胸筋が随分付いたように思う。
いや、本当にこれは胸筋なのだろうか。
水鏡に映る己を見つつ、自分の胸に触れる。
胸筋にしては柔らかい。
もしやと思い乳首に触れれば、やはりそこは随分と過敏になっているようで身が熱るのを自覚した。
筋肉が付いたのだという喜びも束の間、盛大に溜息を吐いた。
これは、全て勝頼様のせいだ。
真田屋敷、つまりは信綱兄上の屋敷の湯船にて私は身を清めていた。
一昨日からずっと勝頼様と共に過ごしていたのだが、急用で勝頼様が躑躅ヶ崎館を出られたのだ。
直ぐに戻られると言うのだが、勝頼様とずっと共に過ごすつもりで居た為に寂しく思っている。
顔に出ていたのか、勝頼様は私を優先し御役目を突き返しかけたのでそれはなりませぬと私が諭して漸く支度をされた。
何分、事後でもある為に人目にはつきたくはない。
勝頼様もそれを気にしていらして、躑躅ヶ崎館で過ごすのは体が休まらんだろうと私を抱き寄せて唸っていた。
「…本当は誰にも見せたくないのだが、致し方あるまい。真田屋敷に居てくれるか。役目を終えたら迎えに行こう」
「兄上のお屋敷ですか?兄上がお許し頂ければ、それは…」
「信綱ならば、信頼出来る。…いや、信綱でも、弟可愛さに万が一という事も…」
「何が万が一なのですか」
「昌幸は自覚が足らん。信綱はお前の事が大好きだぞ?」
「ええ、私の大好きな自慢の兄です」
「…それだ。だから心配なのだ」
「…私をあんなにしておいて、信じて下さらないのですか?」
「っ、信じていないとは言っておらぬ」
勝頼様が慌てた様子で私を抱き締めていた。
今でもこの身に残る余韻に頬を染める。
先程まで繋がっていたのだ。意識しない事の方が難しい。
「行って来る。そう待たせぬ」
「お気を付けて」
「昌幸も、無理はするなよ?」
「はい」
結局、勝頼様に真田屋敷まで送られてしまって頭を下げる。
早く帰って来て共に過ごして欲しいと伝えると、私を一度ふわりと抱き寄せた。
人目がない事を確認して勝頼様に口付けられて目を瞑る。
ああ、好きだ。好きで好きで堪らない。
勝頼様が私の髪をひと房すくって口付け、私の頬に触れてから漸く発った。
名残惜しく勝頼様の背中を見送り触れられた頬に手を寄せる。
勝頼様が何を危惧しているのか知らないが、久方振りの真田屋敷は嬉しい。
上田に帰ってしまった信綱兄上に先月から会えていないのだ。
今は甲府に来ていらしている信綱兄上に存分に甘えさせて貰おうとほくそ笑んだ。
勝頼様の上着を肩に屋敷の門の敷居を跨いだ。
屋敷の庭を歩いていたら、戸が開いた。
信綱兄上が屋敷を出ようとしている所だった。
信綱兄上の御姿を見てほくそ笑む。
久方振りの大好きな兄上だ。
私の姿を見るなり何故か戸惑われた様子の信綱兄上に歩み寄り、首根っこを掴まんとする勢いで上着を頭から掛けられた。
勝頼様に向けた緊張は解いて、信綱兄上に微笑む。
「お久しぶりです。信綱兄上、あの」
「ま、昌幸、お前…、いや、とりあえず入れ」
「信綱兄上?」
「…もう少し隠せんのか。全く」
「?」
信綱兄上にも上着を掛けられて、肩を抱かれる。
どうやら私を迎えに行こうとしていたらしく、居室も用意されていた。
だが信綱兄上に案内されたのは居室ではなく湯殿である。
着替えを受け取ると、信綱兄上に頬を撫でられた。
信濃の真田の郷を思い出す懐かしい匂い。
信綱兄上に会うのも久しぶりだ。
「先ずは身綺麗にして参れ。今日は屋敷から出るな。朝餉は未だか?」
「はい」
「なら、一緒に食べようか」
「はい。嬉しいです…。信綱兄上、お勤めは…」
「今日は出掛ける予定はない」
「本当ですか?」
