恋慕の思いは自覚している。
それを幼心に秘めたまま、友として今日まで過ごしてきた。
寿命が長いとも言えぬ今日に、無事に元服し名を頂けたのは良き日である。
躑躅ヶ崎館の縁側にて、月を見ながら杯を傾けていた。
「勝頼様」
「ああ、昌幸」
昌幸。真田家の三男だ。私よりはひとつ歳下である。
武田奥近習として、童子の頃より共に生きてきた。
左右色の違う黒と白の髪がさらさらと肩に流れた。
昌幸に杯を注がれ、昌幸の杯にも注ぐ。
私が飲み干したのを見て、昌幸も飲み干した。
昌幸の唇が濡れて艶やかに光っている。
私の恋わずらいの相手である。
「昌幸。次の出陣は何時だ」
「七日後です」
「信綱、昌輝が居るなら何も心配はないな。戦果を期待しているぞ」
「は…」
「…寂しくなるな」
「直ぐに戻ります」
「ああ。またこうして、月を見ながら杯を交わそう」
「はい…、勝頼様」
次の戦に私は布陣しない。
私が昌幸を見つめる眼差しには熱がこもっている。
昌幸は恐らく、私の恋慕の思いに気付いていよう。
人の思いに敏感な昌幸が察しない筈もない。私は隠し事が苦手だ。
身分を考えれば、昌幸から私に思いを伝える事はあるまい。
ふと、昌幸と目が合うことが多い。
視線が合う度に気付く事がある。
私が昌幸を目で追うように、昌幸も私を見てくれているのだと。
友として過ごすのなら、このままでもいい。
だが、もう、友では駄目だ。私はそれ以上を求めている。
「昌幸は美丈夫だからな。女子らがほおっておかぬのではないか?」
「お戯れを。色恋沙汰に興味はございませぬ」
「…そうか」
昌幸にとって私はあくまでも主の息子であり、友でしかない。
未だ少しだけ、この想いは秘めておこう。
暫し飲み進めていたら、昌幸が潰れてしまった。
自力ではもう座っていられぬらしい。
私が飲ませ過ぎてしまった。私からの杯とあっては昌幸は断れまい。
私が酒豪である事を忘れ、昌幸に己の進度で飲ませすぎてしまった。
「う…」
「すまぬ、昌幸。ほら、私に凭れると良い」
「…申し訳ございません…」
「信綱、昌輝、おるか」
「此処に。ん?昌幸が何か」
「ああ、昌輝。すまぬ、水を」
「畏まりました」
暫し昌幸を抱き寄せていたかったが、昌幸の酔い方が酷い。
飲ませすぎてしまった。
昌輝が居たので水を持つよう頼むと、程なくして昌輝が持ってきた。
昌幸に水を飲ませると、昌幸は溜息を吐いたが私の胸元に埋まったまま動かない。
肩や背を撫でてやると、酔いに揺れた昌幸の瞳が私を捉えた。
昌輝が頭を下げて苦笑する。
「弟が失礼を」
「いや、これは私が悪い」
「どうかなされたか」
「兄上」
「ああ、信綱。すまぬ、昌幸を酔い潰してしまった」
「何と。されば、昌幸を引き取りましょう」
「…ああ、頼めるか」
「あにうえ…?」
「昌幸、手を」
「…っ」
「…昌幸?」
昌幸が私の腕の中から離れようとしない。
思わぬ反応に私の口元が緩む。
昌幸も、私の事が好きなのだろうか。
「私から離れたくないのか、昌幸」
「…はい…」
「そ、そうか。信綱、昌輝、私が昌幸を運ぼう」
「いえ、勝頼様の手を煩わせませぬ」
「…勝頼様、用事を思い出しました。私は、ちと外します」
「…そう言えば私も、未だ仕事の途中でした。暫し昌幸をお任せしてもよろしいか」
「そうか。それならば仕方ない」
「申し訳ございません。後程、弟を迎えに参ります」
「ああ、任せよ」
「あにうえ…?」
「後程、迎えに行く」
「おう。昌幸よ。後で兄上が行く」
昌輝の言葉に合わせるように、信綱も席を外した。
昌幸は首を傾げていたが、私は察していた。
昌輝も信綱も、私に気を使ってくれたのだろう。
真田の兄上達に借りが出来たようだ。
「…良い兄達だな、昌幸」
「はい。尊敬しております」
「信綱、昌輝は好きか」
「好きです」
「…私は?」
「お慕いしております」
「…そうか、そうか」
人の気も知らず、昌幸はけろりと即答しおった。
まこと、酔いの勢いとは凄まじい。
それは臣従という意味でなのか、恋慕なのか、とまでは聞けなかった。
ただ、その言葉を聞いて衝動的に昌幸に唇を重ねていた。
「…勝頼さま…?」
「私も好きだからな、昌幸」
「かつよ…、ん」
「続きは戦後にな。また会おう、昌幸。武運を祈る」
昌幸の唇に人差し指を押し当てた。
戦の前だ。これ以上は次にしよう。
足音が聞こえ、背を撫で目を閉じるよう昌幸に促した。
「御苦労だな、信綱。仕事は落ち着いたか」
「はい。お待たせ致した」
「否、丁度良い頃合だった」
「私にもひとつ、注がせて頂きたい。勝頼様の事、未だ素面でございましょう」
「おうとも。いいぞ、付き合ってやろう」
「では、真田信綱が御相手仕る」
「ふふ、かかって参れ。武田勝頼が御相手しよう」
隣に信綱が座る。
一献、私と付き合いたいと杯を重ねた。昌幸の瞼を掌で覆う。
「昌幸は眠ってしまった」
「左様か…。申し訳ございませんが、暫し弟はそのまま寝かせて下さらぬか。後程、持ち帰ります故」
「構わん。他ならぬ昌幸だからな。では暫し、私の膝を貸そう」
「勝頼様は、弟が…昌幸がお好きですな」
「ああ。友…としてな」
