは並べると絵柄が繋がるようになっていた。
手を繋ぐかのような絵柄に勝頼様を見上げた。
「このお守りはなかなか手に入らないものでな。数が少なかったのだが、幸運だったな昌幸」
「そうなのですか?」
「昌幸と、心を同じに出来たら良いな」
「…同じです。勝頼様は、私がお支えします」
「ふふ、そうか。試しに御籤をひいてみよう昌幸」
「おみくじ、ですか」
対の御守りのように勝頼様と手を繋いで、二人で御籤をひいた。
勝頼様は中吉、私は大吉だった。私のくじ運が良いなんて珍しい。
「中吉か。大切な人が出来るでしょう。ただ嫉妬心は禁物…。ふむ、昌幸は何と書いてあった」
「…大切な人に会えるでしょう、と」
「おお、大吉ではないか!ふふ、そうか。きっと叶うな」
「そうでしょうか」
「昌幸がいい子にしていたから、神様がご褒美を下さる。きっとだぞ」
「はい…」
私は特段に信心深い訳でもないが、勝頼様がそう言うと本当にそうなのではないかと思えた。
御籤を結び、勝頼様に振り返る。
勝頼様の笑顔が眩しくて、優しい。
勝頼様の手を引いた。
太陽の方に立つ勝頼様の輪郭が光って綺麗だった。相変わらず太陽のような笑顔である。
かくして無事に参拝も終わり、御守りも手に入れる事が出来た。
勝頼様にすっかりお世話になってしまった。
「勝頼様。これを」
「私に?」
「何もかもお世話になってしまいました。勝頼様に、せめて私から送らせて下さい」
勝栗札を勝頼様の首に掛けた。
何より、勝頼様の勝という字が書いてあるのがとても良い。
「ふふ、ありがとう。昌幸。実は先程、買い逃していてな」
「そうだったのですか。言って下されば…」
「昌幸と対の御守りがあっただろう。だから良いかと諦めもついていたのだが、本当はこれも欲しかったのだ」
「左様なればようございました。ところで何故栗なのですか?」
「この札は栗の木なのだ。私は栗が好きなのだ」
「そうでしたか」
「いざとなれば武器になるからな!」
「武器…?」
勝頼様は栗がお好きなのだという。
勝頼様の好物が知れた。ならば、今度は栗を差し上げよう。
武器になるかどうかはともかく、勝頼様が嬉しそうで何よりであった。
勝頼様と共に社の石階段を下りて行くと、馬が見えた。
お迎えの方だろうか。
勝頼様が其方に歩むので、背を向けているその御方に勝頼様が声を掛けた。
「御苦労である」
「は、勝頼様」
「…信綱兄上?」
「ああ、昌幸。よく歩いたな。大変だったろう」
「何故…?え?」
「何だ。お館様の遣いがわしでは不満か?」
「逆だと思うぞ、信綱」
私達の迎えに寄越したのは、信綱兄上だった。
もう幾月か会えていない家族にまた会えた。ぐっと唇を噛む。
勝頼様は、御存知であったのだろう。
だから御籤の時に、あんな事を言ったのだ。
もしくはお館様の計らいやもしれぬ。
何にせよ武田家中の皆々様には大変頭が上がらない。
「勝頼様、暫しお許し下され」
「ああ、勿論だ」
「おいで、昌幸」
「あにうえ」
勝頼様に許されて、信綱兄上は膝を付き私を胸に抱き留めた。
信綱兄上は私より十も歳上の兄上だ。
胸に埋まり着物を握り締めると、兄上からは真田の郷の匂いがした。
頭や背を撫でられて、ぎゅうと兄上の着物を掴む。
「父上も昌輝も心配していたが、お館様に聞けば、昌幸はよく出来た子だとお褒めになるばかりだ。わしの気も知らず、大した奴よ」
「私は、何も」
「誇れよ昌幸。お前は出来た男だ。よく頑張っているな」
「はい…」
「今日くらい、わしの弟に戻っても罰は当たらんだろう」
「良かったな、昌幸」
勝頼様が先に馬に乗り、その背中に掴まるようにして私が座らせられた。
一番後ろに兄上が座り、勝頼様と私を支えるようにして馬で駆けた。やはり馬は早い。
勝頼様の腹に腕を回して掴まり、背中には兄上が居る。
これ程、安堵出来る事はない。
勝頼様の体温と、兄上の腕が温かくて目を閉じる。
「ん…」
「昌幸、眠るならちゃんと掴まれ」
「眠くないです…」
「寝ても構わんぞ。私が支えるからな」
「勝頼様に、そんな」
「勝頼様はすっかり弟が気に入られたようで」