「昌幸が来るというからな。先んじて終わらせておいた。今日はわしも休みよ」
久しぶりに信綱兄上に会えただけでも嬉しいのに、私の為に御役目を終わらせ暇まで作ってくれた信綱兄上に微笑む。
信綱兄上はいつまでも私には甘く、そしてお優しい。
物心ついた時から何かと私を見ていてくれた信綱兄上の事が大好きだった。
そのまま浴室から立ち去ろうとしている信綱兄上の裾を掴み、背中に埋まる。
信綱兄上は私に特段に甘い。
こうすれば信綱兄上が足を止めてくれる事は知っているのだ。
「どうした、昌幸?」
「一緒に入りたいです」
「…否、今回は遠慮しておこう」
「…そうですか。久しぶりに兄上と入りたかったのですが」
「…狭いだろう。また何れ温泉でも入りに行こうな」
「信綱兄上、駄目ですか?」
「…うーむ」
振り向いて下さった信綱兄上の胸元に埋まり、襟元に手を添えて見上げる。
私の我儘はだいたい一度目は断られる。
二度目で迷い、だいたい三度目で兄上は折れる。
信綱兄上はとても困った様子で頭を抱えていたが私が再度強請ると額や頬を撫でて、二度目で分かったと言ってくれた。
そして今に至る。
信綱兄上を背に湯船に浸かり、自分の胸を気にしていた。
目を合わせようとしない信綱兄上を見上げると、やはり目を逸らされる。
む、と眉を寄せているとその眉間を撫でられた。
そのまま優しく頬を撫でられて微笑む。
「胸が痛いです…」
「あまり触るな」
「私の胸、変ですか」
「さてな」
「信綱兄上?」
「お前はもう少し自覚せよ」
信綱兄上が湯船に入ってきたのは、私が何もかも終わらせてからである。
事後の処理は終わらせているので、痛みが伴う事ももうないだろう。
信綱兄上の背をお流しして、私も信綱兄上に体を流してもらった。
とはいえ、信綱兄上は先程から私と目を合わせてくれない。
ほうと吐息を吐いて湯船で信綱兄上に凭れ掛かる。
信綱兄上に会うのは本当に久しい。
私がお慕いして愛しているのは勝頼様に違いないが、信綱兄上の腕の中はとても落ち着くのだ。
再び頭を撫でられる心地に目を細めて、信綱兄上を見上げる。
信綱兄上は片手で目元を隠すようにして、私を見ようとは為さらない。
その仕草にむっとしていると、尖らせた唇を指で撫でられた。
「…昌幸、あのな」
「はい」
「こういう姿は、誰にでも見せるものではないぞ」
「信綱兄上だけですよ。昌輝兄上はこうは甘えさせてくれませぬ」
「はぁ、また勝頼様に何と言われるか」
「…信綱兄上は、知っておられるのですね」
「当たり前だ。全く…勝頼様もお前も、隠しもしない」
「勝頼様が何か言っておられましたか」
「お前に手を出すなとの一点張りである」
「信綱兄上が、まさか」
やはり勝頼様は信綱兄上にも牽制しておられたか。
どうにも信用されておられない。
今でも勝頼様を思っているのに、と私が唇を尖らせれば信綱兄上は苦笑していた。
「今でもこうしてわしに甘えてくれるのは嬉しいが、勝頼様の悋気が怖い。程々にせよ」
「…それが嬉しくもあるのですが」
「解っているのなら、昌幸」
「されとて、信綱兄上には甘えたいのです。駄目ですか、信綱兄上」
「…お前は本当に狡いな、昌幸」
信綱兄上の事は、小さな子供の頃からお慕いしている。
ただ勝頼様に向けた恋慕の想いとは違っていた。
安心感と、憧れと、優しさと。信綱兄上の傍は気が安らぐ。
頬を撫でられて、目を細める。
湯船の温かさに段々眠くなってきた。
昨夜からあまり眠れていない。
胸に頬を埋めると、私に気付いた信綱兄上が抱き上げて湯船から連れ出してくれた。
「…あにうえ」
「疲れていよう。後は任せよ」
「はい。申し訳ないです…」
「おやすみ」