「…左様か。弟に代わって、御礼申し上げる」
「私こそ、真田家に頭が上がらぬ。いつも世話になっている。礼を言うぞ、信綱」
「有り難き幸せ」
信綱との酒は小気味よい。
昌幸とは違い、信綱、昌輝は屈託がない。
そして言葉の端々から、弟を思う良い兄だと解る。昌幸が尊敬する訳だ。
私も兄のように思っている。
「勝頼様にお願いしたい義がございます」
「何だ。それは父上でなく、私で良い事か?」
「お館様ではなく、勝頼様にお願いしたい」
一献のつもりが結局杯を重ねている。信綱もそれなりに強い。
昌幸は本当に眠ったのか、膝上で微動だにせぬ。
月を見上げながら昌幸の髪を撫でた。
「勝頼様、どうか昌幸をお願い致します」
「それは無論だが、何の話だ?」
「勝頼様をお慕いしております。気付いておられるでしょう。そして、勝頼様も」
「…私は、解りやすいか」
「失礼ながら、弟より随分と解りやすいかと」
「容赦ないな、信綱」
まあ、隠し事は苦手だ。私の恋慕の想いは隠しようがない。
隠せるほど小さなものではないのだ。
信綱は、私の背を押してくれたのだろう。
「信綱は、許してくれるのか」
「…さて、何の事やら検討もつきませぬな」
「全く、真田は食わせ者ばかりだな」
「…昌幸には、幼き日々に傍に居てやれませんでした。この子には名の通り、幸せになって欲しい。ただ、それだけです」
「あいわかった。…よく、解った」
「ふ…。さて、ではお暇致す」
昌幸の頭を撫でながら、信綱は笑う。
本当に良い兄だ。私は敵わん。
信綱は昌幸の肩を担ぎ、私に一礼をして去っていった。
昌幸は起きているのだろう。
信綱の袖を握り締めているのを横目に杯を傾けた。
良い兄弟だ。
報を聞いて、居てもたってもおれず真田本城へ早馬で駆けた。
昌輝より戦の報告を聞いた。
戦は勝利に向かっている。それは喜ばしい事だ。
父上が率いられるのだから、何も不安はないと思っていたが、昌輝からの報は私を駆り立てた。
昌幸が負傷し、撤退したという。
前線には信綱が残り、昌幸は父の命の元、真田に返された。
そんなに酷いのか、と報を聞いて青ざめ着の身着のまま早馬に乗った。
「昌幸の事だ。策を考して上手く逃げおおせたのだろう」
「それが」
「そうだと言ってくれ、昌輝!」
「昌幸は」
同行した昌輝に問う前に、真田本城に着いた。
昌輝に昌幸の元へ連れられ、膝を居る。
昌幸は血濡れで床に伏していた。
「昌幸!」
「勝頼様、昌幸は眠っております」
「…そうか、すまない。容態はどうだ」
「到着したのは先程の事。どうやら手当は済んだようで。命は無事です」
「そうか…、そうか…」
「肩に銃弾を受けましてな。それでも昌幸の奴、戦場に気丈に立っておりました。故、お館様に進言し引っ掴んで帰らせた次第。案の定、ぶっ倒れましてな」
「銃弾か…。命に大事はないのだな」
命が無事と聞いて胸を撫で下ろした。
だが、刀傷や矢傷と違い、銃痕は治癒が遅い。
故に銃痕は殺傷能力が高く、命を落としかねない。
昌輝は、百足衆。前線を駆ける。
負傷した弟を見て、いち早く援護し護ったのだろう。
昌輝もまた、昌幸の兄上だ。傷付いた弟をほおっておけなかったのだろう。
無理をしがちな昌幸を、昌輝はよく解っている。
「傷が熱を持っております。暫くは目覚めますまい。お館様や兄上には申し訳ござらぬが、引っ掴んで帰って良かったと思っております」
「お前達はまこと、弟思いだな。昌幸を護ってくれたのだな」
「過保護と言われましょうが、昌幸は気丈故。甘えるという事を知りません。兄として弟を甘えさせてやりたいと考えております」
「ふ、そうか。しかし、酷い熱だな。ずっとこうなのか」
「三日目ですな。勝頼様、お越し頂き恐縮ですが、私は本陣に戻ります」
「そうか。引き止めてすまなかったな」
「とんでもござらん」
信綱とは違い、昌輝は昌幸の頭をがしがしと撫でる。
そして私に向き直り、しっかりと頭を下げた。
「大したお構いもせず、申し訳ございません。申し訳ついでにひとつ、お願い致す」
「はは、何だ。言ってみよ」
「我等の代わりに弟を、昌幸をよろしくお願い致す」
「おう。任せておけ。武運を祈る」
「さっさと勝って帰って参ります。それでは、御免!」
何とも小気味よい昌輝を見送り、昌幸の元に戻った。
真田の兄上方はまこと、弟思いである。
汗ばんだ額を手拭いで拭い、汚れた体を拭いてやろうと桶を持った。
薄目で昌幸が目を開けている事に気付き手を止めた。
「…ここ、は…」
「昌幸、気が付いたのか。此処は真田本城だ。もう大丈夫だからな」
「…戦、は…」
声が掠れ弱々しい。
昌幸は、私が私だと解っていないようだった。
このような昌幸は初めて見たかもしれぬ。
水を飲ませてやるも、昌幸は再び目を閉じた。また意識を失ったのだろう。
血濡れは凡そ昌幸のものだった。
傷口は痛々しく、縫合されていたが熱を持っていた。
「お前はいつも、自分を蔑ろにする。少しは甘えてこい」
日々、傍を離れず様子を見ていたが、昌幸の熱はなかなか下がらず意識も戻らなかった。
昌幸は己の下に見過ぎる余り、自ら言動を縛り、無理をしがちで危うい。