「ああ。昌幸が好きだ」
「私も好きです…」
「ほう?そうか。勝頼様が居れば昌幸も安心ですな」
「任せてくれ」
兄上に頭を撫でられ、駆ける馬の振動が心地良くて勝頼様の背中に埋まる。
腹に回した手に勝頼様が触れて手を繋いでくれた。
温かくて心地良い。
振動が弱くなり、目を擦る。
歩調を抑えて兄上は馬を歩かせているらしい。
「少しは疲れが取れたか、昌幸」
「兄上」
「しっ、勝頼様もお疲れのようだ」
「あっ…」
勝頼様が私に凭れて眠っていらした。勝頼様とて、とてもお疲れだったのだろう。
そっと抱き寄せて、肩で頭を支えた。
「あなたは私が、お支えします…」
「昌幸、良い主を持ったな。本来、この様な外出など許されるものではない。お館様と勝頼様のお心遣いに感謝せよ」
「はい。友と、勝頼様は呼んで下さいました」
「そうか。何かと気苦労の多い方だ。これからもお支え致せ」
「はい。私がお支えします」
「だが、昌幸もまだまだ子供なのだからな。無理はするなよ」
「子供ではないです」
「何を言うか」
兄上に勝頼様ごと抱き寄せられて館に戻る。
お館様にも御守りをお渡しして、残りのお金をお返ししようと差し出したがお館様は御守りだけ受け取って頭を撫でられた。
信綱兄上も慌てていらっしゃったようだが、お館様は私の頭を撫でられるばかりで取り合って下さらなかった。
「お小遣いって言ったでしょ。昌幸が持ってなさい」
「されど、お館様」
「昌幸はよくやってくれてるからね。勝頼からも聞いているよ」
「はい。昌幸は頼りになります」
「私は、何も」
「昌幸はしっかりしているからな!頼もしいぞ」
「ふ、ありがとうございます」
信綱兄上がお館様と勝頼様に頭を下げ、私と共に室から下がった。
信綱兄上は真田の郷に帰られる。お見送りの為に信綱兄上の後を歩いた。
兄上に、家族の分の御守りをお渡しした。
わしのは昌幸がかけてくれと信綱兄上に屈まれて、紐に通した勝栗札を首に掛けた。
「これなら、昌幸が傍にいると思って頑張れるな」
「御武運を…、兄上」
「また会おう、昌幸。達者でな」
「はい。兄上も」
兄上と手を繋いで、その手を離した。
兄上が見えなくなるまで見送り、館に戻った。
勝頼様が私を出迎え、おかえりと言ってくれた。
此処が今は私の帰るところだった。
古い御守りを手に、諏訪の地に降り立った。
諏訪湖畔に立ち、水面を見つめていた。
「昌幸、待たせたな」
「勝頼様」
「懐かしい御守りだな」
「はい…。諏訪の地に行かれるならと思いまして」
「ずっと、返さなかったのか」
「…勝頼様と対だと思うと返せず。勝頼様はお返しになられましたか」
「まさか。私の宝物だぞ」
諏訪湖畔に呼ばれ、昔のように二人で参拝しようと勝頼様から参拝のお誘いを受けて騎馬で諏訪の地にやってきた。
私は十七を過ぎ、勝頼様は十八を数える。
幼心の思い出深い土地に、あの頃の御守りを携えていると、勝頼様も対の御守りをお持ちであった。
互いに好きだと、伝え合ったことを昨日の事のように覚えている。
懐かしい御守りを二つ並べて、絵柄を繋げて勝頼様を見上げた。
「相変わらず、綺麗な髪だな昌幸」
「そのようなこと…」
「好きだぞ、昌幸」
「恐れ多いことです」
勝頼様はあの頃から、私の髪が好きだと言い続けている。
私も勝頼様に絆されて、髪は手入れをするようにしていた。
そして、私の事が好きだとも言い続けられていた。
その言葉の本当の意味を知ったのは、つい最近のことであった。
不意に頬に唇を寄せられ、ちうと口付けられる。
「ずっと好きだぞ、昌幸」
「勝頼様…」
「あの頃から伝えていたのに、昌幸にはなかなかきちんと伝わっていなかったな」
「今は…、解ります」
「愛してるって、解ったか?」
「はい。私も…」
「ふふ、行こうか」
下馬し勝頼様に手を取られて微笑まれる。
やはり勝頼様は日輪のように眩しい。
恋仲となった今は、好意の思いを自覚している。
ただ好きだったあの頃とはもう違う。大人になった。
幼心の思い出を胸に、諏訪湖畔にて、勝頼様に口付けられて手を繋いだ。