信綱兄上と朝餉の約束をしていたのだが、私がそこまでもたなかった。
ふわりとした布巾に包まれるのが気持ち良くて、意識が沈んでいった。
柔らかい布団の中で身動ぐ。昼を過ぎた頃だろうか。
私の身形は整えられていて、髪すら整えられていた。
枕元には水差しも置かれていて、湯呑が逆さまに置かれていた。
日差しが部屋に差し込まぬよう、障子が閉められていた。
何もかもに気遣いを感じてしまい、何よりも人恋しい。
勝頼様が恋しくなり目を閉じた。
信綱兄上は何処までも私の優しい兄である。
「あにうえ」
ぽつりと声に出してみれば、自分の声が掠れていることに気付き用意されていた水を飲んだ。
やはりどうも、昨夜の事が堪えている。
再び布団の中に潜ると、人ひとりの足音が聞こえた。
足音から察するに、信綱兄上である。
「昌幸、起きたか」
襖の外から声を掛けられた。
不意に悪戯心が湧いて、狸寝入りを決め込んだ。
信綱兄上はどのような反応をされるだろうか。
襖が開いて信綱兄上が傍に膝をついた。
温かで大きな手が私の額を撫でる。
その手に甘えて擦り寄ると、信綱兄上が笑った。
「起きているだろう。昌幸」
「ふふ、はい」
「狸寝入りは下手だな。よく眠れたか」
「はい。兄上のお陰で」
差し出された信綱兄上の手に甘えて、布団から顔を出して頬で擦り寄る。
やはりまだ怠いが、せっかく信綱兄上が非番で在られるのだ。
事後は人恋しい。
本当は勝頼様に居て欲しかったが、私が我儘を言える立場にない。
故に、私の我儘を一番聞いて下さる信綱兄上に甘えさせて頂く。
「ふ、腹は空いていないか?」
「空きました。朝餉の約束を違えてしまいました」
「いやなに、朝餉の約束は昼にしようか」
「はい。信綱兄上、あの」
「ん?」
「…信綱兄上」
座ったまま、信綱兄上に両手を差し出す。
何も言わなくてもこうして手を伸ばしていると、信綱兄上が溜息を吐きつつも横に抱き上げて運んでくれた。
それに、信綱兄上は私の腰が立たぬ事を知っておられるのだろう。
事後である事も知っておられる様子だった。
「全く。いい歳をして」
「そう言いつつも、私がどうして欲しいか分かっていらっしゃる」
「昌幸だからな」
「いくつになろうと、私はあなたの弟ですよ」
「いくつになろうと、わしはお前の兄であるか」
「勿論」
「相変わらずのようだな、源五郎」
「…む」
唐突に幼名を呼ばれて唇を引き結ぶ。
信綱兄上だけ未だに私を幼名で呼ぶ。
十も歳が違えば、私の面倒を見るのは父母より兄上達の方が多かった。
昌輝兄上とてお慕いしているのだが、昌輝兄上は私を甘やかしはしない。
私の距離が近いのは、信綱兄上が私に特段に甘いと自覚しているからだ。
信綱兄上の居室、用意されていた座布団の上に下ろされてほうと溜息を吐く。
直ぐ隣に信綱兄上が座り、私の頬を撫でた。
湯船で見た時と同じく、私を見るには気まずそうな眼差しである。
「…わしはよく知らぬがその、体は大丈夫なのか?」
「はい。病ではございませぬ故、大事ありませぬ」
「そうか。だが、無理は…」
「大丈夫です。それに、信綱兄上が居ますから」
「どういう意味だ」
「さて」
信綱兄上に微笑み、隣に座る。
運ばれてきた膳に手を合わせて、昼餉を戴いた。
空腹だったので黙々と食べていると、ふと信綱兄上と目が合った。
未だ私の事が心配なのか、時折箸を止めて私を見ている。
「何です。兄上」
「所作が綺麗だな、昌幸」
「そうですか?」
「わしも父上も武骨者故、行儀や礼儀は重んじるが、作法は心得ておらん」
「信濃衆は皆そうでしょう」
「これも昌幸が奥近習であったお陰か。それは誇れることだぞ昌幸。何処に出しても恥ずかしくないというものだ」