聞けば、傷を負おうが父上の傍を離れなかったというではないか。
私が傍に居ればそんな事はさせないのだが、昌幸は頑固だ。私の言葉とて聞かぬやもしれん。
真田の家の者が昌幸の世話を買って出たが、私が譲らなかった。
昌幸には一言、言ってやらねば気がすまん。
お前は無理をし過ぎだと、もっと皆を頼れと言ってやらねばならん。
それに、私は昌幸に言わねばならぬ事がある。
戦には勝利したとの報告を受けた。
父上が躑躅ヶ崎館に帰られるとお聞きし、名残惜しいが昌幸の元を離れる事になった。
入れ違いに信綱と昌輝と顔を合わせた。
二人に深く頭を下げられたが、昌幸の傍に駆け寄る二人は武田の猛将ではなく、ただ昌幸の兄であった。
此処は真田の兄上らに任せ、私は躑躅ヶ崎館に戻った。
躑躅ヶ崎館に戻り、父上に肩を叩かれた。
具足を脱ぐお手伝いをしつつ、暫し父上と話をする事が出来た。
「此度の勝利、誠に祝着でございます父上」
「や、勝頼。出迎え御苦労様。しかし、おことも随分疲れた顔をしておるね。少し部屋でおやすみよ」
「いえ、直ぐに真田に参ります」
「昌幸か。どれ儂もお見舞いに行こうかね」
「父上が、ですか」
「昌幸に無理をさせてしまったからね。ちくちくと幸隆に怒られたよ。真田は怒らせてはならんよ勝頼」
「ふ、父上がですか」
幸隆殿は昌幸の父君だ。
あの昌幸は元より、幸隆殿には信綱や昌輝ですら頭が上がらん。
私の父にそうも言ってやれるのは、武田と真田の信頼あっての事であろう。
武田なくして真田はない。幸隆殿の口癖である。
「…昌幸は、どうかね?」
「大丈夫とは、即答出来ませぬな」
昌幸とはもう数日、まともに会話すらしておらん。
傍に居る事くらいしかしてないが、早く昌幸の声を聞きたい。
父上には、私の本心を見抜かれていた。
「勝頼は直ぐにお戻り。儂はちとやる事があるのでな」
「お心遣い痛み入ります。父上もどうぞ御自愛下され」
「うむ。良いよ。昌幸の傍に居ておやり。儂も機を見て顔を出そう。幸隆や信綱、昌輝にもよろしく伝えておくれ」
「御意。それでは行って参ります」
「ふふ、行っておいで」
別れ際に頭を撫でられた。
館の主から、父上も父上になられたようなそんな気がした。
父上のお心遣いを無駄にせぬよう、真田の元に馬を駆けた。
真田本城では昌輝が出迎えた。
簡潔に話を済ませ、昌幸の元に向かった。
信綱の背の横に、見慣れた白と黒の髪の背が凭れているのを見つけた。
どうやら熱は下がったようだ。
「信綱、昌幸!」
「や、勝頼様。不在の間、昌幸を看て頂き感謝致します。御迷惑をお掛け致しました」
「…兄上、この御方は…」
「…ん?」
「ああ、昌幸…、この御方はな…」
幾久しく昌幸の声を聞いた。
ひとつ胸を撫で下ろした。
だがどうにも昌幸の様子がおかしい。
信綱の肩に凭れ、表情も声も力ないがそれよりも何よりも私の事を認識していない。
「未だ熱があるのか、昌幸」
「…かつ、より、さま…?」
「ああ、良かった…。心配したのだぞ昌幸」
「昌幸。この御方はお館様の御子息、武田勝頼様である」
「…左様ならば、はじめまして…、勝頼様」
「…何を言っている?」
「勝頼様、実は…」
冗談を言っているようには見えん。
昌幸は未だふらつくのか、自力では座っていられぬようであった。
昌幸が何を言っているのか、理解が出来ず頭を抱える。
一先ず信綱に話を聞いた。
長きに至る熱で、一時記憶を失っているらしい。
真田の、家族の事は解るようだが、昌幸は私の事を忘れていた。
昌幸は何もかも、私の事だけを忘れていた。
信綱が席を外し、昌幸と二人にしてくれた。
記憶は一時的なものであろうと言い、よくよく療養するよう昌幸に伝えた。
何より銃痕が癒えていない。
昌幸は未だ微熱があった為、起きぬようにと私が寝かせた。
「…申し訳ございません…。兄上に、貴方様が…誰よりも私の傍に居て下さったとお聞き致しました…。御礼申し上げます」
「良い。私が話そう。ふ、自己紹介からが良いかな」
「はい。私と勝頼様はどのような間柄でしたか…。主従の間柄とはお聞きしておりますが…」
「私と、昌幸は」
それは、一瞬の邪な思い付きであった。
そうであったら良いと、そうなりたいと思わず口にしてしまった言葉であった。
「…恋仲だった」
「恋仲…?私と…?…貴方様が…?」
「あ、ああ、恋仲だ。故に…忘れられてしまう事は…とても悲しく、寂しい」
「…も、申し訳ございません…」
「心配したのだぞ…、命が失われるのではないのかと…生きた心地がしなかった」
「は…。では…、私と勝頼様は…恋仲だったのですね…」
「ああ」
「今も…恋仲なのですか?」
「ああ…、無論である…」
昌幸は目を丸くしていたが、戸惑いつつも受け入れてくれた。
思わず飛んでもない事を口走ってしまった。
罪悪感に苛まれたが、恋仲だと聞けば、主従の間柄である私が傍を離れぬのも納得がいったと言う。
とりあえず一度、茶を飲んだ。
「そうだ。昌幸。腹が空いてないか」
「…そう言えば、そうですね」
「銃痕は、利き腕か。どれ食べさせてやろう」
「いえ…匙がありますので、自分で…」
「やらせてくれ」