「は…。されど、こんな何でもない事を、そのように褒められましても」
「何でもない事と思える姿勢が良い。子供の頃は寂しい思いをさせてしまったが、健やかに育ってくれて安心した」
「それもまた昔の話ですよ、兄上」
「すまぬ。ついな。離れていてもいつも昌幸の事を考えていたぞ」
「兄上…」
私の周りの殿方は、豪快で素直な方が多い。
好意も悪意も隠されない為、その言葉は真っ直ぐだ。
勝頼様も信綱兄上も、私と違い心根が真っ直ぐで在られるのだろう。
昼餉を終えて茶を啜る。
腹が落ち着き、体も温まってとても眠い。
膳を下げようと立ち上がろうとした所、兄上に手で制され止められてしまった。
立ち上がらなくて良いと言うことらしい。
「誰そ」
「はい。お呼びですかな信綱様」
「内記か」
「久しいな、内記」
「これは若!お久しゅうございまする。お元気でしたか」
「ああ。内記も息災のようだ」
「内記、すまぬが」
信綱兄上は人払いをして欲しい旨を内記に命じていた。
人払いをする程の事が何かあろうかと信綱兄上を見上げていると、暫し私と二人きりで話したいとの事であった。
「左様なれば、ごゆるりとお過ごし下さい」
「ああ」
「内記。もし、勝頼様が此処を訪ねたら通してくれぬか。昌幸はそれまでわしが預かる」
「承知。されば」
内記はついでですからと膳も下げてくれた。
茶と茶菓子も貰って、信綱兄上の部屋で腰を落ち着けた。
あふ、とひとつ欠伸をすると兄上が此方の様子を伺っていた。
小首を傾げて兄上を見つめると、私の傍に来てくれた。
「横になるか、昌幸」
「大事ありませぬ」
「疲れているのだろう。無理はするな」
「…兄上の傍にいると安心してしまって、どうにも眠くなってしまうのです」
「ふ、心置きなく過ごせているのなら何よりだ」
「はい。して、お話とはなんでしょうか」
「…うむ」
人払いまでして、私と二人でしたい話とは何だろうか。
主家である武田家の事であろうか。それとも御家、真田の事であろうか。
背筋を伸ばし、信綱兄上に向き直る。
次期真田の家長は信綱兄上だ。
私が武田に、そして真田に尽くしていこうという気持ちは変わらない。
信綱兄上は暫し私を見下ろしていた。
相変わらず私を見つめる信綱兄上の眼差しは優しい。
もしや、私に言い難い事なのだろうか。
「昌幸。これは兄として…、お前を案じているからこその話だ」
「信綱兄上…?」
「その、口出しはせぬと思うて居たのだが、今朝からの様子を見ているとどうも、な」
「?」
「勝頼様に、無理強いはされておらぬか」
「っ、何を仰るかと思えば」
頬を染めて口篭る。
信綱兄上は全て知っている。
勝頼様と恋仲である事も、私が事後であった事も。
だからこそ心配をしてくれたのだと思うが、一番尊敬して慕っている信綱兄上にまでこうも心配を掛けてしまうとは、全くもって恐れ多く申し訳ない。
「故郷を離れて過ごしたお前の事をいつでも案じている。いつでも思っている」
「信綱兄上?」
「お前が寂しい思いをしていないかと、一人で泣いていやしないかと、いつも昌幸を思っている」
「信綱兄上…」
「お前は何事も我慢するだろう。何時も何かに配慮をして、お前自身の意思はいつも蔑ろだ」
「私は、そんな事」
「今もわしに遠慮しているのではないか。心配を掛けまいと無理をしているのではないか」
「信綱兄上に御迷惑はかけませぬ」
「迷惑をかけて、かけられて、それが家族であろう」
「っ」
「勝頼様に何ぞ強いられて、お前が自分を蔑ろにして無理をしているのなら、兄としては見過ごせぬ」
「あ、兄上、違います。それは違います」