もしこのまま、昌幸の記憶を上書きする事になったのなら、昌幸は私の恋人になるのであろうか。
ありもしない関係を事実として受け入れてしまうのだろうか。
もしくは、いつか全てを思い出し私の虚言を厳しく叱ってくれるだろうか。
前者だとしたら、私は取り返しのつかない事をしてしまった。
間もなく粥と白湯が運ばれ、先の言葉通り私が昌幸の世話を焼いた。
額に手を置くと、昌幸がゆっくりと目を閉じた。
恋仲だというのは嘘だが、この想いに偽りはない。
昌幸の身を案じ、傍を離れなかったのは本当の事だ。
昌幸の傍を離れたくなかった。
恋仲だったとしたら当然の事だと、昌幸に唇を合わせた。
本当はただ、私が口付けたかった。
薄く艶のある唇は柔らかく、昌幸は驚いて一度身を引いたが抵抗はされなかった。
「…嫌ではないのか?」
「恋仲…なのでしょう…」
「もう一度、しても良いか…」
「…はい、どうぞ…」
ちぅ、と昌幸に口付ける。
一度と言ったが、唇を食むようにして幾度か口付けた。
昌幸の唇は、癖になる。
私が長年恋わずらいをし続けた相手だ。
口付けだけで満足するほど、私が昌幸に費やした思い入れは清らかなものではない。
だがそれでも今は、口付けるだけで精一杯だ。
「…いつも…その様にして、睦み合っていたのですか?」
「…ああ」
「随分、可愛らしい事で…」
「ほう。それは煽っているのか、昌幸」
「さて…」
「どれ、食らってやろう」
「ん、む…、ぅ…かつより、さま」
本当は恋仲ではない。
この様な偽りと見栄で昌幸に何をしてもいいと思っているのか己を攻めたが、自責の念より欲望の方が勝った。
昌幸が私に向ける表情にも何処か、慈しみを感じるのは気のせいだろうか。
昌幸に舌を絡めるように深く口付け、指を絡めて手を繋いだ。
ずっとこうしていたい。
「…ふ」
「何だ」
「…勝頼様は、可愛らしい方ですね」
「む。それは私の見目を言っておるのか」
「そうではなく…。大変失礼致しました。お許し下され」
「まあ、昌幸は格好が良いからな。歳を召せば色香も艶も増すだろう」
「そのようなもの、不要にございます」
「…自覚がないのは困るな。昌幸」
「勝頼様…?」
何もかも全てを思い出してしまう前にせめて、昌幸に私の想いを伝えようとは思う。
恋仲だという設定だが、私は未だきちんと昌幸に告白をしていない。
随分と、卑怯な真似をしてしまった。
昌幸の熱は一晩で下がり、父上の許しも得て私は昌幸の元に通っていた。日が落ちる頃には帰るようにしていた。
父がお忍びで真田本城に来られた時、何やら昌幸と二人で話されたようだが父上ははぐらかすばかりで昌幸の頭を撫でて笑っていた。
「昌幸はいじらしいね、勝頼」
「は?はぁ…」
「ふっふ。勝頼、機を逃さぬ事じゃな。昌幸はモテモテじゃよ」
「もてもて?」
昌幸の顔を見て安堵されたのか、私と共に躑躅ヶ崎館に帰った。
父上は昌幸と何を話したのだろうか。
昌幸の見舞いに日々、真田本城に通う。
幸隆殿らに許され、真田本城に泊まる事も出来たのだが、敢えて断っていた。
恋仲であるという考えの昌幸と、共に夜を過ごすなど私が一線を超えない自信がない。
夜になると、いつも誰かが昌幸の傍に控えていた。
その夜は幸隆殿が昌幸と肩を並べて縁側に座っていた。
会話を聞くと、あの昌幸が言いくるめられている。
肩を叩き、大儀と幸隆殿は昌幸を褒めていた。昌幸は静かにほくそ笑んでいた。
幸隆殿の前では、昌幸は子供である。
次の夜は、信綱と昌輝が傍に居た。
真田の兄上達は相変わらず、昌幸に甘い。
容赦なく肩を叩き背中を撫でる信綱らに対して、昌幸は困惑しながらも弟として兄上達に甘えていたのだろう。
昌幸は朗らかに笑っていた。
信綱、昌輝の前では、昌幸は弟である。
先日の夜は矢沢頼綱、高梨内記などが傍に控えていた。
身内とも主従とも言い難いが、昌幸は表情穏やかに語っていた。
高梨内記などは、若と昌幸を呼び慕っていた。
頼綱や内記の前では、昌幸は若殿である。
今日は子供達が居るようだ。
信之は五つ、幸村は四つになったと聞いた。
昌幸の膝に一人ずつ、信之と幸村が座っている。
どうやら三人で書を読んでいるらしい。
またも昌幸を取られてしまった。
「ふむ。昌幸は予約をせねばならぬか」
「や、勝頼様」
「こんにちは、勝頼様」
「こんにちは、勝頼様!」
「勝頼様」
「そのままで構わんぞ昌幸。私も混ざっていいか?」
「は…」
「皆で何を読んでいるのだ?」
銃痕のない方の肩に凭れて、昌幸に引っ付いた。
寝たきりではなくなった昌幸は、肩に包帯を巻き、書物などを読みつつ大人しく過ごしていたが、結局誰それと相手をしているので一人ぽつねんと居る事は少ない。
昌幸が子供達を下がらせた為、その後は私と一日を過ごした。
恋仲なのだと擦り込ませた為に、昌幸とは時折口付けをしている。
口付けるだけで精一杯だ。
口付け以上は、罪悪感がどうとかそういう話ではなくなる。
私は昌幸を騙している。
偽りの関係であるのに、昌幸に無体を強いてしまったら私は自分を永遠に許せない。
きっと、昌幸は許してくれるだろう。
故に、駄目なんだ。
ああ、日が沈む。
「お帰りですか、勝頼様」