信綱兄上は誤解をしている。
兄上の袖を掴み、正面に向き直った。首を横に振り、信綱兄上を見つめる。
大好きな信綱兄上に、お慕いしている勝頼様の事を悪く思われるのも言われるのも嫌だった。
「私は、勝頼様の事をお慕いしています」
「そうか。即答出来ているのなら、謀りではあるまい」
「はい。勝頼様の事が好きです。お慕いしています。あの方が生きていてくれるからこそ、私が生きていられるのです」
「昌幸」
「…信綱兄上のお気持ちは嬉しいです。私が変わっても、信綱兄上が変わらず私の事を思っていて下さる。こんなに幸せな事はないです」
「お前は変わらないよ。ずっとわしの可愛い弟だ」
「兄上」
「自慢の、をつけるのを忘れていた」
「ふふ」
信綱兄上が私の頬に手を伸ばした。
その手に擦り寄り目を閉じる。
信綱兄上の事は子供の頃からずっと大好きだ。
そして信綱兄上はずっと私が心配なのだと思う。
信綱兄上の事はお慕いしているが、勝頼様へ向けたものとは違う。違うと思う。
触れられる手に頬を寄せると、信綱兄上が私の額に唇を寄せた。
幼い頃から信綱兄上も昌輝兄上も、よく私の頬や額に口付けてくれた。
幼心に意味を聞いたら、大切に思っている証だと教えて貰ったのを覚えている。
唇は大切な人になさい。そう教えて貰った事も覚えている。
信綱兄上を見上げると、唇を指で撫でられ目を細めて私を見つめていた。
思わず信綱兄上の胸に埋まり、その胸に擦り寄る。
私が大人になっても、優しい兄上は優しい兄上のままだった。
「綺麗になった」
「…そうでしょうか」
「幸せか、昌幸」
「はい。幸せです」
「なら良かった。わしが過敏に干渉して良い事ではなかった。許して欲しい」
「そんな、兄上」
「勝頼様」
「えっ」
「…随分、仲が良いんだな」
「っ、勝頼様?」
「昌幸」
不意に勝頼様の声が聞こえて振り返る。
少々乱暴に襖が閉められると、背後から腰に腕を回し、まるで兄上から遠ざけるように勝頼様が私を抱き締めた。
信綱兄上は訝しげに私達を見ていた。
「かつ、…ん、んっ…!?」
「勝頼様?」
「そこで見ているがいい、信綱」
「なっ」
勝頼様は頗る機嫌が悪く、私をきつく抱き締めて深く激しく唐突に口付けられた。
背後から顎を掴まれて、深く口付けられる。
兄上が見ているのにと抗議の意味を込めて胸を押すも力では勝頼様に適わず、それに深い口付けで体が蕩かされてしまい、その場にぺたんと尻を付け、抵抗虚しく口内を犯される。
激情に駆られた勝頼様に、私の言葉は届かない。
信綱兄上と目が合ってしまい、ぎゅっと目を閉じる。
信綱兄上が眉を寄せ、勝頼様の肩に手を置いた。
「勝頼様、わしの目の前で昌幸に無体を強いるのなら黙って見ているつもりはありません。部屋を御用意致します。其方に行かれて下さい」
「勝頼様…、信綱兄上…?」
「…信綱。昌幸の事を愛しているのか」
「はい。見守っています」
「兄弟として、だよな」
「はい」
勝頼様はふうと深く溜息を吐いて、私を柔柔と抱き締めた。
胸に埋めるようにして、優しく抱き締められる心地に私も抵抗を止めて身を任せた。
いつもの勝頼様だ。
信綱兄上もその様子を見て、勝頼様に頭を下げた。
「昌幸は私のものだ」
「無論。存じております」
「勝頼様、信綱兄上は」
「昌幸。お前は私の恋人だ」
「っ」
「信綱、昌輝、昌次相手だろうと、悋気が収まらぬ。私はお前が思うより心が狭いんだ」
「はい…」
「大好きなんだ。だから嫉妬もする」
「っ、勝頼様」
「部屋を御用意致します。其方へ」
「信綱。昌幸を愛していよう」
「はい。兄として」
「本当に、兄としてだな」
「勝頼様?」