「ああ、昌幸。また…」
「勝頼様」
昌幸は私の隣に座り、私の顔をじっと見つめていたが、不意に空を見上げる。
空が雲で覆われて、月は見えない。
「…雲が出てきました。間もなく、雨が降るかと」
「雨か」
昌幸なりに私を引き留めているのだろう。
私が毎度逃げるように帰る事に気付かれたようだ。
憂いを帯びた瞳が揺れる。
私は、昌幸に誠意を示さねばならない。
「では、雨宿りをさせてもらおうかな」
「は…、部屋を御用意致します」
「否」
「…?」
昌幸の袖を引いた。
袖を引き留め、昌幸に向き直る。
昌幸は首を傾げ、私を真っ直ぐ見上げていた。
唇に人差し指で触れた。ふに、と柔らかい。
「…触れても良いか、昌幸」
「…いつも、触れておられる…。そうでは、なかったのですか?」
「ふ…。昌幸の部屋に行く」
「承知致しました…」
「…昌幸」
「はい…、っん…」
本当に雨が降ってきた。
昌幸の腰を引き寄せ、唇を寄せる。
手を握っていたのだが、私の声は震えていたのかもしれない。
「ずっと昔から、昌幸に恋をしていた」
「…は」
「昌幸、今はな…」
「は、はい。勝頼様」
「今は…、愛している」
「っ…」
真っ直ぐに昌幸を見下ろして、想いを伝えた。
私を見上げた瞳が揺れている。
「…あの、私達は…恋仲なのでは」
「ああ、恋仲だ…。恋仲だな、昌幸」
「…は、い…」
「昌幸?」
「はい…、勝頼様…」
ほろ…と、昌幸の瞳から涙が溢れた。
一粒だった涙はほろほろと昌幸の頬を伝う。
泣き顔が綺麗だと、美しいと思った。
昌幸の頬に寄り添うように、頬を当てる。
昌幸の頬が真っ赤だ。
「…勝頼様…?」
「ふふ、顔が真っ赤だぞ昌幸」
「っ、お目汚しを」
「昌幸」
「勝頼様…」
「昌幸」
泣かせてしまった。
昌幸の泣き顔を見たのは初めてだ。
慰めるようにして頬同士を合わせて、昌幸を胸に抱き寄せて肩を引いた。
真田家で昌幸を泣かせたという事は秘めねばならぬ。
弟に甘い信綱や昌輝に見つかったら、いくら私とてただでは済まぬだろう。
昌幸は既に顔を拭い、平静を保っていたが目元が赤い。
手を取り、肩を抱いた。
「…閨に、連れて行ってくれるか。昌幸」
「はい…」
昌幸は自室ではなく、離れの部屋に私を招いた。
しとしとと雨が降っている。
食事も湯浴みも済ませ、昌幸の隣に座る。
昌幸と二人きりになれたのは、実に五日ぶりである。
「…あの、記憶になく申し訳ないのですが…、私と、勝頼様は、ど…何処まで…、その、為さったのですか…」
「…さて、何処までだろうな」
「…私は、…初めて…、に等しいと…お思い下さいませ…」
「無体はせぬ」
無論、私も男は昌幸が初めてだ。
私の心の臓の鼓動がやばい。
昌幸を騙しているつもりだった。
私の想いに言葉での返答はなかったが、あの涙が返答であろう。
今、私を見つめる瞳に怖れはあれど、拒んでいる様子はない。
何より、私を見つめる視線は熱っぽく艶に満ちている。
本当の、恋仲になりたい。
「今宵は、私がずっと傍にいるからな昌幸」
「…何です。妬かれていたのですか」
「私が妬かないとでも思ったのか」
「ふ、今宵は勝頼様の傍に居ります」
「ああ、私の昌幸だからな」
「あなたの、私…、ですか…」
「私の昌幸だ。ずっとお前の事を思っていたぞ」
敷布に昌幸をそっと押し倒した。
銃痕を気遣い、殊更に優しく昌幸を褥に寝かせた。
白と黒の髪が敷布に広がり、昌幸の胸元がはだけた。
肌は白く、腰付きは細い。
「…お優しいのですね」
「当たり前だろう。大事ないのか、昌幸」
「はい。そろそろ躑躅ヶ崎館に向かおうと考えておりました」
「無理だけはしてくれるなよ」
「はい。勝頼様」
「意識なく、血濡れのお前を見た時は、肝を冷やした」
「…申し訳ございません」
「命を粗末にしてくれるなよ、昌幸。お前は沢山の者に愛されている」
「そうですか」
「ああ。だが、私が一等だからな」
「勝頼様…」
「そう言えば、お前の返事を聞いていないな」
昌幸の唇を親指でなぞり、頬を撫でた。
その瞳は私だけを見つめていた。
「言って、よろしいのですか」
「ああ、ずっと待っている」
「御無礼を」
「そんな事はない」
「…私でよろしいのですか、勝頼様」
「お前がいいんだ、昌幸」
「…お慕いしております。ずっと、前から…」
「…ふ、私達は恋仲だな。昌幸」
「は、い…、勝頼様」
昌幸の頬と耳がみるみる赤くなって、瞳も潤む。
髪を撫でた後、唇を重ねた。手も重ねて、指を絡める。
私は今宵、昌幸を抱く。
「昌幸を支えるのは私の役目だ」
「…私があなたをお支えします」
「支えられてばかりのつもりはないぞ、昌幸。私とて、お前を支えたい」
「勝頼様、ん…、ぅ…」
「しようか、昌幸」
唇の口付けから徐々に下に唇をずらし、首筋を吸う。
露出した胸に触れて、乳首に触れる。
昌幸の体躯は良いが、私に比べれば細身である。
胸に口付け、其処にも痕を残した。
柔らかな乳首を吸い、もう片方は手で弄る。
「…乳など吸われましても、何も出ませぬ…」
「何も感じぬのか」
「…恥ずかしいです…」
乳首を吸うと、昌幸は口元に手をやり声を堪える仕草を見せた。
吐息を漏らしつつ、昌幸は私を見つめている。
何も感じぬ訳ではないらしい。
「声が聞きたい」
「それは…御勘弁頂きたい…」
「嫌だ。聞きたい」
「…私に至らない事があらば、御無礼に…」
「礼節など捨てよ、昌幸。私は臣下でもなく、子でも弟でも父でもない。ありのままの昌幸が見てみたい」
「…ありのまま、ですか」
「恋仲だと言ったはずだぞ、昌幸」
そのまま夜着をはだけて、下履きに手をかける。
昌幸のは既に少し反応してくれていた。
かぁっと頬を染めて、昌幸は敷布を握っている。
「…か、勝頼さま…」
「触れるぞ、昌幸」
「っ、は、はい…」
昌幸のに直に触れた。
扱くようにして触れつつ、昌幸の上に覆いかぶさり顔を見ていた。
眉を下げ、ぐっと唇を噛んでいる。
その顔を見て、唇を合わせて舌を割り入れた。
吐息が漏れて、小さく声も上がる。
徐々に私も昌幸も呼吸が激しくなってきた。
昌幸に当てられて、私のが張り詰めている。
「か、勝頼様、お離し下さ、い…!」
「ん?」
「も、もう…」
「…昌幸が果てるところを見てみたい」
「あ、あっ、ぁ…!」
手の中に白く、昌幸のが吐き出された。
脚が震えて、くたりと褥に沈む。
昌幸の胸が上下して、腹も白く汚れていた。
汗で髪が貼り付いて、昌幸が淫靡が過ぎて、艶やかで色香が凄い。
そんな昌幸を見て、もはや股間が痛いほどに勃起していた。
「お目汚し…を…」
「…ふふ、良かったのか」
「っ、御勘弁下され…」
私を呼ぶ昌幸の声が震えていたので、怖くないと胸に埋めて頭を撫でた。
昌幸は私の胸の中に大人しく埋まり、溜息を吐いていた。
その吐息にすら当てられる。
「ま、待って下さ…い…」
「…触れて、みるか…?」
「…あ……」
「昌幸を見て、こうなった…」
「…私の、せいで…?」
昌幸の手を取り、私のものに下穿きの上から触れさせた。
かぁっと頬を染めて、目線を逸らせられてしまった。
その手を取って、そのまま甲に唇を寄せる。
「抱かせてくれ、昌幸」
「…は、い…。仰せのままに…」
「ふ、怖いか?」
「…男は、勝頼様が、初めてで…」
「…私だけを覚えていろ」
「失礼なきよう努めます故、どうか…」
「うん?」
「どうか…、御手に触れます事を…お許し下さい」
「怖いか。ならば、ずっと繋いでいようか」
昌幸からの物言いが可愛らしい。
怖いのだろうに、一生懸命私に応えようとしてくれている。
指を絡めて手を繋ぎ、額に唇を寄せた。
生憎潤滑油を常に携帯するほど、欲望に忠実ではない。
吐き出された昌幸のを手に取りながら、そのまま下へ下へ、尻の割れ目に手を這わせて指で触れた。
昌幸の脚がびくつき、不安げに私を見上げている。
「指を入れるぞ」
「…っ」
「力を抜いてくれるか」
「どう、したら…」
「気持ちのいい事をしようか」
「ぁ…」
昌幸に口付けて、舌を絡める。
舌を吸うよう深く深く口付けながら、昌幸の中につぷと指を一本入れた。
中はきつく、とても熱い。
ぁ、と小さく昌幸から声が漏れて、背を弓なりに逸らした。
昌幸は、そういう声色で泣くのか。
「…ぁ、ぁ、ん…、ふっ…」
「血は出てないか、良かった」
「勝頼、さま…」
「痛いか?」
「熱いです…勝頼様のが、当たって…」
「ああ…、張り詰めて痛い」
「されば…」
「…焦るな。傷付くのはお前だ。傷付けたくない」
十分に解してやろうと、中に入れる指を増やした。
流石に苦しいのか、顔を背けて胸で息をしている。
一度指を抜くと、ねっとりとして糸をひきとても淫靡で破廉恥である。
「…かつより、さま」
「はぁ…、昌幸は艶っぽくて…、適わんな…」
「勝頼様…、もう、大丈夫です…」
「駄目だ。もう少しな。昌幸を傷付けてしまうからな…」
「お優しいのですね…」
「傷付けたくないんだ。昌幸だから、一等大切にな…」
「…勿体ないお言葉」
眉を下げて口元に指を添え、ふわ…と昌幸が笑った。
再び指を入れて解すも、誰にも見せぬであろう笑みに思わず唇を寄せる。
衝動的に、愛して止まない。
これを優しく扱えずして、何が恋仲であろうか。
漸く水音が聞こえるようになった。
昌幸の何もかもを蕩けさせたように思う。
握っている手に力がなくなってきた。
手を握ってやると、薄ぼんやり私を見つめてくれた。
昌幸の瞳には私しかいない。
額を撫でて大丈夫かと問うと、小さく頷いてくれた。
頃合であろう。
昌幸の額に唇を寄せ、耳元で入れるぞと囁いた。
また小さく頷いた昌幸に微笑みつつ、昌幸に当てがう。
もう戻れない。
「っぁ、…ぅ…!」
「…っ、まさ、ゆき」
「…かつより、さま…」
女であれば、昌幸は処女である。
指で十分に解したが昌幸の中はきつく、股の滑りに触れれば鮮血が滲みている。
ぐっと唇を噛み罪悪感に眉を寄せたが、昌幸が震える指で私の手を握っている。
手負いの獲物を見ているような心地だったが、昌幸の眼光は強く、私を見ていた。
ふ…、と昌幸が笑う。
昌幸の笑みに誘われて、頬を寄せた。
何とか腰を進めて、最奥まで昌幸と繋がる事が出来た。
息も絶え絶えで腰も逃げていたが、細腰を掴み昌幸の手を握る。
昌幸と、情事を、性交をしている。
交わっているのだ。あの、昌幸と。