「昌幸も随分、信綱に甘えるではないか」
「か、勝頼様」
勝頼様は何を言い出すのだろうか。
信綱兄上も困惑している。
私と信綱兄上の距離が近過ぎると、勝頼様はお怒りなのだろう。
勝頼様の事も、信綱兄上もお慕いしている。
故にこそ、こんな事で言い争いをして欲しくはない。
私から勝頼様に口付けると、勝頼様が私を見下ろした。
やはり未だ怒っている。
「勝頼様…、信綱兄上は何も悪くないです」
「信綱。そこで見ていろ」
「勝頼様、何を」
「昌幸とて、信綱の事が好きなのは知ってる」
「それは」
「昌幸は、信綱には素直に甘えるだろう。それがずっと悔しかった」
「勝頼様」
「私は信綱には適わないのか、昌幸」
勝頼様が寂しそうに私を見つめた。
今まで寂しい思いをしていたのは私だったのに、それは狡い。
信綱兄上をそんな風に見た事はないのだが、勝頼様にそう言われたら意識してしまう。
不意に身を起こされて、信綱兄上の胸に埋まった。
優しく私を抱き留めてくれる信綱兄上を横目に、勝頼様に振り返る。
勝頼様の手が腰や股に触れている事に気付き、咄嗟にその手を止める。
「勝頼様!いや、いやです!兄上の前で、そんな」
「勝頼様、弟の濡れ場を見る趣味はございませぬぞ」
「私が見せつけたいだけだ」
「勝頼様…っ!ぁ…」
「勝頼様、昌幸は未だ」
「何処に触れてもいいが、昌幸は私のものだ」
「ゃ、ぁ、っ…!」
信綱兄上の胸に埋まりながら、勝頼様に触れられて前戯も程々に着物の隙間から胸に触れられ、中に指が入れられる。
こうなってしまっては信綱兄上も逃げられず、私を抱きとめて目を閉じていた。
せめて私を見ないようにしてくれているのだろう。
下の方から水音が響いて、かああと頬を染める。
昨晩と今朝の事を無意識に思い出してしまい、はしたなく濡らしていた。
「信綱に見られて感じているのか、昌幸」
「ち、違っ、違います」
「ほら、もう蕩けてる」
勝頼様に言葉でも追い詰められて涙ぐむ。
私は勝頼様を愛しているのに、今日は意地が悪い。
「勝頼様」
信綱兄上が勝頼様を咎めるようにして声を掛けた。
勝頼様は半ば信綱兄上を睨むようにしていたが、信綱兄上は溜息を吐いて私を見下ろしていた。
音を聞かれたくないと思うのに信綱兄上が優しく頬を撫でるものだから、思わず蕩けたままの瞳で信綱兄上を見つめた。
信綱兄上は私を案じて、変わらぬ優しい眼差しで。
「ん、…っ、あに、うえ」
「…昌幸?」
「昌幸…?」
思わず、だと思う。
自分でもどうしてそうしたのか分からなかった。
信綱兄上の首に腕を回して、唇を合わせていた。
兄上が動揺し固まってしまったのが解る。
唇を離すと直ぐに勝頼様が私の唇を奪った。
同時に当てがわれて、着物も脱がされずに一気に奥に貫かれる。
私も焦がれて、待ち侘びていたのだろうか。
奥に貫かれただけで果ててしまい、信綱兄上の胸に埋まる。
「…っ!…!!ぁ…!」
「昌幸…?」
「果てたのか、昌幸」
「…そうなのですか?」
「信綱が居るから、随分感じているようだ。こんなに締め付けて…」
「っ」
今日の勝頼様は意地悪だ。
私を苛めようとしているのが解る。
眉を寄せて潤んだ瞳で勝頼様を睨むも、それにすら煽られたのか勝頼様のが中で質量を増したのが解る。
信綱兄上に頭を撫でられながら、勝頼様に触れられて深く奥に後ろから突き上げられる。
昨晩からもう腰が立たないというのに、勝頼様はそれを解っていて私を追い詰める。
「ぁっ、ゃ、ぁん、かつ、より、さ、ぁっ」
「…信綱。昌幸は可愛いだろう」
「っ、ゃ…!」
「勝頼様」
「解っている。昌幸を泣かせるのは本意ではない」
「昌幸を泣かせるのならば、許しませぬぞ」