一目惚れをした、あの昌幸と。
「…まさゆき、昌幸」
「っは…、ぁ、う…」
「痛くないか?痛いだろう…?」
「大丈夫…です…、勝頼さま」
「…どうしよう、昌幸」
「はい…?」
「幸せだ。とめどなく、幸せでたまらない…」
「勝頼様…」
震えるほどに幸せだ。
昌幸に甘えるようにして首筋に頬を寄せると、昌幸が恐る恐る私の頭を撫でてくれた。
その仕草に微笑み、昌幸に口付ける。
繋いだ手を離さぬように、握る手に力を込めた。
もう離さない。
「こんなに奥にまで…、繋がっているのだな…」
「はい…」
「…中に、果てたい」
「お好きなように…」
「良いのか?」
「最後まで…、御随意に…勝頼様」
昌幸に余裕は感じられないが、懸命に私に応えようとしてくれている。儚さすら感じた。
脚に伝う鮮血は痛々しいが、何より私をきゅうと締め付けてくれていた。
私を感じてくれている。
締め付けられすぎて痛いくらいだが、果てさせてやらねば昌幸がいつまでも辛かろう。
昌幸のを扱きつつ、恐る恐る腰を押し進める。
「ぁ…、ん、っ、ぅ…!」
「まさゆき…、はぁ…、昌幸」
「ん、ぅ、んんっ…」
「こら、噛むな」
「…、かつ、より、さま」
昌幸は自分の嬌声など聞きたくないと唇を噛んでしまった。
血すら滲んだ唇に指を添えて、口の中に指を入れる。
口内も蕩けて、温かい。とろとろだ。
「勝頼様…、かつより、さま」
「ん…?」
「…お、したい、…お慕い、して、おります…」
「っ…、昌幸…」
私に抱かれ快楽に揺れながら、昌幸は眉を下げ何とか言葉を繋げて私に伝えた。
頬には止めどなく涙が溢れていた。
昌幸の想いを受け取り、力なく握られている手に唇を寄せて、額と唇に口付けた。
「愛している」
「…っ…!」
「愛している、昌幸」
「勝頼様…」
私も釣られて涙が流れている。泣いてしまった。
私と昌幸は互いを想っていた。互いを愛していた。それを確認出来た。
昌幸の中に果て、昌幸の股から私の白濁とした精液が溢れていた。
昌幸も果てさせた為に、腹や脚が精液に塗れている。
事後の余韻に、昌幸は褥に脚を閉じて横たわっていた。
昌幸の淫靡な様相にむらりと情欲が沸くのを感じたが、尻を伝うのは白濁の色ではなく、鮮血の赤も混じっている。
そっと昌幸の傍に身を寄せて、頬を撫でる。
閉じていた瞼をゆっくりと開き、昌幸が私を捉えた。
未だ目尻に涙が溜まっている。親指で目尻を撫でた。
「…勝頼様」
「何だ?」
「勝頼様からの御言葉、恐悦至極にございました」
「止せ。今は主従ではない」
「恋仲、でございますか」
「ああ」
「…我が術中に嵌りましたね、勝頼様」
「ん??」
悪い顔をして昌幸が笑った。
ただ、幸せそうに笑うものだから何もかもを許すつもりで話を続けた。
「では、記憶を失ったというのは」
「策にございます」
「…そうか。されば、私も謝らねばなるまい。お前の記憶がないと聞いて、随分勝手をした」
「…恐れながら、勝頼様の想いを存じておりました。あなたの想いを確かめたかったのです。申し訳ございません」
私の記憶がないというのは、昌幸の策であった。
聞けば信綱や昌輝も一枚噛んでいる。
父上に話して許しを貰い、どうなるのか見届けてあげると言われた事も聞いた。
昌幸の策に更に偽りを重ね、私と恋仲であるように接していた昌幸の胸中は如何ばかりか。
聞けば、昌幸の策は私への思いに満ちている。
「ふふ、そうまでして…私と恋仲になりたかったのか」
「っ、私からお伝えする事など…出来兼ねます…」
「私がもっと早く、お前に想いを伝えれば良かった。私に意気地がなかった。お前を不安にさせてしまったな」
「いえ。私も主である勝頼様に偽りを申しました。許される事ではありませぬ」
「お前は何も嘘をついておらぬ。私の事が好きなのはまことであろう」
「左様ではございますが…」
「私も昌幸が好きだ。何もかも許そう。改めて、恋仲になろうか昌幸」
「はい…、勝頼様」
「よろしく頼む。ちゃあんと昌幸を愛しているぞ。私のは策ではないからな」
「っ」
今は閨だ。閨での言葉は昌幸も本気にしないかもしれない。
改めて告白する事を伝えて、今はお休みと疲労に横たわる昌幸を腕に抱いた。
明朝には雨が上がっていた。
雨宿りだと言って泊まっていた為に、襖を開けたら昌幸は恨めしそうに青い空を見上げていた。
未だ横になっているように促すも、昌幸は身を起こして私の身形を整えた。
「体は大丈夫なのか、昌幸。無理は…」
「御見送りを致します。させて下さい」
「否、未だ帰るつもりはないぞ」
「されど、雨は止みました」
「ああ、雨は止んだな」
振らつく足取りの昌幸の腰を支えて、二人隣り合って座り込む。
昌幸を私の胸の中に抱き締めた。
「昨夜は、初夜だった。覚えていよう?」
「は、はい…」
「その、恋仲の相手をほおって行けると思うか?」
「居て下さるのですか」
「当たり前だ」
「…ありがとうございます」
「否、違うな。私が傍に居たいのだ」
「…勝頼様」
「傍に居てもいいか、昌幸」
「はい…」
昌幸が私の胸に頬を寄せてくれた。
傷はもうだいぶ良い筈だが、昨日の事で疲れているのだろう。昌幸は随分と温かであった。
「昌幸」
「はい」
「私達は、恋仲だ」
「はい…。夢ではございませぬな」
「愛しているぞ」
「はい…、勝頼様…」
「ふふ、改めて私から告白出来て良かった。好きだぞ昌幸」
「…もう、勘弁して頂きたい…」
「誓いを口付けよう」
「ん…」
恭しく昌幸に口付けて契る。
昌幸が頬も耳も赤く染めて、私の胸に埋まり顔を隠してしまった。
もう策でも偽りでもないのだ。
この口付けを持って、恋仲である契りとした。
「朝餉に致しましょう…。湯浴みの支度も」
「私が行くから、昌幸は横にならねば駄目だぞ」
「あ、あの、勝頼様、私が行きます」
「恋仲に主従はないぞ。直ぐに戻るからな」
「勝頼様…」
「直ぐに戻る。昌幸に無理はさせられん」
「畏まりました…」
昌幸を言い聞かせて、布団に戻らせた。
未だ事後である体に無理はさせられん。
草履を履いて、真田の屋敷に顔を出すと信綱が待ち構えていたかのように戸口に立っていた。
「おはようございます。勝頼様」
「おはよう、信綱。どうした、何かあったのか」
「いえ。昌幸も起きておりますか」
「ああ。無理はさせられんと寝かせているが…」
「左様なれば、昌幸を連れて参りましょう」
「…否、待て。昌幸は私が運ぶ」
「左様なれど」
「今は、昌幸と二人きりになりたい」
「…勝頼様。昌幸と」
「ああ、信綱。お前も一枚噛んでいたな」
「は…。申し訳ございません」
信綱は朝餉の為に、我等を呼びに行こうとしていたところだったのであろう。
私と恋仲になった事を信綱に伝えると、何とも言えぬ複雑な表情で信綱は頭を下げた。
「どうか、昌幸をお許し下さい。私も弟可愛さに手を貸しました」
「うむ、許す。私が責められる立場にない」
「されど、勝頼様」
「何だ」
「弟を泣かさば、許しませぬ」
「お、おう」
「昌幸をよろしくお願い致します」
信綱の目は本気である。思わず私も怯んだほどだ。
信綱らは敵に回したくない。
昌幸を任せて欲しいと伝えると、信綱は頭を下げて私を見送った。
侍女らに朝餉を途中まで運んでもらい、湯浴みの支度もしてもらう。
離れの人払いは昌輝がしていてくれているようで、父親に構いたがりの子供達を構って遠ざけていた。
「すまんな、昌輝」
「いえいえ。甥っ子達と遊ぶのも楽しいものです」
「そうか」
「されど、勝頼様。弟を泣かさば、駆け付けますぞ」
「肝に銘じておく」
信綱も昌輝も、弟が大事だ。
歳の離れた弟は可愛かろうが、どうやら真田の兄上達は過保護のようだ。
昌輝と幸村らに手を振り、朝餉を持って昌幸の元に急いだ。
離れに戻ると、昌幸は私の上着を胸に寝息を立てていた。
寝顔であっても眉間の皺は消えぬらしい。
「ふふ、昌幸。ただいま」
「…ん…、勝頼様…?」
「ああ、ごめんな。起こしてしまった」
「勝頼様…」
「寝覚めに口付けてしまうぞ、昌幸」
「ん…」
昌幸が私に手を伸ばした。
その手を取り昌幸に口付けると、首に腕を回され、触れるだけのつもりが深く舌を絡められる。
昌幸から求められると解ると嬉しくて堪らない。
そのまま昌幸に口付け続ければ、首元や胸元が肌蹴て、昨日の痕が目に入った。
どうしたって、初夜を思い出してしまう。
唇を重ねながら昌幸の両頬を包んで額を合わせた。
「昌幸、まさゆき」
「はい…、勝頼様」
「ずっと、愛しているからな。私が死んでも、ずっと昌幸を愛している」
「…そんな先の話は知りませぬ」
「ふふ、先か。そうだな。昌幸の為に長生きしなくてはな」
「そうして下さい。私がお支えします」
昌幸を悲しませてしまった。
その話は止めて昌幸を抱き起こし、朝餉を並べた。
「ふふ。だがもう、昌幸も無茶はならんぞ。私の番なのだからな」
「げほっ…、ごほっ」
「大丈夫か?昌幸」
「つ、番…?」
「恋仲なのだからな。責任は取るぞ」
「お待ち下さい。展開が早すぎます」
「では、私と昌幸の幸せ家族計画を話そう」
「幸せ家族計画…?」
噎せている昌幸の背中を撫でながら、昌幸に夢を語る。
朝餉を終えて、昌幸は再び茶を啜っていた。
「私は昌幸とずっと、生きていきたい」
「左様でございますか」
私の話をずっと聞いていた昌幸がふと笑った。
どうやら私の幸せ家族計画も満更ではないらしい。
「昌幸の名からして、真田家は元々幸せ家族だったな」
「私の幸せは…、その、勝頼様です…」
「えっ」
「もう言いませぬ」
昌幸が余りにも小声で話した為に聞き逃してしまった。
私の名を呼んだ気がして、昌幸に詰め寄る。
「昌幸、もう一回だ」
「嫌です」
「まーさーゆーきー」
「勝頼様。湯浴みに行きましょうか。真田の秘湯がございますよ」
「それはいいな。昌幸の傷も癒える。だが、少々休んでから行こう。お前は私が支えるぞ」
「左様ならば…、御言葉に甘えます」
傍から見れば、恋人同士に見えるだろうか。
昌幸の膝に甘えて手足をじたばたとしていたが、昌幸に頭を撫でられれば大人しくもなる。
昌幸は私の髪を撫でてくれた。朧な記憶だが、昌幸の手は母の手を思い出した。
昌幸を幸せにしよう。
私に触れる指に唇を寄せて、己自身に誓った。
私は本当に、昌幸と恋仲になったのだ。