「お前も大概ではないか」
「昌幸を愛しています。その思いは勝頼様に負けませぬ」
「ほう」
「…あにうえ…?」
火花が散るかのようなぴりっとした一瞬の殺気に肩を竦める。
勝頼様に口付けられて間もなく、信綱兄上から唇を額に寄せられた。
頬を優しく撫でられて、信綱兄上は身を引き勝頼様に私を押し付ける。
押し付けられた際に、深く奥に突かれてしまい肩を震わせて身を竦めた。
「人払いはしてあります」
「信綱」
「あにうえ」
「外におります」
私の頬を撫でて、信綱兄上は部屋を出て行った。
ぴしゃりと襖が閉じられて、その直ぐ前に信綱兄上が腰を下ろしたような軋みが聞こえた。襖の外から深い溜息が聞こえる。
「信綱兄上…?」
「昌幸」
「…ぁ…、勝頼さま…、ぁっ…、っ…!!」
間接的に二人きりにされて、勝頼様に激しく突かれて声を堪える間もなく果てた。
視界が白くなり、体から力が抜ける。
奥に感じる飛沫感に体を震わせて勝頼様を見つめた。
中からずるりと抜かれて、ぎゅううと強く勝頼様に抱き締められる。
「すまぬ、昌幸」
「勝頼様…」
勝頼様に優しく頬を撫でられて、抱き締められる。
恐る恐る背中に腕を回すと、私に唇を幾度も重ねて口付けられ続けた。
その口付けは堪らなく優しくて、そのまま目を閉じた。
いつの間にか眠っていたのだと思う。
抱き締められている感覚に目を細めて、誰なのだろうと見上げた。
勝頼様だった。
天井が私の居室である事に気付き、あれから移動されたのだと察した。
柔らかい布団の中、勝頼様の腕を枕に抱き締められている。
信綱兄上の姿はない。勝頼様と二人きりだ。
「大丈夫か、昌幸」
「勝頼様…」
「すまない。悋気が抑えられなかった。酷い事をしてしまった」
「…本当に、酷いです」
「信綱には、私が深く詫びた」
「…信綱兄上は、どうしていますか」
「ずっと昌幸を心配していた。昌幸の事を本当に愛しているのだろう」
「勝頼様…」
「それが恋愛感情ではないと、信じている」
思わず信綱兄上に口付けてしまった事を思い出して頬を染めた。
信綱兄上は私を拒まなかった。
まさかと思いもしたが、気付かぬふりをした。
私も信綱兄上を愛している。
だが、こうして体を重ねて愛して愛される事を望むのは勝頼様だ。
「…勝頼様」
「ん?」
「お帰りなさいませ」
「ああ、そうだ。言ってなかったな。ただいま、昌幸」
「はい」
「なあ、昌幸。愛しているぞ。私が一番昌幸を愛しているからな」
「はい…、ふふ」
勝頼様の悋気が嬉しかったのもまた事実である。
信綱兄上に悋気をぶつける勝頼様は子供のようで、可愛らしかった。
信綱兄上には私からお詫びしなくてはならない。
不意に唇に触れて頬を染めた。
あの時、確かに信綱兄上は私の名を呼んでいた。
勝頼様がむっとして、私の唇をがぶりと食む。
「ぁ、ぅ」
「信綱に取られてなるものか」
「何を仰る。私は勝頼様の…」
「満更でもなさそうだったが?」
「信綱兄上は、優しくて格好良いです…。憧れの兄上です」
「む…、負けぬ」
「…勝頼様は、可愛らしくて…」
「また苛めてやろうか、昌幸」
「そんな事をしたら私が嫌いになってしまいますよ?」
「っ、それは嫌だ」
「私も嫌です。嫌な事はしないで下さい」
「む…」
「ちゃんと、あなたを愛しています」
「っ」
頬を染める勝頼様を見つめて笑う。
分け与えられた体温に目を細めて胸に甘えた。
私はもっと勝頼様に対して素直に甘えるべきなのだろう。
信綱兄上に甘えるように、もっと素直に…。
されど、あの優しい眼差しは信綱兄上だからこそである。
心地良い悋気にほくそ笑みつつ、今は勝頼様の胸に甘えた。